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 腕の中で真っ赤になってぷるぷると震える加奈子を眺めて、裕貴は笑いをこらえていた。
 
 ――なに、この可愛い生き物。
 
 いつものお返し、とばかりにちょっといじめてみたら、面白いほどに反応を示す。
 
 ――お前、思ったよりちゃあんと『普通の女の子』じゃないか。そんなに、自分を見下すこと無いのに。
 
 ここ二週間ほど、加奈子はきちんと身なりを整えて大学に出てきている。女のおしゃれなんてよくわからないが、最近は肌つやがよくなってきたように見える。髪の毛も、きちんと手入れしているのか、風を含んでふわりと浮かび上がるとき綺麗に靡いているし、つやつやとしたわっかが出ている。
 
 何より、あいつはあまり気にしていないようだが、遠目にあいつを見ている野郎どもが出てきている。急に見た目が変わったものだから、最初は興味で見ていたのだろうが、誰も寄せ付けない雰囲気が却って男心をくすぐるのか、あいつの様子をうかがっている奴らがいる。
 
 実際、接点がある自分に探りを入れてくる奴がいたくらいだ。
 
 ちょっと雰囲気が変わっただけで、加奈子の本質は変わっていないのにーー。
 
 それを自分だけが知っていることに、若干の優越心を抱きつつ、また、加奈子が一番信頼を寄せているのが自分であることにも誇らしい。
 
 適当に理由をつけてしまったがーー、カナへの想いが過去への未練だとわかれば、自ずとこの幼馴染への執着がどういった系統のものなのか、なんていうことはすぐにわかってしまった。こんなにも親身になってしまうこと。こんな年になってもなお、彼女への接点をつなぎ続けたこと。彼女の複雑な背景があってもなお、そばにいることを選んでいたこと。
 
 ――好きじゃなきゃ、できることじゃないよな。
 
 彼女が心細くなったとき、一番に頼ってほしかったから。
 
 それが、今なのだろう。ならば、この機を逃すまい。
 
 裕貴は自分でも気づかぬうちに、微笑を浮かべていた。
 
 「――なぁ、」
 
 「ひゃぁぅっ!」
 
 再度耳元へ囁きかけると、腕の中で俯いて震えていた加奈子が、ぴくりと反応した。
 
 「…お前、耳、弱いのな?」
 
 「…ゃ、やめ、てぇ、ひぃ!」
 
 裕貴の目には、腕の中の加奈子が撫でられすぎて疲れた子猫がぷるぷる震えている映像がダブって見えた。
 
 やっぱ、猫だよなコイツ。
 
 「今、怖いか?」
 
 「あ、…ひゃ!…ぇ?…こ、こわ、くは、な、い、け、ど、ぁぅ!」
 
 「そうか、よかった。こういう接し方、嫌ならやめなきゃいけないと思ったからな。やっぱさ、恋人らしい触れ合いってこういうもんだと思うんだけどな。…なぁ?加奈子?」
 
 「ひゃぁぅ~!や、やめぇ!てぇ!」
 
 「…お前面白すぎんだろ…」
 
 耳元でささやく度に、びくびくと震えて裕貴の腕に頭をこすり付けて逃げようとする加奈子を見て、裕貴はほっとすると同時に、体の一部に熱が集まるのを感じた。…まだ早い。そう思うけれど、若い青少年の体は正直だ。自分の腕の中で、好意を持つ存在が、嬌声とも取れる声を上げて体を震わせるさまは、どうにもクるものがある。
 
 いつもは、ツンツンしてるくせに。加奈子からはっきりと好意は告げられていないものの、これまでの経緯から、自分が一番彼女に近い異性だという自負はある。そういう関係になることを、彼女自身も認めてはいるんだから、今すぐにでも―ーと危うい思考になりかかっていると、腕の中の加奈子が身じろぎして、抗議した。
 
 「…いいかげん、離して…!」
 
 「お、ごめんな。確かめたかったんだよ、どれくらいの接触がいいのかどうか」
 
 「だからって…!アレはダメよ!」
 
 「アレって何だよ?」
 
 裕貴がニヤニヤしながら加奈子に笑いかけると、加奈子は顔を赤くして声を詰まらせた。
 
 「アレって…あれよ!」
 
 「おや、加奈子さんは意外にも自分のこととなると言えなくなるタイプかな?」
 
 「~~…っ、耳元で、喋らないで!」
 
 「ハハハ、努力はするよ。…でも、恋人ごっこなら、こんなことくらい慣れておかないとな?」
 
 「…アンタ、意外にムッツリだったのね…!」
 
 「亀甲縛りしてる男に性行為を迫る本を愛読書にしてる加奈子さんには敵いませんよ」
 
 「なにそれむかつく!!」
 
 あいかわらず裕貴の腕の中で囲い込まれているにもかかわらず、加奈子が震えも無く普段のように悪態がつけることを確認した裕貴は、嬉しさのあまり更にぎゅうっと加奈子を抱きしめた。
 
 「うぎゅっ、ちょ、くる、しぃ!」
 
 「あー、ごめん。ちょっと、嬉しくてさ」
 
 「?」
 
 加奈子が裕貴の腕にふれたまま頭上の裕貴の顔を覗き込むと、思った以上に近い距離にあった裕貴の額とぶつかった。
 
 「ぶっ」
 
 「はは、俺がお前に許されてるんだなあって思ったら嬉しくてな」
 
 こつん、と裕貴の額が、加奈子の額に触れる。
 
 「加奈子。自信持てよ。お前のやってることはすごいことだし、お前は十分魅力的だよ。…少なくとも俺は、お前と一緒にいると楽しいよ」
 
 間近で裕貴に語りかけられて、加奈子は目のやり場に困ったのか、目を逸らす。
 
 「できることなら、ごっこ遊びではなくて、本気で付き合いしたいと思うんだけどな。お買い得だぞ?俺は何も飾らないお前が好きなんだからな。」
 
 「今は答えなくていい。お前はまず、カナたちとのことが頭にあるだろうから。…だけど、それがおちついたら、正式な返事を貰いたい」
 
 そう畳み掛けられて、加奈子は俯きながらも、裕貴の腕の中で固まっていた。
 
 そんな加奈子を見て、裕貴は穏やかに笑いながら、加奈子の頬を優しくなでた。
 
 いつくしむような、羽根に触れるような、触れるか触れないかわからないくらいの優しい手つきに、加奈子は頬が赤くなるのを感じた。
 
 「ひろ、き」
 
 「さて!腹減らないか?せっかくだからガキのころ行ったラーメン屋行かないか?」
 
 加奈子が言いかけると、裕貴は笑いながら腕を広げて加奈子を解放して、すっと石段に向けて歩き出した。
 
 いこうぜ、と裕貴は先をずんずんと進んでいく。
 
 数歩石段を降りて、裕貴は後ろを見ないまま、語りかけた。
 
 「少しずつ、やっていこうぜ。俺は待つよ。お前のやりたいようにやっていいんだ。…お前に振り回されるのは、慣れているし」
 
 それだけいうと、石段の脇にあるスロープに手をかけて、振り向いた。
 
 「俺はお前に振り回されるのは、嫌じゃない。むしろ面白いと思ってる。だから気にせず、お前がやりたいようにやってくれ」
 
 ――俺は、ありのままのお前が好きだしな
 
 そういって、裕貴は笑った。
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