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5話
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雷鳴が轟く。
ラファエルと結婚して三年が経った頃には、クリスティーナは立っているだけでもふらつくようになっていた。
それでも王妃として招待されれば応じないわけにもいかず、アラベラを連れたラファエルと共に赴いた。
ふらつかないように立っているだけで精一杯なときは、誰にも話しかけられず、誰とも踊ることがない状況に感謝することすらあった。
――それでもまだ、最後の手段に頼ろうとはしていなかった。
支えになると、いつでも隣にいると、助けるになると、誓い、ラファエルの妻になった。王妃として必要とされている間は、立っていられる間は、彼の妻として、そばにいるのだと、意地になりながらも立ち続けた。
その心が折れたのは、朝から雲行きが悪かった日のこと。
どんよりとした空は次第に雲を厚くし、窓を打つ滴を降らせた。
雲行きが怪しいからと、早めにパーティーを引き上げ城に帰り着いたときには、土砂のように降り注いでいた。
「陛下、こちらを」
そう言って侍従が持ってきた厚手の布をラファエルが受け取り、アラベラの体を拭き、続いて自らの髪についた水滴を拭った。
誰の目にも、同じく降り注いだ雨で濡れたクリスティーナの姿は入っていない。
とんだ災難だったと笑い合う中で、クリスティーナはひっそりと部屋に帰ろうとしていた。部屋に戻れば、体を拭く布のひとつやふたつはある。湯浴みも、頼めば侍女が用意してくれるだろう。嫌そうな顔をしながらではあるが。
「きゃっ」
そんなときに、ひときわ大きい音が空から鳴り、アラベラが小さく叫び声を上げた。
「大丈夫か?」
「え、ええ、ごめんなさい。大きな音に驚いてしまったの……」
「そうか。大丈夫、僕が一緒にいるから安心してほしい」
『大丈夫だよ。僕が一緒にいるから』
柔らかく笑いながらアラベラに話しかける姿が、在りし日のラファエルの姿と重なった。
両親の訃報が届けられたときは雷鳴が鳴り、葬式では雨が降っていた。だからクリスティーナは雨が嫌いで、雷を恐れている。
それをラファエルは知っていたから、雨の日はいつもそばに寄り添い、雷の鳴る日は体を寄せ、安心させるように抱きしめたり耳をふさいだりしてくれていた。
アラベラを迎えてからは、そんな日はなくなったが、それでもクリスティーナにとっては何よりも大切な思い出だった。
寄り添い支えてくれた日々があったから、必要とされている限りは頑張ろうと思い続けられた。
「ほら、冷える前に早く部屋に戻ろう」
耳をふさいでくれていた手はアラベラの肩に置かれ、優しい声も目も、何もかもが、クリスティーナの前を素通りしていく。
大切な思い出すら、今のあの瞬間に、塗り替えられた。
鳴りやまない雷にベッドの上で体を小さく丸めていても、ラファエルが来ることはない。アラベラに大丈夫だと言って、彼女の耳をふさいでいるのだろう。
降り注ぐ雨の音に怯えていても、もう二度と抱きしめられることも、頭を撫でられることも、そばに寄り添ってくれることはない。クリスティーナに与えられていたものはすべて、アラベラに与えられている。
これまでクリスティーナを支えてきたものが、一気に崩れ落ちた。
轟く雷鳴に、塗り替えられた思い出に、彼女の目に涙が浮かぶが、拭う者は誰もいない。
濡れたままの体をどうにかしようと引き出しをあさり――その指がこつんと、冷たい、最期の手段に触れた。
ラファエルと結婚して三年が経った頃には、クリスティーナは立っているだけでもふらつくようになっていた。
それでも王妃として招待されれば応じないわけにもいかず、アラベラを連れたラファエルと共に赴いた。
ふらつかないように立っているだけで精一杯なときは、誰にも話しかけられず、誰とも踊ることがない状況に感謝することすらあった。
――それでもまだ、最後の手段に頼ろうとはしていなかった。
支えになると、いつでも隣にいると、助けるになると、誓い、ラファエルの妻になった。王妃として必要とされている間は、立っていられる間は、彼の妻として、そばにいるのだと、意地になりながらも立ち続けた。
その心が折れたのは、朝から雲行きが悪かった日のこと。
どんよりとした空は次第に雲を厚くし、窓を打つ滴を降らせた。
雲行きが怪しいからと、早めにパーティーを引き上げ城に帰り着いたときには、土砂のように降り注いでいた。
「陛下、こちらを」
そう言って侍従が持ってきた厚手の布をラファエルが受け取り、アラベラの体を拭き、続いて自らの髪についた水滴を拭った。
誰の目にも、同じく降り注いだ雨で濡れたクリスティーナの姿は入っていない。
とんだ災難だったと笑い合う中で、クリスティーナはひっそりと部屋に帰ろうとしていた。部屋に戻れば、体を拭く布のひとつやふたつはある。湯浴みも、頼めば侍女が用意してくれるだろう。嫌そうな顔をしながらではあるが。
「きゃっ」
そんなときに、ひときわ大きい音が空から鳴り、アラベラが小さく叫び声を上げた。
「大丈夫か?」
「え、ええ、ごめんなさい。大きな音に驚いてしまったの……」
「そうか。大丈夫、僕が一緒にいるから安心してほしい」
『大丈夫だよ。僕が一緒にいるから』
柔らかく笑いながらアラベラに話しかける姿が、在りし日のラファエルの姿と重なった。
両親の訃報が届けられたときは雷鳴が鳴り、葬式では雨が降っていた。だからクリスティーナは雨が嫌いで、雷を恐れている。
それをラファエルは知っていたから、雨の日はいつもそばに寄り添い、雷の鳴る日は体を寄せ、安心させるように抱きしめたり耳をふさいだりしてくれていた。
アラベラを迎えてからは、そんな日はなくなったが、それでもクリスティーナにとっては何よりも大切な思い出だった。
寄り添い支えてくれた日々があったから、必要とされている限りは頑張ろうと思い続けられた。
「ほら、冷える前に早く部屋に戻ろう」
耳をふさいでくれていた手はアラベラの肩に置かれ、優しい声も目も、何もかもが、クリスティーナの前を素通りしていく。
大切な思い出すら、今のあの瞬間に、塗り替えられた。
鳴りやまない雷にベッドの上で体を小さく丸めていても、ラファエルが来ることはない。アラベラに大丈夫だと言って、彼女の耳をふさいでいるのだろう。
降り注ぐ雨の音に怯えていても、もう二度と抱きしめられることも、頭を撫でられることも、そばに寄り添ってくれることはない。クリスティーナに与えられていたものはすべて、アラベラに与えられている。
これまでクリスティーナを支えてきたものが、一気に崩れ落ちた。
轟く雷鳴に、塗り替えられた思い出に、彼女の目に涙が浮かぶが、拭う者は誰もいない。
濡れたままの体をどうにかしようと引き出しをあさり――その指がこつんと、冷たい、最期の手段に触れた。
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