43 / 43
終話
しおりを挟む
船が海面を滑るように進んでいく。
波はほとんどなく、船の動きに合わせた揺らめきを眺めているルシアンのもとに鳥が一羽、舞い降りた。
その足に括り付けられている文を取ると、鳥はまた飛び立っていく。ルシアンはそれには目を暮れず、小さな紙片を広げ、苦笑をもらす。
(伯爵と、その娘は死んだ、か……)
伯爵は毒を呷り、アラベラは処刑されたという端的な文章が、紙に綴られていた。
(兄上は自身の過ちに気づいてくれただろうか)
王は民を守り導く存在ではあるが、同時に民に支えられている存在でもある。だがいつからか、ラファエルはひとりで立とうと考え、そのとおりに動くようになった。
なんのための家臣なのか、なんのために城で働く者がいるのか。そう苦言を呈する者は意識してか、あるいは無意識にかはわからないが、距離を取られ、ラファエルの近くに残ったのは、彼にとって耳障りのよい言葉を囁く者だけになった。
自分が王になっていればよかったのでは。そう思うこともあったが、きっと結果は変わらなかっただろう。
弟に玉座を奪われたと恨み、きっとその憎しみで彼の目も心も曇ったに違いない。
誰にも脅かされない生活で満足するには、第一王子という立場は重すぎた。
民を率いる王になることを義務として育てられ、向上心も責任感もあった。それなのに、いや、だからこそというべきか。ラファエルのなかにあった向上心も責任感も、今ではねじれ、歪んでしまった。
ルシアンと玉座を争ったせいか、クリスティーナを妃に望んだことで生じた軋轢のせいか、父王が病で倒れ若くして玉座に就くことになったせいか。
様々な要因が重なり、『自分が』なんとかしないと、という思いに囚われ、そしていつしか自身のことしか見えなくなっていた。
「何かあったの?」
少し離れたところから聞こえた声に、ルシアンはなんでもないと笑みを浮かべて首を振る。
もっと早く、ラファエルがクリスティーナとの婚約を解消しないと決めた時点で、クリスティーナが政略上、なんの役にも立たないと決まった時点で、王になると志せていればまた違っただろう。
幼いときであれば、ラファエルも聞く耳を持ってくれていたかもしれない。
もっとこうしていれば、ああしていればという考えはいくらでも浮かぶ。だがいくら考えようと、時間を巻き戻すことはできない。
「船は初めてでしたよね。気分が悪くなったりはしていませんか?」
「ええ。おかげで、快適に過ごせているわ」
今からでも遅くはない。ラフェルを御し、王にと望まれたこともあった。
だがそれに頷くことはできなかった。
もしもルシアンがラファエルに代わり王になれば、クリスティーナはどうなる。ラファエルが死ねば、クリスティーナは嘆くだろう。
死なずとも、一度は王になったというのに奪われたとなればラファエルは荒れ、彼のそばにいるクリスティーナはよりいっそう傷つくことになる。
王になると志すには、あまりにも遅すぎた。
(それに俺も、王にふさわしい器ではない)
民のため家臣のためではなく、たったひとりの女性のために国を出る。そう決めた時点で――そう決められる時点で、王になるべきではない。
「それにしても……本当に、あんな嘘をついてもよかったのかしら」
「そのぐらいしなければ、兄上も納得しなかったでしょうから」
ルシアンは柔らかな笑みを浮かべながら、アラベラと伯爵が死んだという知らせを手の中で握りつぶす。
直接的ではないにしても、人が死んだと聞けば、クリスティーナは悲しむだろう。
これまで散々傷つけられた彼女の心に、これ以上傷を負わせたくはない。
「危険性があったのは事実ですから……それに、自身の行動次第で取返しのつかないことになるのを目の当たりにしたので、きっとこれからは慎重になってくださるはずですよ」
「……けれど……あなたまで巻き込んでしまって、申し訳ないわ」
「義姉上には……いえ、クリスティーナ様には昔からよくしただいていましたので、その恩を返すだけなのだと思っていただければ……それに薬を与えたのは俺です。責任は最後まで取ります」
「……ありがとう」
両の足で立ち、慎ましく微笑む彼女に、ルシアンも柔らかな笑みを返す。
抱いた思いも浮かぶ考えもすべて飲み込んで。
「それよりも、今はもっとほかのことを考えませんか? たとえば――」
ただ彼女の心がいつまでも穏やかでいられるように。傷ついた心が癒えるようにと願いながら、船を降りたら何をするか、新しい地で何ができるか、幸せな未来が描けるような話だけを紡いだ。
しおりを挟む
あなたにおすすめの小説
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
mios
恋愛
公爵令嬢の婚約者を捨て、男爵令嬢と大恋愛の末に結婚した第一王子。公爵家の後ろ盾がなくなって、王太子の地位を降ろされた第一王子。
念願の子に恵まれて、産まれた直後に齎された幼い王子様の訃報。
国中が悲しみに包まれた時、侯爵家に一報が。
ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。
このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。
そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。
ーーーー
若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。
作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。
完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。
第一章 無計画な婚約破棄
第二章 無計画な白い結婚
第三章 無計画な告白
第四章 無計画なプロポーズ
第五章 無計画な真実の愛
エピローグ
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
春野オカリナ
恋愛
アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。
それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。
薬の名は……。
『忘却の滴』
一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。
それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。
父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。
彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【どうやら私は婚約者に相当嫌われているらしい】
「おい!もうお前のような女はうんざりだ!今日こそ婚約破棄させて貰うぞ!」
私は今日も婚約者の王子様から婚約破棄宣言をされる。受け入れてもいいですが…どうせなら、然るべき場所で宣言して頂けますか?
※ 他サイトでも掲載しています
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。