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35話

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 手紙に目を通したラファエルはその内容に、顔を歪めた。

(腹立てている、だと……)

 クリスティーナがいなくなり悲しんでいるのではなく、勝手なことをしたと怒っているのだと――彼女は思っていたということだ。
 たしかに、馬鹿な真似をと思いもした。もっと注意していればと考えもした。だがそれは、彼女がいなくなったということが信じられなくて、どうすればよかったのかと悩んだからだ。
 その先に続いた手紙の内容も、ラファエルには信じがたいものばかりだった。

 しおらしく、自らの行いを悔やんでいるから、ではない。
 最初から最後まで、ラファエルの行いだけを責めているからだ。

(違う、僕は……君を守るために……)

 話を聞いてくれなかったことを、隣に寄り添ってくれなかったことを、互いに支え合うことができなかったことを――それなのにどうして、王妃にしたのか、と。

『形だけの王妃の座なら、私はいりませんでした』

 いつかの言葉が手紙に重なる。
 もしもあのとき彼女の話を真剣に聞いていれば。病気ではなかったとわかって安心して、それで終わらせるのではなく、もっと耳を傾けていれば、違う未来がやってきていたのだろうか。

 だがあの当時は政務が重なり忙しくて、わざわざ時間を作ることは難しかった。

 それもこれも、完璧な王になるためだ。彼女を守るために、誰からも非難されることのない王になるのだと、ずっとそう思って、目指していた。
 だから今だけだから、あと少しだけクリスティーナに待っていてもらえれば、すべてがうまくいくはずで。
 そうすれば、完璧な王になれるはずだと。

『目的と手段を取り違えた兄上と話すことはもうありません』

 冷ややかな目で、淡々とした声で言うルシアンの姿がよみがえる。
 取り違えたつもりはない。クリスティーナを守るための、完璧な王だ。それなのにどうして、彼女は最後の手紙でラファエルを責める言葉を残していったのか。

(最後に話したとき、彼女は……)

 何をしていたのか。そこから手掛かりを見つけられるかもしれないと記憶をあさり――彼女が毒を飲む前日、参加したパーティーのことを思い出す。
 公的なものではなく、招待されたパーティーだった。万が一にでも転んだり怪我をしたりしないように、細心の注意を払うべくアラベラを隣に置いていた。
 そのとき、クリスティーナはどこにいたのか。そして帰ってきたときも、彼女と言葉を交わした記憶がない。
 部屋に戻る前に、侍従に彼女にも拭くものをと言おうと振り向いたときには彼女の姿はもうなくて――私的な会話をしたのは、いつが最後だったのか。

(いつからだ)

 彼女の笑う顔をいつも近くで見たいと思っていて、彼女との時間を削ることはしなかった。
 だが王になってからは、前よりもやることが増え、次第に彼女との時間が減っていった。だがそれでも、語り合う時間ぐらいはあった。

「陛下。申し訳ございません……渡そうとは思っていたのですが、あなたが傷つく姿を見ていたら、どうしても渡すことができず……」

 聞こえてきた声に顔をしかめる。
 完璧な王になるのだと――クリスティーナを守るためだからと思ってアラベラを隣に置いた。それなのにどうして今、クリスティーナはラファエルのもとにはいないで、彼女だけがここに残っているのか。

「出ていけ」

 隣にいてほしいと思ったのはクリスティーナだけのはずだった。それなのに、どうしてこうなったのか。
 どこで間違えたのか。
 完璧な王になるのだと――ここまでしたのだから、結果がほしいと、そう思いはじめてしまったのは、いつだったのか。

「陛下? 今、なんと――」
「今すぐに、ここから出ていけ」

 伯爵の言葉に耳を貸してしまったのが間違いだったのだと、ラファエルの顔が歪む。
 もしもそんなことはしないと断固として拒否していれば、今もクリスティーナはラファエルのそばにいたかもしれない。

「か、隠していたのは大変申し訳なく……ですが、それもこれも陛下のためを思って……」
「そんなことはどうでもいい……! 今すぐに、ここから――この城から出ていけ!」

 クリスティーナの手紙が処分されず残されていたのは、一見するとしおらしく思えるものだった。だがそれは、彼女の心の内を赤裸々に書き連ねれば、誰かに処分されるのではと思ったからなのではないか。
 現に、ラファエルの手に届く前に使用人が手にし、アラベラに渡している。
 どうして、クリスティーナの侍女がアラベラとそのようなやり取りをできるのか。
 そしてどうして、手紙を託されたことを、ラファエルには報告されていないのか。アラベラには監視役の騎士をつけたのに、どうして誰もそんな話をちらりともしなかったのか。

 私的な文書ですら思い通りにならないのであれば、この城に――彼女のそばに、味方はいたのか。

「陛下、どうしてそのような……あと少しだと、陛下もわかっているではありませんか。この、宿った命が生まれてくれば、それで終わるのだと」

 アラベラの手が彼女の腹に置かれている。
 子を宿した兆しがあると告げられたのは、二ヵ月前。その子が生まれれば、すべて終わるはずだった。
 子をなせると証明できたのならしかるべき血筋の女性に子を産んでもらい、クリスティーナの子として育てれば、完璧な王になれるはずだった。
 だから彼女の体調に気を遣い、今まで以上に気を張った。万が一にも、子が失われないように。

「……そんなことに、なんの意味がある。もはや、なんの意味もない」

 それもこれも、すべてはクリスティーナのためだった。それなのに、クリスティーナはラファエルのもとを去った。他の誰でもないラファエルを責める手紙を残して、この世を去る覚悟まで決めた。
 その時点で、完璧な王になるのだという目標から意味が失われたのだと――ようやく、気づいた。
 
「クリスティーナがいないのならば、なんの意味もない。そもそも、その子だって僕の子がどうかすらわからないではないか」

 監視役が監視として機能していなかったのだとしたら、いくらでも情を交わすことはできる。ラファエルが政務に勤しんでいる間、誰かを連れ込むことは不可能ではない。それこそ、護衛の騎士が相手をすることだってできる。
 ラファエル宛の手紙をアラベラに渡した侍女、監視をするはずだった騎士、そして王妃のための予算を着服した者たち。クリスティーナだけではない、この城に己の味方がいるのか――それすらも、わからなくなる。

「陛下、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。この子は間違いなく陛下の子です」
「今さら、何を信じられる! お前の言葉を信じるだけの証拠がどこにある! 今すぐにここから出ていけ、さもなくば――」

 ラファエルの手が腰にさげた剣に触れ、アラベラは顔を青ざめさせて息をのんだ。

「今すぐにその腹を割いて、証明してみせようか」
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