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王太子の物語

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 王太子エドワードは、王宮の片隅の一室を訪れていた。

 天蓋付きベッドもあれば、赤い高級な外国の絨毯も敷かれている。
 調度品も、外国の王侯を遇するにふさわしいものが揃えてあった。

 普通に考えれば、豪華な部屋だ。
 ただし、窓に鉄格子がはめられ、無骨な檻で入り口が塞がれていることを除けば。

「ご機嫌はいかがでしょうか、シャルロット殿下」

 エドワードは、檻の鍵を開けつつ、部屋の主にうやうやしく言葉をかけた。ベッドに鎖で縛られた幼い少女がこちらを振り向く。

 少女は金色の瞳を涙に濡らしていて、それでも可憐に煌めいていた。瞳と同じ金色の髪は肩ほどまでの長さがあり、美しく手入れされていた。

 まだ十二歳ぐらいの少女だが、見るものを魅了する華麗な見た目だ。寝間着姿ですら、その美しさは目を引く。

 滅びたとはいえ、さすが帝国の皇女は違う。

 そして、その皇女はいまやエドワードの許しと慈悲のみで生きる存在だ。
 エドワードを見ると、皇女シャルロットは、恐怖の表情を浮かべた。

「お願いします……もう……痛いことしないで……」

 体にこそ表面上の傷一つないが、シャルロットには繰り返しアストラル元素の投与と手術を繰り返している。
 それは『完全なるフロース』生成のための儀式だった。

「残念ですが、そのお約束はできません。次なる儀式のため、殿下には重要な役割を担っていただきます。決して、人体実験ではないのです」

 旧カレンデュラ帝国第二皇女、シャルロット・カレンデュラこそが、第四の悪役令嬢だった。旧帝国軍部の残党は、シャルロットを擁立して帝国解放軍を組織した。

 アルストロメリア共和国の後援を受けて、滅びた旧帝国の復興を目指して、マグノリア王国と戦おうとしたのだ。

 だが、帝国解放軍は、アストラル魔法の前に一瞬で壊滅した。そして、エドワードが、その旗印だった皇女を捕らえているわけだ。

 シャルロットは十二歳にしては聡明だ。反乱軍トップとしてはお飾りであったことは否めないが、しかし彼女の人気なしに反乱がありえなかったことも事実だ。

 世が世なら、この少女は帝国の女帝となりえた。だが、いまやエドワードの手持ちの道具の一つに過ぎない。

 ただ、残りの四人の悪役令嬢は、白魔道師クリスの手に落ちた。しかも、帝国軍を撃破したとはいえ、アルストロメリアとの戦線では敗北が続いている。

 早く五人の悪役令嬢を揃え、『完全なるフロース』を復活させなければならない。

 人の欲望を現実化するその花は、アルストロメリア共和国の軍を打ち砕き、そして、エドワードの真の願いを叶えるだろう。

 第一王女フィリアの復活。エドワードの願いは、ただそれだけのことだった。王位の維持も、戦争での勝利も必要なことだが、それは目の前の課題の処理にすぎない。

 腹違いの姉だったフィリアは、父王からも溺愛されていた。どうして四つ年上のフィリアだけが愛されるのか、なんていう疑問は、フィリアと接するうちになくなった。

 エドワード自身が、フィリアに魅了されてしまったからだ。エドワードは、母の身分が高くなく、誰にも期待されていない王子だった。フィリアは、そんなエドワードに温かい愛をくれた。

 誰もが凡庸なエドワードを冷たく扱う中、フィリアだけが姉としてエドワードを愛してくれた。

 エドワードは、あれほど美しく、聡明で、そして強い女性を知らなかった。エドワードが欲しかったのは、王太子の地位などではなく、フィリアのそばにいる権利だった。

 だが、現実にはフィリアは戦死し、王位継承権がエドワードに転がり込んできた。

 死ぬべきだったのは、自分で、フィリアではなかった。エドワードはそう思っている。
 
 生前のフィリアは「エドは優しい子ね」と言って、よく微笑んでくれた。それは嬉しかったのだけれど、複雑な思いもあった。エドワードは、必ずしも優秀な人間ではないことを自覚していた。

 たぶん、「優しい」という以外に、自分には取り柄がない。

 だから、十三歳のとき、エドワードはフィリアに尋ねてみることにした。

 そのとき、フィリアはエドワードの部屋に遊びに来てくれていて、ソファの隣に腰掛けて、一緒にお茶を飲んでいた。
 十七歳のフィリアはとても可憐で、いつまでもそんな時間が続けばいいと思った。

 それでも、エドワードはフィリアに勇気を出して尋ねて見ることにしたのだ。「私には、優しい以外の取り柄がないということでしょうか?」と。

 フィリアはそのとき十七歳でびっくりした顔をして、首を横に振った。「優しい、ということはわたしたち王族にとっては最大の美徳だよ? 身分もお金も権力も、わたしたちは生まれながらにして持っている。でも、優しさは違うから。それを持っている人間だけが、本物の王族だと思うの」

 フィリアは心から愛おしそうに、エドワードを見つめ、そして髪をくしゃくしゃっと撫でてくれた。
 あのときの幸せは、もう失われた。

 フィリアさえいれば、他には何もいらなかったのに。

(結局、自分は大した人間じゃない。姉上やルシアとは違う。そして、もはや私は優しくもないのだ)

 姉の言葉に背いている自覚はあった。今のエドワードは、優しい人間ではない。
 フィリアともう一度会うためなら、どれほどの悪であろうと、エドワードは行うつもりだった。

 目の前の幼い皇女を苦悶のうちに死なせても、エドワードに後悔はない。
 
 そのとき胸元の赤い宝石が震えた。装飾品を装った魔法器の一つだ。
 遠隔地との通信を可能とする画期的なもので、これも遠くへの影響を持つアストラル元素の性質を利用した魔法の一つだ。

 ぼわっと影のようにその場に現れたのは、聖女アリアだった。もちろん実体はない。魔法で映し出されている、通信上の存在だ。

 アリアは怪我をしていて、鎖で縛られている。かなり疲れているようだった。だが、アリアは不敵な笑みを浮かべる。

「殿下……見事にクリスたちを騙せました。褒めてください」

「ルシアを連れ出され、自分も拉致される失態を犯したのは誰だったかな」

「……もうっ。意地悪ですね。私です。ですから、こうして埋め合わせの報告をしているのではないですか」

 聖女アリアはクリスたちに拉致されてしまった。腹立たしい失敗だ。王太子にとって、アリアは道具にすぎない。
 だが、まだアリアを見捨てることはできなかった。アリアには重要な役割があるのだ……。

 アリアは自殺未遂をしてみせて、クリスたちの警戒を解いたと言った。そのことによって、王太子に切り捨てられるだろう、というアリアの言葉を、すんなりと彼らに信じさせることに成功したわけだ。

 そして、こうして秘密裏に通信を行っているので、クリスたちの情報は筒抜けだ。
 アリアは目隠しをされて連れ去られてたので、現在の場所はわからないようだったが、クリスとルシアたちが王位を狙って反乱を起こすことは把握できた。

 アリアは微笑む。

「そうそう。私は自力でここから脱出してみせます」

「どうやって?」

「鎖は一番弱い部分から壊れていくんです」

 アリアの言葉の意味がわからず、エドワードは首をかしげた。アリアはいたずらっぽく黒い瞳を輝かせた。

「クリスの妹クレハ。彼女こそが、壊すべき鎖の輪なんですよ」
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