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24.助け舟

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「アシュトン……それは、つまり、どういうことだ……」
「実際のところ、名前なんてどうにでもなるんですよ。クラルヴェインでは養子を迎える際に新しく名前をつけることもできますしね。オリヴィア・アルデルクの人生とは言えないかもしれませんが……彼女が築いた知識が失われるわけではありませんし、エミールではない人生を歩むことは簡単にできます」

 困惑したアルベルト殿下の言葉にアシュトン卿が明朗な声で答えていく。
 だけど彼が聞きたいのは――ついでに私が聞きたいのも――そういうことではない。

「いや、結婚を申し込むと聞こえたのだが……ああ、そうか、聞き間違いか」
「いえ、それは聞き間違いではありませんよ。つまり、彼女がアルデルクではないオリヴィアとして生きる覚悟を持つのであれば、ここで結婚相手を探すこともできますし……最悪見つからなくても俺が結婚を申し込むので、何も心配はいらないということです」

 ぽかんと呆けている私とは対照的に、アルベルト殿下は信じられないとばかりに目を見開き、それからアシュトン卿をにらみつけた。
 怒りに満ちたまなざしを受けてもアシュトン卿は涼しい顔のままアルベルト殿下を見据えている。

「お前は、まさかずっとオリヴィアに懸想していたのか……だからここまで連れてきたと……自分のものにするために」
「それは違います。あいにく、俺は主人の婚約者に想いを寄せるほど不義理な人間ではありませんよ」

 あっさりとした口振りにほっとする反面、少しだけ残念な気持ちがわいてしまう。
 そんな自分に心の中で先ほどとは違うざわめきが起きる。どうしてそんな気持ちがわいたのか、自分でもわからない。
 つい一か月前までアルベルト殿下の婚約者で、つい先ほどまで彼に恋心を抱いていたはずなのに、アシュトン卿が私に恋心を抱いていないことを残念に思うなんて。
 ふしだらな女ではないと、自分では思っていたはずなのに。

「ならば、なぜ……!」
「殿下が俺の主人だったのは一か月前までです。ひと月もあれば、恋をするには十分でしょう?」

 つまり、それは――

「目の前で好いた相手が理不尽な要求を突き付けられているんですから、助け舟を出すぐらいはしますよ」

 心臓が早鐘を打つ。いけないとわかっているのに、アシュトン卿の言葉が嬉しくて、顔が熱くなる。
 これまでとは違う気持ちがあふれて、泣きたくなる。

「だが、僕の臣下であることには変わりないはずだ! 伯爵位を継がないのだとしても、なんらかの爵位を得て臣下に降るのであれば――」
「おや、聞いていませんか? 俺はレイルシュトン家を継ぐためにここにいるんですよ。つまり、俺が忠誠を誓う相手はティルテシアの王ではなく、クラルヴェイン王ということになりますね。それに、そうでなくても殿下の元婚約者――いえ、婚約者の家族に求婚したところでなんの問題もないはずです」
「なっ……そ、そんな話、僕は聞いてない……」
「ふむ……おかしいですね。殿下の側仕えを辞める際に提示したはずですが……婚約者に翻弄されて、書類を確認しそびれましたか?」

 私も聞いていない。
 いやでも、よくよく考えてみれば、その可能性は十分あった。この家にいるのはレイルシュトン夫人と使用人だけ。レイルシュトン当主は仕事で出払っていると聞いていたけど、彼らの子供の姿がこの家にはなかった。
 そしてレイルシュトン夫人は一度も、アシュトン卿にいつまでいるのかとは聞かなかったし、やけに親しそうだった。

 それは、アシュトン卿を家族として迎え入れたからというのなら――跡継ぎのいないこの家に、彼が養子として来たのだとしたら。

「アシュトン卿が城のパーティーに招待されたのも、次期当主として、だったのですか?」
「まあ、そういうことになりますね。クラルヴェインは寛容な国ですが、王族を招いたパーティーにどこの誰ともしれない他国の貴族を無条件で招待したりしませんよ」

 いろいろと衝撃が強すぎて、アルベルト殿下を前にして抱いていたものが吹き飛んでいきそうだ。
 ぐちゃぐちゃに塗られたものが、一気に塗り替えられていくような――なんとも表現し難い気持ちになる。

「そういうことですので殿下、お引き取りください。たとえ殿下が何を言おうと、彼女は頷かないでしょう」
「そんなことは……ない。僕のところに戻ってくるのがオリヴィアのためだと、彼女もわかっているはずだ」

 アルベルト殿下の緑色の瞳が私に向く。まっすぐなまなざしを向けられても、先ほどのように心がざわめくことはない。
 小さく息を吸う。アルベルト殿下に抱いていた感情、これまであった未練、すべて吐き出すために。

「アルベルト殿下。たとえ何があろうと、私はあなたのもとには戻りません。オリヴィア・アルデルクはあの日に終わったのです」
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