鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第42話 虎穴

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 途方も無く巨大な入道雲が覆い隠した空の中を、溶鉄の奔流が縦横無尽に駆け巡る。 

 地の底から姿を現したそれが身をくねらす度に溶岩の波が海を荒らし、渦を巻くように降り注ぐ稲妻の豪雨が何もかもを打ち据え吹き飛ばした。 

 創生期の地球を彷彿とさせるその惨状は、雪兎とカルマに不退転の覚悟を強いる。 

『マントルと融合し、地殻の中に生息域を移した害獣ですか。 こんな狂った生命の存在が可能だとは……』
「奴が凄いことは分かったから何とか知恵を絞ってくれないか? 強い弱い以前にサイズが桁違いすぎてこのままじゃ埒があかないぞ!」

 自ら意思があるようにドラグリヲに食らいつく稲妻の群れに加え、巨大な蛇が時折放つ轟音の波動が雪兎を圧殺せんと数十メートル先を何度も掠めていく。

「ぐっ……ただの雄叫びでこれか……」

 命中こそしていないものの鋭敏化した聴覚には相当堪えるのか、音の塊が通り過ぎていく都度に雪兎は呻くような悲鳴を洩らし、必死に耳を塞ぐ。 しかし、その僅かな隙を敵は決して逃しはしなかった。

『ユーザー! 回避を!!!』
「なっ……」

 咆哮の余韻に気を取られて雪兎が僅かな間集中を乱した瞬間、ちょうど真下からドラグリヲを粉々にせんとばかりに溶鉄の奔流が迫ってくる。

「くっ、きわどいか!?」

 咄嗟に受け流そうと構えて衝突の瞬間を待つ雪兎。 だがそうするまでもなく、紫色の光がドラグリヲを包んだかと思うと、巨大な蛇の身体は何故か遙か彼方に逸れていった。

「“鉄獄蛇”か、こんな辺鄙な所に随分大袈裟な奴を引っ張り出して来たじゃないか」
「首領!?」
「悪いな、生き残りを保護していたら時間がかかっちまった。 アンタはなんともないかい?」
「大丈夫です、しかし先ほどの光は一体?」
「無事にこの場を切り抜けたら説明してやる……が、このまま奴を相手取るにはどうにも頭数が足りなすぎるな」

 ドラグリヲの肩の上に降り立ち、名を呼んだ怪物の行動を目線で追いながら首領は呟く。 

 そして数秒軽く思考したかと思えば、彼女はドラグリヲのコックピットを無理矢理こじ開けると、雪兎の承諾も得ず手慣れたようにどこかに回線を開く。

「あーあーもしもしN.U.S.A.大統領府かい? 今からお宅の大統領をぶっ殺しにいくぜ」
「……はぁああああああ!? 人の回線で一体何をやってるんです!?」

 嫌がらせとしか思えない首領の悪質な悪戯を看過できず、雪兎は堪らず間抜けな叫び声を上げるも、機体後方から突き刺さるような視線を感じ取ると、反射的にドラグリヲに回避運動を取らせる。

 刹那、水平線の向こうから漆黒の稲妻がドラグリヲの飛行経路を掠めるように飛来し、鉄獄蛇の頭を幾度となく打ち据えながら積乱雲の中へ消えていった。 

「うわああああ!? 何なんですあれは! あれを呼んだのは多分首領なんですから責任もって対処してくださいよぉ!!!」
「分かったからあの程度でビビるんじゃ無い。 大の男がそれでは哀華も悩みの種が尽きないだろうな」

 先ほどの雷撃が次はいつどこから現れるか分からず、浮き足だった雪兎に首領は容赦無くデコピンを食らわせ諫めると、彼女は愛刀を抜き放ちつつ再び機体外へと繰り出した。

 今まで雪兎を幾度となく護ってきた紫の光を帯びる高振動ブレードが薄暗くなった空の中で一際儚く瞬き、その輝きが翻る度にドラグリヲに襲いかかる雷撃が文字通りど真ん中からカチ割られ、大気中をのたうち回るように這い回りながら消える。

 雷撃よりも早く刀を操り、それを可能とする体捌きは最早人間業ではない。

「随分勿体振るじゃないかジョン、お前のような石頭にも少しはエンタメって奴が理解出来たようで嬉しいよ」

 鉄獄蛇が紡ぎ出す稲妻の檻に混じって駆け抜ける漆黒の雷。 

 それを視線で追いながら首領はニヤッと健康的な歯を見せて笑うと、程なく迫ってきたそれを剣戟で弾き飛ばし、無理矢理動きを止める。

 すると、首領の刀の表面を這い回っていた漆黒の稲妻がゆっくりと刀身から解離し、ドラグリヲの正面で立体的な形を構築し始める。 

 ルッツェルンハンマーを携えた、勇壮な漆黒のグリフォンの姿を。 

 その時点で雪兎はようやく、眼前の存在が一種のアーマメントビーストであることに気がついた。

「リン……、素直に呼びつけたらいつでも来てやると前も言っただろう」
「相変わらずお固いねぇ、単に呼びつけただけじゃあつまらないじゃないか。 リラックスする為のジョークだよジョーク」

 苦み走ったように表情を歪ませて苦言を述べる鳥獣に対し、首領は旧友とでも語らうかのようにとても嬉しげに声を弾ませる。 

 勿論、完全に気を抜いている訳では無く、彼らの身体から絶え間なく迸る鋭い殺気は、黙って二人を遠くから眺めていた雪兎に脂汗を無意識のうちに零させていた。

「しかしこうやって戦場で轡を並べるのも久しいな」
「そうだな、だがあの頃と違ってこちらの戦力は随分と衰えてしまった。 兵士も、兵器も、それを支えた銃後の人々も」
「泣き言を言うなよ、こっちは限られた手札を頭を使って淡々と切っていくしか無いだろう?」

 何気ない世間話を続ける間にも再会に水を差すように火山弾の雨が降り注ぐが、二人は埃でも払うかのように軽々と打ち払い、何事もなしに会話を続ける。 

 そうするうち、ジョンと名を呼ばれた鳥獣は雪兎に興味を抱いたのか、弱い電流をドラグリヲのコックピット内に侵入させ、自らの視覚で雪兎の顔を捉えた。

「それで、この子が例のくだらない蠱毒に引っ張り出された例の哀れな子羊か」
「蠱毒だと? まさかテメェもあの耄碌爺の犬か!!!」
「んな訳あるか馬鹿め、第一アタシがあのアホの使いっ走りを呼びつける訳がないだろうが」

 いきり立って敵意を剥き出しにする雪兎を制するように、首領はドラグリヲの鼻先を遠慮無く蹴飛ばす。 

 そうして自らはジョンの嘴の上に音も無く降り立つと苦笑いしながら頭を下げた。

「部下が見苦しい所を見せて悪かったな。 頼み込む側の態度としては最悪の対応だった」
「そうキツく叱るなよ、あの様子だと彼も随分と手酷く裏切られたようだからな。 ああいう態度を取っても仕方ないだろう。 奴が何を考えているのかは知らないが、少なくとも今を生きている人類にとって受け入れがたい事をやっているのは事実だ」

 何か苦い経験でもあるのか、ジョンは雪兎に同情するように憐れみの視線を投げ掛けつつ、軽く笑みを浮かべて気にするなと言うかのように頷いてみせる。 

 しかしすぐさま首領の方へ目線を戻すと、一転して真剣な声色で問いかけた。

「……行くんだな? あの忌まわしい連中の元へ」
「あぁ、でなければアタシらが散々弄ばれた挙げ句滅ぼされる。 もう二度と世界樹の目の前で起こされた惨劇を繰り返しちゃならんのさ。 だからアンタはアタシらがいない間、皆を護ってやってくれ。 この大役を任せられるのはもうアンタしかいない」
「OK確かに任された、俺から直に殴りに行けないのは残念だがこの際ワガママは言わんよ。 それに俺の代わりはそこの坊やが十分こなしてくれるだろうしな」
「僕が貴方の代わりですって? 一体僕に何が出来ると言うんです!?」

 お偉方二人の話について行けず、周囲の警戒をしながら話を聞き流していたはずが、突然話題を振られて雪兎は困惑の色を隠せずに思わずジョンの精悍な眼差しを見上げる。 

 しかしそれに関しての問いを雪兎が投げ掛けようとした矢先、再び凄まじい殺気が3人を襲い、喉元まで上がってきていた言葉は雪兎の胸の中へと帰って行った。

「ぐっ……!」
「奴め、随分どうでもいいことで怒っているな」
「いいことじゃないか、こちらとしては奴が自棄になってくれないと困るんだよ」

 戦慄する雪兎を差し置いて、余裕綽々な態度で殺気を受け止める歴戦の英雄二人。 彼らは各々愛用する武器を構えると、迫り来る殺意の塊が身を躍らせるのを待つ。

 一刻、また一刻と永遠とも思える一瞬が過ぎ去った刹那、沸騰する海中に身体を隠していた鉄獄蛇が再び海上へ姿を現すと、今度こそ皆をまとめて始末せんと大口を開けて迫ってきた。 

 口に含んだ物質すべてを軽々と燃やし、溶かし、吸収していく様はまさに生きた溶鉱炉と呼ぶほか無く、雪兎はその凄まじさに圧倒される。

「何て熱量だ……、でもこの距離なら問題なく避けられます!」
「いいや駄目だ雪兎、絶対にここから動くな。 これはアタシ直々の命令だ」
「何を馬鹿なことを言っているんです!? 正気ですか!!!」

 自殺行為としか思えない命令に堪らず反発する雪兎だが、首領の目線の先にあったものを見た瞬間に彼女の考えていることを何となく理解してしまう。 

 首領の視線の先にあったのは、以前雪兎が巻き込まれたものと酷似した裂け目。 

 脈を打つように小刻みに動く、リンボへ繋がる裂け目が、鉄獄蛇の喉深くで鈍く輝いていた。

「首領、まさかとは思いますが……」
「そうだ、アタシらは今からあそこに突っ込むんだよ。 あの門の向こう側でせせら笑っているクズ野郎共を一匹残らずぶっ殺してやる為にな!」

 ドラグリヲの鼻先で堂々と刀を抜き放ち、宣言する首領。 

 彼女は最上段に構えた刀を亀裂を狙って振り下ろすと、発生した紫色の衝撃波が生きた溶岩の壁を吹き飛ばしてリンボへの裂け目を切り開く。

「うぅ、苦労して戻ってきたのにまた逆戻りなんてついてない……」
「安心しろ、アタシが保証してやる。 アンタは必ずまたこの地上に戻ってくるんだってな!」
『そうやって根拠の無い自信で他人を誑かすのはやめてください、また人事課から叱られても知りませんよ』

 うんざりだとばかりに嘆く雪兎を首領が豪快に笑い飛ばすと、それに釘を刺すように今まで黙々と己の仕事を続けていたカルマが苦言を呈する。 

 だが、首領の底抜けに明るい声は本人が知らぬうちに周囲を鼓舞し、まだ見ぬ敵との邂逅に不安を抱いていた雪兎の背を強く支えていた。

「もし帰れなかったときの言い訳は考えておいて下さいね。 ……行きます!」

 ここまで呑み込まれてしまった以上今更逃げられないと、雪兎は死なば諸共とばかりにドラグリヲの出力を急上昇させて裂け目の奥へと突っ込んでいく。

 首領が禍々しい負の感情を一瞬だけ露わにしたという事実を、一人胸の奥に仕舞い込みながら。
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