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18話

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 リネットが朝食を終えるのに合わせて、ノックの音がした。
 どうぞと呼びかけるとゆっくりと扉が開かれ、ローレンスと神官見習いの少年がふたり、部屋の中に入ってくる。

「おはようございます」

 ローレンスが頭を下げると、神官見習いの少年たちも頭を下げ、それから空になった食器を片付けはじめた。
 教会に来てから毎朝彼らはやって来て、リネットに挨拶をして、軽い雑談をして去っていく。そしてまた、昼食を終えた頃に戻ってくる。
 神官の仕事で多忙ななか時間を作ってくれていることがわかっているので、リネットは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「あの、毎日来ていただかなくても大丈夫です。神官のお仕事もあるのですから……こうして置いていただけているだけで、ありがたいので……」

 この一週間、リネットはほとんどの時間を部屋で過ごしている。何か手伝うことはないかと以前聞いたことがあるのだが、教会の管理は神官と大神官が行っていて、細々としたことは神官見習いがしているので、客人の手を煩わせることはないのだと断られてしまった。
 だからローレンスが持ってきてくれた本を読んだり、ぼんやりと空を眺めたりと、穏やかに過ごしているだけだった。

「神に助けを求めに来られた方をただ放置していたとなれば、私が叱られてしまいます。それにこうして過ごしているだけでも私にとっては息抜きになっているので、気に病むことはありませんよ」

 微笑んでそう言われてしまえば、それ以上言葉を続けることはできない。
 リネットがおずおずと頷くと、ローレンスは笑みを深めて持っていた本を机の上に置いた。

「本日は童話を中心に持ってきました。もしも気に入ったものがあれば教えてくださいね。本に限らず、ご入用のものがあればなんでもご用意します」

 教会での日々は刺激が少なく、退屈だろうと気遣ってくれる彼の優しさがありがたく、同時に申し訳なく思う。 だがその気持ちを口にすることはできなくて、リネットはもう一度、ありがとうと感謝の言葉を返した。

「本日は来客があるため、いつもより慌ただしいかもしれませんがお気になさらず。私も少々対応に追われるため……もしも何かあれば彼らをお呼びください」

 そう言って、ローレンスの目が食器をワゴンに乗せ終えた少年ふたりに向けられる。
 リュイとリュカ。双子なのだという彼らは神官見習いであり、ローレンスの小間使いを担っているらしく、食器の片づけや部屋の清掃でリネットの部屋を度々訪れていた。
 だが直接言葉を交わしたことはほとんどない。それというのも、彼らが来るときはローレンスも一緒で、リネットと話しをするのはもっぱらローレンスだったからだ。

「よろしくお願いします!」
「何かありましたらいつでもお呼びください」

 元気に答えるリュイと、丁寧に頭を下げるリュカに、リネットも「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。
 視界の端に彼らの動きにあわせて揺れる神官服が映りこむ。白い服に施された、黒糸の刺繍。

 神官の服はみな似たような作りをしているが、位によって施される刺繍の色が変わる。
 大神官であれば金糸で、神官は銀糸、そして神官見習いは黒糸。模様にこれといった決まりはなく、各々好きなものを刻んでいるようだ。
 リュイとリュカの神官服には花と蔓の模様が描かれていて、ふたごだからか左右対称になるように作られている。

(たしかローレンス様は……蔦と鳥だったわね)

 ローレンスが神官見習いだったときも今も、彼の神官服には同じ模様が施されていた。
 ちらりと双子の隣に立つローレンスを見上げる。九年前――リネットが初めて会ったころよりも背はずいぶんと高くなっているし、顔つきも穏やかなものになっている。
 だが出会った当初は尊大な態度で、小生意気な言動も多かった。それで何度も神官に怒られていて、不貞腐れている彼に話しかけていいものかと悩んだこともあった。

「どうかされましたか?」
「いえ……彼らを見ていたらローレンスが神官見習いだったときのことを思い出して……少し懐かしくなってしまって」

 ローレンスの問いかけに微笑んで返すと、彼の顔にどとこなくバツの悪そうな表情が浮かぶ。

「あのときは私も若かったので……忘れてくださいとは言いませんが、あまり掘り返さないでいただけると助かります」
「ええ、そうですね。……私の胸の内に秘めておきます」

 リュイとリュカが興味深そうなまなざしをこちらに向けているのに気づいて、そう付け加える。


 ――そうやって、これまでの一週間と変わらない穏やかな時間を過ごすはずだった。

 だが昼を過ぎた頃、何の気なく窓の外を見て、リネットの体がぴくりと震えた。

「客人って……」

 震える声は、窓の向こうにある馬車に向けられている。
 教会の前に止められた白く塗られた馬車。そこに刻まれた紋章は、リネットのよく知るものだった。

「リネット様? どうかしましたか?」

 部屋の清掃にきていたリュイの問いかけにぎこちない笑みを返す。
 この一週間何も音沙汰がなかったから、いないものとして扱ってくれるのかもしれないと思っていた。そうして誰もがリネットのことを忘れていくのだろうと――そう思っていた。

 だがそんなことはなかったのだと、馬車に刻まれたメイヴィス家の紋章が告げている。

「お客様が到着したようですね……何を話すのか気になるのでしたら、聞きますか?」

 ひょいと窓の外を見たリュカが首を傾げる。
 リネットはそれに視線をさまよわせた。メイヴィス伯が何を言うかは想像がつくが、教会の人がそれになんて返すのか――気になるといえば、気になる。
 だが話を聞きに姿を見せることはできない。メイヴィス伯に冷ややかな声で叱責されれば、きっと耐えられないだろう。

「あ、ほら、出てきましたよ。あの様子だと中に入ってくることはなさそうですね。あの位置からなら……問題なさそうです。もしも聞きたいのであれば、お伝えしますよ」

 同じようにリュイも窓の外に視線を向けた。彼の声に反応してリネットも外を見下ろせば、メイヴィス伯が馬車から降りてくるところが見えた。
 教会の前には、神官服を着た人が三人。大神官と、その両脇には銀糸の服を着た神官がふたりいる。おそらくはメイヴィス伯を出迎えるために待機していたのだろう。

「盗み聞きする気がするので気が引けるのであればご安心ください。神はすべてを聞いていますからね。僕たちが聞くぐらい問題ないですよ」
「唇の動きを読むのは神官の基本技能なので、隠したい話であれば部屋に招くでしょうし……問題ありません」

 なぜか意気揚々と、堂々とした態度で語る双子。
 なんとも悪びれのない様子に圧され、リネットはぱちくりと目を瞬かせながら思わず頷いてしまった。
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