ナイフが朱に染まる

白河甚平@壺

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(第6話)嫌な同僚の伊藤が僕を晒し者にした。許せない!後輩のマコトが妙にセクシーだ。

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「おい」


どこか聞いたことのある声がしてきた。


「おーい。スケオ!」


は!


気がつけばパソコンの画面はガラリと変わっていた。
まるでアンテナが立っていないテレビの画面のようだ。


「ナンだこれぇ!?」


さっきまで作ってた炊飯器のフローチャートが無くなっている。
どういうことだ?
ずっと白と黒の波線が走っている。
まさかウィルスにでも感染したのか!それともハッカーの仕業か!


「そこ」


隣にいた伊藤が指をさす。


「アッ」


あわてて指をはなした。
なるほど。僕はさっきまでキーボードの“/(スラッシュ)”に指を置いたままにしてたんだ。
あちゃー。フローチャートが一番上へいったではないか。
なにやってんだよー。頭を掻き毟る。


「ワハハ。さてはオマエ、スケベな妄想してたんだろ」
ドキン。一瞬“あの”行為が脳裏をかすめた。
僕の考えていることをすべて御見通しのようだ。
伊藤はニヤリとさせ今度は僕の鼻元に指を差してくる。


「ほう、図星か。鼻の下伸びてたぜ」
「エッ!」

鼻の下をさわった。


「ハハハ。冗談!なあ?仕事もいいけどよ。
こんなとこに燻ぶっていないで俺と日頃の鬱憤を晴らそうぜ?
今日仕事終わったらどうだ。あそこのキャバクラへ行かないか。
それかこれでも」
伊藤はヘラヘラして麻雀をする手つきをしてみせた。
なにをいってる。いつもオマエばかりが女にモテて僕は蚊帳の外じゃないか。麻雀だっていつも負けてすってんてんだ。
あの時はおかげで電車代もなくなって家までとぼとぼと帰ったんだぞ。あー思い出すだけで
ムカムカしてきた。


「…いや、いいよ。これでも仕事してる方が十分鬱憤を晴らせるんだよ」
きっぱりと断りデスクに体を向けようとした。


「なーにいってんだスケオ!
オマエ、そんなことばっか言ってるからいつまで経っても童貞くんなんだよ。もう30になるのだからあせろよ。ハハハハ!」
伊藤はわざと大きな声をあげた。僕を笑い者にするつもりだ。
それに昨日でもう卒業したんだよ。
社内のやつらが振り向いた。わぁ!ちょっと、やめてくれよ!
明日から“童貞くん”のレッテルを貼られるではないか。


「しーしーっ。声おおきい」
冷や汗びっしょりかいてしまった。
まったく伊藤の野郎、人を見下した態度をとってやがる。
自分の首にさげた社員証を抜き取り、おもちゃのように指で振り回してる。


「ハハハ。まぁ、エロい妄想もいいが実際に体感するほうが断然にスッキリするぜ。折角男として生まれてきたのに“ここ”を使わなきゃどうする」

うっ…。伊藤が僕の股をさわってきた。

「ナァ、女の扱いとか知りたければいつでも相談に乗ってこいよ、友達として無料で教えてあげるゼ。ナ?」


最後に伊藤は僕の背中をおもいっきし叩いて高笑いし、自分のデスクへと戻った。
僕には彼女がいるんだと言いたかったところだが、ここで反論しても無駄だと思ったし却って恥をかくことになるから止めた。
畜生~。これが本当に友達か?恥をかかせるなんて最低な野郎だ。
ヤツはたしかに女にモテるし恋愛の経験もある。
ルックスもそこそこいいのは認める。
だが、人を小馬鹿にした態度が正直ムカつく時がある。
しかし一応、このプロジェクトのリーダーだし、社長と妙に仲が良いから無視するわけにもいかない。
とんでもないヤツと友達になったもんだ。いや、悪友じゃないか?これじゃまるで脅迫だ。


やれやれ。せっかく良い気分に浸ってたのに朝から不愉快だ。
気を取り直しパソコンの画面に目を戻す。
指がむくんでいるせいかマウスが掴みにくい。
左クリックで埋め尽くされた“/(スラッシュ)”を選択し削除をした。
はぁ……。
深い溜息がでた。顔を何度も両手でこする。
窓から爽やかな光が顔にあたってきた。
僕は社内を見渡してみる。
伊藤は新入社員の指導にあたっていた。
他の人達は引き続き担当しているプログラムを画面に打ち込む。


「こちら、修正しました箇所ですがご確認いただけますでしょうか?はい。はい…。えぇ…。わかりました」


向こうのホワイトボード側に座っている眼鏡をかけた男性社員をみた。
画面を見ながら両手にキーボードをのせて肩と顔で受話器を挟み、得意先と話している。

みんな頑張ってるなあ。僕もとっとと仕事に取り掛かるか。
ネクタイをゆるませ両頬を叩き真剣に取り組んだ。


「西城先輩」


ドキン。
だしぬけに横から声をかけられた。
今度は後輩のマコトだ。メモする紙を挟んだバインダーを胸に抱きかかえている。


「ゴホッ。ゴホッ。なんだ」


僕は咳払いをする。いけないいけない。
もう僕には愛するミネ子ちゃんがいるんだ。
マコトに好意をもっちゃいけないんだ。
突っ立っているマコトを見た。
化粧っ気がないが、表情が活き活きとしてる。
今日は特に瞳が輝いてた。


「あのっ――西城先輩に言われた通り、電源スイッチ機能のプログラムが出来上がりました。今よろしいでしょうか」


事務的だが若々しい張りのある声だ。
艶やかな唇が目に飛び込んできて思わずクラクラしてしまう。
な、なんだ?昨夜の余韻が残っているのか。
今日のマコトは妙に色っぽい。
でも僕はできるだけ表情に出さないように努めた。


「西城先輩だってぇ?おい。中学生みたいなことを言うな。
鳥肌が立っちまったぜ」
大袈裟に腕を出してさすった。

「えっ先輩ひどーい。この間まで“スケオ先輩”って言ったら、語弊があるから止めろと言ったくせにぃ。
じゃあ、“西城”がダメだったら“助平(すけべえ)”のスケオしかないんじゃないですかっ」
マコトは眉を八の字にして口を尖らせる。
社内の視線が集まった。
おぉ夫婦漫才が始まったなと、どっと沸いた。
おいおい…どいつもこいつも。あぁ…頭が痛くなってきた。
さっきまで新入社員に指導してた伊藤も僕たちを見てる。
すごい吹きだしていやがる。む、むかつく~。


「ば、ばかぁ!あのな、“助”ける“男”と書いて、“助男(すけお)”なんだ」
思わず空中をつかむように一文字ずつ置いて話してた。
それが余計にツボにはまったらしく、社内の笑いがさらにどっと沸いた。
あぁ。こりゃ完璧に伊藤の肴にされるワ。


「おまえ、武田鉄也かよ!おまえの赤くなった顔、超おもしろい」


伊藤はヒーヒーいって腹をかかえて笑い転げていた。
あぁ、ええい、くそー。
こいつにだけは見られたくないし言われたくもない。
伊藤のヤツ、調子にのりやがって。
笑い者になって僕は完璧に気分を害した。


「マコト。どれなんだよ」
僕は渋々腰をあげる。


「助平先輩。たしかに顔赤いですね」
ぐししと頭の後ろに手をおいてマコトは笑う。


「うるせ。助平じゃないっ」


マコトにチョップをした。彼女はアイタタと返す。
あぁ。僕はすぐ表情にでるから困る。
触ってみたらたしかに顔が熱い。
僕の前を歩いているマコトがポニーテールをゆらして歩いていた。
上と下をジーパン系に合わせたカジュアルな服装をしてる。
肩は細いが腰からふくらはぎにかけてメリハリのある肉付きをしている。
僕のデスクの後ろにあるドア付近のマコトのデスクへ移動した。
プログラムの参考書とかリングファイルが雪崩落ちてきそうなぐらいに積みあがっている。
ほう。日頃からふざけている割には勉強熱心だなと感心した。


「手こずったんじゃないか。忙しくてあまり見てあげれなかったけど、なにか分からない所とかなかったか?」
ポケットに手をつっこみパソコンの画面に目をやる。

「はい。いろいろ分からないところは本とかネットで調べました。なんとかスイッチ機能のプログラムはできたんで今お見せしようと思って。アッ。椅子座ります?」
マコトは気がついて僕にすすめた。


「いや、こっちは余っている椅子があるから…すわれよ」
ドア側の壁沿いにコマつきの椅子があったのでそれをデスクへと引き寄せた。


「で、どれなんだよ」
椅子に腰をおろしマコトを見る。
マコトも僕に続いて座った。


「今ファイルを開くんでちょっと待っててください」
マコトは画面内にあるフォルダーの中から作ったデータを取り出そうとする。
待っているあいだ何気にマコトを見た。
乾燥で鼻がつまっているせいか口呼吸している。
スーハー。スーハー。
花びらのような唇が開いたり閉じたりして思わず息をのんで見てた。


マコトは甲高い声をあげた。
「あれぇ~“マタ”ひらかない~。も~“ハヤク”してよ~」
彼女はデスクに爪をコツコツさせた。
イッイカン!マコトの艶っぽい声といい、言葉といい、僕は思わずイケナイ妄想をしてしまった。伊藤に触られた“あそこ”が反応してしまうとこだ。
僕にはミネ子ちゃんがいるんだぞ。頭の中を真っ白にしようと頑張る。


「スケオ先輩、頭なんか振っちゃってどうしたんですか?」
マコトが怪訝な顔をして覗きこんだ。


「い、いや…なんでもない。うおっほん!」
大きく咳払いをしてみせた。
だめだだめだ。ちゃんと仕事のことだけを考えなきゃ。
必死に自分の頭をなぐる想像をした。


「スケオ先輩。これです」
データが見つかったようでマコトは僕に見せようと一個分あけて椅子を引いた。
僕はそこに椅子を引き寄せ画面の前に進む。
彼女が書いたプログラムコードをすらすらと読んでみた。
実際にテストをして動くことも確認する。
初めてにしちゃ、よくここまで作ってる。


「ふむ…僕のサポートなしでよく一人で書けたな」
「へへへーっ。いつも聞いてばかりで悔しかったもんで、朝からずっと毎日やってたんです!」
マコトは自慢気に、ツンと顎をあげた。


「驚いたなあ。ちゃんと前に僕が言ったとおり配列機能をうまく使ってるし、if関数も使っている。あと、こういう風にtabキーをいれたり注釈を入れたりして分かり易くしてあるところもいい」
僕は目一杯マコトを褒めた。
すると彼女はやったー!と腕をあげて椅子をくるりと一回転させてた。


「オマエら何見て話してんだよ」
伊藤が割って入ってきた。マコトの椅子に手をかける。
彼女は眉毛をピクリとさせ伊藤を見上げた。


「あっ。今スケオ先輩に出来たプログラムデータを見てもらっているんです」
「ほー。へー。なるほどー。あっ。すげー書・い・て・ん・じゃん。
このパソコンの脇にあるクマのぬいぐるみ、かーわいいじゃん。ハハハ」
伊藤はそれをひょいっと掴んでマコトにぶらぶら見せてみた。
マコトはどう返したらいいか分からなくて苦笑いをしている。


「伊藤さぁ。ちゃんと見ないんだったらあっちいってくれよ。
今大事なところなんだから」
僕は伊藤を睨みつける。

「おいおい。まぁそう俺を邪険にせずに。ところで今日仕事終わったら一杯やらないか。3人で」


「え?ワタシもですか?」
マコトは目をクリクリさせ自分の鼻に指をさして聞く。


「そうだよぉ?マコっちゃん主役でお祝いしてぇとおもってんだ。どうかな!」
デスクに手を置いて身を乗り出してくる。
なんか圧力を感じ、少しイラッとしてきた。


「えへへ。アタシのお祝い。なんか良くわかんないけど有難うございまーす」
マコトは照れ笑いをして椅子にすわったままペコリと頭をさげた。



(つづく)
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