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わたしのことを一番大事にしてくれるんですよね

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 クレハは、あくまでルシアとソフィアを殺すつもりだと言う。
 そんなことをさせるわけにはいかない。もしそんな事態になれば、俺はクレハを、そして俺自身を許すことができなくなるだろう。

 だが、俺にクレハを止めることができるのだろうか?
 クレハは真の悪役令嬢として覚醒し、完全なるフロースの器となった。その実体はわからないが、おそらくアストラル魔法のおそろしく高度な集積体だろう。

 俺の付け焼き刃のアストラル魔法では、到底倒すことはできない。
 では、どうすれば良いのか? ソフィアとルシアは戦闘不能だ。というより、早く助けないと重傷で手遅れになるかもしれない。
 
 唯一頼りになる戦力は、マクダフだ。王太子とアリアがいなくなった今、宮廷魔導師や近衛騎士は指揮官を失い、茫然自失となっている。必然的にマクダフの手が空いたわけだ。

 俺とマクダフは、これでも大戦中の熟練の軍人だ。一方、クレハは士官学校生だから、戦闘の技術では、俺たちの方が優れている。

 そこに勝機を見出すしか無い。クレハを殺さず、傷つけず、確保する。
 
 マクダフが、静かに俺の横に立つ。
 俺はマクダフにうなずいた。

 俺は杖を、マクダフは剣を抜き、そして、クレハへと挑みかかる。
 クレハはくすっと笑い、白く細い手を軽く振った。

「わたしには敵わないと言ったじゃないですか、義兄さん」

 途端に紫色の魔力の流れが俺たちを貫く。アストラル魔法の防御障壁は一瞬で破壊され、マクダフは魔法の直撃を受けて吹き飛ばされた。
 
「マクダフ!」

 壁に叩きつけられたマクダフに駆け寄るが、マクダフは倒れ、弱々しく俺を見上げた。そして、苦笑する。

「私はもう駄目のようだ。結局、私もあまり役に立てなかったな」

「そんなことはない! マクダフがいなかったら、この戦いでもここまで来られなかったはずだ」

 マクダフが敵の近衛騎士や宮廷魔導師を押さえていてくれたから、俺たちは王太子たちに専念することができた。

 そして、マクダフには、これから近衛騎士団をとりまとめ、国王に立ち向かってもらう必要がある。
 ここで死んでもらうわけにはいかない、大事な仲間だった。

 幸いマクダフは致命傷じゃない。たまたま近くに倒れているソフィアやルシアも、気を失っているが、すぐに命に問題はなさそうだ。

 俺は簡単なヒールを三人にかけて止血したが、本来、もっと時間をかけて回復しないといけない。

 ともかく、クレハを止めない。どうすればいいんだろう?

 俺は近くにアリアと王太子が倒れているのも見つけた。
 ふたりとも、意外にも致命傷を負っていない。至近距離から撃たれたのに。士官学校生であるクレハは、一通りの射撃訓練も受けているし、成績も優秀だ。

 それなのに、クレハが仕留めそこなっているのは、なぜか?

 クレハの心に迷いがあるからだ。俺は確信した。

 そして、事態を解決する方法を、聖女アリアから聞き出せるかもしれない。

 俺はクレハに向かって、両手を挙げた。

「クレハ……。今後のために、聖女が死ぬ前に聞いておきたいことがある。いったん休戦して、少し時間をもらってもいいかな」

 意外にも、クレハはあっさりとうなずいた。

「いいですよ。……義兄さんがどんな手を使っても、わたしに勝てないのは変わりありませんし」

 クレハも、俺がアリアから打開策を聞き出そうとしていることに感づいているのだろう。クレハは賢い子だからだ。

 だが、それを知ってもなお、クレハは勝利を確信している。

 アリアはぐったりとしていて、弱々しく黒い瞳で俺を見つめる。俺はアリアと王太子に回復魔法をかける。

 アリアの美しい顔に、徐々に生気が戻ってきた。といっても、出血量も多いし、重傷であることに変わりはないが。
 アリアはうわごとのように俺に向かってつぶやく。

「どうして……。どうして私は前世でも、ここでもひどい目にばかりあうの……? 私はただ普通に暮らしたいだけなのに。前世では虐待されて死んじゃって、今回も……このまま私は……死ぬの?」

「君は俺が助ける」

 アリアが驚いたように、俺を見つめる。

「正気? だって、私はあなたの敵なのに」

「今はもう違う。君のやろうとしたことは許せない。ソフィアやソフィアの家族に君がしたことを許すわけにはいかない。でも、そういうふうに追い詰められたのは、君のせいじゃないんだろう」

 俺の言葉に、アリアは大きく目を見開き、そしてぽろぽろと涙をこぼし、うなずいた。

 前回の人生でも今回の人生でもアリアはきっと不幸だったのだ。アリアは悪役令嬢で、破滅を逃れるために、まったく信頼していない王太子たちと手を組み、利用されることを知りながら、一人で戦ってきた。

 それは辛く苦しいことだっただろう。

 俺にはいつもクレハがいた。そして、救われてきたのだ。

 なのに、俺はクレハのことを大事にすると言いながら、正面から向き合わなかった。クレハのことを子どもだと思って、ただ守ればよい存在だと思っていた。

 俺はクレハのことを理解せず、その内心に何も気づけていなかったのだ。
 
 アリアはささやく。

「今のクレハさんに勝つ方法は……ありません。クレハさんが自分の意思で踏みとどまらなければ、完全なるフロースの器となったクレハさんが止まることはないんです」

 アリアは、悲しそうに言う。アリアは、もう望みはないと考えているのだろう。

 だが……俺は違う。

 俺はクレハを見つめた。
 ドレスに身を包んだ、クレハは美しかった。銀色の髪がドレスの胸元にかかり、優美さを引き立てている。銀色の瞳は魅力的に輝いている。

 俺は考える。
 思えば、宮廷魔導師団に入り、大戦を戦ってきた時、俺はいつも自分の力を頼みにしてきた。

 客観的に見て、俺は優秀な宮廷魔導師だった。見習いのときには師匠の王女フィリアからはいつも褒められ、やがて大戦では英雄と呼ばれた。

 けれど、それは間違いだったのではないか。

 力を頼みにして、帝国との戦いで多くの人を殺し、大戦が終わると周辺の国を侵略した。もちろん王の命令だったし、王国の人々を守るという意味もあった。

 だが、俺は力を頼りにして、正義から逃げてきたんじゃないだろうか。英雄という名前に溺れ、自分を見失った。

 その結果が、追放され、追い詰められることにつながり、そしてこの状況をもたらした。
 
 たった一人の家族のクレハを敵に回し、そのクレハがルシアやソフィアを殺そうとしている。
 この状況を作ったのは、間違いなく俺自身だ。

 俺はそっとクレハへと一歩を踏み出した。
 クレハは妖艶に微笑む。

「あら、義兄さん。わたしを受け入れてくれるつもりになったのですか?」

「ああ」

「それなら、ルシア殿下とソフィアさんは殺してしまってもかまわないですよね?」

「そうだね。でも、その前に、俺を殺してからにしてほしい」

 ぴたっとクレハが動きを止めた。そして、信じられないという顔で、俺を見つめる。

「わたしが義兄さんを殺す? そんなことするわけないじゃないですか。だって……わたしは義兄さんのために、義兄さんのことだけを考えて行動しているんですから」

「だからこそ、ルシア様やソフィアを殺すなら、クレハに俺も殺してほしいと言っているんだよ」

 俺は穏やかにそう言った。クレハは銀色の瞳に、怒りの色を浮かべる。

「自分の命をかけてかばうほど、ルシア殿下たちのことが大事なんですか?」

「たしかに二人のことは大事だよ。でも、それだけじゃない。一番の理由は……ルシアやソフィアを殺したクレハを、見たくないんだよ。手を血で汚したクレハを……本当は心の中で悲鳴を上げているクレハを、俺は見たくない」

「……義兄さん。そこをどいてください。そういうふうに言えば、わたしがあの二人を殺すのをやめると思いましたか?」

 クレハは拳銃を構え、そして、俺に向かって一歩踏み込む。そして、さらにもう一歩踏み込み、まっすぐに俺の胸に銃を突きつけた。

 俺もクレハをまっすぐに見つめ返す。おそらくクレハの銃は、アストラル魔法の魔法器で、その弾丸で胸を貫かれれば、おしまいだろう。

 アリアや王太子は急所を外されていたが、この状態ではクレハの銃は俺の胸を必ず貫く。

「もう一度言います。そこをどいてください、義兄さん。わたしはあの二人を殺さないといけません」

「ここを動くわけにはいかない。クレハが俺を殺すか、クレハが二人を殺すのをやめるか、どちらかしかないよ」

「そういうふうに脅せば、わたしが諦めると思いましたか? ……わたしはもう我慢するのをやめたんです。義兄さんを手に入れるためなら、手段を選ぶつもりはありません」

 クレハは引き金に指をかけ、そして、燃えるように激しく俺を睨みつけた。

「さあ、義兄さん! もう諦めてください」

「ダメだ」

 クレハは苦悶の表情を浮かべた。
 これしか手はない。俺の命をかけて、クレハの良心に訴えるしかなかった。俺は完全に無力だった。けれど、クレハを説得することはできる。

「クレハ……。みんなが幸せでいるために、クレハに犠牲になれなんて言わないよ」

「嘘つき! わたしがここで諦めたら、きっと義兄さんはルシア殿下を選びます。そして……わたしは一人ぼっちになるんです。わたしには、もう本当の両親も、マーロウの叔父様も叔母様もいないんです。義兄さんしかいないんですよ?」

「そうだね。俺にも家族はクレハしかいない」

「なら、どうしてそんな残酷なことが言えるんですか!? ここでわたしがみんなの期待するとおり振る舞って、二人を殺すことをやめて、力を手放したら……わたしはただの悪役じゃないですか! そうしたら、義兄さんだって、わたしのことを嫌いになって……」

 消え入るような声に、クレハはなっていく。だんだんと正気に戻ってきているのかもしれない。
 クレハは銀色の瞳からぽろぽろと涙をこぼした。

「ううん、最初から……義兄さんはわたしのことなんか嫌いなんだ。だから意地悪をするんでしょう?」

「俺がクレハを嫌いなわけないよ。俺がクレハを傷つけた。俺がクレハを追い詰めた。本当の悪役は俺だ」

「なら……」

「ごめん、クレハ。でも、俺はルシア様やソフィアより……クレハを大事に思っているんだ」

 クレハは銃を下ろし、俺を見つめる。俺がそっとクレハを抱きしめると、クレハは嗚咽をもらし、泣きじゃくり始めた。
 俺はそんなクレハの銀色の髪をそっと撫でた。昔と同じように。

 しばらくして、クレハは落ち着いた様子で、微笑んだ。そして、俺に抱きしめられていることに今更気づいたように、顔を赤くした。

「義兄さん……」

「わたしを大事に思うって、それは女の子として、異性として、ということですか?」

「うん」

 クレハは俺を上目遣いに見つめ、そしてうなずく。

 そして、俺はクレハの唇を奪った。

「んっ……」

 クレハの唇は、小さくて温かかった。それはルシアとよりも、ソフィアよりも情熱的な、燃えるようなキスだった。

 俺がクレハを解放するとクレハは顔を赤くして「えへへ」と微笑んだ。俺はクレハを見つめ返す。

「わたしのことを一番大事にしてくれるんですよね、義兄さん? ……ううん、クリス?」

 クレハはくすっと笑い、いたずらっぽく俺を見つめた。俺は困りながらも、うなずき、もう一度、そっとクレハの頭を撫でた。クレハも幸せそうに微笑む。

 これで……すべてが終わった。
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