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17話
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シゼルが亡くなり、リネットが去ってから一週間。メイヴィス家は異様な静けさに包まれていた。
夫人が亡くなられたのだから、喪に服すため静かに過ごす――というのはよくある話だが、メイヴィス家に仕える者であれば、そんなことは起こりえないと誰もが口を揃えて言うだろう。
この家の主であるメイヴィス伯はそんな殊勝な心の持ち主ではなく、そもそもの話、妻を妻として扱ってはいなかった。
だからシゼルが亡くなろうとどうなろうと、変わらぬ日々が続くはずだと、メイヴィス家に仕える者は誰もがそう思っていて。それは従者である彼も例外ではなかった。
だというのに、あの日からずっとメイヴィス家には不穏な空気が漂っている。
かつかつと神経質そうに机の上が叩かれ、従者の顔色が変わる。
一週間前、アメリアとともに戻ってきたメイヴィス伯にリネットが教会に逃げ込み、手を出せなかったことを告げたとき、どのような罰が下されるのか戦々恐々としていた。
だがメイヴィス伯は「そうか」と短く言うだけで、終わった。
それが逆におそろしかった。いつ彼の怒りが落ちるのかわからず、彼の所作ひとつで心の中が荒れ乱れる。
「エイベル・アンローズから便りは届いているか」
「いえ、まだ――」
すべてを言い切る前に深いため息が落ちる。
エイベルがリネットに婚約の破棄を突き付け、アメリアを新たな婚約者に選んだことを従者は知っている。
喪に服さなければいけないので、とメイヴィス伯がアメリアを侯爵家の夜会から連れて帰ってきたあと、アメリアが喜々として侍女に触れ回っていたからだ。
そして夜会に参加していた貴族もそこらで噂し、貴族全体に知れ渡るのも時間の問題だ。いやもしかしたら、すでに大多数の人間が把握しているかもしれない。
そしてアメリアの父親であるメイヴィス伯も当然知っている。それなのに、エイベルから音沙汰がなくて苛立っているのだろう。
ぴくりとも動かない表情からは内心を推し量ることは難しく、もしかしたら苛立ちではなく、呆れているだけかもしれないが。
「教会に向かう。馬車を手配しろ」
「は、はい。かしこまりました」
苛立ちにしろ呆れにしろ、メイヴィス伯の内心にうずまく感情を向けられては敵わないと、従者は慌てて馬車を呼びに向かった。
「教会に? 伯爵様が?」
「ああ、おそらくはお嬢様を迎えに行かれるのだろう。とりあえず、手抜かりがないように頼む」
馬番を担っている使用人がぱちくりと目を瞬かせるのを見て、従者はいいから早くしてほしいと内心苛立ちながらも指示を出す。 貴族が教会に自ら足を運ぶのは稀で、ほとんど関わろうとはしない。
はるか昔、敵国との戦時中には多大な貢献をしてくれたらしいが――いやだからこそ、とでも言うべきか。彼らは貴族にとって畏怖の対象であり、嫌悪の対象だ。
葬儀や催事でどうしても呼ばなければいけないことはあるが、そのときだってあちらに足を運ばせ、こちらから赴くことはない。
「はあ、まったく。だから教会に行く許可なんて出すもんじゃないってのに……」
ぶつぶつと不満そうにつぶやく使用人に、従者は顔をしかめる。
リネットはこれまでに何度も教会に足を運んでいる。だからこそ、従者を拒絶したあの夜に教会に向かったのだろう。
もしもメイヴィス伯がリネットに教会に通う許可を出していなければとは思うが、彼の決定に異議を唱えられる者はこの屋敷にいない。
それをわかっているから、使用人もメイヴィス伯のいない場所で不満を漏らしている。
だからといって、従者に文句を言われてもどうしようもない。
「文句を言う暇があれば早く手を動かせ」
「はいはい、わかってますよ。まったく、お貴族様はどいつもこいつもせっかちでいやになるねぇ。それにしても、あんなところに逃げるだなんて……帰ってきたらどうなるんでしょうね。俺にもおこぼれがありますかね」
従者が貴族出身であることは、隠していないので知っている人は知っている。それでも砕けた態度を改めようとしないのは、メイヴィス伯に仕える使用人同士であるという意識が強いからだろう。
だが従者には貴族としての自尊心がある。この程度の輩に親しく接せられる覚えはない。それでも咎めはしないのは、勝手に処罰すれば従者自身がメイヴィス伯に咎められるからだ。
この家にあるものはすべてメイヴィス伯のもので、どう扱うかを決めるのも彼自身で、それ以外の者が勝手に手を加えようとすればそれ相応の罰が下された。
「お前が貢献者に選ばれるとでも?」
「いやいや、わかりませんよ。貢献者でなくても許してくださるかもしれませんね」
にやにやと下卑た笑みを隠そうとしない使用人に、従者は内心で舌を打つ。
このような低俗な輩が伯爵家の令嬢に手をつけるなんて許されていいものではない。だからやはり、なんとしても貢献者に選ばれ、戻ってきた彼女を下賜する約束を取り付けなければ――と改めて心に誓うのであった。
夫人が亡くなられたのだから、喪に服すため静かに過ごす――というのはよくある話だが、メイヴィス家に仕える者であれば、そんなことは起こりえないと誰もが口を揃えて言うだろう。
この家の主であるメイヴィス伯はそんな殊勝な心の持ち主ではなく、そもそもの話、妻を妻として扱ってはいなかった。
だからシゼルが亡くなろうとどうなろうと、変わらぬ日々が続くはずだと、メイヴィス家に仕える者は誰もがそう思っていて。それは従者である彼も例外ではなかった。
だというのに、あの日からずっとメイヴィス家には不穏な空気が漂っている。
かつかつと神経質そうに机の上が叩かれ、従者の顔色が変わる。
一週間前、アメリアとともに戻ってきたメイヴィス伯にリネットが教会に逃げ込み、手を出せなかったことを告げたとき、どのような罰が下されるのか戦々恐々としていた。
だがメイヴィス伯は「そうか」と短く言うだけで、終わった。
それが逆におそろしかった。いつ彼の怒りが落ちるのかわからず、彼の所作ひとつで心の中が荒れ乱れる。
「エイベル・アンローズから便りは届いているか」
「いえ、まだ――」
すべてを言い切る前に深いため息が落ちる。
エイベルがリネットに婚約の破棄を突き付け、アメリアを新たな婚約者に選んだことを従者は知っている。
喪に服さなければいけないので、とメイヴィス伯がアメリアを侯爵家の夜会から連れて帰ってきたあと、アメリアが喜々として侍女に触れ回っていたからだ。
そして夜会に参加していた貴族もそこらで噂し、貴族全体に知れ渡るのも時間の問題だ。いやもしかしたら、すでに大多数の人間が把握しているかもしれない。
そしてアメリアの父親であるメイヴィス伯も当然知っている。それなのに、エイベルから音沙汰がなくて苛立っているのだろう。
ぴくりとも動かない表情からは内心を推し量ることは難しく、もしかしたら苛立ちではなく、呆れているだけかもしれないが。
「教会に向かう。馬車を手配しろ」
「は、はい。かしこまりました」
苛立ちにしろ呆れにしろ、メイヴィス伯の内心にうずまく感情を向けられては敵わないと、従者は慌てて馬車を呼びに向かった。
「教会に? 伯爵様が?」
「ああ、おそらくはお嬢様を迎えに行かれるのだろう。とりあえず、手抜かりがないように頼む」
馬番を担っている使用人がぱちくりと目を瞬かせるのを見て、従者はいいから早くしてほしいと内心苛立ちながらも指示を出す。 貴族が教会に自ら足を運ぶのは稀で、ほとんど関わろうとはしない。
はるか昔、敵国との戦時中には多大な貢献をしてくれたらしいが――いやだからこそ、とでも言うべきか。彼らは貴族にとって畏怖の対象であり、嫌悪の対象だ。
葬儀や催事でどうしても呼ばなければいけないことはあるが、そのときだってあちらに足を運ばせ、こちらから赴くことはない。
「はあ、まったく。だから教会に行く許可なんて出すもんじゃないってのに……」
ぶつぶつと不満そうにつぶやく使用人に、従者は顔をしかめる。
リネットはこれまでに何度も教会に足を運んでいる。だからこそ、従者を拒絶したあの夜に教会に向かったのだろう。
もしもメイヴィス伯がリネットに教会に通う許可を出していなければとは思うが、彼の決定に異議を唱えられる者はこの屋敷にいない。
それをわかっているから、使用人もメイヴィス伯のいない場所で不満を漏らしている。
だからといって、従者に文句を言われてもどうしようもない。
「文句を言う暇があれば早く手を動かせ」
「はいはい、わかってますよ。まったく、お貴族様はどいつもこいつもせっかちでいやになるねぇ。それにしても、あんなところに逃げるだなんて……帰ってきたらどうなるんでしょうね。俺にもおこぼれがありますかね」
従者が貴族出身であることは、隠していないので知っている人は知っている。それでも砕けた態度を改めようとしないのは、メイヴィス伯に仕える使用人同士であるという意識が強いからだろう。
だが従者には貴族としての自尊心がある。この程度の輩に親しく接せられる覚えはない。それでも咎めはしないのは、勝手に処罰すれば従者自身がメイヴィス伯に咎められるからだ。
この家にあるものはすべてメイヴィス伯のもので、どう扱うかを決めるのも彼自身で、それ以外の者が勝手に手を加えようとすればそれ相応の罰が下された。
「お前が貢献者に選ばれるとでも?」
「いやいや、わかりませんよ。貢献者でなくても許してくださるかもしれませんね」
にやにやと下卑た笑みを隠そうとしない使用人に、従者は内心で舌を打つ。
このような低俗な輩が伯爵家の令嬢に手をつけるなんて許されていいものではない。だからやはり、なんとしても貢献者に選ばれ、戻ってきた彼女を下賜する約束を取り付けなければ――と改めて心に誓うのであった。
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