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幸せですか
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過去の出来事に思いを馳せながら、リューティアは、目の前の簡素な墓を眺めた。
年に数回、来ればいいほうだった墓。ここにくれば、嫌でも愛情に飢えた幼年時代を思い出してしまうから。
(…それでも、お母様にはもっとご挨拶するべきだったのかもしれないわ)
もともとリューティアは熱心な宗教家ではない。現在は『大樹の巫女』なんてご大層な肩書きを背負ってはいるが、これは結果論であって、個人的に大樹に憧憬や尊敬を抱いていたからこそ出来たことであった。会ったこともない神々には何の感情も抱いてはいない。声を大にして言うことはないが。
だからこそ、目の前の墓に眠る母が、今自分の訪問を喜んでいるに違いないだとか、きっと自分のことを覚えていてくれるんだとか、そういう感情は一切ない―ー、しかし、ここにくることで、自分の心の整理ができたのかもしれないと思い至る。
視界の隅で、嬉しそうに墓石や花壇の手入れをしている墓守の姿を映すにつけ、過去の自分の行いを思い起こす。
「…墓守さんは、ここでのお仕事はどう思われておられますか?」
いくら心で問いかけようとも、答えの返ることのない母の墓に向き合うのを一時中断して、リューティアは変わり果てた父に話しかけてみた。
娘と話していれば、もしかしたら、記憶が戻るのかもしれない。そんな奇跡は起こるまいとわかってはいたけれど、二度とここに来るつもりの無かった彼女は、最後の親孝行と思い父であった人の反応をうかがう。
使い古されたスコップで、花壇から零れ落ちる土を戻しながら、作業する手を止めずに墓守は答えた。
「好きですよ。…ここは、静かですし。植物は、手入れをすればきちんと応えてくれますし…お墓だって、綺麗に磨くと中で眠る方々が喜んでいるような、そんな気分になれますからね」
記憶の中の父だったら絶対にそう語ることはない、楽観的な意見を耳にしながら、リューティアは土や泥、埃にまみれた小さな背中を見つめた。
昔は、もっと大きかったように思う背中。…でも、記憶の中の頃よりも、現在の彼はとても幸せそうだった。優しく植木に触れ、かいがいしく世話を焼く姿。大きな執務机に向き合い、眉間に皺を寄せながらひたすら羽根ペンを動かしていたあの頃よりもずっと、父は朗らかな表情だった。
「…昔には、戻りたくはないのですか?」
その言葉を口にした後で、失言に気づくも、墓守は気にした風もなく笑いながら、花の伸びきった茎を鋏でぱちりと切った。
「…お嬢さんは、あっしの昔の姿をご存知なんですか。…たまにいらっしゃるんですよ、昔のあっしを知る方が」
こちらを振り向くこともなく、墓守は淡々と花壇の世話を続けている。鼻歌交じりに嬉しそうに作業するその姿に、仕事として励んでいるというよりも、趣味に近いものを感じて、彼女は口ごもる。
「…人から、聞いただけだけれど。今、幸せですか?」
彼女の問いに、墓守はぴたりとその動きを止めた。そうして、背中を向けたままゆっくりと立ち上がって、彼女を振り向いた。
「ええ。みんなよくしてくださるし、なんだか、ここにいると、…なんだろう、ほっとするんですよ」
傷だらけで、土や草、汗が張り付いて日焼けで黒ずんだ顔だった。しかし、リューティアには彼の表情が、輝いて見えた。昔見飽きるほど見ていたはずの父の顔。いつもそこそこ上質な衣装に身を包み、身だしなみに気を遣っていたあの頃よりも、今の父の表情はずっと、美しいと感じた。
墓場にいて安らぐなんて、妙な奴だって、あっしも思いますけどね、なんて太く、節くれだった指でぽりぽりと頬を掻く姿は、とても人間くさくて…リューティアは今、一番父の存在を近くに感じていた。
「たまに、こうして昔のあっしを知る人も訪ねてくれますし。寂しくないんですよね。…だから、幸せですよ。記憶なんかなくたって、あっしにだっていいやつと悪い奴くらいわかります。昔のことなんてわかんないんですがね、あっしは良い人生を送れてるって、心底思いますよ。…こんだけいろんな人に気に掛けてもらえるんだから」
――だから、お嬢さんのお知り合いにも、あっしは元気ですよって、伝えてください。
そういって、墓守は笑った。
------------------------------------------------------------
「…楽しかったかい?」
ふと、隣で天馬を駆る義兄に話しかけられて、リューティアは二刻ほど前にあった出来事の回想から帰還した。
「…なぜ、楽しいと?」
そう問いかけると、義兄は風を受けてさらさらと流れる長髪を片手で抑えつつ、巧みに手綱をさばきながら義妹に笑いかけた。
「そりゃあ、笑っていたじゃないか。お前は声を出さずとも、口と目にとてもよく感情が出るからわかりやすいよ」
そういって、声を上げて笑う。
「…幸せそうで、良かったね」
義兄は多くを語らなかった。しかし、リューティアが何を思い、何をしてきたかについて、語ることはなくても彼女の思いを尊重し、ただ理解を示してくれていることに、改めて深く感謝した。
「はい。お義兄さま。…これで、思い残すことなく里に戻れます」
そうか、と義兄は頷いた。
「さあ、帰ろう、我が家に」
その言葉を合図に、隊列を組んで滑空していた天馬たちは、それぞれその勢いを早めて、飛び去っていった。
目指すは大陸中央部に位置する大森林。母なる大樹の元へと。
年に数回、来ればいいほうだった墓。ここにくれば、嫌でも愛情に飢えた幼年時代を思い出してしまうから。
(…それでも、お母様にはもっとご挨拶するべきだったのかもしれないわ)
もともとリューティアは熱心な宗教家ではない。現在は『大樹の巫女』なんてご大層な肩書きを背負ってはいるが、これは結果論であって、個人的に大樹に憧憬や尊敬を抱いていたからこそ出来たことであった。会ったこともない神々には何の感情も抱いてはいない。声を大にして言うことはないが。
だからこそ、目の前の墓に眠る母が、今自分の訪問を喜んでいるに違いないだとか、きっと自分のことを覚えていてくれるんだとか、そういう感情は一切ない―ー、しかし、ここにくることで、自分の心の整理ができたのかもしれないと思い至る。
視界の隅で、嬉しそうに墓石や花壇の手入れをしている墓守の姿を映すにつけ、過去の自分の行いを思い起こす。
「…墓守さんは、ここでのお仕事はどう思われておられますか?」
いくら心で問いかけようとも、答えの返ることのない母の墓に向き合うのを一時中断して、リューティアは変わり果てた父に話しかけてみた。
娘と話していれば、もしかしたら、記憶が戻るのかもしれない。そんな奇跡は起こるまいとわかってはいたけれど、二度とここに来るつもりの無かった彼女は、最後の親孝行と思い父であった人の反応をうかがう。
使い古されたスコップで、花壇から零れ落ちる土を戻しながら、作業する手を止めずに墓守は答えた。
「好きですよ。…ここは、静かですし。植物は、手入れをすればきちんと応えてくれますし…お墓だって、綺麗に磨くと中で眠る方々が喜んでいるような、そんな気分になれますからね」
記憶の中の父だったら絶対にそう語ることはない、楽観的な意見を耳にしながら、リューティアは土や泥、埃にまみれた小さな背中を見つめた。
昔は、もっと大きかったように思う背中。…でも、記憶の中の頃よりも、現在の彼はとても幸せそうだった。優しく植木に触れ、かいがいしく世話を焼く姿。大きな執務机に向き合い、眉間に皺を寄せながらひたすら羽根ペンを動かしていたあの頃よりもずっと、父は朗らかな表情だった。
「…昔には、戻りたくはないのですか?」
その言葉を口にした後で、失言に気づくも、墓守は気にした風もなく笑いながら、花の伸びきった茎を鋏でぱちりと切った。
「…お嬢さんは、あっしの昔の姿をご存知なんですか。…たまにいらっしゃるんですよ、昔のあっしを知る方が」
こちらを振り向くこともなく、墓守は淡々と花壇の世話を続けている。鼻歌交じりに嬉しそうに作業するその姿に、仕事として励んでいるというよりも、趣味に近いものを感じて、彼女は口ごもる。
「…人から、聞いただけだけれど。今、幸せですか?」
彼女の問いに、墓守はぴたりとその動きを止めた。そうして、背中を向けたままゆっくりと立ち上がって、彼女を振り向いた。
「ええ。みんなよくしてくださるし、なんだか、ここにいると、…なんだろう、ほっとするんですよ」
傷だらけで、土や草、汗が張り付いて日焼けで黒ずんだ顔だった。しかし、リューティアには彼の表情が、輝いて見えた。昔見飽きるほど見ていたはずの父の顔。いつもそこそこ上質な衣装に身を包み、身だしなみに気を遣っていたあの頃よりも、今の父の表情はずっと、美しいと感じた。
墓場にいて安らぐなんて、妙な奴だって、あっしも思いますけどね、なんて太く、節くれだった指でぽりぽりと頬を掻く姿は、とても人間くさくて…リューティアは今、一番父の存在を近くに感じていた。
「たまに、こうして昔のあっしを知る人も訪ねてくれますし。寂しくないんですよね。…だから、幸せですよ。記憶なんかなくたって、あっしにだっていいやつと悪い奴くらいわかります。昔のことなんてわかんないんですがね、あっしは良い人生を送れてるって、心底思いますよ。…こんだけいろんな人に気に掛けてもらえるんだから」
――だから、お嬢さんのお知り合いにも、あっしは元気ですよって、伝えてください。
そういって、墓守は笑った。
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「…楽しかったかい?」
ふと、隣で天馬を駆る義兄に話しかけられて、リューティアは二刻ほど前にあった出来事の回想から帰還した。
「…なぜ、楽しいと?」
そう問いかけると、義兄は風を受けてさらさらと流れる長髪を片手で抑えつつ、巧みに手綱をさばきながら義妹に笑いかけた。
「そりゃあ、笑っていたじゃないか。お前は声を出さずとも、口と目にとてもよく感情が出るからわかりやすいよ」
そういって、声を上げて笑う。
「…幸せそうで、良かったね」
義兄は多くを語らなかった。しかし、リューティアが何を思い、何をしてきたかについて、語ることはなくても彼女の思いを尊重し、ただ理解を示してくれていることに、改めて深く感謝した。
「はい。お義兄さま。…これで、思い残すことなく里に戻れます」
そうか、と義兄は頷いた。
「さあ、帰ろう、我が家に」
その言葉を合図に、隊列を組んで滑空していた天馬たちは、それぞれその勢いを早めて、飛び去っていった。
目指すは大陸中央部に位置する大森林。母なる大樹の元へと。
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