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赤い部屋
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青い空にもくもくと立ち昇る入道雲が流れる。
その下には、洋服屋や雑貨店などが立ち並び、腕に背広をかけて歩く半袖の会社員や、つばの広めの帽子を被って扇子でパタパタとあおぐ婦人など、老若男女が右からも左からもいったりきたりで、日差しを浴びすぎて参っている表情を浮かべてせからしく歩いている。
そんな雑踏を見て、頬杖をついて、ぼーっとしている僕の姿が窓に映った。
今いるところは外とはまったく逆。
クーラーのきいたひっそりとして涼しい喫茶店にいる。
懐かしいJ-POPをピアノジャズ風にアレンジした曲がうっすらと流れている。
机、椅子、カウンターの席などのデザインが非常に古風で落ち着いた感じがする。
壁にはカラフルで抽象的なモダンなアートが飾られていて、隅には観葉植物のモンステラが置かれていた。空調もきいてとても気持ちがいい。
昼休みが終わり、会社員も学生も戻る時間なので、今いるのは主婦や老人ぐらいなものだ。
廊下を挟んだ横のテーブルに座っているのはママ友さんたちで、パンケーキと飲み物のセットを頼んで、子供をあやしながら家庭の愚痴や子供の自慢話をしてだべっている。
奥のテーブルに座っているのは、一人新聞を広げて黙々と読んでコーヒーをすすっている老人もいる。僕よりも先に座っていてこれで2杯目か3杯目のおかわりかなと思った。
そして、この僕。中背中肉で色白で髪の毛もワックスもなにもつけないで普通にカットした、大人しくてなんの取り柄もない、ごく普通の目立たない高校生は、花が丘高校のマドンナとも言われる藤ミネ子と待ち合わせをしている。
平日でほんとは学校がある日なのだが、いまは短縮授業なので今日は学校が早くに終わったのだ。
約束の1時が過ぎ20分ほど経ったが彼女はなかなか来ない。
僕はハァーとため息をつき、またぼーっと窓の外に目をやろうとすると彼女が小走りにやってきた。
「ごめーんっ。遅くなっちゃった」
挽き立てのコーヒーの香りと共に現れたミネフジ子――
じゃなかった。藤ミネ子である。
慌ててきたのか、雪のように真っ白な肌に玉のような汗をかき、白いブラウスもうっすらと透けている。
艶やかな黒々とした長い髪を胸まで伸ばしている。
スイトピーの花のようにひらひらとした膝上までのスカートを履いている。均整のとれた長くて細い足が息を飲むほどとても美しい。
周りの客が一斉にこちらを見ていた。
みんなは信じられないと思うが、正式に僕の自慢の可愛い友達なのだ。どうだ。びっくりするぐらいに僕のガールフレンドは綺麗だろう。えっへん。
そんなことよりも、オオオーーーー!!これは大ニュース!!
なんと、ミネ子ちゃんのブラウスが濡れて、胸の下着っ!桃色のブラジャーがスケスケであります!!うっひょー!たまんない!
「来る途中、水撒きしてたおじさんにかけられちゃったの。もーサイアク」
「そ、そーなんだっ。そりゃあ、ひどいねー?あへ。大丈夫?」
と、椅子に腕をかけてふんぞり返りながらさりげなく、がっつりと胸をみる。おじさんもなかなか粋なことをしてくれるじゃないか。
こんな美女に水をかけてびちょびちょにしてしまうなんて。
とんっだ、スケベ爺だ!
という僕もさっきから大きなおっぱいをずっと凝視しちゃってる。
鼻息も自然と荒げていた。
Oh!神よ!真夏の女神よ!
僕、西城助男はスケベな自分にどうしても嘘をつけません!
「遅くなってごめんなさい。大分待ったんじゃない?」
「コホッ。ううん。大丈夫だよ」
約束の時間より20分過ぎていたが、もう、そんなことはどうでもよい。さっきから心臓が突き上げるように飛び出してしまいそうだ。興奮を抑えるのに大変だ。
僕はなんとか自制し、むんずとメニューをとりできるだけ外へ目をやるように努める。
ほー、と一息をついた彼女は、向かいの席にぽふんっと座った。
その瞬間、あぁぁ…。女性特有の甘い香りと百合の花のような芳しい香りが鼻をかすめてきた。
彼女の衣服の匂いから、下着の匂いから、そしてそして、彼女“自身”の匂いからエトセトラ…。
僕の卑しい鼻から脳まで一気に信号が送られ、卑猥な想像をしてしまった。もう、メニューどころではない!
「ご注文がお決まりでしたらお声をかけてください」
ウェイターが銀のトレーに乗せた彼女の分の水をテーブルに置いていった。
あわわわ。どうしよ。もう、ミネ子ちゃんの下着姿や裸ばかりを想像してしまってそれどころではない。
焦った僕は落ち着こうと、暑くもないのに手であおぐふりをして言った。
「フゥー。今日も暑いねー。ミネ子ちゃんの言ってたパフェって、これのこと?」メニューに指さした。
「そうそう!こ、れ!マンゴーパフェ!
夏限定のスイーツでいま人気があるのよ。
このマンゴープリンとバニラアイスと生クリームがのっていて、これみたいに果肉が底につまっていてとっても美味しいみたいよ!」
彼女は向かいから開いているメニューにピンと指をさしながら目を輝かせた。
「でもぉ。こういう喫茶店に一人ではいるのって、すごく心細いんだよねぇ。助男くん、メイワクだったんじゃない?」
チロリと彼女が上目遣いをしてくる。
「えへ!ぜーんぜん!むしろ、こうしてキミと一緒に食べること自体、とても嬉しく思うよ!」ニハハと笑い、前髪を掻きあげてスッと爽やか仮面をかぶってみせた。
「なんだったら――フッ。
パフェ以外、好きなものを頼んでくれてもいいよ。僕のおごりさ」
足を組み、カモンと手を動かして言った。まるで、芸能マネージャーかプレイボーイみたいな台詞だ。くふふ…これ、何回も家の鏡の前で練習してきたんだよなあ。ニターリ。
「え!え!そんなのダメだよ。
じゃあじゃあー。助男くんが選んでくれたものが食べたい。あっ!」
手で振った拍子に、カラン――っとミネ子は金色の土星のようなイヤリングを片方落としてしまった。
「やだ!あたしったら」
「あっ。僕のところに転がった音だ」
手で制し、すぐさま頭をテーブルの下に突っ込み、探し出そうとしたその時、うっすら影を落とした足の間から、眩しい物が見えてしまった。
ウッ、ホォーーーーーー!?
張りの良い内股が汗でしっとりとしており、レースつきの桃色のパンティーが密着していた。
あぁ…僕の卑しい鼻が甘酸っぱい匂いをかすめてくる。
思わずクラクラっとしてしまった。
あぁ…見ちゃイケない!でも、どうっしても見てしまうのが男の本能!
ん?
よく見ると、股の上あたりに、小さいが能面の絵がプリントされているように見えた。
オホホ、と笑っているように見えるが、口角はあがっていても目だけが笑っていないので不気味に思える。
だけど、あのスタイル抜群のマドンナの生パンティーをこの世で拝むことができたのだ。そんなことは構いはしないさ。
股を見るたびにグビリ…グビリと喉を鳴らしてしまう。
僕はこのままテーブルの下で喘ぎ昇天してしまいそうになる。
「どう?イヤリングあった?」
長く感じたミネ子は怪訝な声で聞いた。
「う、うん!たは。あったけどね。ちょーっと絨毯にひっかかってしまったみたい!待ってね!」
イマいいところなんだから邪魔しないで!
鼻息がいつのまにか荒くなり、胸も早鐘を打ちまくってた。
テーブルの脚に転がってた土星のイヤリングが見つかった。
手の中にいれ、そのまま両手合わせて拝んだ。いただきます。
彼女の太腿と食い込んだパンティーをバッチリ目に焼きつけるように頑張った。
そして、この崇高な匂いを忘れまいと、大自然の中でいるように空気を深く吸い込み、官能の世界に浸った。
あーっ。ヤバい。マジで脳が融けて自分がダメになってしまいそう。
ここから出なきゃ。
もういいだろうと顔をあげて、
「イヤリングみつかったよ」と渡そうとした瞬間に、口をおさえ目を丸くしたミネ子に言われた。
「まあ大変。助男くん。鼻から血が出てる」
ガーン。ウソ。マジかよ。
テーブルの脇にある紙をとって鼻の下に慌ててあててみる。
あぁ…たしかに鼻血が出てる。エッチな妄想をして見続けてしまったからか…あぁ…せっかくのミネ子ちゃんとのデートなのに…。
チーン。
なんだか一気に萎え、頭をだらりとしてしまった。
鼻血…鼻血…鼻血……
ミネ子ちゃんと会話をしてもずっとこの言葉が脳の中でリフレインされる。
「お待たせしました。マンゴーパフェ2つです」
あぁ…ウェイターがパフェを持ってきたことすら全然気づかなかった。
その夜、自宅の部屋にいた。
ベッドで仰向けになり、手を頭の下に入れながら思いかえす。
今日のデート。とんでもなく恥ずかしいところを見せてしまった。
でも、ミネ子ちゃんは優しくて帰りに、ありがとう。ご馳走様。とニコリと笑ってお辞儀をしてくれた。
鼻血騒動の後、お揃いのマンゴーパフェと温かいコーヒーと、大皿に盛られた塩気のきいたカリカリホクホクのフライドポテトをケチャップにつけて一緒につまみながら学校であった出来事や、お互いの趣味の話などで花を咲かせた。
僕の話を聞いて笑ってくれたり、頷いたりしてくれた。
ミネ子ちゃんは可愛くてとても良い子だなあ。
喫茶店から出て、近くのゲーセンでプリクラ?だったかな。
写真も一緒に撮ってくれた。
枕の横からプリクラの写真を手にとり、向日葵の花を頭につけた能天気な自分の顔を見た。不細工だなあ。とほほ。
大体プリクラなんて入ったことねーし全くわかんねーもん。
『○○のような顔をしてねー。ハイ、チーズ』
と機械から指示があるけど、咄嗟にできなくて、おまけに全部自分だけがひょっとこ顔で写ってる。もう、これは見たくないな。ぽい。
と言いつつもプリクラを枕の下に入れた。
ポケットからガサゴソとスマホを取り出し、ミネ子ちゃんにプリクラから転送してもらったツーショット写真を見つめる。
もう、絶対に消さない。これは一生の国宝級のお宝だい。
それにしてもミネ子ちゃんはどの写真も可愛く写ってるなあ。
シュッ。シュッ。と指先でなぞるようにスワイプをさせ、ミネ子ちゃんの写真ばかりを見つめてしまう。
あたふたして慣れない僕をリードするように、後ろに回って僕の肩に両手をのせてポーズをとったりウィンクしたりしている。
全身で写ってる写真もあって、僕と背中合わせで手をとって決めポーズをしたりとにかく、撮られることに慣れているみたいだった。
狭い空間の中でパシャリパシャリとフラッシュがたかれ、撮られている内になんだか、僕もモデルのような気持ちになってしまう。少女のようなときめきをしてしまっていた。
なんか、撮る前に画面タッチで『美白コース』とか『デカ目』とか選択するところがあったなあ。ミネ子ちゃんはもう十分白いし、クリっとした大きな目をしてるから必要ないじゃんと思った。
撮ってからカーテンをくぐって機械の側面にある画面に映っている写真をらくがきするところがあった。
備え付けのペンでネコミミや向日葵娘のスタンプをつけたりキラキラの文字をつけたりしてとにかくミネ子ちゃんは手早く操作をしていてすごかった。ほぇー、と横で見てて感心してしまった。
やっぱ女子だなあ。ゲーセンはUFOキャッチャーとか音ゲーとか格闘ゲームはしたことがあるが、乙女チックなプリクラなんて今までに一度も入ったことがない。
男と女はこうも行動や好みが違うんだなあと改めて思ってしまった。
「しかし、なんで能面のパンティーなんだろ」
あのときの喫茶店で見てしまったときのことを思い出した。
普通、クマとかウサギ、ゾウのパンティーだったら分かるけど、よりにもよってあの、ホラーの題材に使われるような白塗りにおちょぼ口の能面だなんて彼女にふさわしくなかった。
なんでそんな、不気味で気持ち悪いものを履いてきたんだろ。
考えている内にモヤモヤとした気持ちになった。
「あっ。まてよ。もしかして、今日という初デートのための勝負下着だったりして…考えすぎかな…まさか…ね…。
いや、やっぱり僕に脈ありかも!」
考えてみるとミステリアスな事なのだが、そんなことはもうどうでもいいや。
グフフー!彼女の可愛らしいお顔にムチュチュっとキスをした。画面にヨダレがついたままのスマホを抱きしめて電気を消し、布団をひっかぶって寝た。
はぁー。今宵は良い夢がみられるかも。
『あぁ~ん。スケオく~ん。見ちゃダメェ』
でも、思い出すとまた、スケベな妄想をしてしまう。
あ、もう遅いや。心臓がバクバクしてきたし手足がじんわり汗をかいてきた。
眠れなかったら、ミネ子ちゃん。キミのせいだかんね。
うひひ。
あぁ…ミネコちゃん…あぁ…ああ!
翌日、ミネ子と学校にくると早朝から飼育小屋の前で人だかりができていた。
女子は、わぁ可愛そう、なんて酷いと言って目を覆ったり、男子は、ゲェー気持ちわるい、こりゃひでぇなあと顔をしかめている連中もいる。
人だかりをなんとかかき分け、見たものは小屋が荒らされた跡だった。ミネ子も一緒に来て驚愕し、眉をひそめて口を手で覆った。
飼育係りのミネ子が世話をしていたウサギがみんな殺されてしまったのだ。一年生の女子たちが登校したときに見つけたらしい。
男の先生が来てくれて、黒いゴミ袋を用意し、手袋をはめて死骸を入れようとしている。小屋の中は悪臭と、白やまだらの動物の毛が血に染まり散乱し、抵抗した様子が見受けられた。
僕は先生がゴミ袋に入れる時に見てしまった。一匹の白ウサギの眼球がグリンとひっくり返り、顎を強張らせて舌も伸びきり、首もダラリと垂れていた。
先生も動物の死を尊重しているのか、手を合わせてから丁寧に抱っこをして袋に詰めようとする。
ダレだ。こんな残酷なことをした奴は――それとも野犬の仕業か?
どっちにしても、小さな命を奪ったヤツが許せない!
僕の側で見ていたミネ子は泣き崩れてしまった。
「うっ…。うっ…。なん…で…っ。あっ…。あっ…。か…。わい…そう…に……」
彼女はしゃくりあげながら、前髪も顔も手でぐしゃぐしゃにして
突っ伏してしまった。地面にぽとぽと熱い涙がこぼれている。
「ミネ子ちゃん…」
何か言おうと思ったが、僕はそれ以上かける言葉がなくて、彼女の肩にそっと手を置くことぐらいしかできなかった―――。
「ネェ。あなたの世話してたウサギ、アレ殺したの。ミネ子さん本人じゃなくて?」
毛先をくるくるドリル巻きしたヘアーにカチューシャをつけた女子が、ツカツカといきなりやってきた。
そして、冷めた目をしてミネ子の机の上にダンッと掌を置いた。
「チ、チガうわ。どうして、そんなことを言うの?」
ミネ子は椅子から立ち上がり、涙声で訴えた。
なんなんだ。この女。失礼なヤツだな。
嫌悪を感じてしまったが何故か、周りにいるクラスの連中は静かにその場から離れてしまった。
おい。誰もなにも言わないのか。なんて薄情な連中だ。
女はフフンと両腕をくんで皮肉な笑いを浮かべる。
まてよ。思い出した。こいつは別クラスで牛耳っている蛇川蝶子(ヘビカワ・チョウコ)、通称、お蝶夫人だった!
「フン!見苦しいわよ。あなた、同情をひきたくてわざと自分の手で殺したんでしょ。ウサギからも愛されるマドンナとみんなから言われてたのにねえ。そのために殺されたウサちゃんたち、かーわーいーそーうー。ミネ子さん?少しは胸が痛まないの?」
勝手なことばかり言いつづける蝶子は、ミネ子の周りを歩きながらなじっている。
クラスの連中も、ほんとかよ。マジでありえない!ミネ子さん、そんなことをする人だっけ?と疑いの視線がぐっとミネ子に集まった。
首を横に振ってミネ子はお蝶夫人に叫んだ。
「ひ、酷いわ蝶子さん!そんなことを言うなんて!
あのウサギたちは本当に可哀想だったわ。
私は毎日、あの子たちの世話をして気持ちが癒されてた。
ニンジン、キャベツを食べているときのあの小さな歯で噛み砕いて食べる逞しさ、活き活きとしていて生命力を感じるの。見ていて胸がホッとする。
それで撫でてあげると、ふわふわと毛が柔らかくてとても気持ちがいいの。
ウサギってすぐに噛むから怖い!と最初は思ってたの。
でも、静かに優しく接してあげたら凶暴なことなんて全然ないわ」
ミネ子は大きい瞳から涙がボロボロと零れ落ちていた。
でも、拭かずに続けて叫んだ。
「あるとき、ウサギの世話をしていたの。そしたら、今までよそよそしかったのに、一匹のウサギがわたしの膝に乗ってくれた。とても嬉しかったわ。本当に可愛い子たちよ。なのに――なのに――。
やっと心が通い合えたばかりなのに、殺されてしまうなんて、本当に胸が張り裂けそうな思いよ!蝶子さんには私の気持ちなんて分からないでしょうけど、本当に殺したヤツが許せない!この手で同じような目に遭わせてやる!」
拳をギュッとつくり、早口でお蝶夫人に言ってぶつけた。
だが、緊張と感情、悔しさが耐え切れなくなり、ミネ子はとうとうワァー!と号泣して泣き崩れてしまった。嗚咽も漏らしている。
「な、なによ!またそうやって人目を引こうとしちゃって!
凄まじい演技力ね。相当の悪女だわ。
もう、およしになったら?
この期に及んで見苦しいわよ?」
さっきまで優位だったお蝶夫人は急に取り乱して吐き捨てるようにいった。
そしてクラスのみんなはミネ子に同情の眼差しを送った。
お蝶夫人もスポーツ万能で美人なのだが、ミネ子ほど性格が美しくなく、学校のミスコンでミネ子にあっさりと優勝をとられたことが悔しくて嫌がらせをしにきたのだ。
ウサギを毎日可愛がり世話をしてきたミネ子を普段からみんな知っていた。僕ももちろん知っている。
彼女はウサギの事となると饒舌になり、その日に撮った写真をいつも見せてくれたり、ノートに貼りつけて観察日記を書いたりして本当に大事に世話をしてウサギと接している様子だった。
ウサギのことしか頭にない彼女だと思うこともあった。
「おい!イイ加減にしろよ!
もうコレ以上ミネ子ちゃんを陥れるような事をいうな!」
女子との揉め事に男子は口を挟んではいけないとずっと見張ってたが、もう、はらわたが煮えくりかえった!明らかにこれはお蝶夫人のデタラメで一方的に攻撃をしている。
頭の先から爪の先まで電流が走るのを感じる。
僕は反射的に強引に割ってはいりミネ子の前に立ちはだかった。
「スケオくん……っ」
瞼をすっかり腫らした彼女がとても痛々しい。胸が痛む。
ミネ子は顔を上げ濡れた眼差しを僕に向けた。
「ハァ?邪魔よ。ソコどいて」
もろ軽蔑した顔でお蝶夫人は僕を顎でさした。
「イヤダ!僕はミネ子ちゃんから離れない!
だって、彼女は優しくて心が美しいんだから」
お蝶夫人をニラみつけ、胸を突出し両手を広げてミネ子を守った。
クラスの連中はどぎまぎしてこちらを見ていたが、
「そうだ!助男の言うとおりだ!」「イイ加減にしろよオイ!」
と教室中が騒ぎ出した。みんなが味方についてくれたら怖くなんかない。
教室の異変に気づき、複数の先生たちが駆けつけようとしたときに、
「チッ……ミネ子のパシリのくせに……!」
と憎々しげに吐き捨て、乱暴にドアを開けてそそくさと逃げていった。ははは。カッコ悪い女だ。みんなミネ子ちゃんの味方なんだよ。バーカ!
「スケオくん…ありがとう。嬉しかった…」
ミネ子はヨロっと立ち上がり、僕の胸にもたれかかった。
そして優しく、僕は受け止めた。
「大丈夫だよ。ミネ子ちゃん。
お蝶夫人はしつこいヤツだからまた嫌がらせに来ると思うけど、
その時も僕が守ってあげるからね。」
「ウ…。ウ…。ありがとぅ………ワァーン」
彼女は僕の胸のなかに顔を埋めて泣いた。
よしよしと彼女の背中をさすり、優しく包み込むようにしばらく抱きしめていた。
僕はずっと眠ってたらしい。
頭の中はボーっとして視界もまだうっすらとボヤけていたが、僕はいま冷たいコンクリートの上に座っていた。
目の前には鉄の棒が無数にあり、何重にも見えて視点が定まっていない。
四方にも錆びついた鉄の棒が見える。鉄格子だ。
そして、隅には、銀のトレーと便器らしきものが置かれていた。
「アァァア…っ!イテテテ…っ!」
頭がグワングワン鳴り響いて割れそうだ。鈍い痛みが猛烈に走った。
目を開けてられない。こりゃ酷いなあ。
手で抑えつつ、ゆっくりと一点を見つめてから視点を戻し、辺りを見回した。
背中に温かいものを感じたので後ろを振りかえる。
床から3mほど高いところに四角い窓が2つほどあり、夕焼けの光が差し込んでいた。
周りの壁を見てみた。
壁もコンクリートで出来ており、黒ずんだところが何か所かあった。
何本か道具らしきものがフックにかけられてある。
大きなノコギリは知っているけど、これは見たことがないなあ…ハサミのような持ち手で先端には丸みを帯びた長い梨のような、まるで、どこかに突っ込んで押し広げるような器具などがあった。
他にも奇妙な形をした器具がかけられていたが、どれも見ていてゾッとするような、まるで拷問のために使われるような道具だった。
オレンジ色の光が当たってシルエットができているのが余計に気持ち悪く思える。
僕から見て左のずっと向こうに、上りの階段が見える。
どうやらここはどこかの地下牢らしく、自分は檻の中に閉じ込められているようだった。
「ァァ…」
気がつくと床には古びた血がコビリツイテおり、動物か人間の骨が転がっていた。思わず悲鳴をあげかけたがその時、僕の右横からズズズズ…と擦るような音と不気味な声が聞こえてきた。
「グゥーブブブ…」
影から蛇のように這ってうねりながらギラギラと目を光らせた髪の垂れた女がいた。
「誰!誰なの!ここを開けて!」
ガシャガシャと両手で棒を掴み叫んでいるのはお蝶夫人だった。
彼女も僕と同じように誘拐され、閉じ込められたみたいだ。
なんで僕たちは連れてこられたんだろう。不安が膨らんできた。
「グフフ……チョウコサン……アタシだよぅ……グフフ」
涎をコボシながら喋った。
その声はマサカ!
顔は見せないけど、ミネ子ちゃん。キミなのか!
「フヘヘー…」と薄笑いを浮かべて僕の隣にある別の檻の施錠をとき、扉をキイィー…と長い爪で開ける。その檻の中にはガタガタと震えているお蝶夫人が目を剥いていた。
「イッ…イヤー!イヤー!コナイデぇぇぇぇー!イヤー!イヤー!」
首を横に振りたくり、後ずさりをして隅に逃げて喚きだした。
「イヒヒヒ…」前髪を垂らした隙間からミネ子の目が見えた。お蝶夫人をイヤラシク上目遣いをし、舌なめずりをして開いた扉に頭から突っ込み、前足からペタリ、ペタリと入っていく。
とにかく状況が悪いと思い、僕は気絶をしたフリをして、チロリと横目で見るようにした。
「うっ、うっ、ウサギのことは謝るわ!あれは愛犬に殺させたの!夜、学校に忍び込んでアンタの大切にしてたウサギを私が殺したのよ!いっ、いっ、いつも綺麗と言われて学校で目立ってたアンタを恨んでいたのよ!イヤァー!コナイデー!ヒィィィイイ!」
手で払うようにお蝶夫人は震える声で泣いて叫んだ。
それでもズカズカと這って近づこうとするミネ子を止めるように叫び続けた。
「でっ、でっ、でも、うっ、ウサギを殺したあと、さすがに後悔したわ!あんなに暴れて、く、苦しんで死ぬとは思わなかったわ!
だから、ヒィィイイ!ゴメンナサイぃいい!何もしないでー!」
お蝶夫人、貴様が殺ったのか。まさか、そんなことをする奴だったなんて見下げた果てた野郎だな!動物に手を出すなんて恨まれて当然だよ!
喚き散らし、頭を隠し、ガタガタと震え鼻水を垂らしているお蝶夫人。しかし、ミネ子はお蝶夫人と2、3歩あけたまま固まっていた。
しかし、2、3秒経ってからミネ子はグニャリと口元が歪み、髪の毛を掻きむしり、いやらしくゲタゲターァ!と部屋中に響くぐらいに大笑いした。
えっ。まって。僕の可愛いミネ子ちゃんのイメージが崩れていく。
「うふ。ぎひひひひぃぃいいいい!
バカめ。そんなことを言って許してもらえると思って?
あまりにアホ顔すぎて思わず失神しそうになったわ。
アタシの大切にしてたカワイイウサギを殺しやがったくせに。このバカ娘がぁ!」
カカカッと四つん這いで急接近し、お蝶夫人の髪をひっつかむ。
「ヒィイイイイイイイイ!」
「グフフフゥ。イイネェ。その顔」
緑色の目をギラリと光らせ、じゅるーり、べろーんちょとお蝶夫人の目から鼻先まで舐め上げた。
ミネ子ちゃんが何者か僕には分からない、けど、コイツのしたことは絶対に許せないことなんだよ。心底から謝っていないクセに!
ミネ子ちゃん、こんな下衆女なんか懲らしめてしまえ!
「アヒィイイイイイイー!すいません!ウサギを殺したことは本当に謝ります!だからどうか殺さないでー!イヤァアアアアアアー!」
髪をつかまれたお蝶夫人は喚き散らし、ミネ子に懇願をする。
「グベベベ、グヒヒヒヒヒー!謝ったってあの子達の命は帰ってこないよぉー!」
ミネ子は頭と首をカクッカクッとさせ、次第に声が男か老婆のようなしゃがれ声になっていった。
「グヒヒ。もう茶番はおしまいだ。それよりも、アタシはオマエを喰いたくて喰いたくて辛抱たまらない。喰いたい喰いたい喰いたい喰いたいウガガガガガガ……」
わぁー!?な、なんなんだ、あれは!
メキメキと手足が長く大きくなり、着てた制服もビリビリと破れ弾けた。皮膚も金色のウロコが生えてきた。
爪も剥がれ落ち、代わりに鋭く長い爪が生え変わってきた。
「アガ、アガガガガガガガ、ギャギャギャギャギャ―――」
化け物だ…。
口が大きく裂け、鮫か狼のような人喰いのびっしりと生えそろった黄色い牙を見せた。
悪臭に包まれオレンジ色に染まった地下牢の中で僕は黙って一部始終を見てた。あまりにも恐ろしい光景を目の当たりし、奥歯がカタカタと鳴りっぱなしだった。
首が長く、ミネ子はどんどん天井まで巨大化し、化け物となった。
とてつもない殺気を感じてしまった。
「グイヒヒビビビビビ、グガガガガガガガガガ―――!」
牙の茎の隙間から滝のように唾が溢れだす。
吐き出す生暖かい息とともに唾がピチピチとお蝶夫人の顔に飛んだ。
「あ…。あ…。」
お蝶夫人は目をシロクロさせ、口をパクパクさせていた。
イケナイ!このままでは彼女は殺されてしまう!
!
ふと、僕の檻の中を見たら正面の左脇にある扉の隙間を見つけた。
閉まっているだけで鍵がかかっていなかったんだ!
お蝶夫人とミネ子をチロリと見る。
「チョウコさん、イタダキマーーーース!」
「ひやぁあああああああああああああああああああー!」
化け物のミネ子にお蝶夫人は喰べられてしまった。クソ!遅かったか。血飛沫が錆びた鉄格子に飛び散った。
化け物は頭を丸呑みし、ムシャムシャグジュグジュと噛み潰し呑み込む。
ビクッビクッとさせ、やがてお蝶夫人はパタリと動きが止みダラリとなった。
お蝶夫人の首と化け物の口との間からドクドクと真っ赤な血が溢れだす。
そこから脳みその破片や眼球がぼとりぼとりとこぼれてきた。
血と内臓の生々しい光景と悪臭を嗅いでしまい、思わず僕はゲェーーとしそうになったが、ばれては不味いと思い、ぐっ、と胃になんとか戻した。
怪しく緑色に目を光らせ、甘美な血と肉の旨味に酔いしれているようだった。舌をチロチロとさせ、ウフフ…と笑みを浮かべている。
食べたものは長い首からどんどん腹の中にはいっていく。
食べるのに夢中になっている化け物。
今だったら逃げられるかもしれない!冷たい汗がコメカミから伝ってきた。
僕は悪臭を嗅がないよう、鼻と口を手でおさえた。
そして、扉に向かってそろーりそろーり、と床を這って進んだ。
おっと。
思わず躓くところだった。慎重に骨の残骸に当たらぬようにした。
目的まであと1mしかないのに、なかなか扉に辿りつけないもどかしさがある。
数歩進んでは振り返り、ミネ子が斜め後ろ姿でムシャムシャと喰べていることを確認し、また数歩進んでは振り返りの繰り返しだった。
よし!
やっと扉に近づくことができた。
音を立てないで、そろーりと開けようとしたが手をとめた。
まてまて。あせるな。
ゆっくりと呼吸をして落ち着かせようとした。
不安な気持ちがいっぱいになる。
さっきからうるさいくらいに胸が早鐘を打ち続けていた。
まさか敵は見ているだろうか。ばれてしまっているだろうか。
恐る恐る振り向いてみた。
「バリバリ…グジュグジュ…クチャラクチャラ…」
まだ無心に喰べていた。胸を撫で下ろす。手と足がガタガタ震えていた。
もうお蝶夫人の半分以上は喰べられてしまい、太腿の付け根の断面からドクドクと血が溢れ出ている。酷いありさまと悪臭だ。
僕はなるべく嗅がないようにし、とにかく扉を速やかにくぐること専念した。
あらかじめ、ゆっくりと半分ほど扉を開け、頭を入れてみた。
そして、震えながら両手、両足でイチ…ニ…イチ…ニ…と進み、背中から腰、足、踵をくぐり抜けることに成功した。
うっ…。
ズボンの裾が扉にひっかかってしまった。
ここまで来てこんなヘマをするなんてっ―!
片足で振りほどこうとしたがキィー、キィーと扉にくっついて取れてくれない。
しかたがないか。
後ろを振り向き、片腕を伸ばしてゆっくりとひっかけた部分を解いた。そして上目遣いでミネ子を見る。
大丈夫だ。ばれていない。
前を向き一気に進もうとした。
バシーン!
しまった!
思わずビクンとしてしまった。
足で蹴とばしてしまい、扉が大きく反響をあげていた。
「フンヌ―――?!」
ミネ子は気づいた。
そして目を皿のように大きくさせ口だけニタァーと笑った。
血を垂らした内臓を口からボロボロこぼしている。
「ワタシノメインディッシュ……」
と呟きながら口に入ったモノはボックリと呑み込んだ。
長い首がダダダンッと波打ち腹に入っていく。
「うっ、ひゃあああああああああああああ!」
腰を抜かしかけた僕はあわてて扉をバーンと破り、這いながら目の前にある暗い階段を上っていく。そして、トンっと片手を床から離し腰をあげ、足でちゃんと逃げるようにした。
「ニガスカァ―――ウガウガガガァ――」
ダッダッダッダッ。ガシッ。
「あぁ……っ!」
ミネ子に後ろから足を掴まれ、ズルリーンと転げ落ちてしまった。
くっ…。痛い。
「ウフフフフ。グブブブブ…」
後ろを見た。
ミネ子は裸になってしまったが、身の毛もよだつほどにそれは醜い姿になり果ててしまった。
ウロコが生えた大きな手で背中を抑えつけられた。
天井からミネ子の首がやってくる。舌をちろちろさせて近付いてきた。
あぁ!どうしたことなんだ。彼女は巨大な手足つきの蛇女となってしまった。あんな心優しくて綺麗な子だったのになぜなんだ。
これは悪夢か何かの間違いではないか?
「ウヒヒヒ…メインディッシュ…ギャガガガガガガガ………」
うっとりとさせ、真っ赤な口を開いて耳まで裂けた。
お蝶夫人のように丸呑みしようとしている。
イヤダ!死んでたまりものか!
僕は咄嗟に転がっているこぶし大の石を見つけ、そいつを必死に掴んだ。そして、ミネ子の鼻に向けて投げ飛ばす。
ガン!
「ウギャ!」
一か八かだったが運よく命中した。
化け物は両手で鼻をおさえて、のた打ち回っていた。
いまだ!
その隙に僕は階段を駆けあがっていった。
「ヴッ、、、ヴヴ―――ッ!マチヤガレ――――!」
化け物は追おうとするが激痛でまだのた打ち回っていた。
首を縄跳びのように床や天井を激しく打ちつける。
それでも長い腕を伸ばして僕を掴もうとする。
背中のシャツがビリッと破けた。
「ひやぁあああああああ!アヒッ、アヒッ、アヒッ――」
ギョッとした僕は必死に階段を駆けあがろうとした。
息も足ももつれそうになり、苦しくなる。
タン、タン、タン、タン、タン。
スニーカーの音がコンクリートの階段と壁に響き渡る。
「ハッ、ハッ、ハッ、出口だあ」
だんだんと赤い光が見えてき、どこか長い廊下に辿りついた。
ここで一旦、膝に両手をついて休む。
息があがって苦しい。
廊下沿いに両側にたくさんの部屋がつづいている。
まるでホテルのようだ。
窓が一切ついておらず、天井に赤いシャンデリアがあるだけだった。
壁も床も全体が赤色に染まって気持ち悪い。
廊下の先は暗いから、どこまで伸びているか全く見えてこない。
ハッ…ハッ…ハッ…
タッ…タッ…タッ…
僕は再び走りつづけた。
近くの部屋に潜り込もうとも思ったが、ミネ子にすぐばれるだろうと思った。
とにかく、アイツとは距離を広げていかないと。
ひたすら走りつづける。
どこもかしこも黒い同じ扉で、どんどん後ろへと流れていく。
赤いシャンデリア、窓なし、黒い扉。
ずっと同じ繰り返しなので頭が変になってくる。
「ハッ、ハッ、あの、化け物。ハァ…ハァ…聞こえない。」
少しスピードを落として後ろを振り返る。
追いかけてくる様子がない。おかしい。向こうにまだいるのかな。
ずっと、やみくもに走りつづけて心臓が高鳴っている。
胸が苦しい。ここらで入るか。
息を荒げ、視界に入った扉の取っ手に手をかけてみた。
「はぁ。はぁ。鍵かかっていない」
すみやかに入り、扉を閉めた。
「はぁ。はぁ。はぁ。はひ。ひぃ。ひぃ。ひぃ。ふー。」
僕はしばらく扉にもたれ、あがっている息を整えた。
部屋を見渡してみた。
ここも窓がついてなく、暗い。
廊下の暗さに目が慣れてきたか、家具が置いてあることはわかる。
クローゼット、ベッド、テーブル、あとはランプだけだ。
咄嗟に僕はベッドの下にもぐりこんだ。
「ゲホっ。ゴホッ」
掃除してない部屋だな。ほこりで咳がでてしまった。
すると、小さい物音が聞こえ、だんだんと派手に振動が大きくなっていった。
ドタドタドタ。
ドスン。バーン。
バリバリ。
メキメキ。
『ウヌヌヌ。ドコダー』
化け物がやってきた。音からしてどうやら僕の部屋の周辺を探し回ってる様子だった。
『グッ!?イナイ!グガガガガガガガ!』
隣の部屋から聞こえてきた。
ヒステリックに叫んで家具を壊し、壁にぶつけていた。
ドスドスと地団太を踏んでいる。
さっきから歯の根があわない。
また咳が出ないように口を押え、息をしないようにした。
ドスン。バーン。
「ガガガガガバババババギビビビビビビ!」
とうとう、化け物がこの部屋にきてしまった。
咳をとめたがクソッ。遅かったか。ばれたか。
コメカミから汗が垂れてきた。
「ヴ――――……」
ノシッ。ノシッ。ズシッ。ズシッ。
化け物が歩くたびに振動がじかに伝わってくる。
どうやら歩いてはそこでニラミつけているようだった。
!
丁度、首の長い影がぼんやり落ちているのがベッドの隙間から見えた。
あぁ…神様!どうか助けてください!ガタガタブルブル。
心臓が突き上げてくる。
お願いだ!このまま出て行ってくれ!
目を瞬きしないで巨大な影ばかりを見ていた。
すると、化け物は踵をかえし、ノシノシノシと壊れてしまってない扉へと向かい、スッとあっち側に出ていったような気がした。
ほっ。あぶなかったあ。
胸を撫でおろす。
もう大丈夫だあ。
ひょい、と頭を突きだそうとした瞬間―――。
「バアァアアアアアアアアアア!」
「ぎゃああああああああああああああ!」
見つかってしまった。
僕の顔スレスレのところに、鼻がつぶれて血だらけの蛇女の顔があった。
化け物は他所へいったのではない。
行ったフリをして首だけをこちらに向けてたのだ。
もう、僕がベッドに隠れていることは分かってたんだ。
「ヘヘェー。ブギャギャー」
イヤラシク、にたぁーと笑ってくる。血生臭い息がふりかかり、思わず顔を背けてしまった。
体が震え、歯の根も合わなくなった。
「ミネ子ちゃん、僕だよ。スケオだよ。目を覚まして」
手で制しゆっくりと話しかけた。擬音語ばかり連発して殺しまくる化け物にいったって無駄なのはわかってる。でも、もしかしたら僕の言葉が彼女の胸に届くかもしれないと思った。
「スケオ…くん。ト・モ・ダ・チ」
一瞬だが、もとの綺麗なミネ子に顔がもどったような気がした。
ミネ子は口をポカンと開いて目がうつろになっている。
「そうだよ!トモダチだよ!ミネ子ちゃん、はやく目をさましてくれよ」
自分の胸を叩き、ミネ子に訴えかけた。
僕の言葉が彼女に届いた。
だが僕は頭をグワシっと掴まれ、ベッドの下から引きずり出されてしまった。
「ギャアアアアアアアハハハハハハハ!」
化け物は舌を出して突き抜けるように笑った。
手でおさえつけられ仰向けになった僕は彼女をみた。
あぁ…。ダメだったか。万事休すだ。
「ト・モ・ダ・チ……オイシソウ!」
「やめてやめてやめてうわぁああああああ!ぎゃあああああああ!」
緑色の目をした化け物の顔が真上から近づいてきた。
耳まで裂けた口が大きく開いてくる。
舌をチロチロとさせ、唾液がドローリと顔にかかってきた。
おねがいだ。悪い夢なら覚めてくれ。
しかし、これは夢じゃなかった。
僕もお蝶夫人と同じように頭からムシャムシャグジュグジュリと噛み潰されてしまった。
僕は反射的にビクンビクンとなる。
痛みは感じなかった。
目の前が真っ暗になり意識が消えてしまっていた―――。
(完)
その下には、洋服屋や雑貨店などが立ち並び、腕に背広をかけて歩く半袖の会社員や、つばの広めの帽子を被って扇子でパタパタとあおぐ婦人など、老若男女が右からも左からもいったりきたりで、日差しを浴びすぎて参っている表情を浮かべてせからしく歩いている。
そんな雑踏を見て、頬杖をついて、ぼーっとしている僕の姿が窓に映った。
今いるところは外とはまったく逆。
クーラーのきいたひっそりとして涼しい喫茶店にいる。
懐かしいJ-POPをピアノジャズ風にアレンジした曲がうっすらと流れている。
机、椅子、カウンターの席などのデザインが非常に古風で落ち着いた感じがする。
壁にはカラフルで抽象的なモダンなアートが飾られていて、隅には観葉植物のモンステラが置かれていた。空調もきいてとても気持ちがいい。
昼休みが終わり、会社員も学生も戻る時間なので、今いるのは主婦や老人ぐらいなものだ。
廊下を挟んだ横のテーブルに座っているのはママ友さんたちで、パンケーキと飲み物のセットを頼んで、子供をあやしながら家庭の愚痴や子供の自慢話をしてだべっている。
奥のテーブルに座っているのは、一人新聞を広げて黙々と読んでコーヒーをすすっている老人もいる。僕よりも先に座っていてこれで2杯目か3杯目のおかわりかなと思った。
そして、この僕。中背中肉で色白で髪の毛もワックスもなにもつけないで普通にカットした、大人しくてなんの取り柄もない、ごく普通の目立たない高校生は、花が丘高校のマドンナとも言われる藤ミネ子と待ち合わせをしている。
平日でほんとは学校がある日なのだが、いまは短縮授業なので今日は学校が早くに終わったのだ。
約束の1時が過ぎ20分ほど経ったが彼女はなかなか来ない。
僕はハァーとため息をつき、またぼーっと窓の外に目をやろうとすると彼女が小走りにやってきた。
「ごめーんっ。遅くなっちゃった」
挽き立てのコーヒーの香りと共に現れたミネフジ子――
じゃなかった。藤ミネ子である。
慌ててきたのか、雪のように真っ白な肌に玉のような汗をかき、白いブラウスもうっすらと透けている。
艶やかな黒々とした長い髪を胸まで伸ばしている。
スイトピーの花のようにひらひらとした膝上までのスカートを履いている。均整のとれた長くて細い足が息を飲むほどとても美しい。
周りの客が一斉にこちらを見ていた。
みんなは信じられないと思うが、正式に僕の自慢の可愛い友達なのだ。どうだ。びっくりするぐらいに僕のガールフレンドは綺麗だろう。えっへん。
そんなことよりも、オオオーーーー!!これは大ニュース!!
なんと、ミネ子ちゃんのブラウスが濡れて、胸の下着っ!桃色のブラジャーがスケスケであります!!うっひょー!たまんない!
「来る途中、水撒きしてたおじさんにかけられちゃったの。もーサイアク」
「そ、そーなんだっ。そりゃあ、ひどいねー?あへ。大丈夫?」
と、椅子に腕をかけてふんぞり返りながらさりげなく、がっつりと胸をみる。おじさんもなかなか粋なことをしてくれるじゃないか。
こんな美女に水をかけてびちょびちょにしてしまうなんて。
とんっだ、スケベ爺だ!
という僕もさっきから大きなおっぱいをずっと凝視しちゃってる。
鼻息も自然と荒げていた。
Oh!神よ!真夏の女神よ!
僕、西城助男はスケベな自分にどうしても嘘をつけません!
「遅くなってごめんなさい。大分待ったんじゃない?」
「コホッ。ううん。大丈夫だよ」
約束の時間より20分過ぎていたが、もう、そんなことはどうでもよい。さっきから心臓が突き上げるように飛び出してしまいそうだ。興奮を抑えるのに大変だ。
僕はなんとか自制し、むんずとメニューをとりできるだけ外へ目をやるように努める。
ほー、と一息をついた彼女は、向かいの席にぽふんっと座った。
その瞬間、あぁぁ…。女性特有の甘い香りと百合の花のような芳しい香りが鼻をかすめてきた。
彼女の衣服の匂いから、下着の匂いから、そしてそして、彼女“自身”の匂いからエトセトラ…。
僕の卑しい鼻から脳まで一気に信号が送られ、卑猥な想像をしてしまった。もう、メニューどころではない!
「ご注文がお決まりでしたらお声をかけてください」
ウェイターが銀のトレーに乗せた彼女の分の水をテーブルに置いていった。
あわわわ。どうしよ。もう、ミネ子ちゃんの下着姿や裸ばかりを想像してしまってそれどころではない。
焦った僕は落ち着こうと、暑くもないのに手であおぐふりをして言った。
「フゥー。今日も暑いねー。ミネ子ちゃんの言ってたパフェって、これのこと?」メニューに指さした。
「そうそう!こ、れ!マンゴーパフェ!
夏限定のスイーツでいま人気があるのよ。
このマンゴープリンとバニラアイスと生クリームがのっていて、これみたいに果肉が底につまっていてとっても美味しいみたいよ!」
彼女は向かいから開いているメニューにピンと指をさしながら目を輝かせた。
「でもぉ。こういう喫茶店に一人ではいるのって、すごく心細いんだよねぇ。助男くん、メイワクだったんじゃない?」
チロリと彼女が上目遣いをしてくる。
「えへ!ぜーんぜん!むしろ、こうしてキミと一緒に食べること自体、とても嬉しく思うよ!」ニハハと笑い、前髪を掻きあげてスッと爽やか仮面をかぶってみせた。
「なんだったら――フッ。
パフェ以外、好きなものを頼んでくれてもいいよ。僕のおごりさ」
足を組み、カモンと手を動かして言った。まるで、芸能マネージャーかプレイボーイみたいな台詞だ。くふふ…これ、何回も家の鏡の前で練習してきたんだよなあ。ニターリ。
「え!え!そんなのダメだよ。
じゃあじゃあー。助男くんが選んでくれたものが食べたい。あっ!」
手で振った拍子に、カラン――っとミネ子は金色の土星のようなイヤリングを片方落としてしまった。
「やだ!あたしったら」
「あっ。僕のところに転がった音だ」
手で制し、すぐさま頭をテーブルの下に突っ込み、探し出そうとしたその時、うっすら影を落とした足の間から、眩しい物が見えてしまった。
ウッ、ホォーーーーーー!?
張りの良い内股が汗でしっとりとしており、レースつきの桃色のパンティーが密着していた。
あぁ…僕の卑しい鼻が甘酸っぱい匂いをかすめてくる。
思わずクラクラっとしてしまった。
あぁ…見ちゃイケない!でも、どうっしても見てしまうのが男の本能!
ん?
よく見ると、股の上あたりに、小さいが能面の絵がプリントされているように見えた。
オホホ、と笑っているように見えるが、口角はあがっていても目だけが笑っていないので不気味に思える。
だけど、あのスタイル抜群のマドンナの生パンティーをこの世で拝むことができたのだ。そんなことは構いはしないさ。
股を見るたびにグビリ…グビリと喉を鳴らしてしまう。
僕はこのままテーブルの下で喘ぎ昇天してしまいそうになる。
「どう?イヤリングあった?」
長く感じたミネ子は怪訝な声で聞いた。
「う、うん!たは。あったけどね。ちょーっと絨毯にひっかかってしまったみたい!待ってね!」
イマいいところなんだから邪魔しないで!
鼻息がいつのまにか荒くなり、胸も早鐘を打ちまくってた。
テーブルの脚に転がってた土星のイヤリングが見つかった。
手の中にいれ、そのまま両手合わせて拝んだ。いただきます。
彼女の太腿と食い込んだパンティーをバッチリ目に焼きつけるように頑張った。
そして、この崇高な匂いを忘れまいと、大自然の中でいるように空気を深く吸い込み、官能の世界に浸った。
あーっ。ヤバい。マジで脳が融けて自分がダメになってしまいそう。
ここから出なきゃ。
もういいだろうと顔をあげて、
「イヤリングみつかったよ」と渡そうとした瞬間に、口をおさえ目を丸くしたミネ子に言われた。
「まあ大変。助男くん。鼻から血が出てる」
ガーン。ウソ。マジかよ。
テーブルの脇にある紙をとって鼻の下に慌ててあててみる。
あぁ…たしかに鼻血が出てる。エッチな妄想をして見続けてしまったからか…あぁ…せっかくのミネ子ちゃんとのデートなのに…。
チーン。
なんだか一気に萎え、頭をだらりとしてしまった。
鼻血…鼻血…鼻血……
ミネ子ちゃんと会話をしてもずっとこの言葉が脳の中でリフレインされる。
「お待たせしました。マンゴーパフェ2つです」
あぁ…ウェイターがパフェを持ってきたことすら全然気づかなかった。
その夜、自宅の部屋にいた。
ベッドで仰向けになり、手を頭の下に入れながら思いかえす。
今日のデート。とんでもなく恥ずかしいところを見せてしまった。
でも、ミネ子ちゃんは優しくて帰りに、ありがとう。ご馳走様。とニコリと笑ってお辞儀をしてくれた。
鼻血騒動の後、お揃いのマンゴーパフェと温かいコーヒーと、大皿に盛られた塩気のきいたカリカリホクホクのフライドポテトをケチャップにつけて一緒につまみながら学校であった出来事や、お互いの趣味の話などで花を咲かせた。
僕の話を聞いて笑ってくれたり、頷いたりしてくれた。
ミネ子ちゃんは可愛くてとても良い子だなあ。
喫茶店から出て、近くのゲーセンでプリクラ?だったかな。
写真も一緒に撮ってくれた。
枕の横からプリクラの写真を手にとり、向日葵の花を頭につけた能天気な自分の顔を見た。不細工だなあ。とほほ。
大体プリクラなんて入ったことねーし全くわかんねーもん。
『○○のような顔をしてねー。ハイ、チーズ』
と機械から指示があるけど、咄嗟にできなくて、おまけに全部自分だけがひょっとこ顔で写ってる。もう、これは見たくないな。ぽい。
と言いつつもプリクラを枕の下に入れた。
ポケットからガサゴソとスマホを取り出し、ミネ子ちゃんにプリクラから転送してもらったツーショット写真を見つめる。
もう、絶対に消さない。これは一生の国宝級のお宝だい。
それにしてもミネ子ちゃんはどの写真も可愛く写ってるなあ。
シュッ。シュッ。と指先でなぞるようにスワイプをさせ、ミネ子ちゃんの写真ばかりを見つめてしまう。
あたふたして慣れない僕をリードするように、後ろに回って僕の肩に両手をのせてポーズをとったりウィンクしたりしている。
全身で写ってる写真もあって、僕と背中合わせで手をとって決めポーズをしたりとにかく、撮られることに慣れているみたいだった。
狭い空間の中でパシャリパシャリとフラッシュがたかれ、撮られている内になんだか、僕もモデルのような気持ちになってしまう。少女のようなときめきをしてしまっていた。
なんか、撮る前に画面タッチで『美白コース』とか『デカ目』とか選択するところがあったなあ。ミネ子ちゃんはもう十分白いし、クリっとした大きな目をしてるから必要ないじゃんと思った。
撮ってからカーテンをくぐって機械の側面にある画面に映っている写真をらくがきするところがあった。
備え付けのペンでネコミミや向日葵娘のスタンプをつけたりキラキラの文字をつけたりしてとにかくミネ子ちゃんは手早く操作をしていてすごかった。ほぇー、と横で見てて感心してしまった。
やっぱ女子だなあ。ゲーセンはUFOキャッチャーとか音ゲーとか格闘ゲームはしたことがあるが、乙女チックなプリクラなんて今までに一度も入ったことがない。
男と女はこうも行動や好みが違うんだなあと改めて思ってしまった。
「しかし、なんで能面のパンティーなんだろ」
あのときの喫茶店で見てしまったときのことを思い出した。
普通、クマとかウサギ、ゾウのパンティーだったら分かるけど、よりにもよってあの、ホラーの題材に使われるような白塗りにおちょぼ口の能面だなんて彼女にふさわしくなかった。
なんでそんな、不気味で気持ち悪いものを履いてきたんだろ。
考えている内にモヤモヤとした気持ちになった。
「あっ。まてよ。もしかして、今日という初デートのための勝負下着だったりして…考えすぎかな…まさか…ね…。
いや、やっぱり僕に脈ありかも!」
考えてみるとミステリアスな事なのだが、そんなことはもうどうでもいいや。
グフフー!彼女の可愛らしいお顔にムチュチュっとキスをした。画面にヨダレがついたままのスマホを抱きしめて電気を消し、布団をひっかぶって寝た。
はぁー。今宵は良い夢がみられるかも。
『あぁ~ん。スケオく~ん。見ちゃダメェ』
でも、思い出すとまた、スケベな妄想をしてしまう。
あ、もう遅いや。心臓がバクバクしてきたし手足がじんわり汗をかいてきた。
眠れなかったら、ミネ子ちゃん。キミのせいだかんね。
うひひ。
あぁ…ミネコちゃん…あぁ…ああ!
翌日、ミネ子と学校にくると早朝から飼育小屋の前で人だかりができていた。
女子は、わぁ可愛そう、なんて酷いと言って目を覆ったり、男子は、ゲェー気持ちわるい、こりゃひでぇなあと顔をしかめている連中もいる。
人だかりをなんとかかき分け、見たものは小屋が荒らされた跡だった。ミネ子も一緒に来て驚愕し、眉をひそめて口を手で覆った。
飼育係りのミネ子が世話をしていたウサギがみんな殺されてしまったのだ。一年生の女子たちが登校したときに見つけたらしい。
男の先生が来てくれて、黒いゴミ袋を用意し、手袋をはめて死骸を入れようとしている。小屋の中は悪臭と、白やまだらの動物の毛が血に染まり散乱し、抵抗した様子が見受けられた。
僕は先生がゴミ袋に入れる時に見てしまった。一匹の白ウサギの眼球がグリンとひっくり返り、顎を強張らせて舌も伸びきり、首もダラリと垂れていた。
先生も動物の死を尊重しているのか、手を合わせてから丁寧に抱っこをして袋に詰めようとする。
ダレだ。こんな残酷なことをした奴は――それとも野犬の仕業か?
どっちにしても、小さな命を奪ったヤツが許せない!
僕の側で見ていたミネ子は泣き崩れてしまった。
「うっ…。うっ…。なん…で…っ。あっ…。あっ…。か…。わい…そう…に……」
彼女はしゃくりあげながら、前髪も顔も手でぐしゃぐしゃにして
突っ伏してしまった。地面にぽとぽと熱い涙がこぼれている。
「ミネ子ちゃん…」
何か言おうと思ったが、僕はそれ以上かける言葉がなくて、彼女の肩にそっと手を置くことぐらいしかできなかった―――。
「ネェ。あなたの世話してたウサギ、アレ殺したの。ミネ子さん本人じゃなくて?」
毛先をくるくるドリル巻きしたヘアーにカチューシャをつけた女子が、ツカツカといきなりやってきた。
そして、冷めた目をしてミネ子の机の上にダンッと掌を置いた。
「チ、チガうわ。どうして、そんなことを言うの?」
ミネ子は椅子から立ち上がり、涙声で訴えた。
なんなんだ。この女。失礼なヤツだな。
嫌悪を感じてしまったが何故か、周りにいるクラスの連中は静かにその場から離れてしまった。
おい。誰もなにも言わないのか。なんて薄情な連中だ。
女はフフンと両腕をくんで皮肉な笑いを浮かべる。
まてよ。思い出した。こいつは別クラスで牛耳っている蛇川蝶子(ヘビカワ・チョウコ)、通称、お蝶夫人だった!
「フン!見苦しいわよ。あなた、同情をひきたくてわざと自分の手で殺したんでしょ。ウサギからも愛されるマドンナとみんなから言われてたのにねえ。そのために殺されたウサちゃんたち、かーわーいーそーうー。ミネ子さん?少しは胸が痛まないの?」
勝手なことばかり言いつづける蝶子は、ミネ子の周りを歩きながらなじっている。
クラスの連中も、ほんとかよ。マジでありえない!ミネ子さん、そんなことをする人だっけ?と疑いの視線がぐっとミネ子に集まった。
首を横に振ってミネ子はお蝶夫人に叫んだ。
「ひ、酷いわ蝶子さん!そんなことを言うなんて!
あのウサギたちは本当に可哀想だったわ。
私は毎日、あの子たちの世話をして気持ちが癒されてた。
ニンジン、キャベツを食べているときのあの小さな歯で噛み砕いて食べる逞しさ、活き活きとしていて生命力を感じるの。見ていて胸がホッとする。
それで撫でてあげると、ふわふわと毛が柔らかくてとても気持ちがいいの。
ウサギってすぐに噛むから怖い!と最初は思ってたの。
でも、静かに優しく接してあげたら凶暴なことなんて全然ないわ」
ミネ子は大きい瞳から涙がボロボロと零れ落ちていた。
でも、拭かずに続けて叫んだ。
「あるとき、ウサギの世話をしていたの。そしたら、今までよそよそしかったのに、一匹のウサギがわたしの膝に乗ってくれた。とても嬉しかったわ。本当に可愛い子たちよ。なのに――なのに――。
やっと心が通い合えたばかりなのに、殺されてしまうなんて、本当に胸が張り裂けそうな思いよ!蝶子さんには私の気持ちなんて分からないでしょうけど、本当に殺したヤツが許せない!この手で同じような目に遭わせてやる!」
拳をギュッとつくり、早口でお蝶夫人に言ってぶつけた。
だが、緊張と感情、悔しさが耐え切れなくなり、ミネ子はとうとうワァー!と号泣して泣き崩れてしまった。嗚咽も漏らしている。
「な、なによ!またそうやって人目を引こうとしちゃって!
凄まじい演技力ね。相当の悪女だわ。
もう、およしになったら?
この期に及んで見苦しいわよ?」
さっきまで優位だったお蝶夫人は急に取り乱して吐き捨てるようにいった。
そしてクラスのみんなはミネ子に同情の眼差しを送った。
お蝶夫人もスポーツ万能で美人なのだが、ミネ子ほど性格が美しくなく、学校のミスコンでミネ子にあっさりと優勝をとられたことが悔しくて嫌がらせをしにきたのだ。
ウサギを毎日可愛がり世話をしてきたミネ子を普段からみんな知っていた。僕ももちろん知っている。
彼女はウサギの事となると饒舌になり、その日に撮った写真をいつも見せてくれたり、ノートに貼りつけて観察日記を書いたりして本当に大事に世話をしてウサギと接している様子だった。
ウサギのことしか頭にない彼女だと思うこともあった。
「おい!イイ加減にしろよ!
もうコレ以上ミネ子ちゃんを陥れるような事をいうな!」
女子との揉め事に男子は口を挟んではいけないとずっと見張ってたが、もう、はらわたが煮えくりかえった!明らかにこれはお蝶夫人のデタラメで一方的に攻撃をしている。
頭の先から爪の先まで電流が走るのを感じる。
僕は反射的に強引に割ってはいりミネ子の前に立ちはだかった。
「スケオくん……っ」
瞼をすっかり腫らした彼女がとても痛々しい。胸が痛む。
ミネ子は顔を上げ濡れた眼差しを僕に向けた。
「ハァ?邪魔よ。ソコどいて」
もろ軽蔑した顔でお蝶夫人は僕を顎でさした。
「イヤダ!僕はミネ子ちゃんから離れない!
だって、彼女は優しくて心が美しいんだから」
お蝶夫人をニラみつけ、胸を突出し両手を広げてミネ子を守った。
クラスの連中はどぎまぎしてこちらを見ていたが、
「そうだ!助男の言うとおりだ!」「イイ加減にしろよオイ!」
と教室中が騒ぎ出した。みんなが味方についてくれたら怖くなんかない。
教室の異変に気づき、複数の先生たちが駆けつけようとしたときに、
「チッ……ミネ子のパシリのくせに……!」
と憎々しげに吐き捨て、乱暴にドアを開けてそそくさと逃げていった。ははは。カッコ悪い女だ。みんなミネ子ちゃんの味方なんだよ。バーカ!
「スケオくん…ありがとう。嬉しかった…」
ミネ子はヨロっと立ち上がり、僕の胸にもたれかかった。
そして優しく、僕は受け止めた。
「大丈夫だよ。ミネ子ちゃん。
お蝶夫人はしつこいヤツだからまた嫌がらせに来ると思うけど、
その時も僕が守ってあげるからね。」
「ウ…。ウ…。ありがとぅ………ワァーン」
彼女は僕の胸のなかに顔を埋めて泣いた。
よしよしと彼女の背中をさすり、優しく包み込むようにしばらく抱きしめていた。
僕はずっと眠ってたらしい。
頭の中はボーっとして視界もまだうっすらとボヤけていたが、僕はいま冷たいコンクリートの上に座っていた。
目の前には鉄の棒が無数にあり、何重にも見えて視点が定まっていない。
四方にも錆びついた鉄の棒が見える。鉄格子だ。
そして、隅には、銀のトレーと便器らしきものが置かれていた。
「アァァア…っ!イテテテ…っ!」
頭がグワングワン鳴り響いて割れそうだ。鈍い痛みが猛烈に走った。
目を開けてられない。こりゃ酷いなあ。
手で抑えつつ、ゆっくりと一点を見つめてから視点を戻し、辺りを見回した。
背中に温かいものを感じたので後ろを振りかえる。
床から3mほど高いところに四角い窓が2つほどあり、夕焼けの光が差し込んでいた。
周りの壁を見てみた。
壁もコンクリートで出来ており、黒ずんだところが何か所かあった。
何本か道具らしきものがフックにかけられてある。
大きなノコギリは知っているけど、これは見たことがないなあ…ハサミのような持ち手で先端には丸みを帯びた長い梨のような、まるで、どこかに突っ込んで押し広げるような器具などがあった。
他にも奇妙な形をした器具がかけられていたが、どれも見ていてゾッとするような、まるで拷問のために使われるような道具だった。
オレンジ色の光が当たってシルエットができているのが余計に気持ち悪く思える。
僕から見て左のずっと向こうに、上りの階段が見える。
どうやらここはどこかの地下牢らしく、自分は檻の中に閉じ込められているようだった。
「ァァ…」
気がつくと床には古びた血がコビリツイテおり、動物か人間の骨が転がっていた。思わず悲鳴をあげかけたがその時、僕の右横からズズズズ…と擦るような音と不気味な声が聞こえてきた。
「グゥーブブブ…」
影から蛇のように這ってうねりながらギラギラと目を光らせた髪の垂れた女がいた。
「誰!誰なの!ここを開けて!」
ガシャガシャと両手で棒を掴み叫んでいるのはお蝶夫人だった。
彼女も僕と同じように誘拐され、閉じ込められたみたいだ。
なんで僕たちは連れてこられたんだろう。不安が膨らんできた。
「グフフ……チョウコサン……アタシだよぅ……グフフ」
涎をコボシながら喋った。
その声はマサカ!
顔は見せないけど、ミネ子ちゃん。キミなのか!
「フヘヘー…」と薄笑いを浮かべて僕の隣にある別の檻の施錠をとき、扉をキイィー…と長い爪で開ける。その檻の中にはガタガタと震えているお蝶夫人が目を剥いていた。
「イッ…イヤー!イヤー!コナイデぇぇぇぇー!イヤー!イヤー!」
首を横に振りたくり、後ずさりをして隅に逃げて喚きだした。
「イヒヒヒ…」前髪を垂らした隙間からミネ子の目が見えた。お蝶夫人をイヤラシク上目遣いをし、舌なめずりをして開いた扉に頭から突っ込み、前足からペタリ、ペタリと入っていく。
とにかく状況が悪いと思い、僕は気絶をしたフリをして、チロリと横目で見るようにした。
「うっ、うっ、ウサギのことは謝るわ!あれは愛犬に殺させたの!夜、学校に忍び込んでアンタの大切にしてたウサギを私が殺したのよ!いっ、いっ、いつも綺麗と言われて学校で目立ってたアンタを恨んでいたのよ!イヤァー!コナイデー!ヒィィィイイ!」
手で払うようにお蝶夫人は震える声で泣いて叫んだ。
それでもズカズカと這って近づこうとするミネ子を止めるように叫び続けた。
「でっ、でっ、でも、うっ、ウサギを殺したあと、さすがに後悔したわ!あんなに暴れて、く、苦しんで死ぬとは思わなかったわ!
だから、ヒィィイイ!ゴメンナサイぃいい!何もしないでー!」
お蝶夫人、貴様が殺ったのか。まさか、そんなことをする奴だったなんて見下げた果てた野郎だな!動物に手を出すなんて恨まれて当然だよ!
喚き散らし、頭を隠し、ガタガタと震え鼻水を垂らしているお蝶夫人。しかし、ミネ子はお蝶夫人と2、3歩あけたまま固まっていた。
しかし、2、3秒経ってからミネ子はグニャリと口元が歪み、髪の毛を掻きむしり、いやらしくゲタゲターァ!と部屋中に響くぐらいに大笑いした。
えっ。まって。僕の可愛いミネ子ちゃんのイメージが崩れていく。
「うふ。ぎひひひひぃぃいいいい!
バカめ。そんなことを言って許してもらえると思って?
あまりにアホ顔すぎて思わず失神しそうになったわ。
アタシの大切にしてたカワイイウサギを殺しやがったくせに。このバカ娘がぁ!」
カカカッと四つん這いで急接近し、お蝶夫人の髪をひっつかむ。
「ヒィイイイイイイイイ!」
「グフフフゥ。イイネェ。その顔」
緑色の目をギラリと光らせ、じゅるーり、べろーんちょとお蝶夫人の目から鼻先まで舐め上げた。
ミネ子ちゃんが何者か僕には分からない、けど、コイツのしたことは絶対に許せないことなんだよ。心底から謝っていないクセに!
ミネ子ちゃん、こんな下衆女なんか懲らしめてしまえ!
「アヒィイイイイイイー!すいません!ウサギを殺したことは本当に謝ります!だからどうか殺さないでー!イヤァアアアアアアー!」
髪をつかまれたお蝶夫人は喚き散らし、ミネ子に懇願をする。
「グベベベ、グヒヒヒヒヒー!謝ったってあの子達の命は帰ってこないよぉー!」
ミネ子は頭と首をカクッカクッとさせ、次第に声が男か老婆のようなしゃがれ声になっていった。
「グヒヒ。もう茶番はおしまいだ。それよりも、アタシはオマエを喰いたくて喰いたくて辛抱たまらない。喰いたい喰いたい喰いたい喰いたいウガガガガガガ……」
わぁー!?な、なんなんだ、あれは!
メキメキと手足が長く大きくなり、着てた制服もビリビリと破れ弾けた。皮膚も金色のウロコが生えてきた。
爪も剥がれ落ち、代わりに鋭く長い爪が生え変わってきた。
「アガ、アガガガガガガガ、ギャギャギャギャギャ―――」
化け物だ…。
口が大きく裂け、鮫か狼のような人喰いのびっしりと生えそろった黄色い牙を見せた。
悪臭に包まれオレンジ色に染まった地下牢の中で僕は黙って一部始終を見てた。あまりにも恐ろしい光景を目の当たりし、奥歯がカタカタと鳴りっぱなしだった。
首が長く、ミネ子はどんどん天井まで巨大化し、化け物となった。
とてつもない殺気を感じてしまった。
「グイヒヒビビビビビ、グガガガガガガガガガ―――!」
牙の茎の隙間から滝のように唾が溢れだす。
吐き出す生暖かい息とともに唾がピチピチとお蝶夫人の顔に飛んだ。
「あ…。あ…。」
お蝶夫人は目をシロクロさせ、口をパクパクさせていた。
イケナイ!このままでは彼女は殺されてしまう!
!
ふと、僕の檻の中を見たら正面の左脇にある扉の隙間を見つけた。
閉まっているだけで鍵がかかっていなかったんだ!
お蝶夫人とミネ子をチロリと見る。
「チョウコさん、イタダキマーーーース!」
「ひやぁあああああああああああああああああああー!」
化け物のミネ子にお蝶夫人は喰べられてしまった。クソ!遅かったか。血飛沫が錆びた鉄格子に飛び散った。
化け物は頭を丸呑みし、ムシャムシャグジュグジュと噛み潰し呑み込む。
ビクッビクッとさせ、やがてお蝶夫人はパタリと動きが止みダラリとなった。
お蝶夫人の首と化け物の口との間からドクドクと真っ赤な血が溢れだす。
そこから脳みその破片や眼球がぼとりぼとりとこぼれてきた。
血と内臓の生々しい光景と悪臭を嗅いでしまい、思わず僕はゲェーーとしそうになったが、ばれては不味いと思い、ぐっ、と胃になんとか戻した。
怪しく緑色に目を光らせ、甘美な血と肉の旨味に酔いしれているようだった。舌をチロチロとさせ、ウフフ…と笑みを浮かべている。
食べたものは長い首からどんどん腹の中にはいっていく。
食べるのに夢中になっている化け物。
今だったら逃げられるかもしれない!冷たい汗がコメカミから伝ってきた。
僕は悪臭を嗅がないよう、鼻と口を手でおさえた。
そして、扉に向かってそろーりそろーり、と床を這って進んだ。
おっと。
思わず躓くところだった。慎重に骨の残骸に当たらぬようにした。
目的まであと1mしかないのに、なかなか扉に辿りつけないもどかしさがある。
数歩進んでは振り返り、ミネ子が斜め後ろ姿でムシャムシャと喰べていることを確認し、また数歩進んでは振り返りの繰り返しだった。
よし!
やっと扉に近づくことができた。
音を立てないで、そろーりと開けようとしたが手をとめた。
まてまて。あせるな。
ゆっくりと呼吸をして落ち着かせようとした。
不安な気持ちがいっぱいになる。
さっきからうるさいくらいに胸が早鐘を打ち続けていた。
まさか敵は見ているだろうか。ばれてしまっているだろうか。
恐る恐る振り向いてみた。
「バリバリ…グジュグジュ…クチャラクチャラ…」
まだ無心に喰べていた。胸を撫で下ろす。手と足がガタガタ震えていた。
もうお蝶夫人の半分以上は喰べられてしまい、太腿の付け根の断面からドクドクと血が溢れ出ている。酷いありさまと悪臭だ。
僕はなるべく嗅がないようにし、とにかく扉を速やかにくぐること専念した。
あらかじめ、ゆっくりと半分ほど扉を開け、頭を入れてみた。
そして、震えながら両手、両足でイチ…ニ…イチ…ニ…と進み、背中から腰、足、踵をくぐり抜けることに成功した。
うっ…。
ズボンの裾が扉にひっかかってしまった。
ここまで来てこんなヘマをするなんてっ―!
片足で振りほどこうとしたがキィー、キィーと扉にくっついて取れてくれない。
しかたがないか。
後ろを振り向き、片腕を伸ばしてゆっくりとひっかけた部分を解いた。そして上目遣いでミネ子を見る。
大丈夫だ。ばれていない。
前を向き一気に進もうとした。
バシーン!
しまった!
思わずビクンとしてしまった。
足で蹴とばしてしまい、扉が大きく反響をあげていた。
「フンヌ―――?!」
ミネ子は気づいた。
そして目を皿のように大きくさせ口だけニタァーと笑った。
血を垂らした内臓を口からボロボロこぼしている。
「ワタシノメインディッシュ……」
と呟きながら口に入ったモノはボックリと呑み込んだ。
長い首がダダダンッと波打ち腹に入っていく。
「うっ、ひゃあああああああああああああ!」
腰を抜かしかけた僕はあわてて扉をバーンと破り、這いながら目の前にある暗い階段を上っていく。そして、トンっと片手を床から離し腰をあげ、足でちゃんと逃げるようにした。
「ニガスカァ―――ウガウガガガァ――」
ダッダッダッダッ。ガシッ。
「あぁ……っ!」
ミネ子に後ろから足を掴まれ、ズルリーンと転げ落ちてしまった。
くっ…。痛い。
「ウフフフフ。グブブブブ…」
後ろを見た。
ミネ子は裸になってしまったが、身の毛もよだつほどにそれは醜い姿になり果ててしまった。
ウロコが生えた大きな手で背中を抑えつけられた。
天井からミネ子の首がやってくる。舌をちろちろさせて近付いてきた。
あぁ!どうしたことなんだ。彼女は巨大な手足つきの蛇女となってしまった。あんな心優しくて綺麗な子だったのになぜなんだ。
これは悪夢か何かの間違いではないか?
「ウヒヒヒ…メインディッシュ…ギャガガガガガガガ………」
うっとりとさせ、真っ赤な口を開いて耳まで裂けた。
お蝶夫人のように丸呑みしようとしている。
イヤダ!死んでたまりものか!
僕は咄嗟に転がっているこぶし大の石を見つけ、そいつを必死に掴んだ。そして、ミネ子の鼻に向けて投げ飛ばす。
ガン!
「ウギャ!」
一か八かだったが運よく命中した。
化け物は両手で鼻をおさえて、のた打ち回っていた。
いまだ!
その隙に僕は階段を駆けあがっていった。
「ヴッ、、、ヴヴ―――ッ!マチヤガレ――――!」
化け物は追おうとするが激痛でまだのた打ち回っていた。
首を縄跳びのように床や天井を激しく打ちつける。
それでも長い腕を伸ばして僕を掴もうとする。
背中のシャツがビリッと破けた。
「ひやぁあああああああ!アヒッ、アヒッ、アヒッ――」
ギョッとした僕は必死に階段を駆けあがろうとした。
息も足ももつれそうになり、苦しくなる。
タン、タン、タン、タン、タン。
スニーカーの音がコンクリートの階段と壁に響き渡る。
「ハッ、ハッ、ハッ、出口だあ」
だんだんと赤い光が見えてき、どこか長い廊下に辿りついた。
ここで一旦、膝に両手をついて休む。
息があがって苦しい。
廊下沿いに両側にたくさんの部屋がつづいている。
まるでホテルのようだ。
窓が一切ついておらず、天井に赤いシャンデリアがあるだけだった。
壁も床も全体が赤色に染まって気持ち悪い。
廊下の先は暗いから、どこまで伸びているか全く見えてこない。
ハッ…ハッ…ハッ…
タッ…タッ…タッ…
僕は再び走りつづけた。
近くの部屋に潜り込もうとも思ったが、ミネ子にすぐばれるだろうと思った。
とにかく、アイツとは距離を広げていかないと。
ひたすら走りつづける。
どこもかしこも黒い同じ扉で、どんどん後ろへと流れていく。
赤いシャンデリア、窓なし、黒い扉。
ずっと同じ繰り返しなので頭が変になってくる。
「ハッ、ハッ、あの、化け物。ハァ…ハァ…聞こえない。」
少しスピードを落として後ろを振り返る。
追いかけてくる様子がない。おかしい。向こうにまだいるのかな。
ずっと、やみくもに走りつづけて心臓が高鳴っている。
胸が苦しい。ここらで入るか。
息を荒げ、視界に入った扉の取っ手に手をかけてみた。
「はぁ。はぁ。鍵かかっていない」
すみやかに入り、扉を閉めた。
「はぁ。はぁ。はぁ。はひ。ひぃ。ひぃ。ひぃ。ふー。」
僕はしばらく扉にもたれ、あがっている息を整えた。
部屋を見渡してみた。
ここも窓がついてなく、暗い。
廊下の暗さに目が慣れてきたか、家具が置いてあることはわかる。
クローゼット、ベッド、テーブル、あとはランプだけだ。
咄嗟に僕はベッドの下にもぐりこんだ。
「ゲホっ。ゴホッ」
掃除してない部屋だな。ほこりで咳がでてしまった。
すると、小さい物音が聞こえ、だんだんと派手に振動が大きくなっていった。
ドタドタドタ。
ドスン。バーン。
バリバリ。
メキメキ。
『ウヌヌヌ。ドコダー』
化け物がやってきた。音からしてどうやら僕の部屋の周辺を探し回ってる様子だった。
『グッ!?イナイ!グガガガガガガガ!』
隣の部屋から聞こえてきた。
ヒステリックに叫んで家具を壊し、壁にぶつけていた。
ドスドスと地団太を踏んでいる。
さっきから歯の根があわない。
また咳が出ないように口を押え、息をしないようにした。
ドスン。バーン。
「ガガガガガバババババギビビビビビビ!」
とうとう、化け物がこの部屋にきてしまった。
咳をとめたがクソッ。遅かったか。ばれたか。
コメカミから汗が垂れてきた。
「ヴ――――……」
ノシッ。ノシッ。ズシッ。ズシッ。
化け物が歩くたびに振動がじかに伝わってくる。
どうやら歩いてはそこでニラミつけているようだった。
!
丁度、首の長い影がぼんやり落ちているのがベッドの隙間から見えた。
あぁ…神様!どうか助けてください!ガタガタブルブル。
心臓が突き上げてくる。
お願いだ!このまま出て行ってくれ!
目を瞬きしないで巨大な影ばかりを見ていた。
すると、化け物は踵をかえし、ノシノシノシと壊れてしまってない扉へと向かい、スッとあっち側に出ていったような気がした。
ほっ。あぶなかったあ。
胸を撫でおろす。
もう大丈夫だあ。
ひょい、と頭を突きだそうとした瞬間―――。
「バアァアアアアアアアアアア!」
「ぎゃああああああああああああああ!」
見つかってしまった。
僕の顔スレスレのところに、鼻がつぶれて血だらけの蛇女の顔があった。
化け物は他所へいったのではない。
行ったフリをして首だけをこちらに向けてたのだ。
もう、僕がベッドに隠れていることは分かってたんだ。
「ヘヘェー。ブギャギャー」
イヤラシク、にたぁーと笑ってくる。血生臭い息がふりかかり、思わず顔を背けてしまった。
体が震え、歯の根も合わなくなった。
「ミネ子ちゃん、僕だよ。スケオだよ。目を覚まして」
手で制しゆっくりと話しかけた。擬音語ばかり連発して殺しまくる化け物にいったって無駄なのはわかってる。でも、もしかしたら僕の言葉が彼女の胸に届くかもしれないと思った。
「スケオ…くん。ト・モ・ダ・チ」
一瞬だが、もとの綺麗なミネ子に顔がもどったような気がした。
ミネ子は口をポカンと開いて目がうつろになっている。
「そうだよ!トモダチだよ!ミネ子ちゃん、はやく目をさましてくれよ」
自分の胸を叩き、ミネ子に訴えかけた。
僕の言葉が彼女に届いた。
だが僕は頭をグワシっと掴まれ、ベッドの下から引きずり出されてしまった。
「ギャアアアアアアアハハハハハハハ!」
化け物は舌を出して突き抜けるように笑った。
手でおさえつけられ仰向けになった僕は彼女をみた。
あぁ…。ダメだったか。万事休すだ。
「ト・モ・ダ・チ……オイシソウ!」
「やめてやめてやめてうわぁああああああ!ぎゃあああああああ!」
緑色の目をした化け物の顔が真上から近づいてきた。
耳まで裂けた口が大きく開いてくる。
舌をチロチロとさせ、唾液がドローリと顔にかかってきた。
おねがいだ。悪い夢なら覚めてくれ。
しかし、これは夢じゃなかった。
僕もお蝶夫人と同じように頭からムシャムシャグジュグジュリと噛み潰されてしまった。
僕は反射的にビクンビクンとなる。
痛みは感じなかった。
目の前が真っ暗になり意識が消えてしまっていた―――。
(完)
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