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ソフィア・アルカディア

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 クレハは、俺に本当に公爵の娘ソフィアを殺せるのか、と尋ねた。ソフィアはかなりの腕前の魔術師だというけれど、俺は宮廷魔導師団の元副団長だ。まず遅れを取ることはないと思う。

 俺はそう言ったが、クレハは俺にしがみついたまま、首を横に振った。

「クリス義兄さんが勝つことを疑っているわけじゃありません。だって……義兄さんは無敵ですから。でも、義兄さんは……ソフィアという人を殺すという決断ができるんでしょうか?」

 決まっている。俺は王国の忠臣ということになっている。王女ルシアも俺のことを信頼している。なら、その義務を果たすしかない。

 ソフィアは国を裏切った。少なくとも、王国はそう考えている。なら、俺はソフィアを必ず殺すだろう。それが俺の責務であった。

 王命に従わなければ、俺の身もクレハの身も守れない。俺は大戦七英雄と呼ばれているが、たった一人で国を敵に回して戦えるわけじゃないのだ。

 クレハは銀色の瞳で俺を見つめた。

「ソフィアさんが、本当に裏切り者だったらいいんです。でも、もしソフィアさんが無実なら、きっと優しい義兄さんは、殺すことができません」

「できるさ。俺が大戦中にどれほど多くの人を殺してきたと思う?」

「でも、それは敵だったから。義兄さんには戦う理由があったから。でも、今は……」

 そう。
 俺は国王のことを信じてはいない。アルカディア公爵とソフィアが共和国の手先だという話も、どこまで本当か疑っている。

 まだ17歳の一人の少女を処刑するというのが、本当に正しい行いなのか。
 
 同じ17歳の王女ルシアの顔が思い浮かぶ。ルシアは大戦中、俺を頼りにしてくれた。彼女は俺を追放したとはいえ、今も俺を信じてくれている。
 ソフィアを殺すのは、王命であり、それを受けたルシアの命令でもある。ルシアがソフィアの反逆を信じているのかどうかは知らない。だが、少なくとも、俺がソフィアを処刑しなければ、ルシアの信頼を裏切り、彼女を苦しい立場に追い込むことになるだろう。

 結局、俺はソフィアを殺すしかないのだ。彼女がアルストロメリア共和国に内通している疑いがある以上、処断せざるを得ない。

 俺はクレハに微笑んだ。

「大丈夫。俺はできるさ。クレハは何も心配しなくていいよ」

「そうやって、一人で抱え込まないでください。わたしには何もできませんけれど……でも、話を聞くぐらいはできますし……義兄さんの役に立ちたいんです」

「ありがとう」

 俺が微笑んで答えると、クレハは顔を赤くしたまま笑顔でうなずいた。そして、そっと俺から離れた。
 クレハは落ち着いた様子で、もう大丈夫そうだった。
 
 さて。
 ソフィアのことは気が重いが、当座の問題を解決しないといけない。俺は気を失った召喚士シェイクに近寄った。そして、彼の肩を軽く揺さぶる。

「ううん……」

 シェイクは意識を取り戻し、目を開く。俺と目が合うと、ぎょっとした様子で目を白黒させた。
 
「た、頼む……。殺さないでくれ」

 シェイクは真っ青な顔で、俺に懇願した。
 俺は冷たく答える。

「それはシェイクの返答次第だ。これからの質問に正直に答えれば、命までは奪わない」

 もちろん、最初から殺すつもりはないのだが、一応脅しておかないと、手に入る情報も手に入らなくなる。

「シェイクは誰の命令で俺を殺したに来たのかな?」

「オレ一人の判断だ」

「嘘だな」

 俺が言うと、シェイクはうめいた。口止めされているのだろうが、白状してもらわないと困る。
 シェイク一人で俺の暗殺を計画するはずはないだろうし、そうであれば、俺もクレハも、誰から身を守ればよいのか知る必要がある。

 シェイクはためらっていたが、俺が黙って睨みつけると、あっさり観念したようだった。

「王太子殿下だ」

「え?」

「貴様を殺せ、というのが、王太子エドワード殿下の命令だ。嘘じゃない」

 俺とクレハは顔を見合わせた。クレハの銀色の大きな瞳が不安そうに揺れている。
 予想外の大物の名前が出てきたことに、俺は驚いた。

「まさか王太子殿下が俺の暗殺を計画するなんて……」

 シェイクは馬鹿にしたように笑った。

「貴様は何もわかっていないな。貴様自身がどう思っているかは知らんが、貴様は大戦七英雄なんて呼ばれて民衆人気も圧倒的に高い存在だ。おまけに現王陛下に批判的なのだから、王太子殿下が危機感を持ってもおかしくないだろう?」

「それは……そうか」

 考えてもみていなかったが、俺は自分で思っているよりも、危険人物扱いをされているらしい。これではソフィア処刑の任務に成功しても、宮廷に戻る場所がないかもしれない。
 
「戦争ではクリス義兄さんを利用して、今度は殺そうとするなんて、ひどい……」

 クレハが小さくつぶやく。小柄なクレハは体を震わせていた。たとえ、王太子が相手だろうと、クレハだけは守らないと。

「シェイク、もう一つ聞きたいことがある。王太子殿下はソフィアについてはどう考えているんだろう? 無実だと思っているんだろうか?」

 もしかすると、王太子殿下はソフィアに未練があるのかもしれない。元婚約者の無実を信じているのなら、彼女の命を救おうとするだろう。

 それなら、ソフィア暗殺の命を帯びた俺を殺す理由が、もう一つあることになる。だが、シェイクは薄笑いとともに、首を横に振った。

「いや、殿下は、ソフィアに激怒しているさ。なんでも王太子が思いを寄せる女を殺そうとしたとか」

「へえ、王太子殿下に思い人がいたのか……」

「平民の女なんだが、何でも、教会が聖女に選んだ特別な少女だとか。たしか、アリアとかいう名前だったが。驚くほどの美少女だったな」

 シェイクはニヤニヤしながら言う。殺されないと思って、安心したのか、シェイクはいつもの調子を取り戻していた。

 もし本当にソフィアがそのアリアという聖女を殺そうとしたのなら、王太子はソフィアをためらいなく排除するだろう。そうでなくとも、聖女アリアとの結婚に邪魔だという理由で、ソフィアとの婚約を破棄してもおかしくない。

 これは重要な情報だ。しかし、それなら、それで疑問が残る。
 どうして王太子エドワードは、俺の手によるソフィア処刑を待たなかったのだろう? 俺を殺す機会なんて、俺が宮廷に戻った後にいくらでもある。そうすれば、俺とソフィアという邪魔な存在を、手間をかけずに殺すことができたはずだ。

 だが、いずれにせよ、シェイクから得られる情報は、もうなさそうだった。





 その後、鉄道の爆破を受けて、銃兵団の兵士が集まってきていた。彼らは魔法の扱えない一般兵で、旧式のライフルで武装している。軍のなかにあって、王国では、地域の警察的な役割も果たす兵団だ。

 俺は身分を明かして、シェイクたちを彼らに引き渡した。いくら王太子の息がかかっていても、明らかな犯罪行為を行った以上、シェイクたちは牢に入れられることになるだろう。ルシアにも事情を説明する手紙を手配した。

 王太子に命を狙われているという状況はかなりまずいが、それこそ逃亡すれば反逆の意思ありの証拠と見られてしまう。
 ともかく帝都に向かい、ソフィア処刑の任務を果たすしかなかった。その後のことは、王女であるルシアと相談しよう。

 別の路線の鉄道を使い、帝都カレンへと向かうが、かつての敵国の首都カレンまでは、鉄道はつながれていない。
 俺はクレハとともに、軍の手配した馬車に乗り換えて、帝都カレンへと向かう。夜になり、途中の小さな町の宿で、俺達は一泊することにした。次の日にはカレンに到着するはずだ。

 宿では、ちょっとしたトラブルが起きた。クレハが俺と同じ部屋に泊まると言い張ったのだ。
 俺は慌てた。
 クレハは俺と血がつながっていないし、まだ14歳とはいえ、女の子だ。男の俺と同室というわけにはいかない。

 けれど、普段は素直なクレハが、今回は頑固だった。

「だって、わたし一人で部屋にいたときに、敵に襲われたらどうするんですか?」

「ええと……それは……」

「二人で一緒にいたほうが、絶対に安心です。それに……」

「それに?」

 クレハは上目遣いに俺を見つめた。

「せっかくですから、義兄さんと一緒にいたいですし……。ダメですか?」

 あまりわがままを言わないクレハにそう懇願されて、俺は折れた。またシェイクと同じような連中に襲われることがあれば、クレハのそばにいたほうが安全なのは確かだ。

 宿屋に頼んで、二つベッドがある部屋を用意してもらう。
 クレハは顔を輝かせて「やった! 義兄さんと同じ部屋……」と飛び跳ねた。その子どもらしい仕草に俺は微笑ましくなる。
 まあ、クレハが喜んでくれているなら、それはそれで良いかもしれない。

 部屋は小さいけれど、小綺麗でおしゃれな感じだった。
 クレハは疲れ切っていたのか、部屋の自分のベッドに寝転がると、すぐにすやすやと眠ってしまった。
 怖くて眠れないのでは、と心配していたので、俺は拍子抜けする。ただ、それぐらい俺のことを信頼してくれているということかもしれない。

 俺も部屋の明かりを消すと、ベッドの上に寝転がる。魔法で結界を張ったから、襲撃があってもすぐに敵が侵入することはできないはずだ。

 ルシアの心配そうな表情が頭に浮かび、その次に、王太子エドワード殿下のことを考える。何度か宮廷の儀式で姿を見かけたことがあるが、穏やかで聡明そうな青年だった。俺より少し年下だが、人望もあり、多くの政務を国王から委ねられていた。
 
 その婚約者だったという公爵令嬢ソフィア。これから、俺は彼女を殺すことになる。ソフィアは金髪碧眼の美しい少女だったな、と思い出す。

 突然、部屋の空気が変わった。凍りつくような、激しい殺気。「襲撃」の二文字が頭に浮かぶ。しかも、シェイクのときよりも、遥かに大きな危険が迫っている。
 俺は声を上げて、クレハを起こそうとして、しかし声を上げることはできなかった。

 目の前に侵入者がいたからだ。いつのまに部屋に入ったのだろう? まったく気配を察知することができなかった。それに、結界を張っていたはずだが……。
 侵入者は、ベッドの上の俺に馬乗りになっていた。小柄で丸みを帯びた体。女性のよう……いや、少女のようだった。

 彼女は、俺の首筋に冷たい金属を押し当てる。……拳銃だ。

「動かないで。あなたは……クリス・マーロウでしょう?」

 凛と澄んだ声で、その少女は言う。月明かりがその少女を照らす。
 金色の長い髪が綺麗に輝いている。青い宝石のような瞳がまっすぐに俺を見つめていた。

 凄絶なほどの美しさに、俺は息を呑んだ。そして、俺は……その少女の正体を知っていた。
 
「君は……ソフィア・アルカディア?」

「ええ」

 王太子の元婚約者ソフィアは、うなずいた。
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