22 / 86
22
しおりを挟む
街路樹の柔らかな木漏れ日を浴びながら、加奈子と裕貴は連れ立って散歩を楽しんだ。
加奈子が行きたがってた画材店は、大通りから少し裏路地に入ったところにあった。
全体的に古ぼけた小さなビルで、店内への入り口から張り出したビニール製のひさしは、埃や日差しで薄汚れている。
最近見直されているとか言う、『昭和レトロ』ってこんな風なんじゃないか、と裕貴は思った。
横にスライドしてあけるタイプのガラス張りの出入り口、『文明堂』という店名もまた、時代を感じさせるものである。
「こんなところにあったのか…知らなかった」
「私もあの人に聞いてから知ったからね。わりと穴場らしいよ?」
加奈子はそう答えながら、裕貴の腕から抜け出して、時代から取り残されたような、古くいかめしい店内へと吸い込まれていった。
「退屈だと思うから、近くにいてくれたらどこかで時間つぶしてきていいよ~」
「あっ…こら!」
あっという間に後ろ手で出入り口を閉められて、裕貴は苦笑する。
「『恋人設定』じゃなかったのかよまったく…」
近づいてきたと思ったら、本人の気が済むまでかまわれて、こちらがその気になれば向こうはやる気がないとすり抜けられて。
「あいつはマジで猫だよな…」
しかも、野良の黒猫だ、きっとそうだろう。
だから、この腕のぬくもりがなくなって、どこか寂しいと思うのは、かまっている猫がいなくなって寂しい気持ちと、同じはずだ。
だから、ちょっとくらい、お返しに嫌がらせしても、いいはずだ。
「『彼氏』を放置して出歩く彼女さんには、ちょっとお仕置きしないと、なぁ?」
猫へのいやがらせなら、いくらでも思いつく。猫が望まないことをすればいいだけ、なのだ。
だから、デートを忘れて、彼氏をほっぽってふらふら出歩く彼女へのおしおきではないはずだ、決して。
裕貴は、にこやかに笑っていたが、もしこの場に通行人がいたならば、青ざめて大回りをして足早に去って行ったに違いない。
・・・・・・
「いらっしゃい」
加奈子が昼間にしては薄暗さを感じる店内に入るなり、小さいながらも、耳に心地よい低音の男性の響きが彼女を出迎えた。
「相変わらず宮内さん、エスパーみたいですね、こんにちは」
軽く会釈をしながら、加奈子は店の奥から出てきた小柄な老人に駆け寄った。頭髪はふさふさではあるがすべて真っ白、しかし背筋はきれいに伸び、ベストとスラックスという粋な装いは、『イケメンナイスミドル』だと、加奈子は毎度思っている。
「ええと、その『えすぱあ』というのは、超能力者、という意味で、人ならぬ能力を持つ人間という意味でしたか?」
にこやかに笑みをこぼしながら客に応対する姿は、長年の経験によるものなのであろう。
加奈子のような変わった人間に対しても、壁を作らず、相手の話を否定せず理解しようと務める。
柔らかな物腰、やさしい声、心遣いが、加奈子がここを愛用する理由のひとつだった。
「そうですよ宮内さん。いつも、店に入るなりすぐ声をかけてくださるでしょう?何か超能力でもあるんじゃないかっていっつも思ってるんですから」
「そうだねえ、実はあるんですよ。おじいさん実は異世界からやってきたんだ」
「へっ?」
思いがけない言葉に加奈子が若干動揺すると、店主は目の際の皺をさらに深めて、満足げに微笑んだ。
「ふふふ、冗談ですよ」
「はぁぁ、びっくりした…まさか宮内さんがそんな冗談を言うなんて」
「このような老いぼれがそのようなことを言うとは思えませんでしたか?」
加奈子が首肯すると、店主は満足げに微笑む。
「戦前から生きる老いぼれですが…昔は、あなた方が思うよりも自由だったのですよ」
「そうなんですね」
「なかなかもう…このような話をする相手も、機会もありませんが」
透明な微笑を浮かべる店主。加奈子には、彼が生きてきた時代の重みを感じる気がした。
「その代わり、あなた方には、千代さんにお友達になっていただきましたから」
「いえいえ!千代ちゃんには、とてもお世話になっているんです!」
店主はにこにこと微笑む。子宝に恵まれず、孫もない寂れた文具店の店主。
妻には苦労ばかりをかけた。
そんな苦労をおくびにも出さず、いつも幸せですよ、楽しいですよと声をかけてくれる妻。そんな彼女に、
「お友達ができたんですよ」
と頬を赤らめ、
「孫みたいなんですけれど、お友達だって仰るの。こんな婆に。とても嬉しくって」
年の離れた友人として接してくれるこのお嬢さんは、彼にとっても大事な友人であり、そしてお客さんだった。
「遊びに来るだけはお店に悪いから」
と、ことあるごとに商品を買っていき、
「お二人でどうぞ」
と、菓子などのみやげ物をくれる。
老いさらばえて、いつか孤独に死ぬものだと思っていた人生の終わりの日々は、
色を取り戻し、鮮やかに目を彩るようになっていた。
妻も、一時期よりも顔色がよくなり、いきいきとした顔をするようになった。
老いてもなお、可愛らしく美しい女性だと思う妻がさらに輝くのは、夫として誇らしくもあり、嬉しいものであった。
そんな彼女に、新しい世界を教え、ともに愉しむ機会をくれた彼女たちには、感謝の念しかない。
『少々毛色が違う恋愛ものですが、もともと男色、衆道なんて昔からあったものですしね』
店主の心の広さは、腐女子化した妻を問題なく許容できるほど、まれに見る広さであった。
加奈子が行きたがってた画材店は、大通りから少し裏路地に入ったところにあった。
全体的に古ぼけた小さなビルで、店内への入り口から張り出したビニール製のひさしは、埃や日差しで薄汚れている。
最近見直されているとか言う、『昭和レトロ』ってこんな風なんじゃないか、と裕貴は思った。
横にスライドしてあけるタイプのガラス張りの出入り口、『文明堂』という店名もまた、時代を感じさせるものである。
「こんなところにあったのか…知らなかった」
「私もあの人に聞いてから知ったからね。わりと穴場らしいよ?」
加奈子はそう答えながら、裕貴の腕から抜け出して、時代から取り残されたような、古くいかめしい店内へと吸い込まれていった。
「退屈だと思うから、近くにいてくれたらどこかで時間つぶしてきていいよ~」
「あっ…こら!」
あっという間に後ろ手で出入り口を閉められて、裕貴は苦笑する。
「『恋人設定』じゃなかったのかよまったく…」
近づいてきたと思ったら、本人の気が済むまでかまわれて、こちらがその気になれば向こうはやる気がないとすり抜けられて。
「あいつはマジで猫だよな…」
しかも、野良の黒猫だ、きっとそうだろう。
だから、この腕のぬくもりがなくなって、どこか寂しいと思うのは、かまっている猫がいなくなって寂しい気持ちと、同じはずだ。
だから、ちょっとくらい、お返しに嫌がらせしても、いいはずだ。
「『彼氏』を放置して出歩く彼女さんには、ちょっとお仕置きしないと、なぁ?」
猫へのいやがらせなら、いくらでも思いつく。猫が望まないことをすればいいだけ、なのだ。
だから、デートを忘れて、彼氏をほっぽってふらふら出歩く彼女へのおしおきではないはずだ、決して。
裕貴は、にこやかに笑っていたが、もしこの場に通行人がいたならば、青ざめて大回りをして足早に去って行ったに違いない。
・・・・・・
「いらっしゃい」
加奈子が昼間にしては薄暗さを感じる店内に入るなり、小さいながらも、耳に心地よい低音の男性の響きが彼女を出迎えた。
「相変わらず宮内さん、エスパーみたいですね、こんにちは」
軽く会釈をしながら、加奈子は店の奥から出てきた小柄な老人に駆け寄った。頭髪はふさふさではあるがすべて真っ白、しかし背筋はきれいに伸び、ベストとスラックスという粋な装いは、『イケメンナイスミドル』だと、加奈子は毎度思っている。
「ええと、その『えすぱあ』というのは、超能力者、という意味で、人ならぬ能力を持つ人間という意味でしたか?」
にこやかに笑みをこぼしながら客に応対する姿は、長年の経験によるものなのであろう。
加奈子のような変わった人間に対しても、壁を作らず、相手の話を否定せず理解しようと務める。
柔らかな物腰、やさしい声、心遣いが、加奈子がここを愛用する理由のひとつだった。
「そうですよ宮内さん。いつも、店に入るなりすぐ声をかけてくださるでしょう?何か超能力でもあるんじゃないかっていっつも思ってるんですから」
「そうだねえ、実はあるんですよ。おじいさん実は異世界からやってきたんだ」
「へっ?」
思いがけない言葉に加奈子が若干動揺すると、店主は目の際の皺をさらに深めて、満足げに微笑んだ。
「ふふふ、冗談ですよ」
「はぁぁ、びっくりした…まさか宮内さんがそんな冗談を言うなんて」
「このような老いぼれがそのようなことを言うとは思えませんでしたか?」
加奈子が首肯すると、店主は満足げに微笑む。
「戦前から生きる老いぼれですが…昔は、あなた方が思うよりも自由だったのですよ」
「そうなんですね」
「なかなかもう…このような話をする相手も、機会もありませんが」
透明な微笑を浮かべる店主。加奈子には、彼が生きてきた時代の重みを感じる気がした。
「その代わり、あなた方には、千代さんにお友達になっていただきましたから」
「いえいえ!千代ちゃんには、とてもお世話になっているんです!」
店主はにこにこと微笑む。子宝に恵まれず、孫もない寂れた文具店の店主。
妻には苦労ばかりをかけた。
そんな苦労をおくびにも出さず、いつも幸せですよ、楽しいですよと声をかけてくれる妻。そんな彼女に、
「お友達ができたんですよ」
と頬を赤らめ、
「孫みたいなんですけれど、お友達だって仰るの。こんな婆に。とても嬉しくって」
年の離れた友人として接してくれるこのお嬢さんは、彼にとっても大事な友人であり、そしてお客さんだった。
「遊びに来るだけはお店に悪いから」
と、ことあるごとに商品を買っていき、
「お二人でどうぞ」
と、菓子などのみやげ物をくれる。
老いさらばえて、いつか孤独に死ぬものだと思っていた人生の終わりの日々は、
色を取り戻し、鮮やかに目を彩るようになっていた。
妻も、一時期よりも顔色がよくなり、いきいきとした顔をするようになった。
老いてもなお、可愛らしく美しい女性だと思う妻がさらに輝くのは、夫として誇らしくもあり、嬉しいものであった。
そんな彼女に、新しい世界を教え、ともに愉しむ機会をくれた彼女たちには、感謝の念しかない。
『少々毛色が違う恋愛ものですが、もともと男色、衆道なんて昔からあったものですしね』
店主の心の広さは、腐女子化した妻を問題なく許容できるほど、まれに見る広さであった。
0
お気に入りに追加
40
あなたにおすすめの小説
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
官能令嬢小説 大公妃は初夜で初恋夫と護衛騎士に乱される
絵夢子
恋愛
憧れの大公と大聖堂で挙式し大公妃となったローズ。大公は護衛騎士を初夜の寝室に招き入れる。
大公のためだけに守ってきたローズの柔肌は、護衛騎士の前で暴かれ、
大公は護衛騎士に自身の新妻への奉仕を命じる。
護衛騎士の目前で処女を奪われながらも、大公の言葉や行為に自分への情を感じ取るローズ。
大公カーライルの妻ローズへの思いとは。
恥辱の初夜から始まった夫婦の行先は?
~連載始めました~
【R-18】藤堂課長は逃げる地味女子を溺愛したい。~地味女子は推しを拒みたい。
~連載中~
【R-18有】皇太子の執着と義兄の献身
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる