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 ――快晴だ。
 
 「晴れたねぇ…」
 
 加奈子は助手席で、少々落ち着かなさそうにもぞもぞしている。運転席の裕貴も、若干いつもより肩も張って、緊張しているようだ。
 
 「…安全運転で行く。…だから、ちょっと、ナビは頼むな。…まだ、ナビ画面見ながら運転は無理だ、俺は…」
 
 「…アーハイ、ナビ頑張ります…」
 
 こりゃあ裕貴緊張してるなあ、と加奈子は思った。まぁ、免許取立てで、いきなり知らない道、しかもそこそこの遠出。緊張しないわけがないか、と考えを切り替える。
 
 「ん~…このナビ、目的地検索とかしてくれる・・・?」
 
 裕貴が乗ってきたのは、ちょっと型落ちした白の軽自動車だった。一瞬、バンパーに擦り傷が見えた気もするが、ここは裕貴を立ててみていない振りをした。初心者はきっと、そういうものだ。ちょっと目測を誤って路肩に乗り上げちゃったとか、きっとそんなもんだろう。
 
 乗り込んで内装を確認すると、シンプルなものだった。まだ内装品を買い揃える心境までには至っていないらしい。
 
 「これ中古だしなあ…親戚が買い換えるってんで、格安で譲ってもらったんだ。だから勝手はわからん」
 
 裕貴は前方を見つめたまま、車の運転に集中しているようだ。
 
 そっか、と加奈子は頷いた。
 
 「ところで運転技術は?」
 
 「…学科教習はまぁ適当に通った。実技は一応一発だぞ。…ただ、アクセルの踏み方をもっとメリハリつけろとはいわれたかもな」
 
 「やっぱレースゲームとかとはちがうもの?」
 
 「やっぱ違うもんだぞ」
 
 
 ふうん、と相槌を打って加奈子はぼんやりと前方を眺める。加奈子はまだ、ひとりで知らないところに行くような心境にはなれていない。今回だって、裕貴がついているから行くのを決めたようなものだ。人嫌いにもほどがあるのを、自分でもよく熟知している。
 
 運転技術にまだ不安があっても、加奈子の気晴らしにとわざわざつれてきてくれた裕貴の気遣いに素直に感謝できるくらいには、加奈子は近頃精神的に安定していた。
 
 「ん~…次の角、右だね」
 
 ちょっとした遠出とはいえ、目的地まで車で行けば然程の距離ではない。事前にパンフレットも貰っていたので、加奈子は周辺地理もなんとなく調べていたので、勝手のわからないナビでも、なんとなく道筋は理解できた。
 
 「ん、右か…」
 
 運転に集中しているようで、裕貴は先程から口数が少ない。加奈子はぼんやりと運転に集中する裕貴の横顔を眺めた。
 
 (…いつも向き合って話すことが多いから、こういう横顔を見ることは少ないかも)
 
 改めて彼の横顔を眺める。いつもはおちゃらけていたり、穏やかな表情でいることが多いため、このように真剣な瞳は久しぶりに見るな、と加奈子は思った。本人は女顔だといって気に入らないようだが、線の細い横顔は、真剣な表情だと引き締まって見え、繊細な中に意志の強さも感じてなかなかに鑑賞し甲斐のある顔だと加奈子は感じた。
 
 近頃、少し体を鍛えたりしていると聞いているだけあって、少し首筋にもうっすらと筋肉がついてきたようだ。薄着の季節になり、首周りを出す服装も増えてきて、加奈子的には体つきの観察が出来てうれしい気持ちもある。
 
 そんな気持ちは恋愛対象と言うより、観察対象と言うカテゴリーのものであるが、それでも毎日のように顔を合わせる相手が、自分にとって好ましい姿になっているのは嬉しく感じていた。
 
 (…首筋、良いな)
 
 数年前はほっそりとしていて、どこか中性的な雰囲気を感じていた裕貴だが、この頃は『男らしく』なったように思う。意識的に体を鍛えていることもあるだろうし、生物的に成長しているということもあるのだろうが。
 
 『女性』である自分にはない、少し角ばった曲線。少し硬さを感じる筋肉のつき方。うっすらとその存在を感じ始めた『喉仏』の存在に、加奈子は陶然と酔いしれた。
 
 (…触りたい)
 
 女である自分にはない硬質な筋肉。なんとなく手が伸びてしまい、それに驚いた裕貴は一瞬ハンドルを取られそうになった。
 
 「ちょ、おま…!あぶねぇ!」
 
 「…あ、ごめん…」
 
 珍しく裕貴に大声で叱責されて、加奈子は肩をすくめて謝罪した。思った以上に大声になってしまって、加奈子が身をすくめてしまったので裕貴は慌ててフォローに入る。
 
 「運転中なんだから、いきなり動かれたら怖いんだ。免許取立てだし…」
 
 「…うん、ごめん。もうしないよ…」
 
 (やっぱり慣れない環境って怖いもんだな)
 
 加奈子はそう思って、首をすくめて座席に座りなおした。運転中の人間に触れようとするなんて、確かに危ないことだ。
 
 (運転中の車の中でいちゃつくってシチュ、実はかなり難しいんだな…)
 
 今日は一つ勉強になった、と加奈子は内心納得していた。物書きとして、つねにアンテナは広げておきたい。近頃は自分の心のことで手一杯で、そういったことに手がつかなかった。せっかくなので、気晴らしがてら、自分の表現の引き出しを広げることに集中しよう。そう、加奈子は決心していた。
 
 そんな彼女を尻目に、運転席で運転に集中するべき裕貴は、内心心臓が破裂しそうなほどに動揺していた。
 
 (何だコイツ、今日は特に良いにおいがする…!!)
 
 昔から幼馴染のよしみで、加奈子は比較的距離が近い異性だったが、形ばかりの恋人づきあいとねじ込みだしてから、加奈子から時折香る、彼女の特有の体臭は、特に甘さを増したようで。
 
 時々、裕貴は酔いそうになるのだ。酒に酔う、そんな酔い方に近い。くらりと理性が飛んで、彼女のほうへと吸い寄せられてしまう。そんなことを話したら、間違いなく加奈子にはドン引かれるとわかっているので、おくびにも出していないが。
 
 先程彼女の手が伸びてきたとき、特に強く、甘い匂いが彼の鼻を掠めたため、大いに動揺してしまった。
 
 (今日は特に注意しないと)
 
 なぜ、こんなに彼女の香りに惑わされるのか、強く香るのはなぜなのか。
 
(…今日はアイツの気分転換、気分転換だから!!)
 
 裕貴は加奈子を怯えさせて以来、自分の欲を出さぬように自制している。加奈子が必死で自分自身と向き合っている姿を見ていれば、自分の欲望がしぼむのを感じるからでもあるが、できることなら、自分を求めてくるならば、自分のことしか考えられないようなそんな状況に持ち込みたい、そんな打算もあった。
 
 (待つのは、慣れてるしな)
 
 助手席で改めてパンフレットを読み込む加奈子を横目で眺め、裕貴は自らを落ち着ける。
 
 ひたすら頭の中で素数を数えながら、裕貴は目的地への道を急いだ。
 
 
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