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2話

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「申し訳ございません。申し訳ございません」

 ガタガタと体を震わせながら床に這いつくばる母を見ないように、固く目を閉ざす。
 そして母の体を打つ鞭の音が聞こえないように、自らの耳を手でふさぐ。
 それでも鞭が空を切る音が、痛みで呻く母の声が、リネットの耳に届いて離れなかった。
 リネットの中にある母との思い出は、そのほとんどに鞭の振るわれる音が響いていた。



 リネットはメイディス伯爵家の次女として産まれ落ちた。三歳上の姉を産んで間もなく、メイディス伯の前妻は亡くなり、その後妻としてやってきたのがリネットの母親シゼルだった。

 シゼルは没落寸前の子爵家の次女で、懐が痛まない程度の支援で得られる美しく従順な妻としてメイディス伯の目に留まった。
 拒否権などあるはずもなく、支援を受ける代わりにシゼルは十五歳という若さでメイディス伯に嫁ぐことになった。

 絶対に男児を産むという条件付きで。

 シゼルが最初に産んだのは女児だった。それでも次が望めればまだ違ったのかもしれない。だが出産が負担だったのか、あるいは産後の肥立ちが悪かったのか、シゼルは子が望めない体となってしまった。
 メイディス伯は条件が守れないのならと支援を打ち切り、ほどなくしてシゼルの生家は没落し、家族は消息を絶った。

 それでもメイディス伯はシゼルを妻の座に置き続けた。それはひとえに、離縁を認める法律がなかったからだ。死別でしか離れることはできず、だからといって法を犯してまで殺すほどではない。
 とんだお荷物を抱えてしまったとシゼルを責めはしたが、ふたりの結婚生活は続いた。

 状況が悪化したのは、シゼルのひとり娘であるリネットの魔力量が判明したとき。

 子供は三歳になると、どれだけ魔力を持っているのか調べることになっている。魔法に目覚めるのが四歳からと言われているため、その前に魔力量に合わせた備えをしておく必要があるからだ。
 そうして調べられたリネットの魔力は、ほぼ零。貴族はもちろん、平民のこどもにすら劣る結果に、メイディス伯は激怒した。

 自らの血を継ぐ子供がこんな数値になるのはありえないと、シゼルの不貞を疑うことすらあった。
 だが、シゼルはメイディス伯のもとに嫁いでからずっと、厳しく監視されていた。
 万が一にも誰かと情を交わし、知らない男の子を託されては敵わないからと家から出ることすら禁じられていた。
 そばに置くのも侍女だけで、彼女に近づく男性はメイディス伯ひとり。となれば当然、子供の父親はメイディス伯以外にはありえない。

 メイディス伯自身もそのことはわかっていたはずだ。だが素直に受け入れられる結果ではなく、事あるごとにシゼルの不貞を責め、役立たずと罵った。
 そしてそれは段々とエスカレートしていった。

 少しでも意に背くことがあれば鞭で打ち、水をかけ、そのうえで布一枚与えずに寒空の下に出し、恩賞を与えるのが惜しいからと目立つ功績を上げた騎士や男の使用人のもとに送りだすことすらあった。得意だろうと嘲笑いながら。

 おそらくは死ねばいいと思っていたのだろう。シゼルが自ら命を断てば新しい妻を娶れるからと。
 だがシゼルは逃げることもしなければ、死に逃げ道を見出すこともしなかった。

 それはひとえに、彼女の娘リネットがいたからだ。
 たとえ逃げても、リネットの魔力の少なさでは平民の間でやっていくのも難しい。美しく扱いやすい娘だったからという理由でメイディス伯に嫁ぐことになった自分のように、リネットも同じように――いや、身を守る魔力がないことを思えば、シゼルよりもひどい扱いを受ける可能性がある。

 それならばまだ、メイディス伯のもとにいたほうが安全だと考えたのだ。
 不貞を働いただのなんだのと言ってはいるが、それでもリネットのことを心のどこかで我が子として認識しているのだろう。
 シゼルが従順に従ってさえいれば、メイディス伯の矛先がリネットに向くことはなかった。異母姉のアメリアと扱いに差はあれど、一応は伯爵家の娘としてそれ相応の教育を受けさせてもらえていた。
 身を守る術のないリネットには伯爵家の後ろ盾が必要だと――シゼルは逃げることも、死ぬこともせずに耐え続けた。

 だがどれほど願い、祈ろうと、どうにもならないことが世の中にはある。
 リネットの十四歳の誕生日で、彼女の心と体は限界を迎えた。

「お誕生日おめでとう」

 そう言ってリネットの頬を撫でて。

「少し疲れたから横になるわね」

 起きたら一緒にケーキを食べましょうと微笑んで、シゼルはゆっくりと目を閉じた。
 その日を最後に、すり減らされた体と心は動くことをやめた。
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