私のことが大嫌いな婚約者~捨ててから誤解だったと言われても困ります。私は今幸せなので放っておいてください~

由良

文字の大きさ
上 下
22 / 29

22話

しおりを挟む
「ごめんなさい」

 ようやく泣き止んで顔を上げたリネットの頬には涙のあとが残っている。その痕を拭うように、そっと指先で触れたローレンスは、「いいえ」と言って首を振った。
 
「……少しは落ち着きましたか?」
 
 ローレンスの問いにリネットはこくりと頷く。彼の優しさに胸を打たれ涙を流す日がくるなんて、これまで思いもしていなかった。

 リネットが彼と初めて会ったのは、九年も前のこと。
 その日は珍しく、家族全員で出かけていた。メイヴィス伯がアメリアだけでなく、リネットと普段は外に出ることが禁じられているシゼルも連れて出かけるのは稀で、年に一度あるかないか。 おそらくは、ただの気まぐれだったのだろう。普段は呼びつけている商家を訪ね、求められるままアメリアに買い与え、ついでとばかりにリネットとシゼルの服も新調し――それだけで終わっていれば、たとえ気まぐれだろうと家族の団らんを楽しんだ一日として記憶に残すことができたかもしれない。

 だがその日は人が多く、まだ小さかったリネットは人混みに翻弄され、迷子になってしまった。
 家に帰ろうにも、馬車で来たので帰る道はわからない。馬車の場所に戻ろうとしたが、王都を出歩くことがほとんどなかったので、どこをどう行けばいいのかもわからない。

 歩けば歩くほど遠ざかっているような気がして、途方に暮れていたときに声をかけてきたのが――菫色の瞳をした少年、エイベルだった。

「迷子?」

 どうすればいいのかわからず、民家の裏手でうずくまっていたリネットに、彼は親はどこにいるのか、どこから来たのかと聞いてきた。
 だがその当時のリネットはまだ五歳で、しかも帰ったあとで待っているであろう叱責と、シゼルを責めるであろうメイヴィス伯の姿を想像していた真っ最中で、泣きじゃくるしかできなかった。

「まいったな。んー、じゃあ……教会に行こうか。迷っている人を助けてくれるらしいから、たぶんなんとかしてくれるんじゃないかな」

 はい、と差し出された手を警戒することはなかった。彼の顔に意地の悪いものがないのと、彼が子供――手酷く接してくる大人ではなかったからだろう。
 そうして教会に訪れたリネットの対応にあたってくれたのは、のちの大神官であるローゼだ。

「迷子、ですか。ええ、わかりました。道案内することはできませんが、私が責任を持ってお預かりします」
「じゃあ、俺はもう行くよ。あまり遅くなると心配されるから」

 繋がれていた手が離れ、リネットが不安そうに瞳を揺らすと、彼は苦笑しリネットの頭に手を置いた。

「大丈夫。きっと君の親も君を探してるはずだから、すぐ会えるよ」

 優しく言い聞かせるような声に、リネットは小さく頷いて、か細く「ありがとう」とお礼を言った。
 そうして遠ざかる背中を見送ってから、リネットはちらりと隣に立つローゼを見上げた。彼女の顔に浮かんでいる笑みは柔和なもので、リネットを嫌っている使用人たちとは違う顔をしている。
 だけどそれでも、シゼル以外の大人は、リネットにとっては恐怖の対象だった。

「……彼女の相手をお願いします」

 リネットが怯えていることに気づいたのだろう。ローゼは離れたところに立っている少年に声をかけた。

「僕が? なんで?」

 そう言って、嫌そうな顔をしていた神官見習いの少年が、ローレンスだった。
しおりを挟む
感想 131

あなたにおすすめの小説

殿下、もう終わったので心配いりません。

鴨南蛮そば
恋愛
殿下、許しますからもうお気になさらずに。

あなたの姿をもう追う事はありません

彩華(あやはな)
恋愛
幼馴染で二つ年上のカイルと婚約していたわたしは、彼のために頑張っていた。 王立学園に先に入ってカイルは最初は手紙をくれていたのに、次第に少なくなっていった。二年になってからはまったくこなくなる。でも、信じていた。だから、わたしはわたしなりに頑張っていた。  なのに、彼は恋人を作っていた。わたしは婚約を解消したがらない悪役令嬢?どう言うこと?  わたしはカイルの姿を見て追っていく。  ずっと、ずっと・・・。  でも、もういいのかもしれない。

冷遇された王妃は自由を望む

空橋彩
恋愛
父を亡くした幼き王子クランに頼まれて王妃として召し上げられたオーラリア。 流行病と戦い、王に、国民に尽くしてきた。 異世界から現れた聖女のおかげで流行病は終息に向かい、王宮に戻ってきてみれば、納得していない者たちから軽んじられ、冷遇された。 夫であるクランは表情があまり変わらず、女性に対してもあまり興味を示さなかった。厳しい所もあり、臣下からは『氷の貴公子』と呼ばれているほどに冷たいところがあった。 そんな彼が聖女を大切にしているようで、オーラリアの待遇がどんどん悪くなっていった。 自分の人生よりも、クランを優先していたオーラリアはある日気づいてしまった。 [もう、彼に私は必要ないんだ]と 数人の信頼できる仲間たちと協力しあい、『離婚』して、自分の人生を取り戻そうとするお話。 貴族設定、病気の治療設定など出てきますが全てフィクションです。私の世界ではこうなのだな、という方向でお楽しみいただけたらと思います。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

最後に報われるのは誰でしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
散々婚約者に罵倒され侮辱されてきたリリアは、いい加減我慢の限界を迎える。 「もう限界だ、きみとは婚約破棄をさせてもらう!」と婚約者に突きつけられたリリアはそれを聞いてラッキーだと思った。 限界なのはリリアの方だったからだ。 なので彼女は、ある提案をする。 「婚約者を取り替えっこしませんか?」と。 リリアの婚約者、ホシュアは婚約者のいる令嬢に手を出していたのだ。その令嬢とリリア、ホシュアと令嬢の婚約者を取り替えようとリリアは提案する。 「別にどちらでも私は構わないのです。どちらにせよ、私は痛くも痒くもないですから」 リリアには考えがある。どっちに転ぼうが、リリアにはどうだっていいのだ。 だけど、提案したリリアにこれからどう物事が進むか理解していないホシュアは一も二もなく頷く。 そうして婚約者を取り替えてからしばらくして、辺境の街で聖女が現れたと報告が入った。

婚約破棄は嘘だった、ですか…?

基本二度寝
恋愛
「君とは婚約破棄をする!」 婚約者ははっきり宣言しました。 「…かしこまりました」 爵位の高い相手から望まれた婚約で、此方には拒否することはできませんでした。 そして、婚約の破棄も拒否はできませんでした。 ※エイプリルフール過ぎてあげるヤツ ※少しだけ続けました

あなたが見放されたのは私のせいではありませんよ?

しゃーりん
恋愛
アヴリルは2年前、王太子殿下から婚約破棄を命じられた。 そして今日、第一王子殿下から離婚を命じられた。 第一王子殿下は、2年前に婚約破棄を命じた男でもある。そしてアヴリルの夫ではない。 周りは呆れて失笑。理由を聞いて爆笑。巻き込まれたアヴリルはため息といったお話です。

王太子殿下が欲しいのなら、どうぞどうぞ。

基本二度寝
恋愛
貴族が集まる舞踏会。 王太子の側に侍る妹。 あの子、何をしでかすのかしら。

処理中です...