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前編
あたし暁愛羽
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『暁愛羽15歳です。身長は142cm、体重は38kg…位です。好きな色は紫で、小さい時からアイドルになるのが夢でした。趣味ですか?趣味はー、バイクに乗ることです。好きなもの?もちろんアイドルが好きです。でも、あたし暴走族も好きなんです…』
暁愛羽(あかつきあいは)は紫色の髪を前髪パッツンとポニーテールにしている。背が小さく童顔で、左目の下のホクロを自分では「チャームポイント」だと思っていて、反対に胸が小さいことをとても気にしている。
春。
4月。
学生にとって新しい出会いの季節。
新たな1年の始まりは、いつも桜が教えてくれる。
始業式当日の朝、愛羽は今までと何一つ変わらず玲璃の家の前にバイクを停めた。彼女を待っている間に愛羽にはやることがある。バイクを降りると足早に庭の方へ入っていき、小さな子供が3人位入れてしまう程の小屋に向かい口笛を吹いた。すると中から1匹の犬が顔を見せたかと思うと愛羽に飛びついた。
『おっはよーファミ♪』
嬉しそうに尻尾を振りながら愛羽に頭をなでてもらっているこの犬はファミと言う。小学校の時、玲璃がその当時住んでいた家の近くのファミリーマートから拾ってきたのでファミと名付けたらしい。
愛羽は小屋の隣の倉庫からドッグフードを取り出すと、空になった皿の上にいつも通りの量を入れてやり、その横のステンレス製のボウルを洗って水を取り替えてやった。そこまで終えてしばらくすると、やっと飼い主の登場だ。
『ワリー愛羽。寝坊した』
謝っているのではなく、それがすでに朝の挨拶になっている。彼女は昔から朝が弱い。
脱色に脱色を重ねた、明るくてとても綺麗な金髪をショートカットにしていて、眉毛は細くつり上がった目が特徴的である。
彼女が八洲玲璃。(やしまれいり) 愛羽の幼なじみで親友だ。ギャルかヤンキーかと言われたら120%ヤンキーだ。
『おはよー玲ちゃん!』
言うなり愛羽は、さっきファミが愛羽に飛びついていったのと全く同じようにして玲璃に抱きついていった。
朝からちょっと激しめだ。
愛羽が玲璃の胸に顔をうずめていると玲璃は、まるで飼っている犬にするのと同じように頭をなでなでしてやる。
『よしよし。あたしのこと愛してるのは分かったからよ、とりあえ行こうぜ。遅刻遅刻』
遅れているのはどこからどう見ても玲璃のせいだが、これらの朝の儀式は中学の頃からずっと欠かさず続いている。
『うん♪』
愛羽がニコニコしながらうなずき、バイクに跨がりセルスイッチを押すと一瞬でエンジンがかかり排気音がうなる。このバイクは元々愛羽の兄が足に使っていた物だ。中型の単車で一般的にオフ車と呼ばれるタイプのバイクだ。兄がいなくなってから愛羽がずっと乗っている。乗り始めたのは中学1年の時なのでもう3年になるが調子は良さそうだ。
愛羽はまだ15歳。もちろん無免だが、小学校の頃から兄がバイクに乗っているのを見て育ち少しずつ後ろに乗せてもらうようになり、ある時から50ccの小さいバイクで乗り方を練習し始め中学の頃には今のこの中型の単車も完全に乗りこなしていた。なので愛羽と玲璃は中学の時からずっとバイク通学だった。
玲璃も慣れた様子で後部座席に飛び乗るとまずタバコに火をつけた。それを確認してから愛羽はアクセルをひねった。
愛羽と玲璃は保育園からずっと一緒だ。愛羽の家は周りと比べて少し環境が悪く、玲璃はそれを小さい時からずっと見てきた。
暁家は父と母と兄と愛羽の4人でどこにでもいそうな家族だった。ただ実際はそうではなく今は4人共バラバラだ。
愛羽の母親は水商売をしていた。愛羽が生まれてからすぐ間もなく夜の世界にデビューし夜は毎日仕事でいなかった。なのでその時間は父親が2人の子供の面倒を見ていた。そんなことなど別に今の世ではよくある話だし、愛羽もそれが普通だと思っていた。
やがて母親は店の客と関係を持ったり外で男を作るようになり夫婦間がまず上手くいかなくなった。そして愛羽を保育園に預けるようになると昼間は毎日パチンコ屋に通い夕方まで入り浸り、子供は放ったらかし家事はぶん投げ夜は仕事で朝まで帰らず、母親は家庭からどんどん遠ざかっていった。
保育園は基本、片親の子や両親共働きの子供ばかりなので、迎えもバラバラで遅くなってしまう家庭も多いのだが、その中でも愛羽の迎えは特別遅かったので、いつも愛羽は夕方遅くまで決まって1人だった。
『ごめんね~遅くなって』
そんな周りの子の親の声が聞こえる度、期待に胸をふくらませるが、やっぱり自分は1番最後。
玲璃はいつもそんな愛羽の寂しそうな顔を見ていた。だから玲璃は何度か声をかけ手を差し伸べたことがある。
『あたしんちおいでよ。愛羽のママに電話してウチに迎えきてもらえばいいじゃん』
『大丈夫。もうすぐママ迎えに来るから。今日は早いお迎えだって約束したんだもん』
愛羽はそうやってあくまで母親が早く迎えに来てくれるのを待った。しかし幼い子供のそんな思いが報われることはいつまでもなかった。
幼少期、ほとんどの子が無条件で親のことが好きだ。たとえ理不尽に怒られても、たとえ全然相手にしてもらえなくても、子供は親が好きなのだ。愛羽もやはり母親のことが大好きだった。しかし、愛羽の兄は違った。
兄は愛羽の5つ上だが、小学校から帰っても夕方6時7時になっても毎日家で1人きり。お腹が減っても家に何もないことなどざらにあり、ひどい時は公共料金の支払いを遅れさせていたせいで電気や水道が停められてしまった中、ずっと1人で待っていたりと散々な思いばかりしていた。
父親が仕事で帰りが遅いのは知っていた。だが一体あの母親はいつもどこで何をしているんだろう。兄はいつも思っていた。
『学校から帰ってもタダイマを言う相手がいない』
兄のその言葉を聞いた父親は母親にその話をし、子供の為にももう1度家族としてちゃんとやっていこうというような話をした。だが母親の心の中にはもうとっくに父親のことなど存在していなかった。聞く耳などなく関係は悪化するばかりだった。
兄も愛羽も夜は毎日父親と一緒だったので、父親との時間が増え2人共父親のことを信頼していたが、ある時母親の不倫が発覚すると父親は相手の男を刺し逮捕されてしまうのだった。
兄は自分の身に起こる不幸は全て母親のせいだと思うようになり、気づけば不良になり中学卒業後は暴走族へとなっていった。
そんな兄だが愛羽にだけは優しく親よりも愛してくれた。だから愛羽は兄がどんな格好をしていても、どんなに人に迷惑をかけ、どれだけ人から恐れられていても、優しくて格好よくて大好きだった。愛羽にとってのヒーローだった。
それは愛羽が6年の時のことだ。
兄が家に帰ると愛羽が1人で泣いていた。家の中はひどい荒らされようで何があったのか聞くと、母親にお金を貸したという男たちが押しかけてきて、母親が家におらず電話にも出ないと見るや家の中を滅茶苦茶に蹴り散らかし、あらゆる物を引っくり返していったと言う。
兄はもう我慢の限界だった。兄はその頃17で神奈川で1番大きい暴走族の総長だった。家に押しかけたチンピラをとっちめてどうにかすること位簡単にできた。だが問題はそこではないのだ。
兄は考えた結果、愛羽を連れて家を出ることを決めてしまった。母親は相変わらずパチンコに狂い、とうとう少しヤバい借金にも手を出し取り立て屋が家に来てしまう程になってしまった。これ以上この何の罪もない妹をこんな所にいさせる訳にはもういかなかった。その為には自分がやるしかない。いつかこんなことになることも考えてはいた。だから迷わなかった。
兄はその日の内に暴走族をやめた。その当時副総長だった大の親友に訳を話し、勝手な理由でチームを抜けるので俗に言うケジメを取ってくれるように頼んだ。だがそれは断られ、それどころかチームの仲間たちにも訳を話し、その日中に集められるだけの金をカンパとして集め、その全額をこれからの生活の足しにと寄付されてしまった。兄だって貯えはあった。だが愛羽の為にももらってくれと言われ兄は涙ながらに礼を言った。
その翌日、愛羽と2人単車に乗り地元を出て、特にあてもなく同じ神奈川の小田原という町までやってきた。
17で家を出て妹の面倒を見ると決めた兄にしても、まだ小学校6年で母親から離れ兄と暮らすことになった愛羽にしても、それぞれ思うことはあったはずだが、2人の新しい生活はそうして始まっていった。
住む所が決まると兄はすぐに仕事を決め、持っているお金に頼ろうとせず真面目に勤めた。
愛羽は元々いた小学校に事情を話さないままだったので小学校を転校しなかった。あの母親がそんなことするとは思えなかったが、探されたり何かをきっかけに居場所がバレてしまうのを兄が警戒したのだ。また借金取りに来られても困る。なので愛羽は家で勉強するか1人で遊んでいるしかなかった。
ある日、兄が職場の先輩から50ccのバイクをもらってきた。モンキーというバイクだ。正直兄はいらなかったのだが、こちらを思っての好意なので兄は断れなかった。もらっておいて処分することもできず、適当なもらい手が見つかるまではとりあえず置いておくしかなく、だがその次の日からそのモンキーが愛羽の遊び相手になった。
愛羽は兄が仕事に出掛けると、なんと1人で勝手に乗ろうとした。兄がバイクに乗るのを見たり、後ろに乗っている時に運転の仕方を何回も見てきたので、なんとなく自信があった。モンキーはその名の通り猿が乗れそうな程小さく、5歳位の子が乗る自転車と同じ位なので乗れると思ってしまったのだ。しかしそれにしても愛羽は小学生。背も小さい方で体も軽く、簡単にはいかなかった。
まずキックが下りない。
バイクによってはエンジンをかけるのにセルスイッチだけではなくエンジン始動用のキックが付いているものがある。このモンキーはセルが使えないらしくキックでエンジンをかけるしかなかった。
コツがつかめればなんてことはない動作なのだが、初めてで体重も軽い女の子の愛羽には想像以上に重労働だった。何回やっても思うようにいかずキックが上手く下りないので、助走をつけジャンプしてキックに飛び乗ったり、両足でやってみたりと必死に頑張ってはみたが全くかからない。だが失敗してスッ転んで泣きべそをかいても諦めたくない。どうしても愛羽は乗りたかった。
そうやって繰り返す内に少しずつコツをつかみ、何百回目かにしてやっとエンジンがかかった。モンキーの軽く吸い込むような排気音が響いた。愛羽は嬉しくてたまらず正に猿のような声をあげてはしゃいだ。エンジンに問題はなさそうだ。ハンドルを握ると心が震えるのが分かる。
(ワクワクする?なんだろう、この感じ)
早速左のレバーを握った。
『これがクラッチで…』
次に左足のギアを踏み下げ1速に入れる。右手のアクセルを軽くひねるとマフラーから音が響く。
『あたし…行けるかも』
いきなりクラッチを話すとエンストしてしまうのは知っている。愛羽はゆっくりクラッチを放しながらアクセルをひねろうとした。
『あっ!』
その加減は思ったより難しかったらしく、クラッチを放しすぎアクセルはひねりすぎ、急発進したかと思うと空が見えた。前輪がおもいきり浮きウイリーしている。何が起こったのか一瞬分からなくなってしまったが、走りながら前輪が地に着くと目線が元に戻る。だがその進行方向にはコンクリートの壁が広がっていた。
愛羽は危機を感じた。だが冷や汗をかき体は恐怖を感じているのに、彼女はこの時意外にも冷静だった。ブレーキは間に合わない。よけるしかない。「ぶつかる」と頭で思いながらも、その手はギリギリでハンドルをきった。
(右手と右足がブレーキ!)
激突を防ぐと次の瞬間にはブレーキをかけ停まってみせた。鼓動が高鳴り自分の心臓の音が聞こえていた。危うく大惨事だ。思わず目をつぶってしまいそうな瞬間だったが、愛羽は目を見開き顔を背けず判断し回避した。
多分、他の子ならこうはいかなかっただろう。10中ほぼ10激突し大事故になっていただろうが、愛羽はその危機を乗り越えてしまった。
そんなことがあったからか愛羽がそのモンキーを乗りこなすのに時間はかからなかった。愛羽は毎日モンキーを乗り回していた。
数日後、兄が仕事から帰ると愛羽がモンキーの前で泣いていた。どうしたのか聞いてみるといきなり停まってしまい動かなくなってしまったのだと言う。
何よりもまずどうやら乗っていたらしいことが1番驚きだったが、愛羽をなぐさめてからバイクを見るとおそらくとは思ったがガス欠のようで、ガソリンを入れてみればなんてことはなくすぐエンジンがかかった。すると愛羽の顔にも安心の色が見れ笑顔が戻った。
昼間ずっと1人なので、このバイクが遊び相手だったらしい。兄は心配から怒ったが、自分も愛羽に1人で寂しい思いをさせてしまってることを思うと強くは言えなかった。兄は道路を走らないこと、ヘルメットを被ること、服を重ね着しサポーターなどをちゃんと着けることなど、約束ごとを徹底した上で認めざるを得なかった。
休みの日、まだ小学6年生の妹がバイクを乗りこなす姿を見て驚きを隠せなかった。愛羽には才能がある。そう思わされていた。初めて乗った時に事故りそうになったウイリーや、ブレーキでタイヤを滑らせドリフトの真似をしてみたり、文字通り乗りこなしていてとても華があった。決して堂々と自慢していいことではないが、たった12歳の女の子とは思えない何かが愛羽にはある。そう思えた。
そして、愛羽のバイクをまるで友達のように思う姿を見ると、兄としては可愛くて仕方がなかった。
暁愛羽(あかつきあいは)は紫色の髪を前髪パッツンとポニーテールにしている。背が小さく童顔で、左目の下のホクロを自分では「チャームポイント」だと思っていて、反対に胸が小さいことをとても気にしている。
春。
4月。
学生にとって新しい出会いの季節。
新たな1年の始まりは、いつも桜が教えてくれる。
始業式当日の朝、愛羽は今までと何一つ変わらず玲璃の家の前にバイクを停めた。彼女を待っている間に愛羽にはやることがある。バイクを降りると足早に庭の方へ入っていき、小さな子供が3人位入れてしまう程の小屋に向かい口笛を吹いた。すると中から1匹の犬が顔を見せたかと思うと愛羽に飛びついた。
『おっはよーファミ♪』
嬉しそうに尻尾を振りながら愛羽に頭をなでてもらっているこの犬はファミと言う。小学校の時、玲璃がその当時住んでいた家の近くのファミリーマートから拾ってきたのでファミと名付けたらしい。
愛羽は小屋の隣の倉庫からドッグフードを取り出すと、空になった皿の上にいつも通りの量を入れてやり、その横のステンレス製のボウルを洗って水を取り替えてやった。そこまで終えてしばらくすると、やっと飼い主の登場だ。
『ワリー愛羽。寝坊した』
謝っているのではなく、それがすでに朝の挨拶になっている。彼女は昔から朝が弱い。
脱色に脱色を重ねた、明るくてとても綺麗な金髪をショートカットにしていて、眉毛は細くつり上がった目が特徴的である。
彼女が八洲玲璃。(やしまれいり) 愛羽の幼なじみで親友だ。ギャルかヤンキーかと言われたら120%ヤンキーだ。
『おはよー玲ちゃん!』
言うなり愛羽は、さっきファミが愛羽に飛びついていったのと全く同じようにして玲璃に抱きついていった。
朝からちょっと激しめだ。
愛羽が玲璃の胸に顔をうずめていると玲璃は、まるで飼っている犬にするのと同じように頭をなでなでしてやる。
『よしよし。あたしのこと愛してるのは分かったからよ、とりあえ行こうぜ。遅刻遅刻』
遅れているのはどこからどう見ても玲璃のせいだが、これらの朝の儀式は中学の頃からずっと欠かさず続いている。
『うん♪』
愛羽がニコニコしながらうなずき、バイクに跨がりセルスイッチを押すと一瞬でエンジンがかかり排気音がうなる。このバイクは元々愛羽の兄が足に使っていた物だ。中型の単車で一般的にオフ車と呼ばれるタイプのバイクだ。兄がいなくなってから愛羽がずっと乗っている。乗り始めたのは中学1年の時なのでもう3年になるが調子は良さそうだ。
愛羽はまだ15歳。もちろん無免だが、小学校の頃から兄がバイクに乗っているのを見て育ち少しずつ後ろに乗せてもらうようになり、ある時から50ccの小さいバイクで乗り方を練習し始め中学の頃には今のこの中型の単車も完全に乗りこなしていた。なので愛羽と玲璃は中学の時からずっとバイク通学だった。
玲璃も慣れた様子で後部座席に飛び乗るとまずタバコに火をつけた。それを確認してから愛羽はアクセルをひねった。
愛羽と玲璃は保育園からずっと一緒だ。愛羽の家は周りと比べて少し環境が悪く、玲璃はそれを小さい時からずっと見てきた。
暁家は父と母と兄と愛羽の4人でどこにでもいそうな家族だった。ただ実際はそうではなく今は4人共バラバラだ。
愛羽の母親は水商売をしていた。愛羽が生まれてからすぐ間もなく夜の世界にデビューし夜は毎日仕事でいなかった。なのでその時間は父親が2人の子供の面倒を見ていた。そんなことなど別に今の世ではよくある話だし、愛羽もそれが普通だと思っていた。
やがて母親は店の客と関係を持ったり外で男を作るようになり夫婦間がまず上手くいかなくなった。そして愛羽を保育園に預けるようになると昼間は毎日パチンコ屋に通い夕方まで入り浸り、子供は放ったらかし家事はぶん投げ夜は仕事で朝まで帰らず、母親は家庭からどんどん遠ざかっていった。
保育園は基本、片親の子や両親共働きの子供ばかりなので、迎えもバラバラで遅くなってしまう家庭も多いのだが、その中でも愛羽の迎えは特別遅かったので、いつも愛羽は夕方遅くまで決まって1人だった。
『ごめんね~遅くなって』
そんな周りの子の親の声が聞こえる度、期待に胸をふくらませるが、やっぱり自分は1番最後。
玲璃はいつもそんな愛羽の寂しそうな顔を見ていた。だから玲璃は何度か声をかけ手を差し伸べたことがある。
『あたしんちおいでよ。愛羽のママに電話してウチに迎えきてもらえばいいじゃん』
『大丈夫。もうすぐママ迎えに来るから。今日は早いお迎えだって約束したんだもん』
愛羽はそうやってあくまで母親が早く迎えに来てくれるのを待った。しかし幼い子供のそんな思いが報われることはいつまでもなかった。
幼少期、ほとんどの子が無条件で親のことが好きだ。たとえ理不尽に怒られても、たとえ全然相手にしてもらえなくても、子供は親が好きなのだ。愛羽もやはり母親のことが大好きだった。しかし、愛羽の兄は違った。
兄は愛羽の5つ上だが、小学校から帰っても夕方6時7時になっても毎日家で1人きり。お腹が減っても家に何もないことなどざらにあり、ひどい時は公共料金の支払いを遅れさせていたせいで電気や水道が停められてしまった中、ずっと1人で待っていたりと散々な思いばかりしていた。
父親が仕事で帰りが遅いのは知っていた。だが一体あの母親はいつもどこで何をしているんだろう。兄はいつも思っていた。
『学校から帰ってもタダイマを言う相手がいない』
兄のその言葉を聞いた父親は母親にその話をし、子供の為にももう1度家族としてちゃんとやっていこうというような話をした。だが母親の心の中にはもうとっくに父親のことなど存在していなかった。聞く耳などなく関係は悪化するばかりだった。
兄も愛羽も夜は毎日父親と一緒だったので、父親との時間が増え2人共父親のことを信頼していたが、ある時母親の不倫が発覚すると父親は相手の男を刺し逮捕されてしまうのだった。
兄は自分の身に起こる不幸は全て母親のせいだと思うようになり、気づけば不良になり中学卒業後は暴走族へとなっていった。
そんな兄だが愛羽にだけは優しく親よりも愛してくれた。だから愛羽は兄がどんな格好をしていても、どんなに人に迷惑をかけ、どれだけ人から恐れられていても、優しくて格好よくて大好きだった。愛羽にとってのヒーローだった。
それは愛羽が6年の時のことだ。
兄が家に帰ると愛羽が1人で泣いていた。家の中はひどい荒らされようで何があったのか聞くと、母親にお金を貸したという男たちが押しかけてきて、母親が家におらず電話にも出ないと見るや家の中を滅茶苦茶に蹴り散らかし、あらゆる物を引っくり返していったと言う。
兄はもう我慢の限界だった。兄はその頃17で神奈川で1番大きい暴走族の総長だった。家に押しかけたチンピラをとっちめてどうにかすること位簡単にできた。だが問題はそこではないのだ。
兄は考えた結果、愛羽を連れて家を出ることを決めてしまった。母親は相変わらずパチンコに狂い、とうとう少しヤバい借金にも手を出し取り立て屋が家に来てしまう程になってしまった。これ以上この何の罪もない妹をこんな所にいさせる訳にはもういかなかった。その為には自分がやるしかない。いつかこんなことになることも考えてはいた。だから迷わなかった。
兄はその日の内に暴走族をやめた。その当時副総長だった大の親友に訳を話し、勝手な理由でチームを抜けるので俗に言うケジメを取ってくれるように頼んだ。だがそれは断られ、それどころかチームの仲間たちにも訳を話し、その日中に集められるだけの金をカンパとして集め、その全額をこれからの生活の足しにと寄付されてしまった。兄だって貯えはあった。だが愛羽の為にももらってくれと言われ兄は涙ながらに礼を言った。
その翌日、愛羽と2人単車に乗り地元を出て、特にあてもなく同じ神奈川の小田原という町までやってきた。
17で家を出て妹の面倒を見ると決めた兄にしても、まだ小学校6年で母親から離れ兄と暮らすことになった愛羽にしても、それぞれ思うことはあったはずだが、2人の新しい生活はそうして始まっていった。
住む所が決まると兄はすぐに仕事を決め、持っているお金に頼ろうとせず真面目に勤めた。
愛羽は元々いた小学校に事情を話さないままだったので小学校を転校しなかった。あの母親がそんなことするとは思えなかったが、探されたり何かをきっかけに居場所がバレてしまうのを兄が警戒したのだ。また借金取りに来られても困る。なので愛羽は家で勉強するか1人で遊んでいるしかなかった。
ある日、兄が職場の先輩から50ccのバイクをもらってきた。モンキーというバイクだ。正直兄はいらなかったのだが、こちらを思っての好意なので兄は断れなかった。もらっておいて処分することもできず、適当なもらい手が見つかるまではとりあえず置いておくしかなく、だがその次の日からそのモンキーが愛羽の遊び相手になった。
愛羽は兄が仕事に出掛けると、なんと1人で勝手に乗ろうとした。兄がバイクに乗るのを見たり、後ろに乗っている時に運転の仕方を何回も見てきたので、なんとなく自信があった。モンキーはその名の通り猿が乗れそうな程小さく、5歳位の子が乗る自転車と同じ位なので乗れると思ってしまったのだ。しかしそれにしても愛羽は小学生。背も小さい方で体も軽く、簡単にはいかなかった。
まずキックが下りない。
バイクによってはエンジンをかけるのにセルスイッチだけではなくエンジン始動用のキックが付いているものがある。このモンキーはセルが使えないらしくキックでエンジンをかけるしかなかった。
コツがつかめればなんてことはない動作なのだが、初めてで体重も軽い女の子の愛羽には想像以上に重労働だった。何回やっても思うようにいかずキックが上手く下りないので、助走をつけジャンプしてキックに飛び乗ったり、両足でやってみたりと必死に頑張ってはみたが全くかからない。だが失敗してスッ転んで泣きべそをかいても諦めたくない。どうしても愛羽は乗りたかった。
そうやって繰り返す内に少しずつコツをつかみ、何百回目かにしてやっとエンジンがかかった。モンキーの軽く吸い込むような排気音が響いた。愛羽は嬉しくてたまらず正に猿のような声をあげてはしゃいだ。エンジンに問題はなさそうだ。ハンドルを握ると心が震えるのが分かる。
(ワクワクする?なんだろう、この感じ)
早速左のレバーを握った。
『これがクラッチで…』
次に左足のギアを踏み下げ1速に入れる。右手のアクセルを軽くひねるとマフラーから音が響く。
『あたし…行けるかも』
いきなりクラッチを話すとエンストしてしまうのは知っている。愛羽はゆっくりクラッチを放しながらアクセルをひねろうとした。
『あっ!』
その加減は思ったより難しかったらしく、クラッチを放しすぎアクセルはひねりすぎ、急発進したかと思うと空が見えた。前輪がおもいきり浮きウイリーしている。何が起こったのか一瞬分からなくなってしまったが、走りながら前輪が地に着くと目線が元に戻る。だがその進行方向にはコンクリートの壁が広がっていた。
愛羽は危機を感じた。だが冷や汗をかき体は恐怖を感じているのに、彼女はこの時意外にも冷静だった。ブレーキは間に合わない。よけるしかない。「ぶつかる」と頭で思いながらも、その手はギリギリでハンドルをきった。
(右手と右足がブレーキ!)
激突を防ぐと次の瞬間にはブレーキをかけ停まってみせた。鼓動が高鳴り自分の心臓の音が聞こえていた。危うく大惨事だ。思わず目をつぶってしまいそうな瞬間だったが、愛羽は目を見開き顔を背けず判断し回避した。
多分、他の子ならこうはいかなかっただろう。10中ほぼ10激突し大事故になっていただろうが、愛羽はその危機を乗り越えてしまった。
そんなことがあったからか愛羽がそのモンキーを乗りこなすのに時間はかからなかった。愛羽は毎日モンキーを乗り回していた。
数日後、兄が仕事から帰ると愛羽がモンキーの前で泣いていた。どうしたのか聞いてみるといきなり停まってしまい動かなくなってしまったのだと言う。
何よりもまずどうやら乗っていたらしいことが1番驚きだったが、愛羽をなぐさめてからバイクを見るとおそらくとは思ったがガス欠のようで、ガソリンを入れてみればなんてことはなくすぐエンジンがかかった。すると愛羽の顔にも安心の色が見れ笑顔が戻った。
昼間ずっと1人なので、このバイクが遊び相手だったらしい。兄は心配から怒ったが、自分も愛羽に1人で寂しい思いをさせてしまってることを思うと強くは言えなかった。兄は道路を走らないこと、ヘルメットを被ること、服を重ね着しサポーターなどをちゃんと着けることなど、約束ごとを徹底した上で認めざるを得なかった。
休みの日、まだ小学6年生の妹がバイクを乗りこなす姿を見て驚きを隠せなかった。愛羽には才能がある。そう思わされていた。初めて乗った時に事故りそうになったウイリーや、ブレーキでタイヤを滑らせドリフトの真似をしてみたり、文字通り乗りこなしていてとても華があった。決して堂々と自慢していいことではないが、たった12歳の女の子とは思えない何かが愛羽にはある。そう思えた。
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