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20話
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「何をしに来たんですか、兄上」
いつまで応接室で待たせるつもりかと苛々としていたラファエルの耳に、冷え冷えとした声が届く。
声の主は彼の弟であるルシアンで、彼の瞳も声同様冷たい色をたたえていた。
「何を、だと? 言わなければわからないととぼけるつもりか」
「わかりません。兄上は城内の不正を暴くことに尽力すべきなのにどうしてこんなところにいるのか……考えたくもありません」
咎めるようなルシアンの言葉にラファエルは歯噛みする。
クリスティーナの侍女の不正が暴かれたばかりなのだから、誰か関わっているのかを正確に把握するために調査すべきだということは、ラファエルにもわかっていた。
だがそれでも、もしかしたらという希望が消えずに飛び出してしまった。
「……確認すればすぐに戻るつもりだ」
「何を確認するのですか? 俺は頼まれたとおりこの地を治めています。公爵にふさわしい動きをしているはずですが」
「……クリスティーナはどこにいる」
「墓の中でしょう。葬儀を行ったことを忘れましたか?」
「お前が隠していることはわかっている! でなければ、そんなに落ち着いていられるものか!」
はあ、と深いため息が落とされる。苛々としたラファエルの様子に呆れたのだろう。ルシアンはラファエルの対面に腰を下ろすと「で?」と短く問いかけた。
「義姉上がもしも生きていたとして、それでどうするつもりですか」
「そんなの決まっているだろう。連れて帰る」
ラファエルの妻はクリスティーナただひとり。それは彼女を守ると決めた日から変わっていない。
いつだってラファエルは彼女のことを考えてきた。彼女のために完璧な王になろうとしてきた。彼女を守るために、何を犠牲にしてでも――
「連れて帰って、また誰も守ってくれない城に彼女を留める、と……?」
「っ、僕がいるだろう……!」
「兄上がいつ彼女を守りましたか。教えてください。いつどうやって、彼女を守ったのか」
そんなものは数えきれないほどある。眠れないと泣いていた夜には手を握って一緒に眠り、王太子妃にはふさわしくないと言われる彼女にいつだって寄り添い、彼女以外は妃に迎える気はないと言い続けた。
「僕が守っていたから、クリスティーナは無事に王妃になれた。知らないとは言わせないぞ」
「……王妃となってからは、どうでしたか」
「もちろん、いつだって気にかけていた。彼女のことを忘れた日は一度だってない」
花を見ればクリスティーナの好きな花だったなと思い、おいしいものを食べれば今度クリスティーナに食べさせてやりたいと思い、政務中だって彼女ならラファエルの意見にどう返すかを考えた。
それはいつだって変わらない。結婚してからの三年間、彼女のことを考えない日はなかった。
「その結果が侍女の不正ですか。兄上は自分の守り方が駄目だったとは思わないのですね」
「それは……侍女の管理をクリスティーナが怠ったからだろう。だが今度からは、同じことが起きないように目を光らせるつもりだ。クリスティーナにも注意を促し――」
「もういいです、兄上。本当に何もわかっていないのだということが、よくわかりました。義姉上を苛めていたものは、侍女だけではありません。彼女がどれほど軽んじられていたか……あれほど反対を受けて知らなかったわけではないでしょう」
後ろ盾を失ったクリスティーナを王太子妃の座から降ろせと何度も言われ続けた。それでもラファエルは彼女を守るために、自分の婚約者に置き続けた。
自分以上に彼女を守れる人はいない。王になる自分以外に彼女を任せることはできないと信じて。
「大勢の侍女が義姉上の世話を放棄し、ほかの任についたのもそのひとつです。王妃の侍女は高位貴族出身の方が多かったですからね。彼女がいなければ自分が王妃になれたかもしれないと考える人もいたでしょう。誠意ない者に義姉上を任せることはできません。だから、王妃の侍女の任を辞しやすくしました。要望があれば、すぐに通して構わないと」
ラファエルの頭をよぎるのは、三人しかいなかった侍女。それが目の前にいる弟がしでかしたことの結果なのだとわかり、目を吊り上がらせる。
「何を勝手な真似を」
「兄上にも報告したはずです。侍女の何人かは義姉上に敵対心を抱いていると。ですが、そのときも侍女の管理は王妃の務めだとおっしゃいましたよね。ですから、義姉上の代わりに俺が処理しました」
「……ならば、このような事態になったのはお前のせいではないか。それなのによく僕を責めようと思えたな」
侍女がもっと大勢いれば、それぞれが目を光らせ合い、横領などという短絡的な行動には出なかったはずだ。
そして甲斐甲斐しくクリスティーナの世話をし、毒を飲むような隙すら与えなかっただろう。
「では、兄上は四六時中嫌みを言われ続ける生活を義姉上に送れと……そうおっしゃるのですね。それも王妃の務めなのだから……王妃として至らないのだからしかたないと」
「なっ……そこまでは言っていないだろう! 僕はただ、侍女がもっといれば何かしらの異変に気づけたはずだと……」
「いたとしても、報告する人はいなかったでしょうね。わかりますか兄上。あの城で彼女を守れるのは兄上しかいなかったのだと……兄上が守らなければ、誰ひとりとして彼女を守らないのだと、わかっていましたか?」
「だから、守っていたと……言っているだろう」
いつだってクリスティーナのことだけを思い続けていた。彼女のためにはどうすればいいのかと、考えていた。
彼女のために完璧な王になろうと――
「教えてください兄上。どうやって彼女を守ったのかを」
「いつだって彼女のことを考えていた。どうするのが最善かと……」
「考えて、それでどうしましたか?」
問われ、返す言葉がないことに、ラファエルはようやく気付いた。
いつだって彼女のことを考えて、考えて――考えていた”だけ”なのだと。
いつまで応接室で待たせるつもりかと苛々としていたラファエルの耳に、冷え冷えとした声が届く。
声の主は彼の弟であるルシアンで、彼の瞳も声同様冷たい色をたたえていた。
「何を、だと? 言わなければわからないととぼけるつもりか」
「わかりません。兄上は城内の不正を暴くことに尽力すべきなのにどうしてこんなところにいるのか……考えたくもありません」
咎めるようなルシアンの言葉にラファエルは歯噛みする。
クリスティーナの侍女の不正が暴かれたばかりなのだから、誰か関わっているのかを正確に把握するために調査すべきだということは、ラファエルにもわかっていた。
だがそれでも、もしかしたらという希望が消えずに飛び出してしまった。
「……確認すればすぐに戻るつもりだ」
「何を確認するのですか? 俺は頼まれたとおりこの地を治めています。公爵にふさわしい動きをしているはずですが」
「……クリスティーナはどこにいる」
「墓の中でしょう。葬儀を行ったことを忘れましたか?」
「お前が隠していることはわかっている! でなければ、そんなに落ち着いていられるものか!」
はあ、と深いため息が落とされる。苛々としたラファエルの様子に呆れたのだろう。ルシアンはラファエルの対面に腰を下ろすと「で?」と短く問いかけた。
「義姉上がもしも生きていたとして、それでどうするつもりですか」
「そんなの決まっているだろう。連れて帰る」
ラファエルの妻はクリスティーナただひとり。それは彼女を守ると決めた日から変わっていない。
いつだってラファエルは彼女のことを考えてきた。彼女のために完璧な王になろうとしてきた。彼女を守るために、何を犠牲にしてでも――
「連れて帰って、また誰も守ってくれない城に彼女を留める、と……?」
「っ、僕がいるだろう……!」
「兄上がいつ彼女を守りましたか。教えてください。いつどうやって、彼女を守ったのか」
そんなものは数えきれないほどある。眠れないと泣いていた夜には手を握って一緒に眠り、王太子妃にはふさわしくないと言われる彼女にいつだって寄り添い、彼女以外は妃に迎える気はないと言い続けた。
「僕が守っていたから、クリスティーナは無事に王妃になれた。知らないとは言わせないぞ」
「……王妃となってからは、どうでしたか」
「もちろん、いつだって気にかけていた。彼女のことを忘れた日は一度だってない」
花を見ればクリスティーナの好きな花だったなと思い、おいしいものを食べれば今度クリスティーナに食べさせてやりたいと思い、政務中だって彼女ならラファエルの意見にどう返すかを考えた。
それはいつだって変わらない。結婚してからの三年間、彼女のことを考えない日はなかった。
「その結果が侍女の不正ですか。兄上は自分の守り方が駄目だったとは思わないのですね」
「それは……侍女の管理をクリスティーナが怠ったからだろう。だが今度からは、同じことが起きないように目を光らせるつもりだ。クリスティーナにも注意を促し――」
「もういいです、兄上。本当に何もわかっていないのだということが、よくわかりました。義姉上を苛めていたものは、侍女だけではありません。彼女がどれほど軽んじられていたか……あれほど反対を受けて知らなかったわけではないでしょう」
後ろ盾を失ったクリスティーナを王太子妃の座から降ろせと何度も言われ続けた。それでもラファエルは彼女を守るために、自分の婚約者に置き続けた。
自分以上に彼女を守れる人はいない。王になる自分以外に彼女を任せることはできないと信じて。
「大勢の侍女が義姉上の世話を放棄し、ほかの任についたのもそのひとつです。王妃の侍女は高位貴族出身の方が多かったですからね。彼女がいなければ自分が王妃になれたかもしれないと考える人もいたでしょう。誠意ない者に義姉上を任せることはできません。だから、王妃の侍女の任を辞しやすくしました。要望があれば、すぐに通して構わないと」
ラファエルの頭をよぎるのは、三人しかいなかった侍女。それが目の前にいる弟がしでかしたことの結果なのだとわかり、目を吊り上がらせる。
「何を勝手な真似を」
「兄上にも報告したはずです。侍女の何人かは義姉上に敵対心を抱いていると。ですが、そのときも侍女の管理は王妃の務めだとおっしゃいましたよね。ですから、義姉上の代わりに俺が処理しました」
「……ならば、このような事態になったのはお前のせいではないか。それなのによく僕を責めようと思えたな」
侍女がもっと大勢いれば、それぞれが目を光らせ合い、横領などという短絡的な行動には出なかったはずだ。
そして甲斐甲斐しくクリスティーナの世話をし、毒を飲むような隙すら与えなかっただろう。
「では、兄上は四六時中嫌みを言われ続ける生活を義姉上に送れと……そうおっしゃるのですね。それも王妃の務めなのだから……王妃として至らないのだからしかたないと」
「なっ……そこまでは言っていないだろう! 僕はただ、侍女がもっといれば何かしらの異変に気づけたはずだと……」
「いたとしても、報告する人はいなかったでしょうね。わかりますか兄上。あの城で彼女を守れるのは兄上しかいなかったのだと……兄上が守らなければ、誰ひとりとして彼女を守らないのだと、わかっていましたか?」
「だから、守っていたと……言っているだろう」
いつだってクリスティーナのことだけを思い続けていた。彼女のためにはどうすればいいのかと、考えていた。
彼女のために完璧な王になろうと――
「教えてください兄上。どうやって彼女を守ったのかを」
「いつだって彼女のことを考えていた。どうするのが最善かと……」
「考えて、それでどうしましたか?」
問われ、返す言葉がないことに、ラファエルはようやく気付いた。
いつだって彼女のことを考えて、考えて――考えていた”だけ”なのだと。
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