鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第27話 宣託

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 全てをあまねく照らす光の中心で、殺意の塊と化した雪兎の怨念が細々と漏れ続ける。

 悲しみと憎しみ。

 その双方の感情の合間を不安定に行き来し続けるが、根底にある気持ちはただ一つ。

「殺してやる……、殺してるぞクソジジィ……」

 いたいけな子供の人生を弄んだ外道への憎しみが、膿んだ雪兎の心をさらに狂気へと駆り立てていた。

 とめどなく溢れる悲しみの上に殺意という刺々しい鎧を被せ、悼む気持ちすらも忘れて、ただ願う。

 報いを、善意の仮面を被り嘲笑い続けた老人に陰惨たる結末を。

 だが、その濁りきった想いも背後から響いた声によって祓われる。

「やめとけやめとけ、あの耄碌ジジィにいくら構っても無駄だ。
 有意義な結果なんざ期待出来たモンじゃない」
「……誰だ?」

 何の気配も感じなかったはずが唐突に声をかけられ、雪兎は咄嗟に左手を握り締める。

 今まで一度も聞いたことは無いはずだが、何故か聞き覚えのあるように感じる男の声。

 その無駄に明るく陽気な声は、終始戸惑いっぱなしの雪兎に構わず一方的に語り続けた。

「俺が誰かなんて、そんなことはどうだっていい。どうせすぐ分かることだからな。 さぁ、残念だが安心して惰眠を貪れるのはこれまでだ。今から三つ数えた後、お前は三日後の朝を迎える。胸に抱えた致命的なストレスを、幾分か抑えての状態でな」
「は? ちょっと待ってくれよ! まだ聞きたいことは沢山あるんだ!」

 一向に姿を見せない声の主に対し、食い下がるように雪兎は叫ぶも、無情にも響き始めた柱時計の振り子のような音が、雪兎が覚醒へと向かっていることを告げる。

 一つ、二つと音が響く都度に正常に戻っていく身体の感覚。

 そして三度目の音が鳴った時、今まで地平までを覆っていた光が弱まり、一転して闇の中に落ちていく。

「くっ!?」

 あまりの環境の激変に付いていけずに咄嗟に目を瞑るも、僅かな間に感覚器官が取得する情報が劇的に増加していくことを雪兎は本能的に自覚する。

 そして、自分が今柔らかい物の上で横たわっていたことに初めて気が付いた。

「これは……」
「ようやくお目覚めね、このまま起きなかったらどうしようかと思ってたわ」

 薄目を開けて用心深く周囲を伺う雪兎を出迎えたのは、あまり感情の込められていない女性の声。

 少々無愛想ながらも何故か落ち着きを感じる聡明な声に導かれ、雪兎はゆっくりと声の主の方へ顔を向ける。

 かすかな風に吹かれて揺らめく、清潔感を感じる白いカーテンの脇に置かれた椅子の上。そこに腰掛けていたのは、深い紺色の修道服を身に付けた暗い雰囲気の乙女だった。

 可愛らしいかと問われれば確かに可愛らしい顔付きをしており、きちんと着飾れば美人と呼べるであろう逸材。

 しかし惜しくらしくも、彼女に付属する後天的特徴がそれらを等しく鈍らせていた。

 憂いの光を帯びた黄金色の瞳は、濃い隈と三百眼気味の目付きのせいで陰り、庇護欲を掻き立てる小さな身体は、妙に悪い姿勢のせいでしゃんとして見えず、青みがかった艶やかな髪は、くせ毛だらけで手入れがあまり行き届いていない。

「………」

 思わずもったいないなという非常に下世話な感想を抱く雪兎。

 その瞬間、彼女は途端に眉を顰め口元を曲げて見せる。

「余計なお世話よ、可愛らしいお兄さん」
「えっ!?いや僕は別に何も……」

 頭の中で思ったことをすべて見透かされたような反応に雪兎は肝を潰し、思わず仰け反りながら弁明する。

 そしてわざとらしく一度周囲を見渡すと、頭を軽く掻きながら尋ねた。

「あの、ここは一体?」
「ここは教団に建設された病院。 旧都の有力者達の権限で今は貸し切りになってる。貴方の大切な人はVIPとして高度な治療を施されているし、貴方の相棒は格納庫で専属の技術者から調整を受けてるから心配はいらない。 私の名はノゾミ・ハルカ。 日本風に書くと遥望。 ノゾミって呼んで。今は貴方を看るように父から命じられてここにいるの。 貴方がここに運ばれて今日で三日目。 貴方が赴くはずだった戦場には代わりに別の部隊の方々が向かったから安心して」
「ちょ……ちょっと待ってくれ、いきなりそんな矢継ぎ早に言われても何が何だか……」

 起きぬけ早々、凄まじい言葉の奔流に翻弄され戸惑いっぱなしの雪兎。

 そんな雪兎に対し、ノゾミと名乗った年下らしき乙女はボケットから手鏡を取り出すと毛布の上に軽く押し付けた。

「大丈夫、貴方の言いたいことは大体分かるから」
「……ッ」

 ノゾミの訳の分からない発言を少々訝しげに思いながらも、雪兎は押し付けられた手鏡を恐る恐る覗き込む。すると、今まで寝起きでぼんやりとしていた意識が一気に曇天へと至る。

 鏡に映り込んだ己の顔に刻まれていたのは、身と心に深く焼き付けられた悔恨の証。二度と癒えることの無い生々しい傷跡が、確かにそこに存在していた。

「夢であって欲しかった……全部悪い夢だったって信じたかったなぁ……」

 己の無力さと惨めさを嘲笑うかのような乾いた笑い声が、無音の医務室の中に反響し虚空へと消える。

 そして雪兎は改めて思い知らされる。

 自分自身の手でヴィマを惨殺したことを。

「まるで死神だな、本当に」
「そんなことは無いわ、貴方はいつだって可能な限り大勢の命を救ってきた。今回だって、私を含めた旧都に憩う命を冥府逝きの運命から救い出してくれたわ。私にとって貴方は、何を捧げても報い足りないほどの恩人なの」
「買い被り過ぎだ!僕はそんな聖人じゃない!」

 苦しげに表情を歪ませながら、雪兎は堪らずノゾミの言葉を遮る。

 強すぎる自責の念に押し潰され続ける今の雪兎にとって、励ましの言葉などただの重石にしか感じられなかった。 否定の意を込めて何度も首を振り、顎が砕けんばかりに力を込めて牙を噛み締める。

「あんないたいけな子供を殺してしまうような奴が善人であるはずがない!」
「気持ちは分からなくもないけど、そうやって自分を否定しては駄目。 気をしっかり持たないと、また身体の主導権を奪われる羽目になるわ」
「……そうかい」

 いつも通りの雪兎ならば、間違いなく感謝の念を伝えただろう真っ当な忠告。

 だが、その時雪兎が抱いた感情は謝意ではなく強い疑問であった。

 意識が次第に冷静になるにつれて、普通の人では知り得ない事を知っていた彼女に対する不信感が増していき、思わず問いかける。

「一つ教えてくれよ。何故君は僕の事情を一々全部把握しているんだ?
 それに、僕がいつ誰かに乗っ取られたなんて一体何処で知った?」

 僅かながらの力を左腕に込め、万が一の際には抵抗出来るように身構える雪兎。

 しかしそれに対し、ノゾミが答えた返事はあまりに簡素で理解し難いものだった。

「愚問ね。 勝手に分かるからに決まってるでしょ」
「ふざけてるのか! 僕は真面目に聞いているんだぞ!?」
「別におかしなことじゃないわ。 私に取ってはこれが自然なことなの。
 人が何も学ばずとも最初から産声の上げ方を知っているように。
 そして、貴方が共生者の馬力の借り方を本能的に知っているように」

 意味深に、そして雪兎に敵意を抱かせぬよう穏やかに語りながら、ノゾミは雪兎の目の前に近寄る。

 初対面の相手にしては、物怖じしないというか馴れ馴れしい態度。

 それに対して雪兎は怪訝な表情を浮かべるも、ノゾミと視線を交じわせた瞬間に表情を覆す。その時点になって雪兎はようやく、彼女も常人とは違う存在であることに気が付いた。

 よくよく見ると人間のものとは形状が異なる黄金の瞳が、困惑しきりな雪兎のありのままの姿を映し出す。

「君は一体……」
「私は貴方とは違う、本来の計画では生まれなかったはずの存在。
 人にもクリーチャーにもなりきれなかった、哀れで滑稽な欠陥品よ」
「計画だと?まだ僕は誰かの掌の上で踊らされているのか!?」

 これ以上誰かに弄ばれるのはごめんだと雪兎は思わず声を荒げるも、ここが何処であるかを思い出すとバツが悪そうに口を噤む。

「悪い、馬鹿デカい声を出して」
「気にしてないわ、だって貴方は怒っていい立場だもの。
 それに、貴方が大声を出したおかげで彼も気付いたみたいだから」

 雪兎からの詫びを受け、ノゾミはようやく表情を綻ばせるも、すぐさま何事もなかったかのように表情を引き締め、おもむろに網戸を開く。 

 刹那、どこからともなく現れた漆黒の塊が目にも止まらぬ勢いで病室に飛び込むと、ノゾミのすぐ傍らに音も無く着弾した。

 飛んで来たものがスーツで着飾った人間というだけでも驚きだが、真に驚くべきは彼の身体に付いた人外の要素。 機械や飾りなどのまやかしでは断じてない無い、雄々しい漆黒の翼。

 それを、飛来した男はキザな仕草で体内に仕舞うと、ニヤッと不敵に笑いながらノゾミの方へ首を向ける。

 その瞳は何故か固く閉じられているが、男はまるで見えているかのようにノゾミの肩に手を置き、囁いた。

「すまないな俺のかわいい娘っ子よ、少し席を外してくれ」
「はっ、言われずとも最初からそのつもりよ」

 男の快活な様子とは裏腹に暗く、そして雪兎との会話では一切見せなかった嫌悪感を露骨に見せつけ、ノゾミは男の手を払いのけると足早に病室から出ていく。

 まるで赤の他人のようなそっけない態度に、男はやれやれと肩をすくませると、すぐさま何事も無かったかのように気持ちを切り替え、雪兎と向き合った。

「あぁ気にするな、年頃の娘って奴は古今東西違わずあんな感じになる。
 まぁそれはともかく、初めましてと言っておこうか坊や。
 俺の名はアルフレド、この教団の最高指導者ってやつだ。
 君の上司とは面識があってね、色々あって君をここまで運ばせて貰ったよ」

 首領のことを引き合いに出し、大人しくするよう雪兎を宥めるアルフレド。

 しかし、対する雪兎はそれどころでは無かった。自分やヴィマラのような身体を持っている人間が他にも居たことに驚愕し、跳びかからんばかりの勢いで身を乗り出す。

「貴方も僕と同類なのですか!?」
「まぁ待てよ、色々と聞きたいことはあるだろうが焦ることはない。君の気になっていることから順にいこう。 まず俺が君と同じ立場の人間であるのかと言われれば、是であり否でもある。 たしかに君と同じく化け物を体内に飼っている身だが、君のそれのような無軌道な力は持っていない。 俺にもたらされたのはもっと繊細でややこしい力なのさ」

 ベッドから身を乗り出した雪兎をアルフレドは落ち着けとばかりに押し返し、おもむろに人差し指で雪兎の額に軽く触れる。

 すると、興奮しきりだった雪兎の脳内に暗い感情の波が押し寄せ、一瞬にして雪兎の気持ちを深淵へと引き込んでいった。

 雪兎の心を蝕んだのは、どこの誰とも知れない他人からの畏れ。

 それも数え切れないほどの人の思念が自分の中に流れ込むのを感じ取り、雪兎は果てしなく暗い表情を浮かべ、次の質問を口にする。

「アルフレドさん、僕が今どのような立場に立たされているか教えて下さい。あの後、皆は僕をどうするべきだと仰っていたのですか?」

 ヴィマラの身体を奪った化け物と戦う直前、新野から送られてきていた警告を思い出し、雪兎が恐る恐る問うと、アルフレドは苦笑いしながら口を開く。

「正直な話、あまり好ましい状況ではないな。 色々と指摘を受けていることもあるが、特に同類を匿ったのは致命的だったようだ。 そんなことをする輩相手に背中を任せるわけにはいかないと、現場も拒否反応を示している。挙げ句の果てには、今すぐ君の寝首を掻っ切るべきだと言い出す奴まで現れる始末だ」

 余計な嘘は逆に反感を買うだけだと雪兎の性格を熟知しているのか、アルフレドは一切包み隠さず、一般人の認識を晒け出す。 

 雪兎に対する幾分かの哀れみと、大衆への侮蔑を込めて。

「なんだと!?」

 それを聞かされた雪兎は真っ赤な瞳に明らかな憤りを宿し、震えるほどに強く左手を握り込みながら叫んだ。 

 まるで死ぬことを望んでいたかのように、右親指で己の首を指し示しながら唸る。

「気に入らないのならこの首、さっさと持っていけばいいだろう! 何故そうしない、してくれないんです!?」
「そりゃ君の代役を勤められる奴が誰もいないからさ。誰もが君の存在に恐怖しながらも、その実力はキチンと評価している。今となっては、人類の勢力維持には君の力が不可欠だとね。それに君には首領直々から特別な任務が用意されている。 台湾防衛戦に匹敵するほど重要な任務だ」
「首領の御指名ですって?」

 その名を聞いた瞬間、荒れ気味だった雪兎の心に少しばかりの余裕が生まれた事をアルフレドは察すると、ここぞとばかりに言葉を紡ぐ。

「そうだ、学者共の話によれば害獣の跳梁に寄与している疑いがある超常的現象が近々観測出来るらしい。その実態調査を行う為の露払いの一人として、君の力が欲しいのだと」
「何です?そのB級SF染みた何かは? 害獣の侵攻手段としては聞いたこともない」
「先日、N.U.S.A.が奇襲を受けた際に初めて観測された事象だから無理もない。 ともかく、この現象のメカニズムが解明されれば害獣共のゲリラ的発生も予知出来るようになるかもしれないのだとさ。 観測予測地点は列島北東部山脈地帯のどこかだそうだが、行ってくれるか?」
「首領の命である以上、僕に拒否権なんて贅沢なものはありませんよ」

 アルフレドの頼み込むような言い方に雪兎は何の感慨もなく答え、ふわぁっと遠慮無く牙を剥き出しに大欠伸をしながら起き上がると、枕元に置かれていた私服に着替え、手早く出立の準備を済ませた。

 その目は既に次の戦場を見据えており、先ほどまでの弱々しさは感じられない。

「それに僕だけがこうやって寝腐っていちゃあ、台湾で死ぬ気で戦っている同期に面目が立たない」
「中々良い心掛けだ、それでは君の相棒を呼び出して……」
「いえ、もう必要ないです」

 いそいそと電話を繋ごうとしたアルフレドをそっと制止し、窓の外を見る雪兎。

 その瞬間、爛々と装甲を輝かせる鋼の龍が空の果てから顕現し、窓の外に広がる中庭のド真ん中に勢い良く降着した。 

 派手に巻き起こった土煙の中で全身を彩る隈取をぼんやりと輝かせるそれは、鉄屑のような翼を大きく広げると、天を仰いで朗々と吼える。

 いつまでも寝ぼけてないでさっさと来いと主張するかの如く。

「ああもう、また馬鹿な真似をしやがって」
『急ぎなのでしょう? いつまでもサボってないでさっさと行きますよ!』

 面倒臭げに頭を掻く雪兎に対し、いつものように何の遠慮も無く辛辣な通信を送りつけてくるカルマ。

 しかし今回は彼女なりに思いやりがあるのか、わざわざ病室のそばにまでドラグリヲの腕が伸びてくる。

「全く、たまにはかわいげって奴を見せて欲しいんだけどな」

 そう愚痴りつつ雪兎は差し伸べられたドラグリヲの手の上に飛び乗ると、アルフレドに向けて頭を軽く下げて礼を述べた。

「どうも世話になりました。 引き続き哀華さんのことをよろしくお願いします」
「そこまで警戒せずとも、君と首領に喧嘩を売ろうとする馬鹿はいないと思うがね。 まぁ任された手前、責任をもって彼女の身辺は全力で守ってやるさ」

 だから余計な事は考えず戦い通して来いとアルフレドが返すと、雪兎はグッとサムズアップをして見せ、自らコックピットの中に走り込んでいく。

「そうだ、立ち止まっている暇なんて僕達には無いんだ。いくら苦しい悲しいと泣き叫んでも、奴等は待ってなんてくれないから」

 全身に機体制御用グロウチウムケーブルが突き刺さるのを感じ取り、いつもの戦いの日々に戻ることを実感する雪兎。

 顔に自ら刻んだ傷を撫で、ヴィマラへの想いを一旦は胸の底に仕舞い込むと、座り込んでいたドラグリヲを全力で躍動させ、空の彼方に飛び立たせた。

 今は一つ一つ自分が成し得る事をと、心の中で自分に言い聞かせながら。
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