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第43話 真実
しおりを挟む首領をドラグリヲの鼻先に乗せ、リンボへの裂け目の中に突っ込んだ雪兎。
以前の経験を教訓とするならば、下手すれば複数以上の神話級害獣との邂逅をも覚悟しなければならないと大きな恐れを抱いていたが、裂け目を抜けた瞬間にそれが杞憂であったことを悟り、安堵した。
裂け目を抜けたドラグリヲが降り立ったのは、薄暗く狭苦しい人工空間。
現状把握の為にカルマがすかさず周辺のサーチを実行すると、機能を停止した機動兵器のスクラップや長年使われず埃を被った作業機械が多数検知され、ここが既に放棄された区画であると把握するには十分な情報が届けられる。
「ここはどこです? どこかの屋内に出たようですが……」
「ここは次元潜行艦“ユートピア”アタシらがいた世界を見捨てて逃げた薄汚い連中の寝床であり、これから墓標になる場所だよ」
「逃げた連中ですって? この空間は最近観測されたばかりではないのですか?」
全く状況が把握出来ず困惑続きな雪兎であるが、詳細を把握しているはずの首領は何故か問いには答えず神妙な面持ちで闇の向こうを見つめていた。
固く噤まれた口の端は僅かに震え、鞘を握った手からは微かに骨が軋む音がする。
「……カルマ、その辺のコンソールからデータの拾得を頼む。 今は少しでも情報が欲しい」
『ご安心下さい、めぼしい情報の拾得は既に終えています。 結論を先に言ってしまえば、知らない方が良かったとしか言いようがありませんが』
「何だと?」
暫くは触れない方がいいだろうと首領から意識を外し、すぐさまカルマに命ずる雪兎。
だが、既にデータの窃盗を終えていたカルマの表情はとても強い嫌悪感によって歪んでおり、雪兎がデータの詳細を要求すると、主の顔面を容赦なくモニターに無理矢理押し付けた。
「んぶっ……!」
『見て下さいこのふざけたデータを。 ここに住むロクデナシ連中は我々の次元で日々引き起こされている争乱を肴に優雅な生活を送ってきたようです。 その証拠に見て下さい、今まで貴方が血反吐を吐きながら戦ってきた記録が全て事細かに残されています。 失われた人命、消失した物資、二次被害で発生した損失まで全てです』
「あぁもう分かったから離れろ! 離れろって!」
怒りを制御することに慣れていないのか、拗ねた子供のように暴れるカルマを制止ながら雪兎は思い起こす。
初めてリンボに突入した日、誰かに見られていたような気配を感じていたことを。
「あの時感じた視線はここの連中だったのか。 ということはあの街で苦しんでいた人が居たのを、ここの連中は承知で放置していたというのかよ!」
『勿論そういうことになりますね、まぁこれだけ不快な遊びをしていた連中の考えることなんて理解しようとする方が損ですよ。 だって、あの程度の遊びなど序の口に過ぎなかったようですし』
そう言いつつ、カルマは部屋の隅の方へドラグリヲのメインカメラを向けると、暗視機能を起動して闇の中に潜んでいた何者かの姿を炙り出す。
そこに潜んでいたのは、胴体に人間の顔が張り付いた巨大蛆虫。
生理的嫌悪感を容赦なく掻き立てる気味の悪い怪物が、粘性のある蠕動音を立てながら廃墟の隅で蠢いていた。
「うぅっ!」
あまりに悪趣味かつ悍ましい姿に雪兎は全身に鳥肌を立てたまま動けなくなってしまうが、蛆人間達の存在に気が付いた首領は何の感慨も無く彼らの元へと向かうと、警戒されぬよう刀を納め、表情を穏やかに緩めながら静かに語りかける。
「元の次元でやれていた遊びが出来なくなったからと、用済みになった船員を使って遊んでいたのか。 浦島効果で何年この空間を彷徨いていたかは知らないが、奴らの腐った性根はどれだけ時を経ても変わらなかったようだねぇ。 本当に同情するよ、クズ共の下らない上級民族ごっこに何世代にも渡って付き合わされたお前さんらにはな」
語調こそ軽いものの、彼らに対しての憐憫の情は本物であるのか、首領の表情は一見穏やかながらも、やりきれない哀しみが確かに滲んでいた。
「安心しろ。 お前さんらをそんな姿にした屑共はこれから刺身になり、この泥舟も無惨に沈む。 奴らがアタシらに気を取られているうちに、お前さんらは他の被験者達と一緒に救難艇に乗って逃げろ。 この座標に飛べば間違いなくお前さんらは生き延びられる。 これから先、まだまだ辛い時があるかもしれんが、生きてさえいれば必ず報われる時が来る。 だから決して自ら命を手放すような真似はしてくれるな」
その辺に捨てられていた布きれに数字の羅列を書き殴り、蛆人間の一人に首領がそっと手渡すと、蛆人間達は恐怖に強張っていた表情を緩めて頭を下げ、仲間を引き連れてさらに深い闇の中へと消えていった。
「いい加減教えてくれませんか? 首領が現役だった時代に何があったのです?」
その様を黙ってみていた雪兎はほんの少しの不満を露わにしつつ首領に問いかける。
いつまで蚊帳の外に置かれ続けなければならないのかと、雪兎が首領と接するにしては強い語調で。
すると首領はついてこいと軽く手招きをすると、どこかを目指して歩を進めつつそのまま静々と口を開いた。
「昔々、我々人類は進化の袋小路に陥っていた。 ブレイクスルーとなる技術は生まれず、行き過ぎた物質主義と拝金主義。そして自称エリートの悪魔信仰者共の扇動によって人心は散り散りに乱れ、文明は衰退の一途を辿っていた」
「しかしグロウチウムという奇跡の発明によって人類は再びルネサンスを迎え、再び隆盛の道を歩み始めたはずだった。 神話級害獣“世界樹”の出現という災厄により、世界が荒廃するまでは……と続きますよね? 昔授業で習いましたよ」
行き交う人がおらず、荒れ果てた船内を進む首領とドラグリヲ。
カルマがデータを窃盗した際に何か細工を仕込んだのか、迎撃に現れる敵の気配は一切無く、雪兎は若干気を緩めながら首領と会話を続ける。
だが首領は雪兎の返答に何を感じたのか大きく首を振って否定すると、やりきれないように表情を歪めながら堰を切ったかのように一気に語り始めた。
「違うんだ、本当は違うんだよ雪兎。 あの植物が地表に姿を現す原因を作ったのは他でもない、人類自身なんだ」
「……何ですって?」
「確かにグロウチウムという奇跡の物質は停滞していた科学を大きく前進させて世界に希望を齎した。 だが、人間の好奇心は時として狂った判断をすることがある。 その極致が人類を効率的に管理する為の神の創造だった。 当時の人間が何故それを実行しようと考えたのかは今になっては誰にも分からんが、とにかく計画がつつがなく実行に移された結果、神が生まれた。 清廉潔白で慈悲深く賢明で大らかな神“世界樹”がな」
「馬鹿な! あり得ない! ふざけてる! 仮に首領が言っていることが正しいとしても、何故その神とやらが我々を滅ぼそうとしているんです!?」
あまりにも突飛で現実味が無い話に、雪兎は遊ばれていると即断し思わず激昂するも、対する首領はその反応を予測していたのか、雪兎の発作的な興奮が収まるのを待ち、軽く苦笑いを浮かべながら話を続ける。
「分からないのかい? 人は自ら育んだその慈悲深い神に見放されたんだよ。 ……恐らく神は認めたくなかったんだろう。 世界と人類は穢れ一つ無い美しく素晴らしいものと散々聞かされながら育てられ、夢と希望を持って外に飛び出したところに見せつけられたのが、延々と続く醜いマウントの取り合いだったというクソみたいな現実がな」
まぁアタシも人のことは悪く言えないかもしれんがと、頬を掻きながら一言付け加えて当時の人類に軽くフォローを入れる首領。
だが、一旦言葉を切って目を瞑ったかと思うと、彼女は突如凶悪な眼差しと殺気を剥き出しすると語気も荒く語り始めた。
「そんな非常時に、この舟を造った連中はアタシら人類を見捨てて当時は存在が不確かだったリンボへと逃げ出したんだ。 金に物を言わせて世界中の希少な人材や兵器、そして食料や資源を掻き集めた挙げ句、重要施設を片っ端からぶっ壊してな。 ここのクズ共の感覚で言えば、恐らく虫干しのつもりだったんだろう」
何か酷い目に遭わされた経験でもあるのか、首領の表情は雪兎が今まで見たこと無いほど強い憎しみの感情で歪み、迸った殺気が周囲の壁面にいくつもの亀裂を生む。
「それでも残された人類は諦めなかった。 当時世界樹との戦争の最前線にいた兵士達は、残された人員と装備を結集して何とか世界樹の懐に飛び込むと、殺されることを覚悟の上で説得を行ったんだ。 人間は馬鹿で間抜けで愚かではあるが、決して救いようのない畜生である訳ではないとな。 その説得は上手くいくはずだった……、はずだったんだよ! 逃げ出した連中がドヤ顔で説得に割り込んで世界樹を誑かさなければな!」
爆発的で止め処ない怒りが、ドラグリヲの中にいるはずの雪兎の臓腑を揺らし、絶え間なく湧き出ていた疑問の山をその胸の奥へ押し返した。
暫しの重苦しい沈黙が二人の間に横たわる。
「……だからこそ、今度こそ終わらせなければならんのさ。 踏みにじられた命に報いる為に、そしてアタシら自身の未来の為に」
防衛システムが動いていないことを良いことに舟の内部を好き勝手に切り開き、目的地までのショートカットを作り出す首領。
その背中を追いながら、雪兎はやっとのことで喉の奥から声を絞り出す。
「首領、貴女は何者なのです? 大昔の出来事を何故自ら見てきたように語れるのです?」
「それは追々教えてやるよ、これからの鉄火場を生き抜ければの話だが」
目的地が近いのか、さらに濃厚な殺気を醸し出しながら首領は簡潔に返すと、最後に立ち塞がった隔壁を斬り飛ばし、残心を決めて静かに刀を納めた。
キンッ――という無機質ながらも上品な金属音が静謐な空間の中に高く響く。
「ようやく迎えに来てやれたよ“羅刹号”随分待たせてしまったね……」
最後に切り開かれた先にあった物を見ながら、慈母の如く微笑み呟く首領。
その視線を追って雪兎も素早く目を向けるが、驚愕して思わず言葉を失う。
そこ鎮座していたのは、竜の形をした木製の巨大絡繰。
ドラグリヲと対極を成すかのような樹木の竜が、最後の扉を護るように跪き、眠りに就いていた。
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