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墓守
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翌日、リューティアは王都の外れにある共同墓地を訪ねていた。
途中に見かけた花屋で花束を買い求め、整備された区画を進む。
墓地だという割には、周辺の木々は手入れされ、時折植えられたと思しき花々が彼女の目を愉しませた。明るい庭園のような小道を進み、彼女は目的の墓へとたどり着いた。
「――お母様…」
昔、この墓地はもっと暗い雰囲気だった。墓地にふさわしい、陰鬱な空気がどうしても嫌で、彼女はあまりここには足を運ばなかった。母の死を認めたくはなかったし、暗い雰囲気がどうしても受け入れがたかったから。それが今、この場所は暖かな庭園のような、ほっとする空間になっていた。目の前の墓石も、苔むしても居らず、普段から手入れされているように美しい。そして、墓の前にはすでに花束が飾られていた。
「――おや、お客様ですか?」
「――っ…」
聞き慣れた―ー、昔よりも生気を感じる明るい声に、リューティアは振り返った。そこには、朗らかに笑う初老の男性が立っていた。
「…はい、友人の…お母様の、お墓参りに。友人が、来られないので…代理に」
若干どもりながら、墓石を見つめたまま相手に告げると、相手は嬉しそうに破顔した。
「そうでしたか!…きっと、お墓に眠る故人も喜んでいるでしょう。…少々、そちらを掃除しても?」
「ええ」
ありがとう、と笑いながら男性は足を引きずりながらやってきて、慣れた手つきで墓石を磨いている。足を引きずる墓守の片足は―ー義足だった。にこやかに笑うその顔には、酷い傷跡が残っている。慣れた手つきで墓石を拭き上げるその腕にも、そこかしこに大きな傷跡が残っていた。その姿を、息を呑んでリューティアは見つめる。
「…すいませんね、こんななりで、びっくりされたでしょう?」
「…いえ…」
いいんですよ、皆様びっくりされるんですよね、とにこやかに笑う墓守の表情には、陰が見られない。楽しそうに、墓石を拭きあげて、墓の前でリューティアより下がったところで祈りを捧げ、墓守は軽く会釈をして去っていった。
彼女は、その後姿を目に焼き付けるように、じっと見つめていた。
------------------------------------------------------------
リューティアが、ミラーナをいう人間を棄て、新たな自分を得た頃。彼女は、一つの知らせを聞いた。
「…お父様が…?」
はい、と頷くアンナの顔は暗い。彼女はミラーナがミラーナという人族でなくなっていても、ずっと彼女に仕えていた。
そんな彼女が旅の商人から聞いた知らせは、ミラーナの父であった元辺境伯に起こった出来事であった。
調査団の一員として、周辺国を旅して回っていた一団に所属していたが、土砂崩れに巻き込まれ、大怪我を負ったと言うのだ。
「実は…それだけではございません。旦那様は…」
―ー記憶をなくしてしまわれたようでございます。
アンナが告げたその一言に、彼女は凍りついた。
「…それは…どうして」
彼女の声はかすれていた。アンナは、リューティアの両手をぎゅうっと握り締め、気遣わしげにその瞳をしっかりと見つめながら、しっかりとした口調で告げた。
「大怪我を負われた際、かなり頭を強く打ち付けられておられたそうなのです。…バランスを崩した調査員のお嬢さんの体を、ご自分が盾になって受け止められたそうで。…その時にだろうと…」
「記憶、が…」
呆然とするリューティアの手を暖めつつ、アンナは告げた。
「ただ…」
「…ただ?」
「記憶をなくされておられるそうなのですが…旦那様ご本人は、大変すっきりとした表情をなさっておいでで、むしろ此方のほうが幸せそうだと、皆がそういっているそうなのです…」
「…そう、なの…」
それから、何を話したのか、彼女はぼんやりとしか記憶していない。しかしながら、自分の家族どころか、自分の名前すら忘却している彼は、自分の父親として存在していた頃よりも、非常に生き生きとしていて、記憶がないことも苦に思っていないようだということだけは、わかった。
知らせを受けて、彼女は思案して。
「ねぇ、アンナ。…お父様は…お父様だった方は…今、幸せなのよね…?」
時折もたらされる情報を整理し、彼女はそれ以来悩んだ。父であった人は、怪我を理由に調査隊から外された。現在は、王都の外れで老いて跡継ぎのいなかった墓守について、仕事をしているようだと聞いている。それとなく、王家のものも父のサポートに上がっているらしいとの報もある。
「…私も、そんなに情報は多くありませんが。ご主人様のご様子は、私が見聞きした限りでは、大変お元気で過ごされているようだとは思います」
リューティアにサークレットを嵌め、側面に垂れる柔らかな布を綺麗に整えながら、アンナは頷く。
そのとき、リューティアは決めたのだ。
「アンナ、もし、私が。あの都に赴くことがあれば、一度だけ、お父様に…お会いしたいと思うわ」
さようですか、とアンナは微笑んだ。ここ数日、彼女が悩み続けていたことを、アンナは知っていた。
「お嬢様の、御心のままに」
「…ふふ、そのときまでに、この子には会えるのかしらね?」
リューティアは侍女の膨らみ始めたお腹に、にっこりと微笑む。アンナは、少し赤面しながらも、膨らみ始めた下腹部を優しく撫でた。
「お産に差しさわりがあるといけないから、そろそろ仕事は休んでいいわ。私一人でも大丈夫だし」
「いえ…!お嬢様のお世話は、私にさせてください…!!」
アンナは、耳長族の里で暮らすうちに、里の青年と懇意になり、夫婦となっていた。現在彼女のお腹には、初めての子が宿っている。耳長族は多産の種族ではないため、久しぶりの新しい命に、里のものが皆注目していた。純血種ではなく、ハーフの子であることが確定しているため、彼らの子供がどんな状態で生まれるか、誰にも見当がつかない状態である為、アンナは現在大樹の巫女である彼女の主人並みの、好待遇を受けていた。
「二つの種族の架け橋になるもの。…確かに、お腹が目立ち始めるのもゆっくりだし、何もかもがわからないからね。…アンナ、おとなしく皆に大事にされて頂戴?」
いたずらっぽく彼女がアンナを見上げると、アンナは大きくため息をついた。
「…お嬢様には、逆らえませんね…」
「ええ、おねがいね」
そう笑いながら、彼女は窓の向こうで枝葉を広げる大樹を見つめた。
「生まれてくる命があれば、失われる命もあるわ…後悔しないように、生きなければね。…どんな種族で、あろうとも」
途中に見かけた花屋で花束を買い求め、整備された区画を進む。
墓地だという割には、周辺の木々は手入れされ、時折植えられたと思しき花々が彼女の目を愉しませた。明るい庭園のような小道を進み、彼女は目的の墓へとたどり着いた。
「――お母様…」
昔、この墓地はもっと暗い雰囲気だった。墓地にふさわしい、陰鬱な空気がどうしても嫌で、彼女はあまりここには足を運ばなかった。母の死を認めたくはなかったし、暗い雰囲気がどうしても受け入れがたかったから。それが今、この場所は暖かな庭園のような、ほっとする空間になっていた。目の前の墓石も、苔むしても居らず、普段から手入れされているように美しい。そして、墓の前にはすでに花束が飾られていた。
「――おや、お客様ですか?」
「――っ…」
聞き慣れた―ー、昔よりも生気を感じる明るい声に、リューティアは振り返った。そこには、朗らかに笑う初老の男性が立っていた。
「…はい、友人の…お母様の、お墓参りに。友人が、来られないので…代理に」
若干どもりながら、墓石を見つめたまま相手に告げると、相手は嬉しそうに破顔した。
「そうでしたか!…きっと、お墓に眠る故人も喜んでいるでしょう。…少々、そちらを掃除しても?」
「ええ」
ありがとう、と笑いながら男性は足を引きずりながらやってきて、慣れた手つきで墓石を磨いている。足を引きずる墓守の片足は―ー義足だった。にこやかに笑うその顔には、酷い傷跡が残っている。慣れた手つきで墓石を拭き上げるその腕にも、そこかしこに大きな傷跡が残っていた。その姿を、息を呑んでリューティアは見つめる。
「…すいませんね、こんななりで、びっくりされたでしょう?」
「…いえ…」
いいんですよ、皆様びっくりされるんですよね、とにこやかに笑う墓守の表情には、陰が見られない。楽しそうに、墓石を拭きあげて、墓の前でリューティアより下がったところで祈りを捧げ、墓守は軽く会釈をして去っていった。
彼女は、その後姿を目に焼き付けるように、じっと見つめていた。
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リューティアが、ミラーナをいう人間を棄て、新たな自分を得た頃。彼女は、一つの知らせを聞いた。
「…お父様が…?」
はい、と頷くアンナの顔は暗い。彼女はミラーナがミラーナという人族でなくなっていても、ずっと彼女に仕えていた。
そんな彼女が旅の商人から聞いた知らせは、ミラーナの父であった元辺境伯に起こった出来事であった。
調査団の一員として、周辺国を旅して回っていた一団に所属していたが、土砂崩れに巻き込まれ、大怪我を負ったと言うのだ。
「実は…それだけではございません。旦那様は…」
―ー記憶をなくしてしまわれたようでございます。
アンナが告げたその一言に、彼女は凍りついた。
「…それは…どうして」
彼女の声はかすれていた。アンナは、リューティアの両手をぎゅうっと握り締め、気遣わしげにその瞳をしっかりと見つめながら、しっかりとした口調で告げた。
「大怪我を負われた際、かなり頭を強く打ち付けられておられたそうなのです。…バランスを崩した調査員のお嬢さんの体を、ご自分が盾になって受け止められたそうで。…その時にだろうと…」
「記憶、が…」
呆然とするリューティアの手を暖めつつ、アンナは告げた。
「ただ…」
「…ただ?」
「記憶をなくされておられるそうなのですが…旦那様ご本人は、大変すっきりとした表情をなさっておいでで、むしろ此方のほうが幸せそうだと、皆がそういっているそうなのです…」
「…そう、なの…」
それから、何を話したのか、彼女はぼんやりとしか記憶していない。しかしながら、自分の家族どころか、自分の名前すら忘却している彼は、自分の父親として存在していた頃よりも、非常に生き生きとしていて、記憶がないことも苦に思っていないようだということだけは、わかった。
知らせを受けて、彼女は思案して。
「ねぇ、アンナ。…お父様は…お父様だった方は…今、幸せなのよね…?」
時折もたらされる情報を整理し、彼女はそれ以来悩んだ。父であった人は、怪我を理由に調査隊から外された。現在は、王都の外れで老いて跡継ぎのいなかった墓守について、仕事をしているようだと聞いている。それとなく、王家のものも父のサポートに上がっているらしいとの報もある。
「…私も、そんなに情報は多くありませんが。ご主人様のご様子は、私が見聞きした限りでは、大変お元気で過ごされているようだとは思います」
リューティアにサークレットを嵌め、側面に垂れる柔らかな布を綺麗に整えながら、アンナは頷く。
そのとき、リューティアは決めたのだ。
「アンナ、もし、私が。あの都に赴くことがあれば、一度だけ、お父様に…お会いしたいと思うわ」
さようですか、とアンナは微笑んだ。ここ数日、彼女が悩み続けていたことを、アンナは知っていた。
「お嬢様の、御心のままに」
「…ふふ、そのときまでに、この子には会えるのかしらね?」
リューティアは侍女の膨らみ始めたお腹に、にっこりと微笑む。アンナは、少し赤面しながらも、膨らみ始めた下腹部を優しく撫でた。
「お産に差しさわりがあるといけないから、そろそろ仕事は休んでいいわ。私一人でも大丈夫だし」
「いえ…!お嬢様のお世話は、私にさせてください…!!」
アンナは、耳長族の里で暮らすうちに、里の青年と懇意になり、夫婦となっていた。現在彼女のお腹には、初めての子が宿っている。耳長族は多産の種族ではないため、久しぶりの新しい命に、里のものが皆注目していた。純血種ではなく、ハーフの子であることが確定しているため、彼らの子供がどんな状態で生まれるか、誰にも見当がつかない状態である為、アンナは現在大樹の巫女である彼女の主人並みの、好待遇を受けていた。
「二つの種族の架け橋になるもの。…確かに、お腹が目立ち始めるのもゆっくりだし、何もかもがわからないからね。…アンナ、おとなしく皆に大事にされて頂戴?」
いたずらっぽく彼女がアンナを見上げると、アンナは大きくため息をついた。
「…お嬢様には、逆らえませんね…」
「ええ、おねがいね」
そう笑いながら、彼女は窓の向こうで枝葉を広げる大樹を見つめた。
「生まれてくる命があれば、失われる命もあるわ…後悔しないように、生きなければね。…どんな種族で、あろうとも」
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