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4話 痛くもかゆくもない
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「何を考えているんだ!」
だん、と強く机を打ち付けたのは私の父である男。
シリルが私と同じ空間にいたくないからと帰ってすぐ、呼び出された。
父の横にはセリーヌがむすっとした顔で立っている。ずいぶんと泣きつくのが早い。
もう少し耐えてくれるかと思っていたけど、セリーヌは堪え性がないようだ。
「何をと言われても……言われたとおりにしただけですが」
「シリル卿を怒らせ、それどころかセリーヌを侮辱したのだろう! 誰がそんなことをしろと言った!」
私が何をしたか知れば怒るだろうことは予想していた。
彼らにとって私は役立たずの無能である。そんな私が口答えすることすら腹正しいだろうから、侮辱するなんてもってのほかだろう。
「ですが……シリル様は私のことをひどい人のようにおっしゃっておりました。それで念のためほかの方にも確認したところ、みなさま同じようにおっしゃったので……記憶を失ったと悟られないようにふるまったつもりなのですが……問題ありましたか?」
「それは……」
口ごもるのは、クラリスとしてふるまうように命じたからだろう。
それなのにクラリスはそんなことしないと言えば、ならどうしてシリルがそんな勘違いをしているのか、というところに繋がる。
ただの勘違いだと言われたら、正してほしいとお願いするつもりだし、セリーヌの行動は姉の婚約者相手にはふさわしくないと言うつもりだ。
そして、シリルの前では猫を被っていたと言われたら、もう知っているようなので開き直るほうが自然だと思いましたと言うだけだ。
だけどきっと、そのどちらも選ばないだろう。
「……婚約を継続させろと言ったはずだ。彼を怒らせて婚約を解消されたらどうする」
案の定、父はクラリスがどういう人だったかは曖昧にし、私の行動の問題点だけを指摘することを選んだ。
クラリスの人間性に触れても彼らに得はない。
彼らは私が何も知らないのをいいことに、自分たちの都合のいいようにしたいだけだ。
無能で役立たず以上の情報は必要なく、そうふるまってほしいから必要以上の情報を与えようとはしない。
「それでしたらご安心ください。シリル様は私のことを嫌っているようでしたが、それでも婚約は解消されないとおっしゃっておりました。ですので、些細なことでは解消されません」
「だが……アヒレス侯が知れば黙ってはいないはずだ!」
そのアヒレス侯とやらはシリルの訴えを退け、私との婚約の継続を望んでいる。
おそらく、彼もクラリスが継ぐ予定の遺産が目当てなのだろう。
私とシリルが結婚すれば、私のものはアヒレス家のものになると考えている可能性が高い。
「そこもご安心ください。アヒレス侯は私の性格は気にされていないようです。そうシリル様がおっしゃっておりました」
クラリスが死を選ばず、シリルとの結婚生活を続けられたとしても、幸せな生活とは言えなかっただろう。
自分を嫌っている夫に、クラリス自身には興味がない婚家。自分を見てくれない場所に身を置いても、心をすり減らすだけになるのは目に見えている。
「だが……」
「お父さま!」
言いよどむ父にセリーヌが声を張り上げる。
侮辱されたのは彼女自身なのだから、どうにかしてほしい――それこそ、私に罰のひとつぐらい与えてほしいと思っていそうだ。
私を睨む目は怒りが満ちている。
「……いいか、次私の娘を侮辱したら、そのときは黙っていないからな」
脅すように吠えられても痛くもかゆくもない。
「肝に銘じておきます」
一礼して、部屋を出る。
それにしても、わかりきっていたことだがやはり、父の中で私は娘にカウントされていないようだ。
やはりここは、いざというときに匿ってくれそうな場所を探すべきか。
父の親戚は望みは薄いだろう。ならば母の――実母の親戚はどうだろうか。
ひとりぐらい助けになる人がいるといいけど、問題はどうやって探すかだ。
実母の親戚事情を聞いても答えてくれそうな人はこの家にはいない。
そしてこの家以外で私が話をできる相手は――
「今日もお会いできて嬉しいです」
にっこりと、不機嫌そうに座っているシリルに笑いかける。
シリルとの面会は月に一度、設けられている。
だから次まで一か月ほど空くはずが、意外にも一週間もしないうちに私を訪ねてきた。
「俺は会いたくなかったがな」
「会いに来てくださったのにそんなこと言うなんて、シリル様は素直ではないのですね」
うふふと顔をほころばせると、シリルは不快そうに顔をしかめた。
「この間あんなことがあったから、セリーヌに何かしていないか確認しに来ただけだ」
「ご安心ください。あんな子に構っている暇はないので」
実際、セリーヌに構う暇なんてなかった。
鬱憤を晴らすように分刻みで予定を組まれ、教育は朝と昼どころか深夜にまで食い込んだ。
しかも体罰まで解禁されたのだから、セリーヌにちょっかいをかける余裕なんてあるはずがない。
「お前の言葉など信じられるものか」
「ではどうやって確かめるおつもりですか……まさか泊まっていって、朝から晩まで見張るおつもりで?」
私としてはそれでもいいが、父はなんて言うだろうか。
「そんなことするわけが……ん? お前、それはなんだ」
涼しい顔でお茶を飲んでいただけなのに、シリルは眉をひそめてじっと凝視している。
どこか不自然なところでもあっただろうか。お茶の飲み方は大丈夫だと思っていたけど、何か間違えたのかもしれない。
「それとおっしゃられてもなんのことでしょうか」
「今袖から何か見えたような気がしたが……」
ああ、なるほど。失敗したときに受けた傷のことか。
赤くなるまで打つなんて、鬱憤を晴らすことが先行し、誰かに見つかる可能性を考えていないのがよくわかる。
だからこうして、指摘されてしまったではないか。
「あら、私の体が気になるんですの? でしたら腕以外にも色々と見せてさしあげますよ。是非にとおっしゃるのなら、ですが」
くすりと笑うと、見事なまでにシリルの顔が歪んだ。
だん、と強く机を打ち付けたのは私の父である男。
シリルが私と同じ空間にいたくないからと帰ってすぐ、呼び出された。
父の横にはセリーヌがむすっとした顔で立っている。ずいぶんと泣きつくのが早い。
もう少し耐えてくれるかと思っていたけど、セリーヌは堪え性がないようだ。
「何をと言われても……言われたとおりにしただけですが」
「シリル卿を怒らせ、それどころかセリーヌを侮辱したのだろう! 誰がそんなことをしろと言った!」
私が何をしたか知れば怒るだろうことは予想していた。
彼らにとって私は役立たずの無能である。そんな私が口答えすることすら腹正しいだろうから、侮辱するなんてもってのほかだろう。
「ですが……シリル様は私のことをひどい人のようにおっしゃっておりました。それで念のためほかの方にも確認したところ、みなさま同じようにおっしゃったので……記憶を失ったと悟られないようにふるまったつもりなのですが……問題ありましたか?」
「それは……」
口ごもるのは、クラリスとしてふるまうように命じたからだろう。
それなのにクラリスはそんなことしないと言えば、ならどうしてシリルがそんな勘違いをしているのか、というところに繋がる。
ただの勘違いだと言われたら、正してほしいとお願いするつもりだし、セリーヌの行動は姉の婚約者相手にはふさわしくないと言うつもりだ。
そして、シリルの前では猫を被っていたと言われたら、もう知っているようなので開き直るほうが自然だと思いましたと言うだけだ。
だけどきっと、そのどちらも選ばないだろう。
「……婚約を継続させろと言ったはずだ。彼を怒らせて婚約を解消されたらどうする」
案の定、父はクラリスがどういう人だったかは曖昧にし、私の行動の問題点だけを指摘することを選んだ。
クラリスの人間性に触れても彼らに得はない。
彼らは私が何も知らないのをいいことに、自分たちの都合のいいようにしたいだけだ。
無能で役立たず以上の情報は必要なく、そうふるまってほしいから必要以上の情報を与えようとはしない。
「それでしたらご安心ください。シリル様は私のことを嫌っているようでしたが、それでも婚約は解消されないとおっしゃっておりました。ですので、些細なことでは解消されません」
「だが……アヒレス侯が知れば黙ってはいないはずだ!」
そのアヒレス侯とやらはシリルの訴えを退け、私との婚約の継続を望んでいる。
おそらく、彼もクラリスが継ぐ予定の遺産が目当てなのだろう。
私とシリルが結婚すれば、私のものはアヒレス家のものになると考えている可能性が高い。
「そこもご安心ください。アヒレス侯は私の性格は気にされていないようです。そうシリル様がおっしゃっておりました」
クラリスが死を選ばず、シリルとの結婚生活を続けられたとしても、幸せな生活とは言えなかっただろう。
自分を嫌っている夫に、クラリス自身には興味がない婚家。自分を見てくれない場所に身を置いても、心をすり減らすだけになるのは目に見えている。
「だが……」
「お父さま!」
言いよどむ父にセリーヌが声を張り上げる。
侮辱されたのは彼女自身なのだから、どうにかしてほしい――それこそ、私に罰のひとつぐらい与えてほしいと思っていそうだ。
私を睨む目は怒りが満ちている。
「……いいか、次私の娘を侮辱したら、そのときは黙っていないからな」
脅すように吠えられても痛くもかゆくもない。
「肝に銘じておきます」
一礼して、部屋を出る。
それにしても、わかりきっていたことだがやはり、父の中で私は娘にカウントされていないようだ。
やはりここは、いざというときに匿ってくれそうな場所を探すべきか。
父の親戚は望みは薄いだろう。ならば母の――実母の親戚はどうだろうか。
ひとりぐらい助けになる人がいるといいけど、問題はどうやって探すかだ。
実母の親戚事情を聞いても答えてくれそうな人はこの家にはいない。
そしてこの家以外で私が話をできる相手は――
「今日もお会いできて嬉しいです」
にっこりと、不機嫌そうに座っているシリルに笑いかける。
シリルとの面会は月に一度、設けられている。
だから次まで一か月ほど空くはずが、意外にも一週間もしないうちに私を訪ねてきた。
「俺は会いたくなかったがな」
「会いに来てくださったのにそんなこと言うなんて、シリル様は素直ではないのですね」
うふふと顔をほころばせると、シリルは不快そうに顔をしかめた。
「この間あんなことがあったから、セリーヌに何かしていないか確認しに来ただけだ」
「ご安心ください。あんな子に構っている暇はないので」
実際、セリーヌに構う暇なんてなかった。
鬱憤を晴らすように分刻みで予定を組まれ、教育は朝と昼どころか深夜にまで食い込んだ。
しかも体罰まで解禁されたのだから、セリーヌにちょっかいをかける余裕なんてあるはずがない。
「お前の言葉など信じられるものか」
「ではどうやって確かめるおつもりですか……まさか泊まっていって、朝から晩まで見張るおつもりで?」
私としてはそれでもいいが、父はなんて言うだろうか。
「そんなことするわけが……ん? お前、それはなんだ」
涼しい顔でお茶を飲んでいただけなのに、シリルは眉をひそめてじっと凝視している。
どこか不自然なところでもあっただろうか。お茶の飲み方は大丈夫だと思っていたけど、何か間違えたのかもしれない。
「それとおっしゃられてもなんのことでしょうか」
「今袖から何か見えたような気がしたが……」
ああ、なるほど。失敗したときに受けた傷のことか。
赤くなるまで打つなんて、鬱憤を晴らすことが先行し、誰かに見つかる可能性を考えていないのがよくわかる。
だからこうして、指摘されてしまったではないか。
「あら、私の体が気になるんですの? でしたら腕以外にも色々と見せてさしあげますよ。是非にとおっしゃるのなら、ですが」
くすりと笑うと、見事なまでにシリルの顔が歪んだ。
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