私のことが大嫌いな婚約者~捨ててから誤解だったと言われても困ります。私は今幸せなので放っておいてください~

由良

文字の大きさ
上 下
17 / 29

17話

しおりを挟む
 シゼルが亡くなり、リネットが去ってから一週間。メイヴィス家は異様な静けさに包まれていた。
 夫人が亡くなられたのだから、喪に服すため静かに過ごす――というのはよくある話だが、メイヴィス家に仕える者であれば、そんなことは起こりえないと誰もが口を揃えて言うだろう。

 この家の主であるメイヴィス伯はそんな殊勝な心の持ち主ではなく、そもそもの話、妻を妻として扱ってはいなかった。
 だからシゼルが亡くなろうとどうなろうと、変わらぬ日々が続くはずだと、メイヴィス家に仕える者は誰もがそう思っていて。それは従者である彼も例外ではなかった。

 だというのに、あの日からずっとメイヴィス家には不穏な空気が漂っている。

 かつかつと神経質そうに机の上が叩かれ、従者の顔色が変わる。
 一週間前、アメリアとともに戻ってきたメイヴィス伯にリネットが教会に逃げ込み、手を出せなかったことを告げたとき、どのような罰が下されるのか戦々恐々としていた。

 だがメイヴィス伯は「そうか」と短く言うだけで、終わった。
 それが逆におそろしかった。いつ彼の怒りが落ちるのかわからず、彼の所作ひとつで心の中が荒れ乱れる。

「エイベル・アンローズから便りは届いているか」
「いえ、まだ――」

 すべてを言い切る前に深いため息が落ちる。
 エイベルがリネットに婚約の破棄を突き付け、アメリアを新たな婚約者に選んだことを従者は知っている。
 喪に服さなければいけないので、とメイヴィス伯がアメリアを侯爵家の夜会から連れて帰ってきたあと、アメリアが喜々として侍女に触れ回っていたからだ。
 そして夜会に参加していた貴族もそこらで噂し、貴族全体に知れ渡るのも時間の問題だ。いやもしかしたら、すでに大多数の人間が把握しているかもしれない。

 そしてアメリアの父親であるメイヴィス伯も当然知っている。それなのに、エイベルから音沙汰がなくて苛立っているのだろう。
 ぴくりとも動かない表情からは内心を推し量ることは難しく、もしかしたら苛立ちではなく、呆れているだけかもしれないが。

「教会に向かう。馬車を手配しろ」
「は、はい。かしこまりました」

 苛立ちにしろ呆れにしろ、メイヴィス伯の内心にうずまく感情を向けられては敵わないと、従者は慌てて馬車を呼びに向かった。

「教会に? 伯爵様が?」
「ああ、おそらくはお嬢様を迎えに行かれるのだろう。とりあえず、手抜かりがないように頼む」

 馬番を担っている使用人がぱちくりと目を瞬かせるのを見て、従者はいいから早くしてほしいと内心苛立ちながらも指示を出す。 貴族が教会に自ら足を運ぶのは稀で、ほとんど関わろうとはしない。
 はるか昔、敵国との戦時中には多大な貢献をしてくれたらしいが――いやだからこそ、とでも言うべきか。彼らは貴族にとって畏怖の対象であり、嫌悪の対象だ。
 葬儀や催事でどうしても呼ばなければいけないことはあるが、そのときだってあちらに足を運ばせ、こちらから赴くことはない。

「はあ、まったく。だから教会に行く許可なんて出すもんじゃないってのに……」

 ぶつぶつと不満そうにつぶやく使用人に、従者は顔をしかめる。
 リネットはこれまでに何度も教会に足を運んでいる。だからこそ、従者を拒絶したあの夜に教会に向かったのだろう。
 もしもメイヴィス伯がリネットに教会に通う許可を出していなければとは思うが、彼の決定に異議を唱えられる者はこの屋敷にいない。
 それをわかっているから、使用人もメイヴィス伯のいない場所で不満を漏らしている。
 だからといって、従者に文句を言われてもどうしようもない。

「文句を言う暇があれば早く手を動かせ」
「はいはい、わかってますよ。まったく、お貴族様はどいつもこいつもせっかちでいやになるねぇ。それにしても、あんなところに逃げるだなんて……帰ってきたらどうなるんでしょうね。俺にもおこぼれがありますかね」

 従者が貴族出身であることは、隠していないので知っている人は知っている。それでも砕けた態度を改めようとしないのは、メイヴィス伯に仕える使用人同士であるという意識が強いからだろう。
 だが従者には貴族としての自尊心がある。この程度の輩に親しく接せられる覚えはない。それでも咎めはしないのは、勝手に処罰すれば従者自身がメイヴィス伯に咎められるからだ。
 この家にあるものはすべてメイヴィス伯のもので、どう扱うかを決めるのも彼自身で、それ以外の者が勝手に手を加えようとすればそれ相応の罰が下された。

「お前が貢献者に選ばれるとでも?」
「いやいや、わかりませんよ。貢献者でなくても許してくださるかもしれませんね」

 にやにやと下卑た笑みを隠そうとしない使用人に、従者は内心で舌を打つ。
 このような低俗な輩が伯爵家の令嬢に手をつけるなんて許されていいものではない。だからやはり、なんとしても貢献者に選ばれ、戻ってきた彼女を下賜する約束を取り付けなければ――と改めて心に誓うのであった。
しおりを挟む
感想 131

あなたにおすすめの小説

好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番
恋愛
【現在工事中です。工事終了までお持ち頂ければ幸いです】 シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……? ※開始時期は未定ですがマルチエンディングを展開予定です。 ゲオルグ、エイド、ハンスの予定です。

今更ですか?結構です。

みん
恋愛
完結後に、“置き場”に後日談を投稿しています。 エルダイン辺境伯の長女フェリシティは、自国であるコルネリア王国の第一王子メルヴィルの5人居る婚約者候補の1人である。その婚約者候補5人の中でも幼い頃から仲が良かった為、フェリシティが婚約者になると思われていたが──。 え?今更ですか?誰もがそれを望んでいるとは思わないで下さい──と、フェリシティはニッコリ微笑んだ。 相変わらずのゆるふわ設定なので、優しく見てもらえると助かります。

これが私の兄です

よどら文鳥
恋愛
「リーレル=ローラよ、婚約破棄させてもらい慰謝料も請求する!!」  私には婚約破棄されるほどの過失をした覚えがなかった。  理由を尋ねると、私が他の男と外を歩いていたこと、道中でその男が私の顔に触れたことで不倫だと主張してきた。  だが、あれは私の実の兄で、顔に触れた理由も目についたゴミをとってくれていただけだ。  何度も説明をしようとするが、話を聞こうとしてくれない。  周りの使用人たちも私を睨み、弁明を許されるような空気ではなかった。  婚約破棄を宣言されてしまったことを報告するために、急ぎ家へと帰る。

あなたが捨てた私は、もう二度と拾えませんよ?

AK
恋愛
「お前とはもうやっていけない。婚約を破棄しよう」 私の婚約者は、あっさりと私を捨てて王女殿下と結ばれる道を選んだ。 ありもしない噂を信じ込んで、私を悪女だと勘違いして突き放した。 でもいいの。それがあなたの選んだ道なら、見る目がなかった私のせい。 私が国一番の天才魔導技師でも貴女は王女殿下を望んだのだから。 だからせめて、私と復縁を望むような真似はしないでくださいね?

婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。

待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。 妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。 ……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。 けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します! 自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。

妹に全部取られたけど、幸せ確定の私は「ざまぁ」なんてしない!

石のやっさん
恋愛
マリアはドレーク伯爵家の長女で、ドリアーク伯爵家のフリードと婚約していた。 だが、パーティ会場で一方的に婚約を解消させられる。 しかも新たな婚約者は妹のロゼ。 誰が見てもそれは陥れられた物である事は明らかだった。 だが、敢えて反論もせずにそのまま受け入れた。 それはマリアにとって実にどうでも良い事だったからだ。 主人公は何も「ざまぁ」はしません(正当性の主張はしますが)ですが...二人は。 婚約破棄をすれば、本来なら、こうなるのでは、そんな感じで書いてみました。 この作品は昔の方が良いという感想があったのでそのまま残し。 これに追加して書いていきます。 新しい作品では ①主人公の感情が薄い ②視点変更で読みずらい というご指摘がありましたので、以上2点の修正はこちらでしながら書いてみます。 見比べて見るのも面白いかも知れません。 ご迷惑をお掛けいたしました

幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?

ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。 だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。 これからは好き勝手やらせてもらいますわ。

処理中です...