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22話
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「ごめんなさい」
ようやく泣き止んで顔を上げたリネットの頬には涙のあとが残っている。その痕を拭うように、そっと指先で触れたローレンスは、「いいえ」と言って首を振った。
「……少しは落ち着きましたか?」
ローレンスの問いにリネットはこくりと頷く。彼の優しさに胸を打たれ涙を流す日がくるなんて、これまで思いもしていなかった。
リネットが彼と初めて会ったのは、九年も前のこと。
その日は珍しく、家族全員で出かけていた。メイヴィス伯がアメリアだけでなく、リネットと普段は外に出ることが禁じられているシゼルも連れて出かけるのは稀で、年に一度あるかないか。 おそらくは、ただの気まぐれだったのだろう。普段は呼びつけている商家を訪ね、求められるままアメリアに買い与え、ついでとばかりにリネットとシゼルの服も新調し――それだけで終わっていれば、たとえ気まぐれだろうと家族の団らんを楽しんだ一日として記憶に残すことができたかもしれない。
だがその日は人が多く、まだ小さかったリネットは人混みに翻弄され、迷子になってしまった。
家に帰ろうにも、馬車で来たので帰る道はわからない。馬車の場所に戻ろうとしたが、王都を出歩くことがほとんどなかったので、どこをどう行けばいいのかもわからない。
歩けば歩くほど遠ざかっているような気がして、途方に暮れていたときに声をかけてきたのが――菫色の瞳をした少年、エイベルだった。
「迷子?」
どうすればいいのかわからず、民家の裏手でうずくまっていたリネットに、彼は親はどこにいるのか、どこから来たのかと聞いてきた。
だがその当時のリネットはまだ五歳で、しかも帰ったあとで待っているであろう叱責と、シゼルを責めるであろうメイヴィス伯の姿を想像していた真っ最中で、泣きじゃくるしかできなかった。
「まいったな。んー、じゃあ……教会に行こうか。迷っている人を助けてくれるらしいから、たぶんなんとかしてくれるんじゃないかな」
はい、と差し出された手を警戒することはなかった。彼の顔に意地の悪いものがないのと、彼が子供――手酷く接してくる大人ではなかったからだろう。
そうして教会に訪れたリネットの対応にあたってくれたのは、のちの大神官であるローゼだ。
「迷子、ですか。ええ、わかりました。道案内することはできませんが、私が責任を持ってお預かりします」
「じゃあ、俺はもう行くよ。あまり遅くなると心配されるから」
繋がれていた手が離れ、リネットが不安そうに瞳を揺らすと、彼は苦笑しリネットの頭に手を置いた。
「大丈夫。きっと君の親も君を探してるはずだから、すぐ会えるよ」
優しく言い聞かせるような声に、リネットは小さく頷いて、か細く「ありがとう」とお礼を言った。
そうして遠ざかる背中を見送ってから、リネットはちらりと隣に立つローゼを見上げた。彼女の顔に浮かんでいる笑みは柔和なもので、リネットを嫌っている使用人たちとは違う顔をしている。
だけどそれでも、シゼル以外の大人は、リネットにとっては恐怖の対象だった。
「……彼女の相手をお願いします」
リネットが怯えていることに気づいたのだろう。ローゼは離れたところに立っている少年に声をかけた。
「僕が? なんで?」
そう言って、嫌そうな顔をしていた神官見習いの少年が、ローレンスだった。
ようやく泣き止んで顔を上げたリネットの頬には涙のあとが残っている。その痕を拭うように、そっと指先で触れたローレンスは、「いいえ」と言って首を振った。
「……少しは落ち着きましたか?」
ローレンスの問いにリネットはこくりと頷く。彼の優しさに胸を打たれ涙を流す日がくるなんて、これまで思いもしていなかった。
リネットが彼と初めて会ったのは、九年も前のこと。
その日は珍しく、家族全員で出かけていた。メイヴィス伯がアメリアだけでなく、リネットと普段は外に出ることが禁じられているシゼルも連れて出かけるのは稀で、年に一度あるかないか。 おそらくは、ただの気まぐれだったのだろう。普段は呼びつけている商家を訪ね、求められるままアメリアに買い与え、ついでとばかりにリネットとシゼルの服も新調し――それだけで終わっていれば、たとえ気まぐれだろうと家族の団らんを楽しんだ一日として記憶に残すことができたかもしれない。
だがその日は人が多く、まだ小さかったリネットは人混みに翻弄され、迷子になってしまった。
家に帰ろうにも、馬車で来たので帰る道はわからない。馬車の場所に戻ろうとしたが、王都を出歩くことがほとんどなかったので、どこをどう行けばいいのかもわからない。
歩けば歩くほど遠ざかっているような気がして、途方に暮れていたときに声をかけてきたのが――菫色の瞳をした少年、エイベルだった。
「迷子?」
どうすればいいのかわからず、民家の裏手でうずくまっていたリネットに、彼は親はどこにいるのか、どこから来たのかと聞いてきた。
だがその当時のリネットはまだ五歳で、しかも帰ったあとで待っているであろう叱責と、シゼルを責めるであろうメイヴィス伯の姿を想像していた真っ最中で、泣きじゃくるしかできなかった。
「まいったな。んー、じゃあ……教会に行こうか。迷っている人を助けてくれるらしいから、たぶんなんとかしてくれるんじゃないかな」
はい、と差し出された手を警戒することはなかった。彼の顔に意地の悪いものがないのと、彼が子供――手酷く接してくる大人ではなかったからだろう。
そうして教会に訪れたリネットの対応にあたってくれたのは、のちの大神官であるローゼだ。
「迷子、ですか。ええ、わかりました。道案内することはできませんが、私が責任を持ってお預かりします」
「じゃあ、俺はもう行くよ。あまり遅くなると心配されるから」
繋がれていた手が離れ、リネットが不安そうに瞳を揺らすと、彼は苦笑しリネットの頭に手を置いた。
「大丈夫。きっと君の親も君を探してるはずだから、すぐ会えるよ」
優しく言い聞かせるような声に、リネットは小さく頷いて、か細く「ありがとう」とお礼を言った。
そうして遠ざかる背中を見送ってから、リネットはちらりと隣に立つローゼを見上げた。彼女の顔に浮かんでいる笑みは柔和なもので、リネットを嫌っている使用人たちとは違う顔をしている。
だけどそれでも、シゼル以外の大人は、リネットにとっては恐怖の対象だった。
「……彼女の相手をお願いします」
リネットが怯えていることに気づいたのだろう。ローゼは離れたところに立っている少年に声をかけた。
「僕が? なんで?」
そう言って、嫌そうな顔をしていた神官見習いの少年が、ローレンスだった。
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