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第16話:失った物にすがるのは無意味

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 路地の電灯の下に、灰色のワゴンカーがあった。その車から出てきた西天が駆け寄ってくる。カランカランとゲタの音が響いた。
「朧火くん、最上くん、だいじょうぶ!?」
 西天の顔は、見ている方が心配になるくらい真っ青だ。
「大丈夫、俺も最上もぎりぎり生きてる」
「二人とも血だらけよ! ぜんぜん大丈夫じゃないわ……」
 朧火はワゴンカーの後部座席に最上を押し込む。八人乗りのワゴンカーで後部の座席は二列になっていた。真ん中に最上は寝かされる。西天と朧火が一番後ろの列に座る。
「犬尾、車を出してくれ」
 運転席に、もう一人、最上の知らない男が座っていた。サングラスに黒いスーツと朧火と同じ夜の闇に紛れ込むような服装だ。けれど纏う雰囲気は朧火よりも圧倒的に堅苦しく、大統領のガードマンのようだった。そんな彼だが、ここにいるということは、とりあえず協力者なのだろう。
「心、最上にあれを」
 ワゴンカーが出ると、西天が最上の口元に茶焦げた物体をつまんで持ってくる。
「なに……これ?」
「赤ん坊のへその尾よ。少しだけ力が戻るわ」
 人間の体の中で唯一不要になる部分。よく考えたものだ。人間の肉というのは、人を傷つけなければ得られないが、これは例外だ。
「力が戻ったら、寿命縮むかな」
「大人しくしておけば、影響ないレベルだ。俺の遺伝子を元にしてるから、実は最上にはまだ不老の可能性がある。が、不老でない可能性の方が高いけどな。どちらにせよ、力が戻ったからって無茶はするなよ。人類二番目に勝てるほど力が戻るわけじゃない」
「わかってるよ。……僕が不老不死なら化物プロジェクトは完成するわけだ」
「まぁな」
 最上はへその尾を薬でも飲むかのように飲み込む。体に取りこんだ瞬間、胃の中でそれが溶けて全身の血管に染みわたっていくのがわかる。腹に空いた穴がふさがるのを、折れた手足の骨がくっついていく様子をイメージする。
 全盛期とは比べものにならないくらい遅いが、確実に治っていくのがわかる。十分もすれば完治するだろう。
「これで最上の問題は解決だ。……で、次はソフィアちゃんだ」
 朧火は自分のぐちゃぐちゃになった右手を西天から隠しながら言った。相当痛むはずなのだが、朧火はそれを欠片も感じさせない。
「虚構科学研究所の本部にさらわれたと見ていいと思うわ。新神ちゃんがそこに向かったって情報が入ってるの」
「りょーかい。ありがとう、心。交渉には俺が行く。虚構科学研究所の本部の一キロ半径内のどこでもいいから、車を止めてくれ」
「待ってよ朧火。今の虚構科学研究所が話を聞くとは思えない」
「かもな。けど安心しろ。勝算はある」
 へらへらと笑う朧火がいう勝算を最上は探る。
 実は交渉ではなくて、忍び込んで、ソフィアを連れ出す気だろうか?
 いや、それはない。
 忍び込んで不意を突くにしろ、今の虚構科学研究所には人類二番目がいるし、他の戦闘員だって待機しているだろう。自衛隊を二、三部隊突っ込んだって勝てない。人類二番目がいる以上、国家同士が戦う時に用意するくらいの戦力がいる。そんなところに単体で乗り込んで、戦うなんてもっての外だし、忍び込むのですら自殺しに行くのと同じだ。
 なら、朧火の言う通りやはり交渉するとして、虚構科学研究所が話を聞くような用件はあるか?
 最上は考える。
 そのうちに、虚構科学研究所の本部付近にまでやってきた。東京ターミナルの近くの路上で停車した。
「心、無駄かもしれないが、虚構科学研究所との間を取り持ってくれた組織に連絡を取ってくれ」
 西天も朧火を何度も止めたが、結局朧火が西天を言いくるめて彼は車から降りた。
「最上、ちょっと来い」
「……なに?」
 すでに全身の再生をほとんど終えかけていた最上は、朧火について外に出る。
 電灯がピカピカと辺りを昼のように照らしているのに、道路と歩道にはまるで人通りがない。夜空を穿つように建っているビル群には灯りが灯っておらずそこにもすでに人はいないのだろう。
 昼の人通りが陽炎であったかのように、東京は静けさに満ちていた。
「まず、言っておくことがある。俺は、お前らが見たっていう資料が伊吹荘にあるってのを知らなかった。あんな報告書を送ってくるようなところはない」
「……ほんとに?」
 最上はおかしいことに気づく。たしか、ソフィアは自分の部屋を掃除しているときに見つけたと言っていた。
 過去を隠したがっていた朧火が、勘違いするような資料をソフィアが見つけてしまう可能性があるところに残しておくはずがない。誰かがわざと置いたということになる。
「意図的に、僕とソフィアをファミリーから引き離そうとした人がいるってこと?」
 しかも、それは虚構科学研究所の人間ではない。いや、繋がりを持っている人物なのだろうが、少なくとも最上はそれを知らない。しかも、伊吹荘を自由に出入りできる人物だ。
「そうだ。そして、誰が置いたのかは俺にはわかってる。ただ、心には絶対に言うなよ。あの資料を置いたのは、間違いなく賢治だ」
 最上の知らない第三者の名があげられると思っていたが、その予想は大きく外れた。
 西天賢治。西天心の父親であり、防衛大臣。
「はぁ!? なんで賢治さんが西天さんの作った組織に攻撃するような真似をするの?」
「別に不思議なことじゃない。最上が国道一号線で虚構科学研究所と戦うはめになったことがニュースになったことがあるな。あれが国外で問題になっているのは知ってるか?」
「知ってる。オリンピック開幕直前で、日本の安全性を問われたんだよね」
 秋月と一緒に西天賢治の記者会見に向かった時に、外国の人々から不安の声が上がっていると聞いた。
「これは一般にはテロ組織による爆破だということになってるが……もちろんこれは賢治が無理やり捻じ曲げた真実だ。銃弾や砲弾の跡が残っていたのに、爆破事件で片付けられるってのは圧力がかかったわけだ」
 これも賢治が虚構科学研究所と関係を持っている裏付けになる。虚構科学研究所の行いを事件としてもみ消したのだ。
「その事件の原因を晒せってことで、最上とソフィアちゃんを捕まえる必要が出てきたんだ。テロ組織なんかではなく、全ての元凶がこの二人だと公表し、国内の安全は確保された、と世界に伝えるために」
「てことは……僕達は今、虚構科学研究所の研究のために狙われてたわけじゃないの?」
「そうだ。今仕掛けてきてるのは政府だな」
「でも、追ってきているのは虚構科学研究所のやつら……もしかして政府と虚構科学研究所を繋げているのが……?」
「あぁ、賢治だ」
 朧火の言葉に、最上は目をパチパチとしばたたかせる。
「けど、おかしいでしょ。ファミリーと虚構科学研究所って敵対関係にあるんでしょ? その虚構科学研究所とかかわりを持っている賢治さんも敵だよね。なのに、敵同士の朧火と賢治さんは仲良くしてた。伊吹荘に来ることも看過してたし」
 朧火と賢治の仲の良さは、最上も見た。昔ながらの親友で、子供っぽさすら表に出して笑いあえるくらいの特別な仲であるように見えた。
「公の場では敵ってだけだ。私的な場では俺と賢治は間違いなく親友だな」
 人間は、そこまで公私を割り切れる物なのだろうか。最上にはできる気がしない。
 けれど、朧火と賢治は出来てしまうかもしれない。心の片隅で、最上はそう思っていた。
 片方は百以上の年齢を重ねた朧火。もう片方は公の場では『鋼鉄』の異名を持った政治家西天賢治。
 朧火のふざけた面の分厚い仮面を、公の場での西天賢治の冷たさを、最上は両方知っている。
「西天さんは、賢治さんが虚構科学研究所とつながりを持ってることをしらないの?」
「そうだな。賢治も黙ってるし、俺も言う気はない。心はまだ若すぎるから、賢治が敵対関係の組織にコネを持ってるって知ったら、絶対に居心地悪さを感じる。俺も賢治も、それは嫌なんだよ。俺と賢治は心が大好きだから、何も知らないままでいて欲しいんだ」
 朧火と賢治の関係を知れば、西天は気に病むだろう。二人のように割り切って人間関係を築ける人間は天然記念物並みにレアだ。
「前の学校襲撃で、虚構科学研究所は西天さんを殺そうとしていたよね。賢治さんはなにも思わなかったの?」
「そりゃ思うさ。が、政治家としての賢治なら、必要とあらば、たとえ、最愛の娘であっても殺されるのすら看過する。それが賢治だ」
「ほんと、頭が痛くなるよ」
 人間と組織と思案が、絡まった何本もの電気コードのようになっていた。
 けれど、納得できる部分もあった。伊吹壮を自由に出入りできる西天賢治なら、確かに最上達の自室に気づかれずあの資料を仕込める。
「うっし、話は終わりだ。最後に、これを渡しとく。もし俺がいなくなったときには上手く使え。朧火が『灰になった』って言えば、メモ帳に書いてあるやつらは力を貸してくれる」
 黒い厚紙の表紙の片手サイズのメモ帳。その中を見てみると、人の名前と電話番号、それと詳細がずらっと並んでいた。朧火の人脈なのだろう。
 朧火が虚構科学研究所から戻ってくる気がない。けれど、ソフィアは取り返す気でいる。最上は朧火の考えを看破した。
「やめなよ、朧火。自分自身を交渉の道具に使うなんて」
 朧火は露骨に顔をしかめた。
 化物プロジェクトの不老性のベースとなる朧火。そんな彼が虚構科学研究所に捕まることなく東京の地を悠々と歩けているのは、朧火がすでに必要ないからではなく、捕らえられないからではないか。戦闘力こそ、朧火は並みの人間に毛が生えた程度だけど、人間関係はどこまでも複雑で入り組んでいる。
 最上は知った。権力とか、肩書とか、マスコミとか、そういう綺麗とは言いがたい力が世の中で幅を利かせているのを。最上にはどうやっているかはわからないけれど、朧火もきっとそういう力を利用して、上手く虚構科学研究所の魔の手から逃れているのだ。
「意外だな。俺がいなくなっても、ソフィアちゃんが助かるなら、止めないと思ってたが」
 きっと一か月前の自分なら、ソフィアが助かるなら喜んで朧火を死地に向けていたと思う。否定しない。
「朧火がいなくなったら、ソフィアが悲しむ。それだけだよ」
「けど、俺は責任を取らないといけない。ソフィアちゃんがさらわれたのは俺のせいだからな。このままソフィアちゃんが戻ってこない方が嫌だろう?」
 それはそうだ。
「お前が力を取り戻して、ソフィアちゃんを取り返すって方法はあるが、それはだめだ。寿命を縮める。お前には大往生してもらわんと困るからな。それ以外に方法はないんだろう? だったら俺に任せとけ。なに、百年もしないうちに虚構科学研究所も役目を終えて俺も自由になれるって」
 最上が人類最強に戻り、ソフィアを取り戻す。結局、これがソフィアと朧火が二人とも残って、誰も悲しまずにすむ方法なのだ。
 最上がこの世を早く去る可能性が高くなる。
(何か方法はないの……?)
 ソフィアは誰よりも大切な存在で、朧火もファミリーにとって、家族にとっていなくてはならない存在だ。
 消えた電光掲示板が最上の視界に入る。
(――一つだけ、あるかも)
 最上は朧火の目を見て伝える。
「ソフィアは僕が取り戻す。朧火は行かなくていい」
「だからお前が寿命を縮める必要は――」
「違う」
 最上は自分の考えを朧火に伝えた。
「……確かにそれなら可能性はあるが、いいのか?」
「僕のことは別にいい。けど、これをやるとまず間違いなく、西天さんが賢治さんと虚構科学研究所の関係を知る」
「……隠し通すのにも限界がある、か。構わん。心のことは俺に任せろ。好きにやれ」
「そうと決まったら、ほら、女を泣かすのは悪いことじゃないの?」
 カーウィンドウに泣き顔の西天がべったり張り付いて最上達を見ていた。
「あー心、俺の作戦は中止だ! 泣かない泣かない!」
 ワゴンカーのドアを開けて子供をあやすような調子で朧火は西天を慰める。
「ぐす……もう、帰ってこない気だったわね朧火くん!」
「ないないない! ばりばり帰ってくるつもりだって!」
 ほんと、嘘つきな男だ。と呆れながら最上もワゴンカーに戻る。
「運転手さん、青空テレビ局にお願い」と最上はやくざばりの運転手に頼む。
 アイコンタクトで朧火が運転手に出発してもいいとサインを出す。
 最上がやろうとしていることは単純。
 『鋼鉄』の異名を持つ西天賢治を人の数の力を使って叩き潰す。それだけだ。
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