夢で逢えたら

ねこセンサー

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天空へと還る想い

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 ツヴァイク山は、一年を通して、悪天候に見舞われることが多い山だ。それゆえ、合間に訪れる晴天のときの美しさは、弁舌に尽くしがたいと評される。悪天候ゆえに生き物を寄せ付けず、そしてその合間に垣間見える神秘的な風景が、神の宿る山と言わしめた理由の一つであった。
 
 そんなツヴァイク山から、粛々と下りてくる一団がある。彼らは皆一様に青い外套に身を包み、一つの棺を護りながら下山してきた。
 
 ふもとの集落では、沢山の飛翼族が待ち構えていた。
 
 皆、一様に青い服に身を包み、頭をたれて棺の一団を迎え入れる。皆、一様に白い花一輪を手にしていた。
 
 空を駆け、風を友とする彼らにとって、空を表す青は最上級の色。そして、空に浮かぶ雲を表す白を組み合わせるのは、最上級の思慕、尊敬の念を表す喪の色だった―ー
 
 
 ------------------------------------------------------------
 
 『雛の守護者』が、逝った。
 
 ゆっくりと、両手に掴んだ砂が滑り落ちていくように。彼女は少しずつ、その命の炎を消していった。
 
 眠りが浅かったはずなのに、少しずつ眠る時間が増えて行き。起きていても、記憶の混濁が見られるようになり。
 
 寒冷な気候ゆえ、雛達のためにと欠かさなかった編み物。指が震えて動かなくなり。
 
 毎日、少しずつでも聖堂内を歩き回り、皆に声をかけていたのに、起き上がることが出来なくなり。
 
 最後は、ゆっくりと眠るように、雛達に囲まれて逝った。
 
 彼女の両手は、エトナとミダルが彼女の寝台を挟んで向き合って握り締め、彼女の枕元には、彼女が最期まで気に掛けていた、桃色の卵、『桃ちゃん』から孵ったばかりのまだ目の開かない雛がすがり付いていた。
 
 「『桃ちゃん』…賢い子だね」
 
 エトナは泣き腫らして真っ赤になった目を細め、目が見えなくてもおくるみから脱走してミリアばあさまの頬にすがり付こうとする桃ちゃんをしっかりと抱きしめなおしながら、向かいでミリアばあ様の亡骸にすがりついたまま無言で涙を流すミダルに声をかけた。
 
 「…ああ」
 
 ミダルは無愛想な青年だった。感情の起伏がわかりにくい鉄面皮だったが、聖堂内で一番、ミリアばあ様を崇拝していた飛翼族だろうとエトナは思っている。聖堂にいる飛翼族は、殆どがミリアの手によって生を受けた雛達だ。だからこそ、彼らの忠誠心は恐ろしいほどであった。
 
 「…連絡、しなくちゃね」
 
 「…ああ」
 
 ミダルは、未だにミリアの亡骸から視線を動かそうとはしていなかった。必死に、今現実を受け入れようとしているのだろうとエトナは思った。
 
 「ミリアばあさまは、やはり天空の神に愛された方だったね」
 
 そう呟いて、エトナはばあ様の自室の窓から、美しく晴れ上がったツヴァイクの景色を眺めた。
 
 ミリアが天に召された日。ツヴァイク山はこの時期にしては珍しく晴れ上がり、差し込む日の光が天上からの階のようであった。
 
 「…ばあさま、ありがとうございました」
 
 エトナは、天空の神と、今空を自由に駆けているであろうミリアに向けて祈った。
 
 (クリストファー様、ミリアばあさまをお願いいたします)
 
 
 ミリアは、長らくこん睡状態にあったが、天に召される瞬間、うっすらと目を開け、穏やかに微笑んだ。
 
 そして、僅かに、言葉を紡ぎだしたのだ。か細い声で。
 
 
 
   「クリス」
 
 
 
 それだけだった。その声を聞いたのは、おそらく枕元にいたエトナとミダル、そして雛の桃ちゃんだけだろう。
 
 それだけだったが、エトナには十分だった。
 
 ミリアばあ様がこの地にやってきて数十年。それだけあれば、彼女がどんな人間で、どのようにして生きてきたかなんて、分かってしまっていた。
 
 ここよりはるか遠く、昔エルディア王国と呼ばれた国で、彼女がかつてミリアンヌと言う名のエセックス公爵家の令嬢だったこと。彼女には幼い頃からクリストファーと言う許婚がいたこと。何らかの事情があって婚約が解消されて、ミリアンヌは僅かな供と共に、この地まで流れてきたこと。彼女は最期まで、クリストファーだけを想い続けて生きたこと。
 
 …そして、クリストファーが先に逝き、今日、ようやく彼女はクリストファーに会えたこと。
 
 きっと、幸せな気持ちでここから旅立ったに違いない。だったら、彼女の子供であるエトナが嘆く必要はないのだと、エトナは思っていた。
 
 (やっと、好きな人に会えたのだもの。…笑って、見送らなければ)
 
 エトナは洟を啜って、思い切り両手で頬を打ちつけて、気合を入れた。
 
 「ふもとに連絡して。長に連絡を。ばあ様を、皆でお見送りしなければ」
 
 一族の大恩人の葬儀だ。一族を挙げて、周辺の部族にも知らせなければ。
 
 エトナはどうしても止まらない鼻水と涙を服の袖で拭きながら、聖堂内の者たちに指示を飛ばした。
 
 先程からばあ様に張り付いて動かなくなったミダルには、ばあ様の亡骸の番を頼んだ。
 
 こちらを見もしなかったが、僅かに首肯していたので、一応話は聞いていると判断した。
 
 
 ------------------------------------------------------------
 
 霊峰から『雛の守護者』が、自分の子らに囲まれながら降りてくる。
 
 ふもとの村の広場で、急ごしらえだが別れの場が設けられた。
 
 まず最初に、飛翼族の長が沈痛な表情を浮かべて白い花を棺の中で眠る彼女に捧げた。
 
 それを皮切りに、皆が白い花を彼女へと捧げていく。
 
 その中に、耳長族の女性の一団の姿があった。
 
 彼女は、飛翼族の慣習に倣い、青いゆったりとした衣に身を包み、男女の従者を従えて、白い花を棺の中の彼女に捧げた。
 
 
 「巫女様」
 
 別れの儀式が続く広場から少し離れたベンチのそばで従者とともに休んでいた彼女に、飛翼族の長が声をかけた。
 
 「長殿」
 
 巫女は立ち上がって、優雅に礼をした。弔意を長に告げ、彼は神妙に頷いてそれを受け取った。
 
 「…覚悟はしておりましたが…やはり、母が亡くなるのは辛いものです」
 
 長は、ぽつりと呟いた。
 
 褐色の肌に、漆黒の翼。現在の飛翼族の長は、一族の中でもかなり特異な外見だった。しかし、飛翼族において、空を飛ぶ力、その速さは何ものにも勝る権威だ。彼は天空を切り裂くように速く、長く飛ぶことが出来た。
 
 だからこそ、卵から生まれた未熟児でありながら、長の地位まで上り詰めた。『雛の守護者』の最初の子であり、一族の長。飛翼族の歴史の中でもひときわ素晴らしい飛翔能力を持つ逸材を生み出したミリアは、その功績で飛翼族の重要人物になったのだった。
 
 ミリアを慕い、長は彼女が過ごしやすいよう常に苦心していた。しかし、人族の寿命は彼女を天空へと連れ去って行った。
 
 
 「彼女は、よく貴方様の話しをされておりました。自慢の息子だ、私の誇りだ、よくそう仰っておられましたよ」
 
 リューティアは、そういって長に笑いかけた。知らぬうちに、眦に水分が滲み始めていた長は、それを聞いて苦笑した。
 
 「…あの人は…、もういい年なんだから止めてくださいと、あれだけ申し上げたのに」
 
 「いくつになっても、子供は可愛いそうですよ」
 
 「もう、妻もいて子もいる年だというのに…仕方のない人です」
 
 二人は声を殺して笑った。
 
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