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第17話:鋼鉄を切り裂くペンの剣
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ワゴンカーを青空テレビ局の駐車場に止めて、最上達は外に出る。潮のにおいが漂ってきた。
ほんの少しの間来なかっただけなのに、青空テレビ局がずいぶん懐かしいものに感じられた。長い夜が明けて、東京湾から見える水平線には太陽が顔を出し始めている。海から漂ってくる風は、最上のパンクしそうな頭を冷ましてくれた。
最上を先頭に、朧火、西天と続きテレビ局の建物に入っていく。
「秋月さんと連絡は取れたか?」
「今も徹夜でオリンピックに向けて準備してるってさ」
「相変わらず凄まじい仕事っぷりだな。けど、秋月さんが現場にいるならやりやすい」
「……朧火くん、やっぱり秋月さんとは特別な仲良だったりするのかしら? 確かに私にはない大きなものを持ってるけど……」
心配そうに西天がつぶやいた。
「あんな熟女俺が好きになるわけないだろう!」
大人としては残念な説得力があった。それでいいのだろうか、127歳。
最上は記憶をたどって秋月がもっとも居そうな場所を当たっていく。彼女は愛用の編集室にいた。いつもと違い部屋は暗くなっていて、テレビの画面が光源になっている。大きなクマを目元に作っている秋月が、資料を眺めているところだった。
「目が悪くなりますよ、秋月さん」
「久しぶりだねぇ坊や。家出は終わったみたいだな?」
三人を見て秋月は意地悪く笑う。
「ひっかきまわしてくれやがって。俺たちに最上とソフィアちゃんの面倒を見る、とか秋月さんが言わなければもっと余裕を持って迎えに行けたのにな」と、朧火が最上の後ろで毒づいた。
最上達について話さなければそれで十分だったのだが、秋月は朧火たちに対する隠ぺいまでしていたみたいだ。
「で、坊や。私になんのようだ?」
「虚構科学研究所の秘密を暴露します。だから、番組を一つ、貸してください」
「このクソ忙しい時期に、スケジュールを大幅に変えろって言うのか?」
「無茶な頼みとはわかってます。よろしくお願いします」
最上は秋月に向かってめいいっぱい頭を下げる。
最上の計画は、単純。西天賢治からソフィアを救うために、彼と虚構科学研究所の関係を、最上やソフィアにやってきた仕打ちを全国民に暴露する。そして、国民の声を借り、西天賢治に圧力をかける。そのためにはマスメディアの力は必須で、秋月の協力は必要不可欠と言える。
「すまないが、いくら私でもそれは無理だぜ」
やはり秋月でも厳しいか――。
また別の方法を考えなくてはいけないのか――。
「はっはっは、そんな顔するなよ坊や。すまんすまん、嘘だ、虚言だ、冗談だ! 私は待っているって言ったろう? 坊やが面白いネタを暴露してくれるのを」
ばしばしと秋月は最上の肩を叩く。
「朝のニュース番組でいいな? うちで一番視聴率が高い七時から七時半に時間をとってやるぜ。さて、事情をざっくり聞かせな」
「秋月さんはいつか人に刺されますよ」
はぁ、とため息をついてから最上はこれまで起きた出来事を頭の中でまとめていく
隠し事なしで全て話すつもりでいた。ちらりと西天を見てから、朧火に視線を送る。朧火は頷き返してくる。
「心も、最上の話を落ち着いて聞いてくれ。必要なことだ」
「……? わかったわ」
西天が気の毒だと思ったが、最上は余計なことを一切告げず、今回の騒動の一連の流れと因果関係を話す。当然、朧火と賢治が必死で隠してきた事実、西天賢治が虚構科学研究所と深く通じているというのも含めて。
最上の話を聞いた西天と秋月の反応は、対称的な物だった。
「……お父様」
「防衛大臣に喧嘩を売るか! 面白い。ネタとして最高だぜ。マスコミ冥利に尽きる」
西天心が賢治の子供であるのを知っているのだろうが、秋月は構わず笑い声をあげる。最上も朧火も秋月が気遣いのできる人間でないのを知っているので、いちいち注意はしない。
「悪いな心。今まで隠してて」
「……私に気を使って隠してたのよね」
「まぁな」
「……そう。お父様が。わかってるわ。お父様にもお父様の立場がある。私には私の立場が。今私が味方すべきがどちらかも、わかってるわ。大丈夫」
目じりが少し垂れた優しい瞳には、確かな決意が宿っていた。
「慰める必要もなかったな」と、朧火は肩をすくめる。
「オリンピックの方のスケジュールもさらに詰まるからな。帰ってきたらさぼった分も含めてお仕事増えるぞぉ! 楽しみだな坊や!」
「借りができたので埋め合わせはしますけど……絶対いつか訴えますからね」
「最上が丈夫だからってあんまり調子に乗るなよ。俺たちが見てるからな」
「そうよ。最上くんは私たちの子供なんだから」
「おーおー、親御さんがうるさいな」
四人が顔を合わせて小さく笑う。
「よし、やるべきことを確認するぞ」
朧火が切り出した。
「放送関係は最上と秋月さんに任せていいな?」
「あいよ」
「で、俺と心だが……心は情報の拡散を頼んでいいか」
「わかったわ」
「俺はテレビ局の防衛に尽力する。これでいいか?」
報道を止めようとした賢治が強硬手段に出る可能性はある。それを止める役割はいるだろう。
「けど、朧火は怪我してるでしょ」
「なに、防衛に当たるのは俺だけじゃない」
おそらく、穂野ノ坂学校がテロにあった時に使っていた傭兵部隊を使うのだろう。それでも、怪我をしている状態で最前線に立つのには変わりなかった。
「やめとけよ。朧火はもう休んだ方が良い」
最上の言葉に西天も頷く。
朧火はずっと右手をポケットに入れている。ワゴンカーでこっそり応急手当をしていたが、それだけでは到底足りない怪我だ。不老で発火体質のDマンである朧火だが、最上のように人並み外れた再生能力を持っているわけではなかった。
「大丈夫だって。ほら、それによく言うだろう? 体を張って家族を守るのは父親の役目だって」
「……」
反論の言葉が最上の口から上手く出てこなかった。この男を、父親として、認めてしまったのかもしれない。
「そういうわけだ。大丈夫。俺は死ぬ気なんてさらさらないって。俺たち家族全員が生き残るために必要なんだ」
「……お願い。朧火くん」
「いいの、西天さん?」
あっさり認めた西天に、最上は声を上げざるをえなかった。
「自分を含めたみんなが無事にこれを乗り切るために必要だからやるの。だったら、私は朧火くんを信じるわ」
「そういうわけだ。とは言っても、最上、お前の責任が一番大きいのは間違いないんだ。頼んだ」
朧火と西天は部屋を出ていった。秋月と最上だけが部屋に残る。
「坊やたち、仲良いな」
「そうでもないです」
「照れるな照れるな。ほら、とっとと準備するぞ。とりあえずまずその恰好からどうにかしていくか。いや――逆にそのままでいいか。悲壮感が漂ってる。最上がうちに駆け込んできて、助けを求めた。で、急遽知られざる日本の闇を語る――、ふむ、こっちの方がよさそうだ」
目的は一つ。
虚構科学研究所が最上やソフィアに行ってきたを暴露し、西天賢治がそれに関わっていたことを晒し上げる。そして、国民の支持を得て虚構科学研究所からソフィアを返さざるを得ない状況を作る。西天賢治が政治家である限り、国民の力を免れ得ない。味方によっては汚いやり口かもしれないが、彼のウィークポイントを狙う。
朝のニュース枠を取っ払って準備を進める。当然、様々な問題や反対の声が出たが秋月はそれらをねじ伏せ、黙らせた。その光景は圧巻と言ってもいいくらいで、青空テレビ局における秋月の力の強大さがうかがえた。
西天はネットを中心に青空テレビで放送されようとしている大まかな内容を宣伝していく。最上が本来存在するはずのない十六歳以上のDマンであることと、それにまつわる虚構科学研究所と政府の因縁を中心に宣伝を行っていた。もはや最上が特殊なDマンであるのを隠す必要もなく、逆に興味を引っ張る材料として使っていく。
とにかく数が必要だ。『鋼鉄』の異名を持つ西天賢治が尻込みをするくらいの。
朧火は青空テレビ局の周辺に防衛線を引いていた。ありとあらゆるコネクションから日本に隠れ潜む武闘派の人間を集め、青空テレビ局をぐるりと囲ませる。マシンガンやロケットランチャー、はてにはどこに隠していたのか、重戦車まであり、平和を謳う日本では考えられない部隊が揃っていた。第三次世界大戦があり、一時期日本にも武器が流れた。そのどさくさに紛れて裏でそろえた武力なのだろう。
相手にはあの新神がいる。これでもまだ足りないくらいだ。できるのは時間稼ぎくらいだろう。
どたばたと放送室で人が行き交う中、秋月が最上に問いかけた。
「坊や、台本についてリクエストはあるか?」
「台本なんて作るんですか」
「何の用意もなしに国民の心を揺さぶれるほど坊やは演説のプロではないだろ」
「そうですね。けど、用意された台本を読むってのは……芝居くさいというか……」
「読むだけならそうなるだろうな。正直、それは最悪だ。が、やっぱり台本はいるんだ。参考にするくらいの心構えでいい」
「……わかりました」
「素直でよろしい」
放送については、秋月に従った方がいい。年季が違う。
最上がカメラと向かいあうことになる場所は、飾りっ気がない。マイクが立てられた演説台があり、背後の壁は白一色。これからはじまるのはニュースでもバラエティでもなく、最上ただ一人が話すだけの放送。秋月の判断で、余計な装飾は不要ということになった。
ただ最上の姿と、言葉だけが画面を通じて国民に届くことになる。それでも演説台やマイクまで白なのはやりすぎではないかと思ったが、秋月の手腕を信じるしかない。
防音性能がいい部屋には、最上が部屋の中をせわしなく歩き回る足音だけが響く。
手には原稿をもって、今日言うべき言葉を頭に叩き込んでいた。プロが書いた台本だけに、要点をきっちりまとめてある。最上が不利になるであろうことは、一切書かれていない。
人の力を借りて、西天賢治の思惑を阻止する。彼は政治家だ。政治家である限り国民を敵にするわけにはいかない。それを利用する。
ただ、人々の力を借りるにも、最上に共感してくれる人がいくらいるかがわからない。
最上は自分の過去を振り返る。
今まで自分を特別だと信じて疑わなかった最上は、人を見下していた。自信過剰な餓鬼。全能感に満ちた子供だった。
そして、生きるためとはいえ、最上は多くの人間を殺してきた。
銃を向けてきた兵士を殺した。これはまだいいだろう。ソフィアと過ごしていた隠れ家を見つけた人であったり、食料の調達に詰まったときだったり、全く関係ない一般人をも最上は殺したことがあった。
国民にとって、最上は化物であり敵だ。
「坊や、そろそろ時間だ。人の力を得るってのはより多くの反応を得られるかの勝負だぜ」
カメラの死角にあるパイプイスに秋月が座る。彼女の手にはタブレット端末がある。
どうやら他のスタッフは編集室にいるようだ。
ありがたい。秋月だけの方が、最上も話しやすかった。
「僕なんかに力を貸してくれる人がいるんでしょうか」
「自信過剰な坊やが珍しいな。まぁ、それは坊やが弱々しく人に媚びて、悲劇の主人公になり切れるかにかかっているだろう」
「嫌なことを言いますね」
「日本人は基本的に弱いやつを応援したくなる人種だからな。今の坊やがそれを利用しない手はない」
「やっぱり秋月さんって汚いです」
「坊やが純粋すぎるんだよ」
腰のポケットから伸びているイヤホンを耳に入れながら秋月は言った。
「一分前だ。立つ場所は言わなくてもわかるな」
頷き、最上は演説台の傍に立つ。
残り五秒からは秋月五本の指を一本ずつ折ってカウントダウンする。
最後の小指が頭を垂れると同時に放送がはじまった。
カメラの後ろにあるテレビ画面に、カメラを通した最上が映し出されていた。血が乾いて茶焦げた色になっている服を着ている。確かに、みすぼらしくも見えてしまう。
「あ……」
のどがカラカラに乾いて、上手く声が出なかった。
落ち着け――、そう自分に言い聞かせる。
「僕の名前は最上彼方と言います。はじめに言っておくと、17歳になりますが、僕はDマンです」
原稿通りのことを上手く話せない。けれど、なんとか言うべきことを言おうとする。
最上の言葉一つ一つに、ソフィアの命がかかっているのだ。
原稿に沿って、最上は西天賢治の秘密と虚構科学研究所に妹が誘拐されたことを説明していった。
台本通りの言葉は芝居くさい、などと言っておきながら最上はほとんど台本に頼ってしまっていた。本番のプレッシャーのせいか、頭が上手く働かない。
言い終えてから、最上は秋月の表情をうかがう。
険しい顔でタブレットを見ながら、指を走らせていた。
秋月は放送と同時にSNSで世間の反応をうかがっているのだが、それが芳しくないのが最上にもわかった。
一度カメラを切り、CMを挟む。
イヤホンを巻き取り、秋月はそれをポケットに入れた。
「坊や――」と、秋月がなにかを言おうとしたときに、タブレット端末が通話モードになる。
「なんだ?」
秋月がタブレットに向けて言う。
「その――、に、西天賢治さんが来ました――」
最上の耳にも電話口で告げられた事実が届く。同時に放送室の扉が開いた。
そこにはスーツを着込み、鷹のような目をした西天賢治が立っていた。その男は、新神という戦力を使わず、あえて単身でここに乗り込んできたのだ。
「これはこれは、防衛大臣自ら何の御用でしょうか」
秋月が仰々しく頭を下げる。
「ここで下らん演説が行われると聞いて、私も参加しようと思っただけだよ。私はどうやらその演説の重要なポジションにいるようだから様子を見に来たのだ」
「……」
「ふん、これが演説の原稿か」
鋭い視線が演説台に置かれた原稿に送られる。それだけで、一文字たがわず賢治は内容を把握しただろう。
「なるほど、これであの化物を取り返そうということか」
「……賢治さん、あなたは何も思わないんですか。ソフィアがいなくなれば、西天さんも悲しみますよ」
「娘一人の悲しみがどうした。くだらん。それよりも国が回らなくなる方が私にとっては問題だ」
公共の場において、この男はどこまでも冷酷だ。
「秋月、見たところ原稿は一通り言い尽くしたようだし、私が話しても構わんのだろう?」
賢治の言葉に、さすがの秋月も面をくらったようだ。
止めに来たと思っていたが、あてが外れた。止めるどころか、防衛大臣自ら参加しようと言うのだ。
「……どうぞ。CM終了五秒前です」
最上を押しのけて、さも当然のように賢治は演説台に立つ。その姿は、完成された銅像のように、あるべき姿のように感じた。
秋月が指でのカウントダウンを終え、再びカメラがまわりだす。
「防衛大臣の西天賢治だ。先ほどの演説で語られたことについて、私からも言いたいことがある」
政治家というのは、敬語を使うイメージがあったのだが、西天賢治は使わない。堂々とはちきれんばかりに胸を張って話す。不快感は一切なく、むしろ清々しい印象を敵である最上ですら感じた。
「まず、私が虚構科学研究所と関係を持っているかだが、それは認めよう。私は虚構科学研究所にDマンの研究をするように言ってきた。隠すような真似をして申し訳ないと思っている。倫理と国防のバランスについて説明したくはあるが、それは後ほど別の場で話させていただく。今は言うべきことを言っておきたい。
それは、今ここにいる最上彼方と、現在私が身柄を確保しているソフィア・クラウディについてだ。
最上彼方は、私がソフィア・クラウディを不当に監禁したと宣っているが、これは否定する。断固たる理由があるのだ。
国民の皆には記憶に新しいだろう国道一号線が爆破された事件だ。
実は、それは虚構科学研究所から脱走した最上彼方を捕獲する際に行われた戦闘を隠すためにあえて偽っていた。
あの戦闘の原因を明かし、オリンピック開催前に対処せよ。とアメリカや中国など各国から声が上がっている。
その原因が最上彼方とソフィア・クラウディにある。
原因たる二人を確保するまでは隠密に進めようと考えていた。
私は然るべき対処を、防衛大臣として行ったまでだ。
とはいえ、最上彼方とソフィア・クラウディの危険性は、国民の皆はいまいち理解できないだろう。
言っておこう。これは国民の皆にとっては信じがたい事実かもしれないが、言わねば危険性を理解していただけないだろうからな。
最上彼方は伝説上の存在である死食鬼、ソフィア・クラウディは吸血鬼の性質を持っている。人を食らう危険な存在だ。その上、最上彼方に関していえば、その戦闘力はあの新神定理を上回るものだ。
それゆえ、このまま対処せずに放っておけば、いかに危険か。オリンピックのみならず、最上彼方が牙をむけば、世界中が危機に陥ることだって十二分にありうるのだ。
だから、この化物に耳を貸さないでほしい。後に、私が然るべき対処をすることを約束しよう」
虚実入り乱れた演説だが、賢治の力強さのせいで全てが真実に見えてしまう。この場ですぐに虚を証明することはできない。半分事実のような嘘もまじっており、性質が悪い。容赦なく、西天賢治は政治家としての弁舌を最上に振るう。彼は一時だけ国民を納得させればいいのだ。この局面をうまく乗り切ってしまえば、後は政治の闇に最上を葬ればいい。
殴りつけ、八つ裂きにしたい衝動に駆られたが、それをすれば最上の立場が悪くなるだけだ。
最上の強さの源である超人的な腕力も、瞬発力も、動体視力も反射神経も役に立たない。
それが西天賢治であるのを、最上は嫌でも理解する。
秋雨が渋い顔をするのがわかった。彼女は手に持っているタブレットでSNSを使って番組の反応を逐一観察している。
今の賢治の演説が、国民の心を縛るのに十分すぎる力強さを持っていたのがよくわかった。
「とはいえ、最上彼方にも言いたいことはあるのだろう。一度、彼の反論のためにこの演説台を明け渡そう」
堂々とした足取りで演説台を降り、最上を睨み付けた。
西天賢治は、最上に反論をさせて、そのうえで叩き潰そうとしている。
最上には演説台が絞首台に見えた。
けれど、演説台に向かわざるを得ない。戦わないわけにはいかなかった。マイクの前に立つ。
「僕は……」
人殺し。
生きるために、数多くの人間を殺してきた。それは事実だ。
理由はなんであれ、その事実は動かない。
最上は人殺しで、化物。
賢治のように嘘を利用して反撃すればいいのか?
けれど、それが彼に通じるのか。嘘ごと粉砕されるのではないか。
(ああ、僕は……弱いな)
最強と信じて疑わなかった自分が崩れ去る。
一皮剥いてみれば、結局のところわがままなガキでしかない。
冷や汗が頬を伝い、演説台にぽとりと落ちる。
言葉が続かない。なにを言えばソフィアを救えるのか、まるでわからない。
「反論はなしかな――」
「最上!」
「最上くん!」
放送中に関わらず、部屋のドアが開けられる。カメラが回っているのに、乱入者二人は最上の傍に駆け寄ってきた。
「……なにしにきたんだよ。放送中なのに」
「なに、お前が参ってるようだったからな。わざわざ老体にむち打ってアドバイスしにきてやったんだ」
朧火が言い、西天が頷く。
「最上、お前ははっきり言って不器用だ。口先のやり取りで絶対に賢治に勝てない。だから、賢治を相手にするな」
「そうよ。最上くん。言いたいことを言うの」
「言いたいことを……?」
「お前は賢治に一方的に言われてへこんでるのかもしれんが、お前の最強の定義を思い出せ。俺に言っただろう、ソフィアちゃんを守ることだって。なら、まだお前は最強だ。お前はまだソフィアちゃんを守れるだろう? 救えるだろう? 大人の強さを身につけろとは言ったが、まだお前は子供だ。今は変に上手くやろうとしなくていいんだ。子供っぽくてもいい。愚直に、お前らしくやってみろ」
朧火の言葉に無条件に反抗したくなるようになってしまっていた最上だが、今は頷けた。
「あなたは悪い子じゃないって、私と朧火くんが知ってるから、自信を持って」
歩み寄ってきた西天が、ふんわりと両腕で最上を包み込む。
「は、離してよ」
恥ずかしくてすぐに西天を引きはがしてしまった。
けれど、心の中にあった迷いが全て吹っ切れた。
朧火の力強さと西天の優しさが最上を支えてくれていた。
(家族って……こんな感じなのかな。支えてくれる人がいるってのは……いいものだね)
ソフィアを守るのは自分しかいなかった。
だからいくら傷ついても、倒れそうになっても、一人で歯を食いしばりソフィアに降りかかる火の粉を払ってきた。
ソフィアを守ろうとしてくれている人が他にいる。
なんて――心強い。
「もう、大丈夫だよ。……ありがとう」
最上はカメラの奥にいる見えない人達を見据える。
お願いをするのだ。
ソフィアを助けるのに、力を貸してくれと。
ただそれだけなのに、原稿も、嘘も虚構も必要あるわけがない。
「僕はたしかに危険分子だ……。人並み外れた力を持っているし、その力を使って、生きるために人を殺した。認めます」
最上の言葉に、『鋼鉄』の顔にわずかに驚きの色が浮かんだ。
そう、最上はヒトデナシだ。自覚する。
でも、そんな最上にも守りたい人がいる。いつでもヒトデナシの傍にいて笑ってくれた人だ。結局、彼女のために最上が命を賭けられたのは――好きだから。
「今まで僕が殺してきた人間にも、家族がいて、帰りを待っていた人がきっといます。けれど、それを知ってなお、僕は皆さまにお願いをしたいんです」
原稿を読んでいた時よりも、流れるように言葉が出てくる。嘘でも他人の言葉でもなく、最上がただ本心から言っているからだ。
「僕は監禁するなり、殺すなりしてもいい。けれど、助けてほしい。ソフィアだけは、助けてほしい。僕の大切な人に、もう空が見えない石壁の中で過ごし、実験の対象にされるだけの日々を過ごして欲しくないんです。
お願いです。僕は、人類最強なのは事実ですが、今はもうその力はありません。だから、こうして僕は、みんなの力を借りるしかないんです」
最上は演説台に頭をこすりつけるようにして頭を下げる。
人を殺したことも、危険な存在であるのも否定せず、偽らない。大人に言わせれば下手なやり方になるのだろう。
けれど、最上はそれしかやり方を知らない。
「――」
『鋼鉄』は言葉を失っていた。
それもそうだ。
最上は賢治に反論など一切していない。肯定したうえで、お願いをしているのだ。
「防衛大臣、なにか言いたいことは?」
秋雨がカメラの外から問うた。
「いや――ない」
演説台に立つ最上を映していたテレビの画面がぷつりと消える。カメラが止まったのだ。
結果は神のみぞが知る。
ほんの少しの間来なかっただけなのに、青空テレビ局がずいぶん懐かしいものに感じられた。長い夜が明けて、東京湾から見える水平線には太陽が顔を出し始めている。海から漂ってくる風は、最上のパンクしそうな頭を冷ましてくれた。
最上を先頭に、朧火、西天と続きテレビ局の建物に入っていく。
「秋月さんと連絡は取れたか?」
「今も徹夜でオリンピックに向けて準備してるってさ」
「相変わらず凄まじい仕事っぷりだな。けど、秋月さんが現場にいるならやりやすい」
「……朧火くん、やっぱり秋月さんとは特別な仲良だったりするのかしら? 確かに私にはない大きなものを持ってるけど……」
心配そうに西天がつぶやいた。
「あんな熟女俺が好きになるわけないだろう!」
大人としては残念な説得力があった。それでいいのだろうか、127歳。
最上は記憶をたどって秋月がもっとも居そうな場所を当たっていく。彼女は愛用の編集室にいた。いつもと違い部屋は暗くなっていて、テレビの画面が光源になっている。大きなクマを目元に作っている秋月が、資料を眺めているところだった。
「目が悪くなりますよ、秋月さん」
「久しぶりだねぇ坊や。家出は終わったみたいだな?」
三人を見て秋月は意地悪く笑う。
「ひっかきまわしてくれやがって。俺たちに最上とソフィアちゃんの面倒を見る、とか秋月さんが言わなければもっと余裕を持って迎えに行けたのにな」と、朧火が最上の後ろで毒づいた。
最上達について話さなければそれで十分だったのだが、秋月は朧火たちに対する隠ぺいまでしていたみたいだ。
「で、坊や。私になんのようだ?」
「虚構科学研究所の秘密を暴露します。だから、番組を一つ、貸してください」
「このクソ忙しい時期に、スケジュールを大幅に変えろって言うのか?」
「無茶な頼みとはわかってます。よろしくお願いします」
最上は秋月に向かってめいいっぱい頭を下げる。
最上の計画は、単純。西天賢治からソフィアを救うために、彼と虚構科学研究所の関係を、最上やソフィアにやってきた仕打ちを全国民に暴露する。そして、国民の声を借り、西天賢治に圧力をかける。そのためにはマスメディアの力は必須で、秋月の協力は必要不可欠と言える。
「すまないが、いくら私でもそれは無理だぜ」
やはり秋月でも厳しいか――。
また別の方法を考えなくてはいけないのか――。
「はっはっは、そんな顔するなよ坊や。すまんすまん、嘘だ、虚言だ、冗談だ! 私は待っているって言ったろう? 坊やが面白いネタを暴露してくれるのを」
ばしばしと秋月は最上の肩を叩く。
「朝のニュース番組でいいな? うちで一番視聴率が高い七時から七時半に時間をとってやるぜ。さて、事情をざっくり聞かせな」
「秋月さんはいつか人に刺されますよ」
はぁ、とため息をついてから最上はこれまで起きた出来事を頭の中でまとめていく
隠し事なしで全て話すつもりでいた。ちらりと西天を見てから、朧火に視線を送る。朧火は頷き返してくる。
「心も、最上の話を落ち着いて聞いてくれ。必要なことだ」
「……? わかったわ」
西天が気の毒だと思ったが、最上は余計なことを一切告げず、今回の騒動の一連の流れと因果関係を話す。当然、朧火と賢治が必死で隠してきた事実、西天賢治が虚構科学研究所と深く通じているというのも含めて。
最上の話を聞いた西天と秋月の反応は、対称的な物だった。
「……お父様」
「防衛大臣に喧嘩を売るか! 面白い。ネタとして最高だぜ。マスコミ冥利に尽きる」
西天心が賢治の子供であるのを知っているのだろうが、秋月は構わず笑い声をあげる。最上も朧火も秋月が気遣いのできる人間でないのを知っているので、いちいち注意はしない。
「悪いな心。今まで隠してて」
「……私に気を使って隠してたのよね」
「まぁな」
「……そう。お父様が。わかってるわ。お父様にもお父様の立場がある。私には私の立場が。今私が味方すべきがどちらかも、わかってるわ。大丈夫」
目じりが少し垂れた優しい瞳には、確かな決意が宿っていた。
「慰める必要もなかったな」と、朧火は肩をすくめる。
「オリンピックの方のスケジュールもさらに詰まるからな。帰ってきたらさぼった分も含めてお仕事増えるぞぉ! 楽しみだな坊や!」
「借りができたので埋め合わせはしますけど……絶対いつか訴えますからね」
「最上が丈夫だからってあんまり調子に乗るなよ。俺たちが見てるからな」
「そうよ。最上くんは私たちの子供なんだから」
「おーおー、親御さんがうるさいな」
四人が顔を合わせて小さく笑う。
「よし、やるべきことを確認するぞ」
朧火が切り出した。
「放送関係は最上と秋月さんに任せていいな?」
「あいよ」
「で、俺と心だが……心は情報の拡散を頼んでいいか」
「わかったわ」
「俺はテレビ局の防衛に尽力する。これでいいか?」
報道を止めようとした賢治が強硬手段に出る可能性はある。それを止める役割はいるだろう。
「けど、朧火は怪我してるでしょ」
「なに、防衛に当たるのは俺だけじゃない」
おそらく、穂野ノ坂学校がテロにあった時に使っていた傭兵部隊を使うのだろう。それでも、怪我をしている状態で最前線に立つのには変わりなかった。
「やめとけよ。朧火はもう休んだ方が良い」
最上の言葉に西天も頷く。
朧火はずっと右手をポケットに入れている。ワゴンカーでこっそり応急手当をしていたが、それだけでは到底足りない怪我だ。不老で発火体質のDマンである朧火だが、最上のように人並み外れた再生能力を持っているわけではなかった。
「大丈夫だって。ほら、それによく言うだろう? 体を張って家族を守るのは父親の役目だって」
「……」
反論の言葉が最上の口から上手く出てこなかった。この男を、父親として、認めてしまったのかもしれない。
「そういうわけだ。大丈夫。俺は死ぬ気なんてさらさらないって。俺たち家族全員が生き残るために必要なんだ」
「……お願い。朧火くん」
「いいの、西天さん?」
あっさり認めた西天に、最上は声を上げざるをえなかった。
「自分を含めたみんなが無事にこれを乗り切るために必要だからやるの。だったら、私は朧火くんを信じるわ」
「そういうわけだ。とは言っても、最上、お前の責任が一番大きいのは間違いないんだ。頼んだ」
朧火と西天は部屋を出ていった。秋月と最上だけが部屋に残る。
「坊やたち、仲良いな」
「そうでもないです」
「照れるな照れるな。ほら、とっとと準備するぞ。とりあえずまずその恰好からどうにかしていくか。いや――逆にそのままでいいか。悲壮感が漂ってる。最上がうちに駆け込んできて、助けを求めた。で、急遽知られざる日本の闇を語る――、ふむ、こっちの方がよさそうだ」
目的は一つ。
虚構科学研究所が最上やソフィアに行ってきたを暴露し、西天賢治がそれに関わっていたことを晒し上げる。そして、国民の支持を得て虚構科学研究所からソフィアを返さざるを得ない状況を作る。西天賢治が政治家である限り、国民の力を免れ得ない。味方によっては汚いやり口かもしれないが、彼のウィークポイントを狙う。
朝のニュース枠を取っ払って準備を進める。当然、様々な問題や反対の声が出たが秋月はそれらをねじ伏せ、黙らせた。その光景は圧巻と言ってもいいくらいで、青空テレビ局における秋月の力の強大さがうかがえた。
西天はネットを中心に青空テレビで放送されようとしている大まかな内容を宣伝していく。最上が本来存在するはずのない十六歳以上のDマンであることと、それにまつわる虚構科学研究所と政府の因縁を中心に宣伝を行っていた。もはや最上が特殊なDマンであるのを隠す必要もなく、逆に興味を引っ張る材料として使っていく。
とにかく数が必要だ。『鋼鉄』の異名を持つ西天賢治が尻込みをするくらいの。
朧火は青空テレビ局の周辺に防衛線を引いていた。ありとあらゆるコネクションから日本に隠れ潜む武闘派の人間を集め、青空テレビ局をぐるりと囲ませる。マシンガンやロケットランチャー、はてにはどこに隠していたのか、重戦車まであり、平和を謳う日本では考えられない部隊が揃っていた。第三次世界大戦があり、一時期日本にも武器が流れた。そのどさくさに紛れて裏でそろえた武力なのだろう。
相手にはあの新神がいる。これでもまだ足りないくらいだ。できるのは時間稼ぎくらいだろう。
どたばたと放送室で人が行き交う中、秋月が最上に問いかけた。
「坊や、台本についてリクエストはあるか?」
「台本なんて作るんですか」
「何の用意もなしに国民の心を揺さぶれるほど坊やは演説のプロではないだろ」
「そうですね。けど、用意された台本を読むってのは……芝居くさいというか……」
「読むだけならそうなるだろうな。正直、それは最悪だ。が、やっぱり台本はいるんだ。参考にするくらいの心構えでいい」
「……わかりました」
「素直でよろしい」
放送については、秋月に従った方がいい。年季が違う。
最上がカメラと向かいあうことになる場所は、飾りっ気がない。マイクが立てられた演説台があり、背後の壁は白一色。これからはじまるのはニュースでもバラエティでもなく、最上ただ一人が話すだけの放送。秋月の判断で、余計な装飾は不要ということになった。
ただ最上の姿と、言葉だけが画面を通じて国民に届くことになる。それでも演説台やマイクまで白なのはやりすぎではないかと思ったが、秋月の手腕を信じるしかない。
防音性能がいい部屋には、最上が部屋の中をせわしなく歩き回る足音だけが響く。
手には原稿をもって、今日言うべき言葉を頭に叩き込んでいた。プロが書いた台本だけに、要点をきっちりまとめてある。最上が不利になるであろうことは、一切書かれていない。
人の力を借りて、西天賢治の思惑を阻止する。彼は政治家だ。政治家である限り国民を敵にするわけにはいかない。それを利用する。
ただ、人々の力を借りるにも、最上に共感してくれる人がいくらいるかがわからない。
最上は自分の過去を振り返る。
今まで自分を特別だと信じて疑わなかった最上は、人を見下していた。自信過剰な餓鬼。全能感に満ちた子供だった。
そして、生きるためとはいえ、最上は多くの人間を殺してきた。
銃を向けてきた兵士を殺した。これはまだいいだろう。ソフィアと過ごしていた隠れ家を見つけた人であったり、食料の調達に詰まったときだったり、全く関係ない一般人をも最上は殺したことがあった。
国民にとって、最上は化物であり敵だ。
「坊や、そろそろ時間だ。人の力を得るってのはより多くの反応を得られるかの勝負だぜ」
カメラの死角にあるパイプイスに秋月が座る。彼女の手にはタブレット端末がある。
どうやら他のスタッフは編集室にいるようだ。
ありがたい。秋月だけの方が、最上も話しやすかった。
「僕なんかに力を貸してくれる人がいるんでしょうか」
「自信過剰な坊やが珍しいな。まぁ、それは坊やが弱々しく人に媚びて、悲劇の主人公になり切れるかにかかっているだろう」
「嫌なことを言いますね」
「日本人は基本的に弱いやつを応援したくなる人種だからな。今の坊やがそれを利用しない手はない」
「やっぱり秋月さんって汚いです」
「坊やが純粋すぎるんだよ」
腰のポケットから伸びているイヤホンを耳に入れながら秋月は言った。
「一分前だ。立つ場所は言わなくてもわかるな」
頷き、最上は演説台の傍に立つ。
残り五秒からは秋月五本の指を一本ずつ折ってカウントダウンする。
最後の小指が頭を垂れると同時に放送がはじまった。
カメラの後ろにあるテレビ画面に、カメラを通した最上が映し出されていた。血が乾いて茶焦げた色になっている服を着ている。確かに、みすぼらしくも見えてしまう。
「あ……」
のどがカラカラに乾いて、上手く声が出なかった。
落ち着け――、そう自分に言い聞かせる。
「僕の名前は最上彼方と言います。はじめに言っておくと、17歳になりますが、僕はDマンです」
原稿通りのことを上手く話せない。けれど、なんとか言うべきことを言おうとする。
最上の言葉一つ一つに、ソフィアの命がかかっているのだ。
原稿に沿って、最上は西天賢治の秘密と虚構科学研究所に妹が誘拐されたことを説明していった。
台本通りの言葉は芝居くさい、などと言っておきながら最上はほとんど台本に頼ってしまっていた。本番のプレッシャーのせいか、頭が上手く働かない。
言い終えてから、最上は秋月の表情をうかがう。
険しい顔でタブレットを見ながら、指を走らせていた。
秋月は放送と同時にSNSで世間の反応をうかがっているのだが、それが芳しくないのが最上にもわかった。
一度カメラを切り、CMを挟む。
イヤホンを巻き取り、秋月はそれをポケットに入れた。
「坊や――」と、秋月がなにかを言おうとしたときに、タブレット端末が通話モードになる。
「なんだ?」
秋月がタブレットに向けて言う。
「その――、に、西天賢治さんが来ました――」
最上の耳にも電話口で告げられた事実が届く。同時に放送室の扉が開いた。
そこにはスーツを着込み、鷹のような目をした西天賢治が立っていた。その男は、新神という戦力を使わず、あえて単身でここに乗り込んできたのだ。
「これはこれは、防衛大臣自ら何の御用でしょうか」
秋月が仰々しく頭を下げる。
「ここで下らん演説が行われると聞いて、私も参加しようと思っただけだよ。私はどうやらその演説の重要なポジションにいるようだから様子を見に来たのだ」
「……」
「ふん、これが演説の原稿か」
鋭い視線が演説台に置かれた原稿に送られる。それだけで、一文字たがわず賢治は内容を把握しただろう。
「なるほど、これであの化物を取り返そうということか」
「……賢治さん、あなたは何も思わないんですか。ソフィアがいなくなれば、西天さんも悲しみますよ」
「娘一人の悲しみがどうした。くだらん。それよりも国が回らなくなる方が私にとっては問題だ」
公共の場において、この男はどこまでも冷酷だ。
「秋月、見たところ原稿は一通り言い尽くしたようだし、私が話しても構わんのだろう?」
賢治の言葉に、さすがの秋月も面をくらったようだ。
止めに来たと思っていたが、あてが外れた。止めるどころか、防衛大臣自ら参加しようと言うのだ。
「……どうぞ。CM終了五秒前です」
最上を押しのけて、さも当然のように賢治は演説台に立つ。その姿は、完成された銅像のように、あるべき姿のように感じた。
秋月が指でのカウントダウンを終え、再びカメラがまわりだす。
「防衛大臣の西天賢治だ。先ほどの演説で語られたことについて、私からも言いたいことがある」
政治家というのは、敬語を使うイメージがあったのだが、西天賢治は使わない。堂々とはちきれんばかりに胸を張って話す。不快感は一切なく、むしろ清々しい印象を敵である最上ですら感じた。
「まず、私が虚構科学研究所と関係を持っているかだが、それは認めよう。私は虚構科学研究所にDマンの研究をするように言ってきた。隠すような真似をして申し訳ないと思っている。倫理と国防のバランスについて説明したくはあるが、それは後ほど別の場で話させていただく。今は言うべきことを言っておきたい。
それは、今ここにいる最上彼方と、現在私が身柄を確保しているソフィア・クラウディについてだ。
最上彼方は、私がソフィア・クラウディを不当に監禁したと宣っているが、これは否定する。断固たる理由があるのだ。
国民の皆には記憶に新しいだろう国道一号線が爆破された事件だ。
実は、それは虚構科学研究所から脱走した最上彼方を捕獲する際に行われた戦闘を隠すためにあえて偽っていた。
あの戦闘の原因を明かし、オリンピック開催前に対処せよ。とアメリカや中国など各国から声が上がっている。
その原因が最上彼方とソフィア・クラウディにある。
原因たる二人を確保するまでは隠密に進めようと考えていた。
私は然るべき対処を、防衛大臣として行ったまでだ。
とはいえ、最上彼方とソフィア・クラウディの危険性は、国民の皆はいまいち理解できないだろう。
言っておこう。これは国民の皆にとっては信じがたい事実かもしれないが、言わねば危険性を理解していただけないだろうからな。
最上彼方は伝説上の存在である死食鬼、ソフィア・クラウディは吸血鬼の性質を持っている。人を食らう危険な存在だ。その上、最上彼方に関していえば、その戦闘力はあの新神定理を上回るものだ。
それゆえ、このまま対処せずに放っておけば、いかに危険か。オリンピックのみならず、最上彼方が牙をむけば、世界中が危機に陥ることだって十二分にありうるのだ。
だから、この化物に耳を貸さないでほしい。後に、私が然るべき対処をすることを約束しよう」
虚実入り乱れた演説だが、賢治の力強さのせいで全てが真実に見えてしまう。この場ですぐに虚を証明することはできない。半分事実のような嘘もまじっており、性質が悪い。容赦なく、西天賢治は政治家としての弁舌を最上に振るう。彼は一時だけ国民を納得させればいいのだ。この局面をうまく乗り切ってしまえば、後は政治の闇に最上を葬ればいい。
殴りつけ、八つ裂きにしたい衝動に駆られたが、それをすれば最上の立場が悪くなるだけだ。
最上の強さの源である超人的な腕力も、瞬発力も、動体視力も反射神経も役に立たない。
それが西天賢治であるのを、最上は嫌でも理解する。
秋雨が渋い顔をするのがわかった。彼女は手に持っているタブレットでSNSを使って番組の反応を逐一観察している。
今の賢治の演説が、国民の心を縛るのに十分すぎる力強さを持っていたのがよくわかった。
「とはいえ、最上彼方にも言いたいことはあるのだろう。一度、彼の反論のためにこの演説台を明け渡そう」
堂々とした足取りで演説台を降り、最上を睨み付けた。
西天賢治は、最上に反論をさせて、そのうえで叩き潰そうとしている。
最上には演説台が絞首台に見えた。
けれど、演説台に向かわざるを得ない。戦わないわけにはいかなかった。マイクの前に立つ。
「僕は……」
人殺し。
生きるために、数多くの人間を殺してきた。それは事実だ。
理由はなんであれ、その事実は動かない。
最上は人殺しで、化物。
賢治のように嘘を利用して反撃すればいいのか?
けれど、それが彼に通じるのか。嘘ごと粉砕されるのではないか。
(ああ、僕は……弱いな)
最強と信じて疑わなかった自分が崩れ去る。
一皮剥いてみれば、結局のところわがままなガキでしかない。
冷や汗が頬を伝い、演説台にぽとりと落ちる。
言葉が続かない。なにを言えばソフィアを救えるのか、まるでわからない。
「反論はなしかな――」
「最上!」
「最上くん!」
放送中に関わらず、部屋のドアが開けられる。カメラが回っているのに、乱入者二人は最上の傍に駆け寄ってきた。
「……なにしにきたんだよ。放送中なのに」
「なに、お前が参ってるようだったからな。わざわざ老体にむち打ってアドバイスしにきてやったんだ」
朧火が言い、西天が頷く。
「最上、お前ははっきり言って不器用だ。口先のやり取りで絶対に賢治に勝てない。だから、賢治を相手にするな」
「そうよ。最上くん。言いたいことを言うの」
「言いたいことを……?」
「お前は賢治に一方的に言われてへこんでるのかもしれんが、お前の最強の定義を思い出せ。俺に言っただろう、ソフィアちゃんを守ることだって。なら、まだお前は最強だ。お前はまだソフィアちゃんを守れるだろう? 救えるだろう? 大人の強さを身につけろとは言ったが、まだお前は子供だ。今は変に上手くやろうとしなくていいんだ。子供っぽくてもいい。愚直に、お前らしくやってみろ」
朧火の言葉に無条件に反抗したくなるようになってしまっていた最上だが、今は頷けた。
「あなたは悪い子じゃないって、私と朧火くんが知ってるから、自信を持って」
歩み寄ってきた西天が、ふんわりと両腕で最上を包み込む。
「は、離してよ」
恥ずかしくてすぐに西天を引きはがしてしまった。
けれど、心の中にあった迷いが全て吹っ切れた。
朧火の力強さと西天の優しさが最上を支えてくれていた。
(家族って……こんな感じなのかな。支えてくれる人がいるってのは……いいものだね)
ソフィアを守るのは自分しかいなかった。
だからいくら傷ついても、倒れそうになっても、一人で歯を食いしばりソフィアに降りかかる火の粉を払ってきた。
ソフィアを守ろうとしてくれている人が他にいる。
なんて――心強い。
「もう、大丈夫だよ。……ありがとう」
最上はカメラの奥にいる見えない人達を見据える。
お願いをするのだ。
ソフィアを助けるのに、力を貸してくれと。
ただそれだけなのに、原稿も、嘘も虚構も必要あるわけがない。
「僕はたしかに危険分子だ……。人並み外れた力を持っているし、その力を使って、生きるために人を殺した。認めます」
最上の言葉に、『鋼鉄』の顔にわずかに驚きの色が浮かんだ。
そう、最上はヒトデナシだ。自覚する。
でも、そんな最上にも守りたい人がいる。いつでもヒトデナシの傍にいて笑ってくれた人だ。結局、彼女のために最上が命を賭けられたのは――好きだから。
「今まで僕が殺してきた人間にも、家族がいて、帰りを待っていた人がきっといます。けれど、それを知ってなお、僕は皆さまにお願いをしたいんです」
原稿を読んでいた時よりも、流れるように言葉が出てくる。嘘でも他人の言葉でもなく、最上がただ本心から言っているからだ。
「僕は監禁するなり、殺すなりしてもいい。けれど、助けてほしい。ソフィアだけは、助けてほしい。僕の大切な人に、もう空が見えない石壁の中で過ごし、実験の対象にされるだけの日々を過ごして欲しくないんです。
お願いです。僕は、人類最強なのは事実ですが、今はもうその力はありません。だから、こうして僕は、みんなの力を借りるしかないんです」
最上は演説台に頭をこすりつけるようにして頭を下げる。
人を殺したことも、危険な存在であるのも否定せず、偽らない。大人に言わせれば下手なやり方になるのだろう。
けれど、最上はそれしかやり方を知らない。
「――」
『鋼鉄』は言葉を失っていた。
それもそうだ。
最上は賢治に反論など一切していない。肯定したうえで、お願いをしているのだ。
「防衛大臣、なにか言いたいことは?」
秋雨がカメラの外から問うた。
「いや――ない」
演説台に立つ最上を映していたテレビの画面がぷつりと消える。カメラが止まったのだ。
結果は神のみぞが知る。
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