異形家族 ~不死の到達点に達した少年には、妹以外の家族なんていらない~

月詠 夜空

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第14話:異形の兄妹、家出する

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 徹夜で仕事を片付けて、朝になって最上はようやく伊吹荘へ帰れることになった。夕方に集合がかかっているので、寝て起きたらすぐに青空テレビ局に向かわなくてはならない。
 伊吹荘の玄関をくぐると、うっすらみそと醤油の香りが漂っているのに気づいた。最上は厨房に向かう。すると案の定、西天が大きな鍋でみんなの朝食を作っていた。
「あら、おかえりなさい」
 ただいまを言って、最上は湯気を立てている二つの鍋を覗いた。片方は味噌汁だ。
「珍しいね、おかゆ……?」
「そうなのよ。どうもソフィアちゃんが昨日から調子悪いみたいでね」
 まったく意図しなかった西天の返答に、最上は眉をひそめた。
「――血の不足とかじゃないよね?」
「違うわ。風邪じゃないかしら」
「ソフィアは自室にいるんだよね?」
「そうよ、寝てるわ」
 居ても立っても居られなくなって、最上は厨房を飛び出して自室に向かう。ドアノブを引くと、強い抵抗が返ってきた。鍵が閉まっている。二人で共用のこの部屋でカギを閉めるのは、最上とソフィアが二人とも部屋にいる時だけで、それ以外は開けっ放しだ。それが今日は閉まっていた。
「ソフィア、ソフィア!」
 風邪だとわかっていても、最上はドアを叩かずにはいられなかった。
「……かなた?」
 少しして鍵が開いた。パジャマ姿のソフィアは、夏に使うにしては厚い毛布を頭から被っていて表情がわからない。くるりと最上に背を向けると、ソフィアはずるずると毛布を引きずって自分のベッドに戻っていく。
「だ、大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ。ただの風邪。寝てれば治るよ」
 と、言って毛布で全身をくるみ、芋虫みたいになってベッドで寝転がってしまった。
「本当にただの風邪?」
「本当だよ。それよりさ、鍵、閉めといてね」
「わ、わかった」
 いつもの元気がまるでなく、異様にそっけなかった。最上に背を向けて寝転がるソフィアに、声をかけるのに躊躇してしまう。
「ソフィアが風邪なんて珍しいね。弱ってる時ですらかからなかったのに」
「うん」
「西天さんがおかゆ作ってたし、持ってこようか?」
「……いらない。食欲ない」
「血は?」
 間があった。
「……かなたの飲ませて」
「ぼ、僕の?」
「うん」
「なんで?」
「聞かないで」
「わ、わかった。別にいいけど」
 最上がベッドのへりに座ると、ソフィアが顔を上げた。
 目の下に薄いクマができているのを最上は見つけてしまった。
(風邪なのに、寝てない? 本当になにがあったの?)
 のろのろと起き上がり、ソフィアが甘い香りと共に最上によりかかってくる。
「かなたちょっと汗臭い」
「仕事帰りなんだよ、僕は」
「でも、安心するにおい。食べ物を持って帰って来てくれたとき、いっつもこんな感じだった」
 細い腕が妖しく最上の体に絡みついてくる。ソフィアの口は最上の首筋へ。熱っぽい吐息に最上の心臓が速く脈打つ。
 ソフィアが最上の首筋をぐにぐにと甘噛みした。
「あは、かなたの首筋ばくばくしてる。緊張してるんだ」
「さっさと飲めよ」
 ソフィアのおしゃべりが少しだけ戻ってきたみたいだ。
「んっ」
 じくっとした痛みがした。ベースが吸血鬼なのだが血を飲むのが下手だ。歯で肉に穴を開け、吸うのではなく出てきた血をベロで舐めとっている。くすぐったいけれど、ちょっと気持ちいい。
「ちょっと……しょっぱい、汗の味がまざってるよ……けど、おいしい……」
「いちいち言わなくてもいいよ」
「かなたがボクの肉を食べてさ、ボクがかなたの血を吸う。これだったら誰の手助けがなくても生活できるかな」
「バカなこと言うなよ。僕がソフィアの肉を食えるわけがないだろう」
「かなたになら、食べられてもいいんだけどな」
 最上は頭をなでるふりをして、ソフィアの体温を確かめてみる。
(正直、熱があるとは思えないな)
 自分の体温が上がっているのを加味しても、ソフィアの体温は風邪をひいて熱を出しているほど高くない。
「ソフィア、なにか隠し事してない?」
「……してない」
 そう言われれば、それまでだった。追及はできない。
 ソフィアに血を与え終えてから、最上は一度部屋を出て、風呂や歯磨きなどの寝支度をする。そのついでに西天に今のソフィアの状態を話しておく。部屋に戻ると、ソフィアは寝息をたてて眠っていた。
(やっぱり寝てなかったんだ)
 ソフィアが嘘をつく理由を考えていると、最上もだんだん眠くなってきて夢へと落ちていった。
 やがてカーテンの隙間から差し込んできた夕日で最上は起きたが、ソフィアはまだ眠っていた。
 また青空テレビ局に行かなくてはならない。
 ソフィアを起こすか迷った。
 明らかにソフィアは悩みを抱えている。今まで自分で解決できないことがあれば、最上を頼ってきた彼女だけど、それをしてこない。
(自分で解決できるレベルの悩み……なのかな)
 学校の友人関係に悩むとか、そういう可愛い問題であればいいと最上は思う。
 悩んだ末、やはり放っておけなかった最上はソフィアを起こすことにした。
「ソフィア、ごめん、ちょっと起きて」
「うぅん……?」
 ソフィアは寝相が悪い方で、パジャマの第一ボタンが外れて右肩が露わになっている。目のやりどころに困り、壁の方に目をやりながら最上は言った。
「もうすぐまたテレビ局に行かないといけないんだけど、風邪は大丈夫?」
 あくまでソフィアの嘘に付き合うことにした。その上で、ソフィアを一人にしていいかどうか判断する。
「かなた、忙しいもんね。うん、ボクは大丈夫……だよ」
「一人にしてもいい?」
 間があった。
「……うん」
 悩みの種を言う様子がない。
 ファミリーの面子から距離を置いているのは、朝のソフィアの様子から最上にもわかった。これは一つの推測材料になり得るだろう。
 わずかに考えたが、ソフィアの嘘に付き合いながら気遣うなんて器用なことができないのを悟り、「ソフィアは話したくないようだけど……」と切り出す。
「もし、話してもいいと思ったか、何かあるようだったら青空テレビ局に来て。僕がいるから。どんなに忙しくても、ソフィアの話は聞くから」
「……かなた」
「なに?」
「ついて行ってもいい? 仕事の邪魔しないからさ」
 最上に風邪が嘘であるのがばれているのは、ソフィアは承知のようだった。
「いいよ、別に」
 局内は基本的に一般公開されているから、見学の体でいけば別に問題ない。
「なら、まだ早いけどさっさと準備して出発しようか。ちょっとくらいなら見学に付き合える」
「うん!」
 やはり風邪は嘘で、ソフィアはベッドから元気よく飛び出し準備を始める。その中に着替えが含まれるため、気を利かせて最上は廊下に出ておく。すぐに彼女の外出用の服装と言ってもいいゴシックロリータを着て出てきた。学校に行きはじめて常識が身に着くと思ったけれど、趣味嗜好はまるで変わらないみたいだ。
 西天や朧火に見つかったら言い訳するのがめんどうくさいので、食堂のテーブルに書き置きで出かける旨を伝える。これはソフィアがファミリーの人間を避けていることへの気遣いでもあった。
 外に出ると、「家出って、こんな感じなのかな」と、ソフィアがつぶやく。
「なに言ってるの。どうせすぐ戻るでしょ」
「あ、うん。ごめんね。変なこと言って」
 やはり妙だった。
 電車を乗り継ぎ、東京をまたぐようにして東京湾のすぐ近くに建つテレビ局にたどり着いた。赤く染まった海には白波がたち、奥の方に目をやればビルの灰色がかすんで見える。
「噂通りいい景色だね!」
 伊吹荘が遠のくにつれて、ソフィアがいつものテンションに戻るのがわかった。伸びてきた白い髪を海風に揺らしながら近くにあった桟橋の先まで駆けていく。
「あんまり時間使ってると、テレビ局内を一人で回るはめになるよ」
「あと二分!」
 桟橋の根元の方で、潮風のしょっぱいにおいを吸い込んで待っていると、後ろから肩を叩かれた。
「お早い出勤だな。関心関心」
 振り返るとそこにいたのは巨大な二つの肉の塊の持ち主、秋月だった。いつも通りのよれた服装に、たばこを口にくわえていた。
「おはようございます」
「ん、おはよう。しかし……おおぅ、これは良い絵だな。坊やが見とれるのもわかるぜ」
 桟橋の先にいるソフィアを見て、秋月はタブレット端末を取り出しかしゃりかしゃりと数枚の写真を撮る。
「なに勝手に撮ってるんですか」
「ん、まぁいいだろ。本人にばれなければ」
「僕がばらしますよ」
「おん? 知り合いか?」
「あの子がソフィアですよ」
「あーなるほど。雪みたいな髪の色、夕日のような目の色……確かにDマンらしい。変わってるぜ」
 たばこをふかせながら秋月は一人うんうんと頷く。
「で、坊や。なんで彼女さんをここに連れてきたんだ? 可愛いあの子を自慢するためか?」
「僕はソフィアの彼氏でも、自慢するために連れてきたわけでもありませんよ。いろいろ勘違いしすぎです。実際のとこ、ソフィアがここに来たいって言った本当の理由は、僕もまだ知らないんです」
「ふぅん」と秋月は形だけの相槌を打つ。
 秋月と話していると、ソフィアが戻ってきた。
「あっ、あっ……」
 秋月を見て、ソフィアが固まる。
「秋月プロデューサー!?」
「だぜ」
 ソフィアが秋月のファンであるのは、本人も知っていたので過剰な反応にも驚かなかった。
「裏方の人間である私のファンなんて変わってるねぇ、ソフィアちゃんも」
「いえっ、そんなことないですよ! いっつも見てます!」
 動画中毒であるソフィアは、ほっぺたを紅潮させて興奮している。最上にはミーハーの気持ちはよくわからないのだけど、ソフィアが元気になるならそれでいい。
「ふっ、ありがたいぜ。だが、今はプロデューサーとしてじゃなくて坊やの彼女として見てくれ」
「だから秋月さん、朧火の時と言いなんで誤解を招くようなこと言うんですか! ソフィア、真に受けない! 泣くな! 嘘だよ嘘! 大嘘!」
「いやなに、仲のいい男女を見るとついつい間に入っていじめたくなるんだぜ」
「最低な人ですね!」
 最上は秋月が上司であるのを忘れて叫ぶ。
「褒めるな褒めるな。それより坊や、ここに早く来たってのは、仕事がはじまる前に局内を見学するためだろう? 早くした方がいいぜ。私は時間にシビアだ」
「遅刻魔がよく言いますね……。ほら、ソフィア、行こう」
「う、うん」
 ぺこりと秋月に一礼して、ソフィアは最上についてきた。最上はもうすっかり見慣れてしまった局内だが、ソフィアにとっては目新しいらしくきょろきょろとせわしなく辺りを見渡す。
 ソフィアは動画についてはやたら詳しいけれど、現物を見る機会に乏しかった。動画で見られるのはあくまで人が切り取った部分であり、映らない部分はどう頑張っても見えない。
「かなたは本当にここで働いてるんだね。秋月さんとも知り合いだったし」
「まぁ、こき使われる立場だけどね」
 秋月以外の職場の顔見知りも、何人かできはじめた。とはいっても会えば挨拶をかわす程度の間柄だが。
 普段から局内を歩きまわっているので、どこに何があるか最上は把握していた。ソフィアが喜びそうなところをチョイスして案内する。収録するところを見せてはわーきゃー言って、案内のしがいがある打てば響くような反応をしてくれた。
 あっという間に仕事の時間がやってくる。
「そろそろ僕は仕事に行かないといけないんだけど、ソフィアはどうする? もう少し見学してから帰る?」
「……かなたの仕事が終わるまでここにいたらダメかな」
「朝までいるってのは、さすがにまずいかな」
 バイトの身分である最上に、テレビ局に無関係の人を一晩置いていいかなんて図々しいお願いを通す力はない。
「見学できる時間が終わったら帰った方がいいよ」
「……」
 ソフィアは急に押し黙って、泣きそうなくらい瞳をうるませた。
「ボクね、なにが正しくて、なにが間違ってるのか、わからないんだ」
 そして唐突にこう切り出した。
「ボクは、お母さんやお父さん、ファミリーのみんなが大好きだよ。けど……見つけちゃったんだ。そのせいで、ボク……なにが正しいかわからなくなって……」
 ソフィアの悩みの種。悩みぬいた末にそれを明かそうとしているのがわかった。
「かなた、これを見て。部屋を掃除してたら出てきたんだ……」
 彼女は一枚のコピー用紙を、持ってきていた黒いポーチから取り出した。最上はそれに目を通す。

 報告書:『化物プロジェクト』について。
 化物プロジェクトは、現在も朧火を中心として進行中。
 同プロジェクトの当面の目標であった不死性は、最上彼方をもって完成とする。
 これにて、プロジェクトは次の段階に移る。
 不死性と不老性の融合である。
 注意事項:最上彼方は、人間の肉を摂取せず弱体化している模様。
 2020年7月2日

「これは――」
 混乱する頭を整理するために、大きく息を吸って吐く。
 朧火が化物プロジェクトの中心にいる?
 ファミリーは虚構科学研究所と対立する組織なのではないか?
 沸点に達した水が気泡を吐き出すように、次々と疑問が浮かんでくる。
 そのすべては、一つの質問をするだけで解決する。
 お前たちは、実は虚構科学研究所の人間なのか? と、朧火に聞けばいいのだ。
 だが、聞けるはずがない。嘘偽りなく「違う」と言ってくれれば、それが一番いい。けれど、この資料が事実であった場合、敵にみすみす隙を晒すようなものだ。ソフィアもそれがわかっていたので、誰にも言えず、最上にすら心配をかけたくないと思い黙っていたのだろう。
(僕を弱体化させたのは、寿命云々なんて建前で、管理しやすくするためじゃないか?)
 ソフィアの疑念が最上に伝染する。
 考え、見極めなくてはいけない。
 朧火が、西天が、ファミリーが、最上達の敵であるかどうか。
 それまでいかにソフィアを守るか。いや、それだけではない。最上も今はずいぶん力を失っている。戦っていないからどの程度衰えたかは判断できないが、相当弱っているに違いない。今朝、ソフィアに血を与えた時も、ソフィアの歯で体に穴が空けられるほど弱っていた。銃弾を受ければ、今の最上は簡単に死ぬだろう。ソフィアだけでなく、自分の身も守らないといけない。
 少なくとも、まだ朧火たちは、ソフィアが情報を掴んだことに気づいてないだろう。ならばまだ様子を見るべきだ。情報を集め、見極める。
 伊吹荘にソフィアだけを帰らせるのは、今となってはさすがに抵抗があった。
「秋月さんに、ソフィアがここにいられるように頼んでみる。今日は帰らないってことにして、僕は秋月さんから朧火たちに関する情報を聞き出すよ。ソフィアは朧火と西天さんとメールでもして、さりげなく探りを入れて欲しい。探ってることがばれたら、すぐにここを引く」
 対策を組み立てた最上は、さっそく秋月にソフィアが居残れるようにお願いをする。『ソフィアの写真を数枚取らせろ』という条件を出してきたが、秋月は案外すんなりと首を縦に振ってくれた。とりあえず、これで今晩のソフィアの居場所を確保した。
 最上はソフィアと分かれ、秋月と仕事をはじめる。
 ほぼ秋月専用と化している編集室が、二人の仕事場であることが多かった。編集用の機器はあまり使われることがなく、資料を置くための机になっていた。壁には液晶がいくつも並んでおり、他のテレビ局の番組を垂れ流しにしている。音声も流れており、最上は気が散るのだけど、秋月はそうではないらしい。黙々と資料を読み込んでいる。
 前に『見ないなら消しましょうよ』と、最上が以前言ったことがある。だが、秋月はちゃんと内容を聞いて情報を仕入れているのだと言い張った。
 オリンピックの資料をピックアップする作業の合間で、手を動かしながら最上は秋月に尋ねた。
「そういえば、秋月さん」
「なんだ?」
「ファミリーって、秋月さんから見たらどんな組織ですか?」
 根本的な疑問。最上はファミリーに入ったばかりのころ、やましい部分がないか調べまわった。その時見つけられなかったけれど、秋月の物に対する調査の徹底ぶりを知った今では、調べが足りなかったように思える。
「んー、正直私でもよくわからんぜ。捨てられたDマンの保護をしてる組織だってのが表面だな。私は裏側を見るのが好きだから、一度、Dマン保護組織に隠された裏側! みたいな番組組めないかって思って、ファミリーの裏側を嗅ぎまわってみたんだが、全部朧火で行き詰る」
「ファミリーを調べて、朧火で行き詰る?」
「そうだねぇ。西天については裏表全て調べがつくんだが、西天の持つ裏は、表面同様ネタにもならない綺麗で真っ白な情報ばかりでつまらないぜ」
 話していながらも、秋月の眼球は絶え間なく資料の上を走る。
「ただな、あそこの組織は何か隠し事をしてるのは間違いないんだ。組織というか、朧火か。気になる点もあるしな」
「なんです、それは?」
「金の話だぜ。いやな、ファミリーってのは今でこそ知名度ある組織だが、はじめは当然無名だったわけだ。西天と朧火が立ち上げた組織で、最初から伊吹荘やら、都内にある私立学校やらを買い揃えてしまったらしいぜ。都市部の学校を買うのにはめまいがするくらいの金を払わないといけない」
「賢治さんの力を借りたんですかね?」
「もちろん私も調べたさ。けど、西天は極力父親の手は借りないようにしてるんだよねぇ。父親からお金を引っ張ってきた形跡はないし、なんらかのコネを使った形跡もない」
「つまり、朧火が全部出したと?」
「その通り。かといって、朧火がその時期、なんらかの資産を持っていた形跡がない。そもそも朧火には籍が存在しないんだ」
 お手上げだと言わんばかりに秋月は肩をすくめる。
 西天がいつか朧火には名前がないという話をしていたのを思い出す。日本においてこれはあり得ない。
「しかし今日の坊やはやけにおしゃべりだねぇ。なにかあったのか?」
 ぎょろりと秋月の眼球の視線が資料から最上へと移った。秋月は勘が鋭い。ここらが引き時だ。
「別になにもありませんよ」
「ふぅん……」
 秋月は面白そうな物を見るような目つきをしている。最上は自身が失敗したこと気づく。遅かった。踏み込みすぎた。
「今日に限っておしゃべりで、ファミリーや朧火のことを気にしている。さらにソフィアちゃんを連れてきたねぇ。さすがに見えてくる物があるぜ」
 紙吹雪のように資料が舞う。最上の体は勝手に動いていた。右手が秋月の首を掴み、握りつぶそうとする。危ういところで最上は自制した。
「ファミリーに信頼を置けない状況に陥った、くらいは推測できるぜ」
 絞首台の縄を首にかけられているのと変わらない状況なのに、まるで動揺を見せずに秋月は言う。
「なにがあったかはさすがにわからないが、安心しな坊や。私は坊やの家出をわざわざ朧火にちくることもしないぜ。むしろ私を今みたいに情報源として使っときなって」
「……何を考えてるの?」
「私は面白そうな物を作るのと同じくらい、見るのが好きなだけだぜ。坊やの家出は、なかなか見ごたえがありそうだからな」
 信用していいのだろうか。けれど、彼女の協力を得られれば強力な武器になるのも確かだ。伊吹荘を空ける理由を作れるし、ファミリーについての調査も、うんとしやすくなる。
 ここで秋月を殺さなかった場合の最悪のケースは、ファミリーが虚構科学研究所に通じていて、さらに秋月が最上を裏切って朧火に報告した場合だ。
(……ここで秋月さん殺したら、ファミリーが何の裏もない組織だったとき、帰れないよね)
 最上は自分の思考に驚いた。
 最上達がファミリーを勘ぐっているという情報が、朧火や西天に流れるのを防ぐには、秋月を殺した方が確実だろう。ファミリーに入って間もない頃の最上なら、秋月を殺す選択肢を迷わず選んでいた。けれど、今はファミリーへ帰れることに、保険をかけたがっている自分がいる。
「わかったよ。僕も秋月さんが傍観者でいてくれるっていうのならありがたい」
「よし、じゃあさっさと仕事に戻るぞ」
 何事もなかったかのように、秋月は仕事を再開する。それはそれで居心地が悪かった。
「ところで最上、ファミリーで何があったかは聞かないが、仕事が終わったら帰る気か?」
「いや、帰りませんよ」
「どうする気だい?」
「……隠れ家を使います」
 隠れ家と言うだけなら、もし裏切られた場合も問題ないと最上は判断する。
「あー前はゲームセンターの下に隠れてたんだっけな」
 その通りだ。朧火が秋月に話したのだろう。けれど、今回最上が言った『隠れ家』はそちらではない。
「ゲームセンターの下の居住施設なんて、そんなの、誰が用意したんだ?」
 日ノ出キキ。ファミリーとかかわりを持たない頃、最上の唯一の支援者だった。素性は一切わからないが、堅気の人間ではない。最上は一度、その人から『とても簡単な荷物運び』を頼まれた。六十キロを超える荷物が入ったカバンを背負って、富士山の頂上付近に捨ててきてくれ。というものだ。
(中身は見ていないけど、あれはたぶん人間の死体だったかな)
 依頼の最初から最後まで、手紙や代理人を通してやりとりをしたため、日ノ出キキには会ったことはない。けれど、その依頼のおかげで、最上は複数の隠れ家を手に入れた。
「なに、言いたくないなら言わなくていい」
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