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「座ってくれ」


裕貴は、カナを荷物を置いたままのベンチに誘導し、自らはベンチに腰掛けず、カナの正面に回って立った。

「…俺は、加奈子に、お前たちが一番嫌がる行為をしてくれと頼んだんだ」

「…」

カナが自分を見る目線は鋭い。目線の高さの差もあるが、無言で上目遣いで強い視線を投げかけてくるカナの眼は、静かに怒りをたたえているようにみえた。

「…加奈子は、ここ数年、穏やかに暮らしていたから、あいつがずっと苦しんでいるということに俺はまったく気づいていなかった」

幼馴染失格だな、これでは。自嘲の笑みが思わず裕貴からこぼれる。

「大学生活に浮かれて、彼女がほしいなんて思って。性経験の無い男は嫌だという彼女の言い分を鵜呑みにして、あろうことか加奈子に練習台になってくれと頼んだ」

ギリ、と裕貴は歯を食いしばった。今思えば一番愚かなことをした。

日々穏やかに暮らしていると思っていた。何の憂いも無いと。

そんなわけは無いのに。いまだに加奈子は人を寄せ付けないし、自分から人に触れることは無い。

家族のように大事だ、彼女は。だから忘れていた、なんて言い訳にはならない。

事件直後、半狂乱になって苦しむ彼女を見ていた。

狂乱状態になることがなくなっても、彼女の眼にはいつも怯えが宿っていたことを、忘れたことなど無かったはずなのに。

…あの日、いつも彼女との約束を優先していたのに、たまたまその日だけは、近所の悪友との約束を優先して遊びに行っていた。たまたま、その日だけだったのだ。だというのに、彼女はそれ以来心を閉ざした。それを見て、激しい罪悪感にとらわれたのだ。

『アイツのことは俺が守る!』

幼い決意だった。だからこそ、年を経るごとに薄れたのだが。

…だけれども、加奈子は、昼を共にしたとき、なんと言ったのか。

『私から自由になれ』と。

ずっと、見透かされていたのか。

多くは語らなかったが、加奈子は自分を捨て置けといったのだ。

カナは、『加奈子ちゃんがいなくなる』そう言った。

加奈子は、もう、自由になりたいのだろうか。

そう思うと、最近の挙動に得心が行く。

妙に達観した言い方、自分たちに指標を示すやり口。

『自分がいなくなっても、みなが悲しまないように』

さりげなく、示していたのか…

裕貴は、自分の鈍さに情けなくなっていた。

「今、お前たちの話を聞いて、気づいたことがある。おそらく、加奈子は自分が消えてでも、お前を外の世界に出してやりたいんだと思う」

ずっとあった違和感。それが、彼女たちの言い分をすべて聞いた今、導かれた気がする。

「加奈子は、おそらくあくまで自分はカナ、お前が生きていくべきだと思っている。だから、あえてカナたちの呼びかけに応えないんだろう。自分がこのまま存在していては、いつまでも君たちは出てこないだろうから」

「俺が、あいつにあんなことを言ったから。ずっと我慢していた感情が、振り切れてしまったのかもしれない」

裕貴は、大きく息を吸い込んで、ベンチに座ってこちらを凝視するカナの目を見据えた。

強い視線が、交差する。

二人とも、息をつめて、お互いを見つめていた。

どれくらい見つめていただろうか。裕貴は、カナの視線を受けたまま、腰を直角に曲げて、頭を大きく下げた。

「――俺のせいだ。すまなかった」

カナは、微動だにせず、ひたすら頭を下げる裕貴のつむじを見つめていた。

再び、強い風が吹きおろす。

公園の木々をさわさわと揺らして、一陣の風が吹きぬけた後、カナは重い口をあけた。

「――さいていだわ」

裕貴は顔を上げなかった。あげる資格もないと思っていたから。

「よりによって、一番感情をかくすのがうまい加奈子ちゃんに、そんなことをいうなんて」

先程までのあどけない声色ではなく、ひたすら暗く、重い口調だった。

「…どうせ、加奈子ちゃんは、おこらなかったでしょう?」

「…ああ」

裕貴は頭を下げたまま答えた。

「加奈子ちゃんなら、おこらないし、泣かないわ。だって――」

わたしたちのまえでも、ずっとそんなことしたことないもの。

カナの声が大きく震え始めたのを感じて、裕貴は顔を上げようとした。

「カ――」

みないで。

強い拒絶の声が響いて、裕貴は歯を食いしばって顔を下ろした。

今の自分には、カナに駆け寄る資格はない。

「最低。加奈子ちゃんの気持ちに気づかないあなたも。――私も。」

ばかだわ。ほんとうに。ばかばっかりだわ…

カナは大きく声を震わせて、すすり泣いた。
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