私のことが大嫌いな婚約者~捨ててから誤解だったと言われても困ります。私は今幸せなので放っておいてください~

由良

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15話

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 薄暗い廊下を歩き、いくばくかしたところでローレンスが足を止め、それに合わせるようにリネットも止まる。

「今日はもう遅いので、こちらでお休みください。朝食も部屋に運ばせます……朝の礼拝が終わり次第伺いますので、そのときにでも詳しい話をお聞かせください」
「あ、はい。ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて、ローレンスが開けてくれた扉をくぐる。
 部屋の中にはベッドを文机が置かれているだけの質素なものだったが、ベッドにはちゃんと膨らみがあり、板に布を敷いただけの――シゼルの部屋のようなそっけない作りでないことはわかった。

 昔はシゼルにも夫人用の部屋が用意されていて、リネットにもリネット用の部屋があった。
 だがシゼルが物言わぬ体となってからは、人形に与える部屋はないとばかりに物置のような部屋に押しやられ、リネットも彼女の世話をするために部屋を移った。

 薄いカーテンに、申し訳程度の机。それから板に布を張っただけのベッド代わりの台がひとつ。
 体を痛めるから普通のベッドを用意してほしい。そう嘆願したリネットにメイヴィス伯は冷ややかな目を向けてきた。

『本人がそう言うのなら考えてやろう』

 シゼルが何も言えないことを知っていて、そう言い放ってきたこともよく覚えている。
 リネットが約束を守れていれば、シゼルは元の夫人用の部屋に戻れるはずだった。柔らかなベッドで眠れるはずだった。
 あんな、固いベッドで息を引き取ることはないはずだった。

「……何かご希望の品がありましたらご用意いたします」 

 沈みかけていた気持ちがローレンスの言葉で引き戻される。リネットは慌てて顔を上げて、首を振った。

「突然押しかけてきたのに部屋を用意してもらったのですから、それだけでじゅうぶんです」

 シゼルはもういない。そしてメイヴィス伯と交わした約束も今となっては守れない。
 エイベルはアメリアを選び、リネットを糾弾した。婚約を維持したいと縋っても、彼が取り合うことはないだろう。

(それに……今さら約束を守っても、どうにもならない)

 夫に嫌われていると知りながら結婚しても息苦しい生活を送るだけだ。その生活に耐えるだけのものは、リネットの手からこぼれ落ちていった。
 何よりも守りたかったものは、何よりも大切だったものは、もうこの世のどこにもない。

「わかりました。でしたら、どうぞ今日はゆっくりとお休みください。こちらのお部屋は我々の住まいから離れているため、きっと静かに過ごせることでしょう」
「……ありがとうございます」

 上手に笑えているかどうか、リネット自身わからない。だけど今できるだけの笑みを浮かべて、もう一度ローレンスに頭を下げた。



 そして翌日。運ばれてきた昼食を食べて少ししてから、ローレンスがリネットの部屋を訪ねてきた。

「おはようございます。昨夜はゆっくりと眠れましたか?」
「はい、おかげさまで……」

 正直に言えば、眠ろうとしては目が覚めて、なかなか寝付けなかった。
 目をつぶるとどうしても最後に見たシゼルの姿を思い出して、目を閉じることすらおそろしかった。

 もっと魔力があれば、それこそ男児に生まれていれば――何度も、自分ではどうにもならないことを恨み、悔やんだ。
 リネットが男児に生まれていれば、シゼルは約束を守ったからと侯爵夫人として丁重に扱われていただろう。
 もしもリネットの魔力がアメリアほどではなくても人並みにあれば、あそこまでシゼルが責められることはなかっただろう。

 傷ついた体も心も、すべてが自分のせいに思えて、何度もこらえきれない涙がこぼれ落ちた。

「……ちなみにですが、何日ほどの滞在を希望されますか?」

 油断すれば落ちていきそうになり、リネットは必死に目の前に座るローレンスに意識を向ける。
 どうにもならないことなのは、リネット自身が一番よくわかっている。どうにもならないことで泣いても、どう慰めればいいのかわからなくて、彼を困らせてしまう。

 快く――かどうか正確なところはわからないが、夜遅くに迎え入れてくれた彼の前で涙を流すのは、彼の心を苛めそうでしたくはなかった。

「何日ほどでしたら、大丈夫ですか?」
「そうですね。これまでの滞在記録によると……禊にいらっしゃる方でも長くて一週間ほどでしょうか。ですがどれほど長い期間だろうと神がお怒りになることはありませんよ。助けを求めにきた方が救われることを求めておりますので」
「……救われ、るのでしょうか」
「ええ、もちろん。神が自ら手を貸すことはありませんが、代わりに我々がいますので、ご安心ください」

 にこりとほほ笑むローレンスにリネットは控えめな笑みを返す。
 どうすれば救われるのかすらわからないのに、本当に救われることがあるのだろうか。そんな疑問が心に浮かんでしまったからだ。
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