ローゼンクランツ王国再興記 〜前王朝の最高傑作が僕の内に宿る事を知る者は誰もいない〜

１章、人が生きる世こそ地獄ではないか

７話、この世こそ地獄 後編

　本当はゆっくりと休みたいところだけど、そうは行かない。

　今はやらなければならない事が山ほどある。
　まず、捕えたアウグスト殿を屋敷の牢へと運び入れる。彼へ治療を施す際は、逃げられぬよう必ず牢・の・中・で・治・療・せよ、とハーマンへ厳命し、万が一に備えオスヴァルトと数名の兵も同行させた。

　戦いはどうなったのか？
　父上はなぜいないのか？
　そう問うてくる領都の有力者や、父上配下の者が大勢いたが、アルザスが裏切った事以外は何も確定情報はない。有力な捕虜を確保したこと、そこから得た情報はわかり次第かならず伝えるからと説明し、皆の動揺を出来るだけ抑えるのも、今の僕の重要な務めだった。

　次は撤退して来た兵士達の処遇についてだ。
　兵達には食事と休息、怪我が酷い者には治療が必要であり、各所から緊急招集させた人員とまだ動ける兵士達をも手伝わせ、屋敷前の大広間に天幕を可能な限り張らせる事にした。
　怪我の酷い者らから、順次組みあがった天幕へと収容させて行き、修道院には癒官ゆかんの派遣を依頼する事も忘れない。まだ夜は明けておらず、本格的な食事の用意など出来ないが、希望する者にはせめて温かいスープを出すよう指図もしておいた。

「ふう」
　どうにも体の調子が良くない。

「若様、少し休まれた方が……、顔色が良くないですよ？」
「そうかな？」
　アイリーンが心配そうな目で僕を見ている。
「寝ずの退却戦と戦闘で、疲れたのかもしれない」
　でもそれは皆だって同じ筈なのになぁ。
　嘆いていても体調は戻らない、一旦屋敷へ戻る事にしようか……。

　屋敷へ向かう途中足元がおぼつかない場面があり、アイリーンの肩を借りる事がしばしばあったが、どうにか屋敷へと到着する事ができた。
　屋敷へ着くと僕を心配する皆が集まってくれたけど「寝ずの退却戦で疲れてるんだごめん」と言い、部屋へ下がらせてもらう事にした。心配してくれてるのにごめん。
　元々体は丈夫ではない僕だけど、どうにも調子が悪い。
「アイリーンここまでありがとう」
「いえ若様、無理はダメですからね？」
　
　◆◆

「誰か！　誰かいませんか！」
　門前に詰めていた兵士が何やら報告したい事があるものの、誰に報告したら良いか悩んでるようなそぶりを見せうろうろとしている。
「私でよければ聞こうか」
「これは、ハーマン様」
　兵士は軽く一礼し報告に入る。
「アレクス様と共に退却してきた兵士のうち、突然何人かが亡くなりまして……。死因を調べたところ、毒の可能性が高いと言うのです」
「なっ、何だと？」
「詳しくはここに、急ぎご確認ください」
「わかった、報告感謝する」
　
　予期せぬ報告に狼狽えるハーマン。
　これを読むと、若と共に帰還を果たした兵士達のうち何人かが、急に亡くなったと書かれてあった。
　亡くなった者らみな、致命傷となる様な大きな外傷など何も無く、その死に違和感を抱いた癒官ゆかんの１人が遺体を調査してくれたらしい。そして毒で亡くなった場合に見られる痕跡をいくつか発見したそうだった。
　
　これを読んだ瞬間、先ほど見た若の辛そうな表情が脳裏にスッと浮かぶ。
　酷く嫌な胸騒ぎを覚えた私は、急ぎ容体を確認するべく若のもとへ急いでいた。
「はぁはぁ」
　急げ、急ぐんだ。老体に鞭を打ち私は走る。
「ハーマン様、こんな時間にどうされました？」
　帰還兵が続々と戦地から戻り、未だ屋敷前広場は喧騒に包まれている。この娘のことだ、寝ずに色々と骨を折ってくれていたのだろう。
　たまたま出会でくわしたメイドのアンネマリーであったが、仕事を中断させ私に同行を申し付けた。何があるか分からない今、人数は多い方が良いだろうと思えたからだ。
　
「走れ！　アンネマリー」
「はい！」
　階段を急ぎ駆けあがり、下級使用人は立ち入る事さえ許されない、領主家家族用のフロアにある若の部屋へ向けひた走る。ここは鍵を持つ者しか入れないエリアだが、幸にして私はこの家の家令であり、その鍵を持つ内の１人なのだ。
　本来ならドアをノックして、部屋主の許可を得なければ入室出来ないのだが、「若様、入りますぞ」と言い押し入る。
　火急の時だ、許可などと言っている場合ではない。

「アンネマリー明かりを」
　恵石めぐみいしを使った所謂いわゆる恵具けいぐと言われるもので、操作により内部に仕込まれた恵石めぐみいしと灯石あかりいしが触れる事により灯る恵光灯けいこうとうという道具がある。略してただの灯具と言う人も多い。

　アンネマリーが、その灯具を操作し部屋に灯あかりが灯ともった。
　見るからに若の容体はおかしい。
　顔色は悪く呼吸も弱い、見れば嘔吐の後もあった。
「これはいかん、すぐに癒官ゆかんを呼んでくる。アンネマリーは若様の手当てを頼む！」
「は、はいっ」

↓ アンネマリー挿絵です ↓　

　

　部屋を飛びだす瞬間、踵きびすを返し彼女にアンネマリー向けて指示を追加した。
「少しでも楽になるよう防具は脱がせてよい、吐いたものが喉に詰まると死す事もある。可能であれば体を横に向けるのが良いが、決して無理はするな。人がいるなら呼べ」
　後をアンネマリーに託し走る。
　屋敷前広場には沢山の天幕が張られ、帰還した兵士達を次々と受け入れている。負傷し運ばれて来た兵の治療のために必ず癒官ゆかんがいるはずだ。廊下を駆け、階段を飛ぶように降り、急いだ。
　天幕は沢山張られており人の往来も多い、癒官ゆかんがすぐ見つからない事態も十分に考えられる。時間は惜しいが警護の者を数人捕まえ一緒に探すよう申し付ける。
　
　屋敷を出て広間に入ると沢山の天幕が所狭しと張られており、ざっと見ただけでもかなりの数が張られている事がわかる。捜索の任に当たらせるべく連れてきた警護の者らに癒官ゆかんが見つかり次第大声で知らせる事、今日の事は一切の他言をせぬよう厳命し、各自散った。
　
　天幕内に飛び込み、見つからなければ急ぎ隣の天幕へと移る。
　移動の最中には「癒官はおられるか？」と大声で探し求める事も忘れない。
　まだ見つからないのか！
　探しても見つからず、焦燥し始めた頃「癒官ゆかん発見しました！」の声が夜空へ響く。
　声のする方に向け私は全力で走った。
　一分一秒たり無駄にはできん。
　先ほど捜索を命じた警護の１人が、癒官らしき女性を側に連れ立っていた。
「で、でかした。はぁはぁ」
　息を整えるため、一息入れて続ける。
「ローゼリア家、家令のハーマンと申す。急ぎ診て欲しい者がおる」
　目の前にいる女性癒官ゆかんに深々と頭を下げ、願う。
「私について来てほしい、伏してお願いする。この通りだ」
　なんなら、地にすら伏せたっていい。
　頼む、若を診てくれ。

「ハーマン様、私はユリシスと申します」
　女性癒官ゆかんは頭を下げた後、力強い眼差しでこう返した。
「この辺りには、治療を必要とされる兵士の方々がまだ、大勢おられます。何か特別なご事情でもおありでしょうか？」
　治療を待つ兵士達はまだ山ほどいる。
　その者らを差し置いて、向かうに値するか聞いておるのだろう。
　人を治療し回る者として、賞賛すべき考え方ではないか。だが、今は無理を押し通さねばならぬ。

「要件はこ・こ・では言えんし相手が誰かも言えん、ただ急を要するとしか」
「家令殿が頭を下げられるのです。余程の事なのでしょう」
　それだけでなんとなく事情を察したのか、ユリシス殿は同行を許諾してくれた。
「かたじけない、ユリシス殿感謝しますぞ」
　若、もう少しの辛抱ですぞ！

　ユリシス殿を若の部屋へと案内し、急ぎ若を診てもらう。
　我らがユリシス殿を探してる間にアンネマリーも頑張ってくれたのか、甲冑の類は全て外され、口内の吐瀉物も嘔吐の後も、綺麗に取り除かれていた。
　ただアンネマリーの両手だけがひどく汚れていた。
　そういう事か、この娘は本当に甲斐甲斐しいな。
　この老骨でさえ、胸を打たれるものが有る。

「アンネマリー、誠によくやってくれた。感謝する」
「身を綺麗にしてきなさい、今ならまだ儂がおるから大丈夫だ」
「はい、すぐ戻ります」
　返事をするや、間髪入れずに娘は駆けて行った。
　あの娘も、早くここへ戻りたいのだろうな。
　
「これは……、毒のようですね。すぐ治療に取り掛かります」
　くそっ、やはり毒であったか……。
　ユリシス殿が治療具の入った鞄から恵石めぐみいしを取り出すと、それを左手で胸にかざし、空いた右手を若の体へと重ねる。彼女が集中し始めると、恵石から出る仄かな煌めきがユリシス殿の胸へと吸い込まれ、右手がポウッと淡く光を放ち始める。
　神力しんりきを用いた治療が始まった。
　淡く輝く手を、毒が侵入したと思われる頬の裂傷から胸部、腹部と優しく慎重に何度も撫でていく。
「毒は体の奥深くで作用します」
「ご存じかと思われますが、体の奥には神力しんりきが届きにくいのです」
「人数を掛けたほうが良いかもしれません。癒官ゆかんをもう数人、連れて来て頂けませんか？　ユリシスが呼んでいたとお伝えください」
「承うけたまわった」
「出来るだけ急いでください、お願いします」
　
　天幕で治療にあたっていた癒官ゆかんらのうち、重症者を治療中の者を除き、中断可能な者２名を連れてくる事に成功した。最初は治療中ゆえと渋られたが、ユリシス殿が呼んでいると伝えると、余程の事かと察し同行してくれたのだ。

　ユリシス殿を含めた、都合３名の癒官ゆかんが若の治療を懸命に行っていた。
「神力しんりきの込められた恵石めぐみいしはありますか？」
　ユリシス殿が、額の汗を拭いながら私へ向かって言う。
「私たちの手持ちだけでは足りなくなりそうです。これより同じか、それ以上の大きさの石をお願いします」
　
　恵石めぐみいしとは透明な結晶で大小様々なサイズがある。
　この恵石めぐみいしと言われる結晶にはとても不思議な能力があり、握りしめつつ神力しんりきを注ぐと石に貯めることが出来るのだ。神力しんりきを込められた石は淡く光り見た目もわかりやすく、長期保管も可能なのである。そして大きく透明な恵石めぐみいしほど沢山の神力しんりきを込めることが出来るのだ。
　
　癒官ゆかんもとい神力しんりきの操作に長けた人は自身の神力しんりきが尽きても、神力しんりきが込められた恵石を身につけ消耗した神力しんりきを補うことができる。癒官ゆかんの場合は補充した分だけ連続で治療できるため治療可能人数が飛躍的に増加するのだ。
　
　負傷した兵士を治療するため、修道院から神力しんりきが込められた恵石を持参し駆けつけてくれたのだろうが、外傷と違い体の内部奥深くは神力しんりきが届かないため効果が薄く、神力しんりきの連続放射を余儀なくされる。
　また広場で長時間治療を行っていた事もあり、数はわからないが持参した恵石めぐみいしがどれも空になりつつあるのだろう。

　ちなみにこの恵石めぐみいしを用いた道具の事を総称して恵具けいぐと言い、灯りを付けたり火を起こしたり、水を出すことも可能なのだ。

　恵石は色々な使い道があるため、屋敷では結構な数を常時備蓄しているし、量の大小はあるものの神力を補充する事が可能な使用人も大勢いた。
　その中から、ユリシス殿が言う大きさのものを選び届けると共に、若の部屋近くの部屋を片付け、皆が休んだり出来る待機所を設けていく。
　その作業と平行して、普段の生活で恵石へ神力を込める作業をしている者や、神力の強い使用人を起こし、空になった恵石へ力を込める体制も整えておいた。
　
　あとは治療の邪魔にならないよう。
　設けた待機所で治療が終わるのを、そっと待つのみである。

　待機所の扉がノックされ、若の治療にあたっていたユリシス殿ら３名が入室するも、その顔には疲労が強く滲んでいた。
「ユリシス殿！　若様の容体は？　若様はご無事なのか？」
　疲れているのは承知しているが、いてもたってもいられず詰め寄ってしまう。
「出来る事は全てやりました、私達にいま出来る事はありません」
「し、しかし」
「ええ、おっしゃりたい事はわかっているつもりです。ですからこれより交代で１名ずつ、若様に付かせて頂きます」
「感謝いたしますぞ、癒官の皆さま」
「ハーマン様、残りの２人が休める部屋はありますか？」

　バタン
　ドアが凄い勢いで開かれ、ヴァイスが凄い形相で入ってくる。
「一大事です」
「何事か！　もしや敵襲かっ？」
「騒ぎを起こす者がおりましたので取り調べたところ、相手がゾフィー様と侍女で……、どうも領都からの脱出を図っていたようです」
「ゾフィー様はレーヴァンツェーン男爵の妹御、今後のお立場を危惧して脱出を図ったか、或いはご子息であるアルザス様の元へ行こうとしたのやもしれんな」
「それならまだよいのですが、侍女の怯えようがあまりにも酷く、尋常ではないのです。どうにも不安を感じ急ぎ報告に駆けつけました。アレクス様のご容体以外に何か変わった事はございませんか？」

「キャアアアッ、だ、誰かっ」
　今度はなんだ！？
　真夜中の静かな領主屋敷に、響く叫ぶ女性の声。
　何かはわからぬが、ただならぬ事態を知らせていた。