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第38話 救済
しおりを挟む血と炎と錆で彩られた荒涼とした心象風景の中を、サンドマンは一人我が物顔で練り歩いていく。
大股に一歩踏み出すごとに肉が潰れる湿った音が響き、跳ねた飛沫が足を汚す。
「心の風景はそのまま、その存在の本性を描き出すもの。
如何に聖人として振る舞おうと、外道として着飾ろうと無駄なことだ。
世界への偏見、内に秘めた渇望、そして肉体に宿りし魂の本質を暴き出す」
空を焦がすような大火災の中を何気なく通り抜け、誰かに聞かせるようわざと大きな声で説明してやりながら、サンドマンは強い気配の根源を目指して歩み続ける。
そうして膝までが赤い飛沫で染まりきったところで目的のものを見つけると、サンドマンは眼前の人影に向かって心にも思っていない言葉を紡いでやった。
「いやぁ驚いたよ坊や、今まででも結構な数の心に侵入した自負はあるが、ここまで明確な怒りと憎悪に狂った風景を見せつけられたのは初めてだ。 一体何が君にこれだけの凄まじい憎しみを抱かせるに至ったのだろうな」
内心はともかく見た目だけはとても悲しげに振る舞いながら、サンドマンは目の前に座り込んだ人影を上から目線で眺める。
邪な視線の先で固く拘束されていたのは、全身にあらゆる虐待や陵辱に晒された痕跡が伺えるやせ細った子供の姿。
苦しいという感情を表情に出すことなく、ただくぐもった呻き声を洩らし続ける紅い瞳の少年。
幼き日の姿をありのままに象った、雪兎の本性たる精神体。
それに向かってサンドマンは優しい笑みを投げかけながら手を伸ばした。
内に秘めた邪な野望をひた隠し、色白の柔らかな頬に手を添える。
「だが、これからは奴等に媚びる必要など無い。
我ら真の霊長と轡を並べ、無知蒙昧な害獣共を駆除するのだ。
この星に息づく、全ての命の明るい未来の為に」
ハードを壊すことが困難ならば、ソフトを奪って有効活用するまで。
今まで数え切れないほどの人間を背乗りしてきたように、サンドマンは雪兎の精神体との融合を始める。
それに伴い記憶、経験、思考の全てがサンドマンの中へ少しずつ流出していく。
「あぁ感じるぞ! 君の傍観者への嫌悪が! 偽善者への憤怒が! 扇動者への殺意が!
神経を焼き焦がしながら私の中へ流れ込んでくるのを感じる!」
雪兎の内面に堅く封印されていた禍々しい感情の奔流の中で、サンドマンは恍惚とした笑みを浮かべながらめぼしい情報を複製しては次々と奪っていった。
最も、有意義な情報は雪兎より上位の地位にある者達より奪取済であり、ほとんどが雪兎を曇らせる為だけの嫌がらせが目的である。
「ほらどうした! もっと寄越せ! 君の忘れ難い痛みと苦しみを!」
当初の目的を余所にサディスティックに振る舞いながら、辛い記憶を追体験させられ悲鳴を上げる雪兎を蹴倒し、踏みにじる。
加虐心を誘う雪兎の声にさらなる興奮を覚え、絶頂へと駆け昇るサンドマンだったが、雪兎の記憶の奔流に夢中になる余り、一筋の殺意が己に向いていることに気が付かなかった。
「そうだな、望み通り貴様には駄賃をくれてやろう」
「……何ィ?」
突然冷たい宣告が響くと同時に雪兎の精神体の側頭部が破れ、中から撃ち出された貨幣弾がサンドマンの腕を吹き飛ばした。
吹き飛んだ腕はそのまま粒子と化し虚空へ消え、サンドマンは着弾の衝撃で大きく仰け反るも、己に向けられた敵意の正体を即座に見抜き、怒号を飛ばす。
「アルフレド……、貴様ァ!」
「この俺が何も遺さず死ぬとでも思っていたのか? こいつはお笑いだな」
サンドマンの怒声に応じ、雪兎の虚像の奥より身を乗り出したのは、アルフレドの精神の痕跡とも呼ぶべき異形。
カラスとヒトの肉体がモザイク状に入り交じり、飛行や歩行どころか直立すらままならないグロテスクな物体は、雪兎をかばうように首周りにしがみつくと弱々しくもはっきりとした口調で言葉を紡いだ。
「待たせたな坊や、今こそ目覚めの時だ。
レギオン、グメイヤ、ヴィシュヌ、そして我がダンタリオンの力。
いずれは世界樹に届く魂の欠片を伴い、立ち上がれ」
アルフレドの精神の痕跡が仰々しく語り終えるやいなや、雪兎に寄り添うように3つの影が音もなく現れる。
安いタバコを噛み締めた政治家。 古い外套を纏った隻腕隻眼の兵士。 そして襤褸に身を包んだ浅黒い肌の少女。
彼らは互いに頷きあった後に一つの光となって雪兎の体内に溶けていった。
その瞬間、雪兎の脳裏に優しく幼い声が響く。
目の前で永遠にいなくなったはずのヴィマラからの励ましが。
「大丈夫だよお兄ちゃん。 例えお兄ちゃんの記憶から私が消えたとしても、私はお兄ちゃんの血と肉になって支えてあげる。 これからはずっとずっと一緒だよ」
恐怖に固まった雪兎の心を解きほぐすように、ヴィマラの想いが一字一句洩れることなく染みいっていく。
破壊的な怒りや憎しみの奔流とは一線を画する、暖かで穏やかな感情のせせらぎは、負の感情で雁字搦めにされていた雪兎に力をもたらし、覚醒へと至らせた。
「ヴィマ……!」
「何だこのくだらない猿芝居は!?」
「どうした色男? 今すぐ表に帰らないと折角の上等な器を失うぞ?」
「ええい、死に損ないは黙ってろ!」
雪兎の目覚めに伴って崩壊を開始した精神の牢獄の中、サンドマンが不完全燃焼のまま表側へと逃げ帰っていくのを黙って見送りつつ、解き放たれた雪兎も現実世界の肉体と心を同期させ、現実への帰還を果たす。
『……気がつきましたかユーザー、大丈夫ですか?』
「ヴィマの声が聞こえた」
『はい?』
「ヴィマが僕をずっと支えてくれるって。 お前は妄想だと思うかもしれないけど、夢の中で僕は確かに聞いたんだ」
再起動を果たしたのか、いつの間にかコックピット内に入り込んでいたカルマの横顔を眺めながら、雪兎はただ呟く。 サンドマンによる精神汚染を受ける直前の切羽詰まった表情とは一転し、どこか吹っ切れたような表情をする雪兎。
何時ぶりに見せるだろうか、その一切の邪さを感じさせない笑みを見たカルマは思わず微笑みながら横に首を振った。
『今更貴方を疑ったりしませんよユーザー。 それに私もヴィマがくれたものを確かに感じています』
雪兎が目覚めると共に、カルマの中に突然芽生えた全く新しいプログラム構文。
いつもならさっさとノイズ呼ばわりして消去するところだが、カルマには表現が難しい予感染みた何かが、それの実行を強く後押しした。
『ヴィマ、私達に力を貸してください。
……Salvationプロトコル承認。
これより融合保留中だった害獣の体組織を吸収し、発現します』
覚悟を決めたカルマの宣言と共に、ドラグリヲのボディを構成するグロウチウムが目まぐるしく活動を開始する。
すべてを支配し統率する琥珀色の雀蜂の力。
すべてを侵蝕し殺し尽くす常盤色の芋貝の力。
そして無限に無秩序に成長する鉄錆色の井守の力。
アルフレドの導きによって絡み合い、雪兎の身体に溶けていった異形達の力。
それはそのままドラグリヲへと還元され、急激な進化を促した。
狂気を宿した紅眼の中に意志を宿した金色の瞳が浮かび、全身を彩る隈取から紅炎と細氷が迸り、機械的だったフレーム内部の構造が有機的な要素を含んだものへ変貌を遂げる。
それに驚愕したのは進行形でドラグリヲと相対するサンドマンに他ならない。
「バカな……、猿共にこんな上等な仕込みが出来る訳がない」
「気持ちは分かるが現実は直視すべきだな。 支配種族気取りの小間使よ。
確かに人は馬鹿で間抜けで愚かではあるが、皆が皆救いようのない訳ではない。
でなければ、偽りの神の手の中から飛び出せることなど永遠に叶わなかった」
「ええい黙れ黙れ! さっさと私の頭から出ていけ!」
「おいおい、人様の身体を奪っておいて実に酷い言い草だな」
頭の中に辛辣なアルフレドの嘲りが響き、サンドマンは思わず真顔になって怒鳴り散らすが、まだまだ打つべき手があると思い直すと、ドラグリヲに一旦背を向けて大きく羽ばたいた。
「まだだ、まだ私にはアレがある!」
サンドマンの脳裏に浮かんだのは、教団内の集中医療室にて未だ深い眠りの中にある哀華の存在。 あれさえ手にしてしまえば後はどうにでもなるとサンドマンは邪な感情を露わに飛ぶ。
……が、サンドマンはその時点になって重大な事柄に気が付いた。
目指すべき地点を思い出すことが出来ない。 やるべきことはハッキリ分かってるのに、何故か向かうべき場所に関する記憶だけが完全に欠落している。
「この私が精神汚染を受けているだと!? 一体何者だ!?」
偶然にしてはあまりに出来すぎた現象から、自分の身に何が起こったのかを理解し、サンドマンは余裕をかなぐり捨てて叫んだ。
それが出来た唯一の人間はつい先ほど殺したはずだと焦りを露わにし、微かに視線を感じた方向へ視線を向ける。
その瞬間、サンドマンは攻撃の元凶を抹殺すべく不可視の凶器を思い切り振り上げ、吶喊した。
「この死に損ないの小娘がぁ!!!」
サンドマンが視界に捉えたのは、父と同じ人外の瞳と開き、父の死に呼応して生え揃った双翼を目一杯に広げたノゾミの姿。
逃げ場の無い廃ビルの屋上で彼女はその場から一歩も動かず、向かってくる殺意の塊を視界に捉え続けていた。
濃厚な死の気配に気圧され強ばった表情を浮かべながらも、確信を持って呟く。
「大丈夫、私はまだまだ死なない絶対に。
父さんが遺してくれたこの力が、奴が塵になる瞬間を見せてくれてるから」
サンドマンの背後から迫るもう一つの殺意の塊に希望を見いだし、ノゾミは両手を握り膝を折った。 肉体を奪われた父の冥福を祈るように。
刹那、サンドマンの利き手が凍りつくと共に斬り落とされ、落ちていった肉片は落下の衝撃で跡形も無く粉々に破砕された。
「なっ……」
「長々と手間取ったが、ようやく掴んだぞ」
強い殺意を宿した言葉がサンドマンの意識を貫くと同時に、ドラグリヲは暴力的な力を行使してサンドマンを街の外まで引っ張りだすと、赤土の大地にその身体を何度も何度も全力で叩き付けた。
衝撃でサンドマンの片腕がもぎ取れ、翼が滅茶苦茶にへし折れるが、ドラグリヲは攻める手を休めることなくサンドマンの胴に牙を食い込ませ、思い切り噛み上げるままに天を仰ぐ。
忌むべき者に絶対なる破滅を届けてやる為に。
「やめろ! 折角の優秀な残機が!」
「悪いがその身体は塵も遺さない。 それがあの人にしてやれる唯一の餞だ」
身体の底から際限無く溢れ出る熱と激情をドラグリヲに託し、トリガーに指を添える雪兎。
その脳裏にはアルフレドの言葉が響いていた。
「後始末を押しつけてしまって悪かったな。 ……ありがとよ」
アルフレドの力の特異性を利用した遺言か、それともただの自己憐憫染みた幻聴か。
自分の意識だけに響いた声を噛み締めるように聞きながら、雪兎はゆっくりとトリガーを引く。
程なく放たれる滅却の光。
雪兎はその中に、天へ昇っていくアルフレドの影を垣間見たような気がした。
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