鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第49話 死闘

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 灼熱と零下、そして極光の流星が荒廃した大陸の遙か上空を駆ける。 

 音を追い抜き、雲を突き抜け、澄み切った大気の中に響くのは引き裂かれた風の悲鳴だけ。 

『間もなく予想会敵地点へ到達します。 用意はよろしいですか?』
「出来てないと真顔で答えても遠慮無く突っ込むつもりだろうお前」
『ええ、そういうことが難無く分かるのなら貴方の心も身体も問題ないでしょう』
「相変わらず気安く言いやがる。 迷惑を被るのはこっちだって言うのにな!」

 奇襲を警戒し、下方を頻りに気にする雪兎の視界に広がるのは、天に輝く太陽の光を取り込んで幻想的に淡く浮かび上がる雲海と、その切れ目から覗く鉄獄蛇が這いずった後と思われる溶岩流のみ。 

 粘菌がシャーレに広がっていくが如く熔岩が凄まじい勢いで地表を覆っていき、雪化粧したアルプス山脈を真っ黒に焦がしていく。

「自分が困らないからと好き放題滅茶苦茶にしやがって……」

 害獣側も決して無傷では済まないであろう規模の大破壊に戦慄し瞠目する雪兎だが、カルマがサブモニターの中より身を乗り出し、コックピット内に入り込んできたことによって本番が来た事を悟る。

『超大型熱源接近! 真下です!』

 カルマの警告がコックピットに反響したのと同じくして、暫しの間姿を眩ましていた鉄獄蛇が雲海の中を泳ぐように背中からゆっくりと姿を現し、やがて咆哮を上げながら恐ろしい顔を露わにする。 

 それは目にした者を滅殺するべき対象であると理解すると、爆発的な音の障壁を空全体に撒き散らしながら天を仰いだ。

 鉄獄蛇自身の熱で発生した嵐の結界が穏やかだった雲海を呑み込んで大気を攪拌すると、まるで巨人が影を落としたかのような暗がりが一面に広がる。 

 しかし、今この場にはその程度のそよ風では揺らがない怪物しか存在しない。

「随分余裕じゃないか。 だったらこっちも丁寧に足下を掬ってやらないとな!」

 轟音の波動と雷撃のカーテンを難無く突破し、全ての砲門を開放するドラグリヲ。 

 そのすぐ両脇をツガイの龍が駆け抜け、先んじて攻撃を行う。 

 突然発生した零下の嵐が鉄獄蛇の熱を急激に奪い、固まって脆くなった部位を紅蓮の鉄拳が揺るがし、粉砕する。 勿論、攻撃を仕掛けておいて即捕まるような深追いはせず、二匹は互いに死角を補い合いながら、鉄獄蛇の間合いからの出入りを繰り返し攻め立てる。

 絡み合うように螺旋を描いて飛翔する朱と蒼の流星。 

 それを追いかけて、意思を宿した熔岩の大海嘯がさらに勢力を拡大していく。 0から100へ、そしてまた0へと気持ち悪い急加減速を繰り返し、ドッグファイト最中の無人戦闘機以上に滅茶苦茶に動く粘体の異様は、流石の雪兎を持ってしても呻きを漏らさずにはいられなかった。

「くっ……、こんな空力もクソも無いガタイの癖になんてスピードだ。
 たった一匹で大陸中の国を滅ぼせるってのも吹かしじゃないってわけか!」

 物理法則を無視したような二匹の竜の異常な機動力にも平気で追い縋る溶岩の津波に対し、恐々とした視線を送りながら雪兎は呟いた。 

 山脈を悠々と乗り越え峡谷を易々と満たす生きた溶岩が、人類がいなくなったお陰で再生し始めていたユーラシアの自然を再び零へと帰していく。

「やること為すこと全部滅茶苦茶だ……、あんなモンに僕らがブレス以外で手出し出来るのか?」
『心配無用です、私の学習機能だってただの飾りではないのですよ。 現在、主砲や副砲に装弾されている砲弾に封入されているのは呉を襲った芋貝型害獣が放っていた劇毒を再現したもの。 いくら強いと言えども奴が生き物である限り、この毒の魔の手からは決して逃れられない筈です』
「筈……じゃねぇ! そこはちゃんと言い切れよ!」

 カルマの言葉にげんなりとしながらも雪兎は砲撃システムを起動すると、無駄弾を出さないよう注意深く狙いを定めてトリガーを引き絞る。

 とはいっても、外すほうが難しい形に変容しているため問題なく全弾命中し、鉄獄蛇の肉体を蝕む。

 だが敵も然したるもので、撃ち込まれたものが致命的なものであると察すると、被弾した箇所を自ら分離させて被害を最小限に食い止めた。

「あぁクソ、余計な真似をしやがって!」
『焦ったら負けです。 奴が根を上げるまでひたすら地道に行きましょう』
「地道ねぇ……、単調な作業って結構心にクるんだけどな」
『必ず勝てます。 だから自分自身と貴方に未来を託した魂を信じてください』

 チャンバー内の毒素が尽き、リロードしながら舌打ちする雪兎を励ますカルマ。 勿論、無責任にポジティブな言葉を連呼している訳では無い。

 雪兎とツガイの龍が共に死なず、鉄獄蛇の許容量を超えたダメージを蓄積させてしまえば勝てる。 

 それだけは決して間違いないのである。 唯一足りないのは手数だけ、それはカルマもきちんと理解していた。

『それに今なら私だってお手伝い出来ます。 貴方が機体の限界を補ってくれている今なら私だって!』

 カルマがそう叫んだ瞬間、ドラグリヲの背部装甲が一部剥がれ落ち、内部に致死毒を搭載した多数の小型戦闘端末が飛び立った。 飛び立った端から分裂と増殖を繰り返し、瞬く間に数万の軍勢へと膨れ上がったそれは、ツガイの龍に夢中な鉄獄蛇を死角より包囲する。

「これはあの蜂の化け物の……」
『そう、流石にあれ以上の規模と器用さの軍勢を生成するに至りませんが、単純な作業を行わせるだけならこの程度の再現でも十分役に立てるはず』

 雪兎に吸収された赤い血を流す獣達のDNAからリアルタイムで武装をでっち上げたカルマ。 

 彼女の号令に合わせて、生まれたばかりの小型戦闘端末達は皆一斉に特攻を敢行すると、鉄獄蛇の身体の一部を汚い緑色へと染めていった。

 水銀の如き光沢を放つ成長金属製の致死の雨。 

 その中を一旦は鉄獄蛇からの追跡を振り切ったツガイの龍が踊るかのように飛翔する。 

 二匹の視線の先には、体の一部を毒々しく変色させただけでのたうち回る鉄獄蛇の姿があった。
 
 戦闘開始直後の威容はどこへやら、毒の痛みに耐えられず奇声を上げながら地面に身体を擦り付ける姿は無様この上無い。

「いける、いけるはずだ!」

 ほんの少しずつだが確実に勝利に近付きつつあると、鉄獄蛇の醜態を見て雪兎は強く思い込むよう努力する。 

 先が見えずとも怯んでいる暇があるのなら、トリガーを引いていた方がまだ有意義だと。 しかしその縋るような考えも、眼前で引き起こされた非常識な現象によって根底から揺るがされそうになる。

 原因は鉄獄蛇自身の何気ない足掻きから来るもの。 

 身体の何処かに、どうしようも無く不快な感覚がある。 たったそれだけの解消の為に鉄獄蛇が巨体を振り乱した結果、崩された大地が鉄獄蛇自身が発する熱に溶かされガラス化し、広大な土地を雑草の一本さえも生育が望めない死の大地へと変えてしまう。

「滅茶苦茶なことばっかやりやがって! さっさと三途の川を渡りやがれ!」

 生き物が定住可能な土地を片っ端から潰していく鉄獄蛇の凶行を止めるべく、鉄獄蛇の頭蓋を狙ってドラグリヲを動かす雪兎。 

 すると、雪兎の次の行動を悟ったのかすぐそばを並走していた碧霄が天高く咆え声を上げた。

 誰もが聞き惚れてしまうような形無き音の芸術が雲の合間を掻き分け、空全体に響く。 

 だが、それが招くのは観衆の歓声などでは無く、すべてを凍らせ死に誘う零下の風。  

 それも通常の何乗もの圧力を秘めた大気が、空の果てから地上に向かい吹き降ろす。 凍った水分が煌めく大気の中に、不可視の氷の刃を大量に潜ませて。

「ひぃっ!?」
『絶対に当たらないと保証しますからいちいちビビらずとも結構です。 至急追撃を!』
「無茶言うなよ馬鹿が!」

 耳元を見えない氷塊が掠めて飛んでいった気配を感じ、雪兎は身体を屈めて嵐をやり過ごそうとするもカルマは全く空気を読んでくれなった。 否、それどころか自ら背に冷気を浴び、それを追い風に突っ込もうと画策していた。

「あぁクソ! どうにでもなりやがれ!」

 半分ヤケになりながらも雪兎は腹をくくると、チャンスを最大限ものにすべくドラグリヲの左腕に生成出来る分有りっ丈の毒素を凝縮する。 

 砲弾と表現するには余りに太く大きくなり過ぎた劇毒の塊を内蔵し、大きく不格好に形を変えた左腕。 

 それを雪兎が無理矢理構えた瞬間、今度は紅蓮が囮となるべく自ら零下の嵐を背に受けて加速した。

 鉄獄蛇が絶えず身体中から吐き出す熔岩が、吹き下ろした零下の風で固まると同時に紅蓮が放った鉄拳によって吹き飛ばされ、一瞬無風地帯が生まれる。

 ――今しかない。

 雪兎はそう悟ると、己の身体の底から溢れ出るエネルギーをスラスターに集め、吶喊した。

 多少は薄まりながらも、依然猛烈な圧力を蓄えたまま対流する熔岩の鎧を突き抜け、肉に相当すると思われる部位へ衝突した瞬間、雪兎は少しでも殺せる確立を高めるべくドラグリヲに限界まで左腕を突っ込ませる。

「くれてやる! そいつを手土産に地獄へ落ちろ!」

 全ては確実な決着の為。 

 驚くべき速度で再生しつつある熔岩の鎧に焼かれながら押し潰されるも、雪兎は執念で鉄獄蛇の肉体最深部へ左腕を叩き付けて切り離し、すかさずテイルバインダーを侵入してきた方向目掛けて射出する。 

 滝のように流れる熔岩をかき分けて鋼の鏃が進んだ先に待ち構えていたのは、ドラグリヲの帰還をワザワザ待っていた紅蓮。

 彼は自分に向かって飛んできたバインダーを見て雪兎の意図を察すると、バインダーに付属したワイヤーを思い切り引っ張ってドラグリヲを鉄獄蛇の体内から回収し、急いで空彼方へとぶん投げた。

「これならどうだ!」

 まるで典型的なハリウッド映画のクライマックス。

 悪党の居城が主人公の手によって脆くも崩れ去るかと如く、劇毒によって侵された鉄獄蛇の身体が爆発を伴ってグズグズに崩れていく。 

 普通の生物どころか害獣であっても死を免れないであろう劇毒の投与は、雪兎に確実な勝利を期待させた。

「やった、やったぞ!」

 自らが溶融させた大地の中へ為す術無く消えていく鉄獄蛇の姿を見て、一人喜びの声を上げる雪兎。

 大気を切り裂く鋭い音も、鉄獄蛇の咆哮も消え、無音となった空間に勝ち鬨の叫びだけが虚しく響く。

「あれだけグズグズに身体を腐らせたんだ、生きていられるはずがない」
『そうですね、アレが並みの生き物であるのなら恐らく死んでいるでしょう。 あの化け物が本当に並みの生き物であれば』
「何だその含みのある言い方は。 お前が言い出したことだろう? 生き物なら必ず殺せるはずだと!」
『そうです、私が戦闘中に試算した結果と合致していれば間違いなく殺せています。 問題は、先ほど出現したあれが本当に奴の全身像であるのかという一点だけ。 奴はマントルと肉体の融合を果たした異常な生命なのです。 もしあれが奴の身体の僅か一部だとしたら……』
「……っ!」

 カルマに指摘されて雪兎が漸く気配を探ろうとした瞬間、眼下の荒涼とした大地が突如轟音を上げた。 

 まるで手負いの獣の凶悪な咆哮を想起させるような凄まじい音の暴力。 それは、雪兎にカルマの懸念が正しかったことを知らしめる。

「くっ、あれだけやられて掠り傷程度だったのか!」
『来ます、急いで迎撃の準備を』
「言われずとも分かってる!」

 向かい来る殺気を察し、雪兎は負けじと殺意を剥き出しに迎撃の準備を整えた。 

 禍々しい気配を感じる方角へ砲口を向け、姿を現すのを待つこと一拍。 眼下の大地が文字通り砕け散り、地の底に身を潜めていた鉄獄蛇が再び天高く身を躍らせた。

 飛び出したついでにドラグリヲより更に上空を飛ぶ二匹の龍にかぶりつこうと考えてもいたのか、目一杯に開かれた大顎が勢いよく眼前を通り過ぎていき、それに続いて生きた溶岩で構成された胴体が天に向かって駆け上がって行く。

 鉄獄蛇の注視から完全にフリーとなり、土手っ腹に有りっ丈の毒砲弾を撃ち込むには絶好の機会が訪れる。

 だが、雪兎は何故か砲弾を撃ち込まなかった。

 ……否、正しくは動揺のあまりに撃ちたくても撃てなかった。

 目の前に再び現れた鉄獄蛇の姿を見て思わず絶句し、目を見開いたまま呆気に取られる。

「馬鹿な……」

 思わず呟く雪兎の視界の中で躍動するのは、さらに太く巨大に成長を遂げた鉄獄蛇の肉体。 

 先ほどまでの威容がさえもまるで比較にならないほどの巨体が、地殻内から巻き込まれて出てきた岩石やら高圧ガスやらを撒き散らしながら、ツガイ龍を追いかける余波で向かってくる。

『何をやってるんです! 早く躱して下さい!』
「言われずともやってる!!!」

 カルマに要請されるよりも早く、雪兎は咄嗟に上空に逃れようとするが間に合わない。 

 大きい生き物の時間の流れは遅いという認識を覆した大陸級の莫大な質量を伴った超高速殴打が迫り、雪兎は反射的に全ての防御機能を総動員して護りの態勢を取るが、それは宇宙から迫る巨大隕石をキャッチャーミットで受け止めようとする以上に無謀だった。

「ァガ……!?」

 まともに打撃を受け止めた刹那、ドラグリヲは文字通りペシャンコになって吹き飛んだ。 機体内を循環していた液体グロウチウムやら有象無象の部品を撒き散らしながら大陸の端から中央部へと殴り飛ばされ、ガラス化した大地を何度もバウンドし、ようやく停止する。

『ユーザー!!!』

 最早バイタルレベルを確認するまでも無いと、カルマは即実体化して雪兎の応急処置にかかるも、その表情はあまりに悲愴だった。 

 原型こそ保ってはいるものの、雪兎の体は骨から臓器に至るまで生きているのが不思議なレベルでグシャグシャに粉砕され、完全に機能不全に陥っていた。 

 血でうがいをするゴポゴポという音、ヒューヒューと必死に息を吸う音、そして筆舌に尽くしがたい苦痛に悶える呻き声。 

 あまりにも痛ましい音だけがコックピット内に響く。

『大丈夫ですユーザー、貴方なら絶対大丈夫。 だから息をすることを止めないで!』

 雪兎を励ますと言うより、自分に言い聞かせると形容した方が相応しいほどに、カルマは機械らしくなく動転しながら本格的な治療に移る。 

 その行為があまりに無防備で甘えた行動であるとも気付かずに。

 雪兎がパイロットどころか生き物として機能不全に陥った上に、カルマが機体の管理を一時放棄した事で、現在進行形で災厄を撒き散らす鉄獄蛇の動向が一切掴めなくなる。 

 本来なら雪兎のことを多少放置してでも常に認識していなければならない敵の位置情報を失ったことで、二人は目隠しをされたまま戦場に置き去りにされたのと同じ状態へと陥ってしまった。

 それを知ってか知らずか、ツガイの龍の追跡を諦めて手持ち無沙汰となっていた鉄獄蛇が、ドラグリヲの残骸に向かって本物の蛇さながらの動きで迅速に忍び寄っていく。 

 あまりにも大きすぎる身体で隠密行動など行っても間接的事象で即バレするのが当然の帰結だが、それでもカルマは自分達に迫りつつある脅威の察知に二手どころか三手以上遅れてしまい、自責の念のあまりに雪兎を治療することも忘れて頭を抱えて蹲る。

 詫びることも言い訳することも出来ず、瞳の中に何十色もの走査線を交錯させながらやっとのことで顔を上げるカルマ。 

 絶望する彼女の視界を、鉄獄蛇の巨大な顎門があっという間に埋めていく。

『首領……申し訳ありません……』

 自分達に希望を託して死んでいった女傑の勇気ある行為が、ただの犬死になってしまった事があまりに忍びなかったのか、カルマは無意識のうちに弱々しく言葉を紡いだ。

 ――そのときだった。

 鉄獄蛇とドラグリヲの間に2つの影が突然割って入り、ドラグリヲの残骸を遙か彼方に吹き飛ばした。 

 全く正反対の性質を宿した二筋の光迅が莫大な質量を誇る鉄獄蛇の突撃を押し留め、ドラグリヲが一時的に安全を確保できる場所まで飛んでいくだけの時間を稼ぎ出す。

「何故……」

 メインモニターに映り込んだツガイ龍の背中を、ぼおっとした目で見つめながら雪兎は口端から血を零しながら呟く。 

 命を賭けて借りを作ったところで何の得も無いはずだと。

 何も分からない、奴等の思惑が何一つ理解出来ない。 

 薄れゆく意識の中で雪兎は暫し考えるも、間もなく襲ってきた眠気によって意識を攫われ、深淵に沈み込んでいく。

 その過程で、雪兎はずっと昔の夢を見た。

 幸せだった幼年期の頃の夢を、走馬灯のように見ていた。
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