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夢で逢えたら
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穏やかな春の陽光が降り注ぐ。
今日も、アンナは部屋の主に朝を告げるため、カーテンを開けて、主に時を告げるのだ。
「お嬢様、朝でございますよ。…ほら、今日もいい天気です。お目覚めになられたら、お散歩をいたしましょうね。」
ベッドの中の主に微笑みかけ、アンナは主のほっそりした手を取り、すっかり習慣になった脈をとる。
ーーあぁ、生きておられるわーー
心のなかで安堵し、すっかり弱々しくなってしまった命の音を聞き取り、医者に習ったやり方で脈を数える。そうやって、医師に彼女の体調を告げるのが、彼女の大きな任務になっていた。
ベッドの中の彼女はほとんど身動きをしない。いつものように清拭を行い、包帯の隙間からのぞく枯れ葉色の髪をブラシで丁寧に撫で付けるように、柔らかく整える。彼女が目を覚まさなくなって久しいが、それでも、かつては年頃の娘として身だしなみには気を遣っていた彼女を思えば、アンナは昔以上に彼女の身の回りの世話に力を入れていた。
彼女が倒れて、一ヶ月。未だに、目を覚まさない。
倒れた際に運悪く、ガラスの器が近くで割れてしまったことで彼女は頭部にも大きな傷を受けた。大方の傷は塞がっては居るが、まだ手当てが必要な段階だ。そのための包帯だった。
「おいたわしい。お嬢様…」
アンナは主の窶れた横顔を眺め、そっと涙を拭いた。
ただの婚約破棄、されど、アンナの主はそれ以来目を覚まさない。
事故だった。しかし、あまりにも出来すぎではないか、仕組まれて害されたのではないかという思いが未だにある。実際、そう思う民衆は多いらしく、未だに、彼女の容態を気にする民は多いと聞く。
「おかわいそうなお嬢様」
「婚約破棄に飽きたらず、令嬢を公衆の面前で害そうとした鬼畜」
「浮気相手は逃げたらしい」
様々な噂話が、王都では飛び交っている。アンナも、主人に付きっきりではあるが、少しは耳にしている。
「苦しめば、いいんだわ。…お嬢様をこんなにして」
ほっそりとして、血管が浮き出るようになってしまったか細い手を掬い上げ、優しく摩りながら、アンナは歯を食いしばって彼女を苦しめる根源に呪詛をはく。
暖かな日差しの満ちる、静謐な空間。
アンナはひたすら、主人の回復を願いながら、今日も物言わぬ主人にかいがいしく尽くしていた。
ここ、エルディア国には長らく続く祭りがある。
25年おきに起きる大流星群にちなんだ祭り、『星降祭』だ。
口伝によると、はるか昔に栄えた古代王国の奇祭をもとにしたもので、この地に住まう精霊たちの代替わりを祝う祭りが元になっているそうだ。
25年おきにキッチリと大流星群はやってくる。大規模になると、昼間でも流星が見られるときもあったそうだ。沢山の流星が観測された翌年は、豊作になり、国が栄える。国民は、そう認識している。
古代には魔法と呼ばれる不可思議な力も存在したそうだが、現在は皆魔法等御伽噺の話であると信じていた。子供のころに信じるだけの、御伽噺の話だと。
ただ、実際に目にすることが出来る大流星群、そのあとに訪れる豊作は、当然の自然現象として民は捉え、その年を指折り数えて待った。
今年はいよいよ、大流星群がやってくる年。『星降祭』が行われる年だ。
国民の期待は特に高まっていた。
「今年は『星降祭』ですね」
毎月の恒例行事であるお茶会を自邸で行い、幼いころからの婚約者をミラーナは紅茶のカップを置いて話しかけた。
貴族の婚姻は家同士のつながりのためのもの。ミラーナはそれを痛いほどに理解していた。彼女の相手であるアレクセイは国内でも有数の影響力を持つにいたってきた貴族だが、歴史が浅い。先の大戦で大きな武勲を挙げた彼の祖父が祖になる、まだまだ歴史の浅い家であるから、すでに勢いを失って久しい辺境伯の娘との婚姻を望んだのだろう。
だからこそ、家のためだと常に貴婦人にふさわしい態度であろうと心がけていた。内面はどうであれ。
だが、子爵家の四男坊であった彼は、そうは思ってはいなかったようだ。家のためとはいえ、落ちぶれかけている辺境伯の娘との婚姻には渋面であまり好意的ではなかった。そもそも、ここエルディアは建国以来、外敵に大きな侵略を許すことも無く、時折起こる内乱程度で平和な治世が続いている。外敵に備えるべき辺境といえど平和であったため、この国において辺境とは正しく辺境であって、田舎領主の成り上がりと言う認識が根強く残っていた。
アレクセイは、金も権力もあるのに、長く続く伝統しかない貧弱な貴族の娘をあてがわれたことに不満だったのだろう。
たいした会話も弾むことも無く、アレクセイはすぐに茶会を切り上げて去った。
近頃は、顔を合わせても視線も合わせない。会話等無いに等しい。学園で顔を合わせても、にこりともしないで去る婚約者に、周囲は様々な噂話を咲かせている事をミラーナは知っていた。…彼が、彼女ではない女性に熱を上げていることも。
大きな祭りを前にして、人々はどこか浮き足立っているようだった。それは学園内もそうで、この国の王太子、第二王子、宰相の息子や騎士団長の次男坊も家の定めた婚約者ではない女性に熱を上げている、そんな噂で持ちきりだった。
「…大きな祭りだと聞いてはいるのだけれど、浮つきすぎではないのかしら…」
ミラーナは、すっかり冷えた紅茶を飲み干して、メイドに茶会の片づけを命じた。
愛など無い。しかし、誠実であって欲しかった。それすらも裏切られたとき、彼女は全てを放棄した。
今日も、アンナは部屋の主に朝を告げるため、カーテンを開けて、主に時を告げるのだ。
「お嬢様、朝でございますよ。…ほら、今日もいい天気です。お目覚めになられたら、お散歩をいたしましょうね。」
ベッドの中の主に微笑みかけ、アンナは主のほっそりした手を取り、すっかり習慣になった脈をとる。
ーーあぁ、生きておられるわーー
心のなかで安堵し、すっかり弱々しくなってしまった命の音を聞き取り、医者に習ったやり方で脈を数える。そうやって、医師に彼女の体調を告げるのが、彼女の大きな任務になっていた。
ベッドの中の彼女はほとんど身動きをしない。いつものように清拭を行い、包帯の隙間からのぞく枯れ葉色の髪をブラシで丁寧に撫で付けるように、柔らかく整える。彼女が目を覚まさなくなって久しいが、それでも、かつては年頃の娘として身だしなみには気を遣っていた彼女を思えば、アンナは昔以上に彼女の身の回りの世話に力を入れていた。
彼女が倒れて、一ヶ月。未だに、目を覚まさない。
倒れた際に運悪く、ガラスの器が近くで割れてしまったことで彼女は頭部にも大きな傷を受けた。大方の傷は塞がっては居るが、まだ手当てが必要な段階だ。そのための包帯だった。
「おいたわしい。お嬢様…」
アンナは主の窶れた横顔を眺め、そっと涙を拭いた。
ただの婚約破棄、されど、アンナの主はそれ以来目を覚まさない。
事故だった。しかし、あまりにも出来すぎではないか、仕組まれて害されたのではないかという思いが未だにある。実際、そう思う民衆は多いらしく、未だに、彼女の容態を気にする民は多いと聞く。
「おかわいそうなお嬢様」
「婚約破棄に飽きたらず、令嬢を公衆の面前で害そうとした鬼畜」
「浮気相手は逃げたらしい」
様々な噂話が、王都では飛び交っている。アンナも、主人に付きっきりではあるが、少しは耳にしている。
「苦しめば、いいんだわ。…お嬢様をこんなにして」
ほっそりとして、血管が浮き出るようになってしまったか細い手を掬い上げ、優しく摩りながら、アンナは歯を食いしばって彼女を苦しめる根源に呪詛をはく。
暖かな日差しの満ちる、静謐な空間。
アンナはひたすら、主人の回復を願いながら、今日も物言わぬ主人にかいがいしく尽くしていた。
ここ、エルディア国には長らく続く祭りがある。
25年おきに起きる大流星群にちなんだ祭り、『星降祭』だ。
口伝によると、はるか昔に栄えた古代王国の奇祭をもとにしたもので、この地に住まう精霊たちの代替わりを祝う祭りが元になっているそうだ。
25年おきにキッチリと大流星群はやってくる。大規模になると、昼間でも流星が見られるときもあったそうだ。沢山の流星が観測された翌年は、豊作になり、国が栄える。国民は、そう認識している。
古代には魔法と呼ばれる不可思議な力も存在したそうだが、現在は皆魔法等御伽噺の話であると信じていた。子供のころに信じるだけの、御伽噺の話だと。
ただ、実際に目にすることが出来る大流星群、そのあとに訪れる豊作は、当然の自然現象として民は捉え、その年を指折り数えて待った。
今年はいよいよ、大流星群がやってくる年。『星降祭』が行われる年だ。
国民の期待は特に高まっていた。
「今年は『星降祭』ですね」
毎月の恒例行事であるお茶会を自邸で行い、幼いころからの婚約者をミラーナは紅茶のカップを置いて話しかけた。
貴族の婚姻は家同士のつながりのためのもの。ミラーナはそれを痛いほどに理解していた。彼女の相手であるアレクセイは国内でも有数の影響力を持つにいたってきた貴族だが、歴史が浅い。先の大戦で大きな武勲を挙げた彼の祖父が祖になる、まだまだ歴史の浅い家であるから、すでに勢いを失って久しい辺境伯の娘との婚姻を望んだのだろう。
だからこそ、家のためだと常に貴婦人にふさわしい態度であろうと心がけていた。内面はどうであれ。
だが、子爵家の四男坊であった彼は、そうは思ってはいなかったようだ。家のためとはいえ、落ちぶれかけている辺境伯の娘との婚姻には渋面であまり好意的ではなかった。そもそも、ここエルディアは建国以来、外敵に大きな侵略を許すことも無く、時折起こる内乱程度で平和な治世が続いている。外敵に備えるべき辺境といえど平和であったため、この国において辺境とは正しく辺境であって、田舎領主の成り上がりと言う認識が根強く残っていた。
アレクセイは、金も権力もあるのに、長く続く伝統しかない貧弱な貴族の娘をあてがわれたことに不満だったのだろう。
たいした会話も弾むことも無く、アレクセイはすぐに茶会を切り上げて去った。
近頃は、顔を合わせても視線も合わせない。会話等無いに等しい。学園で顔を合わせても、にこりともしないで去る婚約者に、周囲は様々な噂話を咲かせている事をミラーナは知っていた。…彼が、彼女ではない女性に熱を上げていることも。
大きな祭りを前にして、人々はどこか浮き足立っているようだった。それは学園内もそうで、この国の王太子、第二王子、宰相の息子や騎士団長の次男坊も家の定めた婚約者ではない女性に熱を上げている、そんな噂で持ちきりだった。
「…大きな祭りだと聞いてはいるのだけれど、浮つきすぎではないのかしら…」
ミラーナは、すっかり冷えた紅茶を飲み干して、メイドに茶会の片づけを命じた。
愛など無い。しかし、誠実であって欲しかった。それすらも裏切られたとき、彼女は全てを放棄した。
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