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1-3 駆け出し神使
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翌日、空が白んだ頃に起こされて別室へ連れて行かれた。前にミクルの記憶にあった湯浴みの部屋だ。同じ少女が焼き石を壺に入れて湯加減を調節している。少女が紐をほどきだすとミクルの恥ずかしそうな感情が重なってきた。そうか。ミクルの見ている物は俺も見てるんだ。
ミクルが固く目をつむったので、そのままにさせておく。そりゃそうだよな。
それでも藁で擦られたり、少女の手が肌に触れたりすると感触が妙に艶めかしい。
(ショータ、やだ)引かれてしまった。
(おいおい、これから一生こうなんだぞ。慣れろよ)俺のせいじゃないっつーの。
着替えが済むまでミクル、つまり俺はずっと目を閉じていた。
その後、広場に面した神事用の部屋へ通される。その頃には日が上がってすっかり明るくなっていた。
神官と巫女達は既に席についている。部屋の前の御簾は全て上げられ、回廊を通して広場が見通せた。
俺=ミクルは回廊の中央の小さな背もたれの無い椅子に座らされた。
広場には呼び集められた人々が三々五々やってくる。
やがて、人々を制して巫女アムネが立ち上がり前へ出た。
「神ルシュより、ミクルを神使とするよう神託を受けました」
一斉にどよめきが広がる。
俺=ミクルは巫女の合図で立ち上がり、アムネさんの横に並ぶ。
「このミクルは最早奴隷では無く、神ルシュの使命を果たす神使です。何人も神使ミクルに指図できず、神使ミクルの指示があれば従いなさい」
どよめきは一層大きくなる。その中から剣を腰に下げた男が進み出た。
「ちょっと待った、俺は傭兵隊長アガムキノだが、我々も従えと言うのか」
「何人も例外はありません」
「悪いが、信じられんな。昨日まで奴隷だった小娘が神使だと?」
「無礼があれば神使自らがあなたを罰します」
「俺たちの神は生と死を司るニーヴァだ。本当に神ルシュの神使が事実としても従うわけにはいかねえ。ここを守るのは契約だが、それ以外はまっぴらだ」
お・・なんか不穏な事になってきたな・・
「ここルシュ神殿では神ルシュの神託は絶対です。従いなさい」
アムネさん、神様並みに高ビーだな。ここは穏やかに説得する場面じゃね?
案の定、アガムキノが怒りをあらわにして回廊に登り、ずかずかとアムネの前に進んだ。
アムネさんは負けずに険しい顔をしてアガムキノに向き合う。
――まずい
俺=ミクルは男から剣呑な気配を感じる。
アガムキノがアムネさんの胸ぐらを掴もうとして手を伸ばした。
反射的に俺の手がアガムキノの手首を掴み、そのまま腕をひねって肩を押さえ、回廊に伏したおす。
ほとんど一瞬、合気道の技だ。あれ?今の俺じゃなくてミクルだよな。
「ぐわっ?」驚くアガムキノ。
周りに驚愕が走る。
「あ・・悪い悪い、アムネさんに何かあると困るんでね」俺の考えたセリフをミクルが口にする。
アガムキノは頭に血が上って腰の剣を引き抜いた。
「小娘がっ!」
あ・・まずい・・何か。
神事室の奥に剣が収められているのが目に入ったので、飛び寄って手に取った。
ミクルはアガムキノに正対して鞘のまま正眼に構える。
ほんと、俺は何もしてないぞ。ミクルに体を任せたままだ。
アガムキノは猛然と剣を振り回すが、ミクルは滑るように間合いを取って剣先の僅かの間に体を避ける。アガムキノの闘気は凄いし戦い慣れてるが、技量がもう一つだな。先の手、見え見え。アガムキノが剣を振り下ろして空を切った所で、ぴしりと小手を打つ。たまらず剣を取り落とすアガムキノ。
巫女アムネは厳かに言い放つ。
「理解したか?神ルシュを侮辱するとこうなるのです」
よく言うよ。今まで固まってたくせに。
アガムキノはがっくり膝を落とした。
「あのね、何も無理難題言う気は無いから。ちょっとお願いすることあるかもだから、そんとき相談乗ってくれると嬉しいな?」ここは柔らかく出た方が良いという俺の判断。
ミクルの可愛い声で言えば効果はより大きいと踏んだ。
アガムキノは面食らった顔で
「しょ・・承知」と言って頭を下げる。
群衆から安堵のため息が漏れる。
(ミクル、今のは合気道と剣道だよな?いつの間に?)
(あら、ショータの兄さんと姉さんにたっぷりしごかれたじゃない)
そうか。ミクルも俺の生涯を追体験してたんだ。
スキルも共有するんだな。でも、今のは俺より格段に強かったぞ。
息一つ乱れていない。鬼人の身体能力が合わさってという事で納得しておく。
それからは俺=ミクルは神殿内の有名人になった。
対面する人たちは皆、腕を胸の前で交差させ、頭を下げる。上位の者に対する儀礼らしい。
それにしてもアムネさんがどこへ行くにも付いてくるようになった。
「アムネさん、参拝客の対応は良いの?」
「見習いを一人昇進させました。問題ありません」
ま、良いか。別に邪魔にはならないし、何かと聞くには便利だ。
まず櫓の一番上に案内して貰う。
一面の森に囲まれている景色は圧巻だ。遠くに山並みが見える。
所々筋のような切れ目の見える所は川だという。結構たくさんある。
反対側の森の先に見える一筋の光る物は南の海らしい。
森の所々に開墾された土地があり、濠に囲まれた集落が小さく見える。
その間隔からこの土地の人口はそんなに多くは無さそうだ。
道らしい道は見えない。ミクルの記憶からも商人達は森の中の獣道を辿って移動しているようだ。
概観を把握した所で調理場を見せてもらう。一番気になる所だ。
社は木造なので火気厳禁。外の石焼き場で焼いた石を持ち込む。石焼き場は他の住居と同じ竪穴式で、葦のような草の茎で屋根を覆っている。
濠の近くに調理用の小屋があるが、これは縦穴を掘っていない。水を使うからだろう。表面を平らにした岩が調理台で、石を積み上げ隙間を粘土で塞いだ竈がある。窪みのある岩が洗い場だろう。そこから濠へ排水する仕組みになっている。
金属器はごく僅かで、主に石を磨いだ物を包丁に使う。木をくり抜いた大小の柄杓や匙と土鍋や壺が棚に並んでいる。片面には水瓶が一杯に並べられて調理に備えている。一部は海水らしい。
調理をしている所だったので、見ていた。
水と海水を合わせて塩加減を整え、下が細くなった土器に注いでかまどにかける。野菜や芋のような物を適当に石包丁で切ると土器に放り込む。
そんだけ?やっぱり出汁取ってないじゃん。
調理台で何かの獣の肉を切り分けていたのを見つけ、肉が少し残った骨を譲ってもらった。
これを石器で叩いてざっくり割る。骨の髄の旨味を出すためだ。海水と水で塩加減を調整し、土器に骨と一緒に入れる。その間に他の土器で野菜を茹でる。柔らかくするのとあく抜きのためだ。骨を煮ている土器にはアクが浮いてくるので時々すくい取る。スープの味見をしてみるといけそうなので骨を取り出し、あく抜きした野菜と芋らしき物を入れて煮込む。柔らかくなった所で少し冷ますと野菜と芋にスープがしみこむ。
気が付いたら、興味津々で覗き込む人たちに囲まれていた。
ま、そりゃそうか。巫女装束の鬼っ娘が何だか妙な料理してるんだから。
試食してみると野菜はもう一つかな。筋っぽい。芋の方は味が染みて結構いける。
囲んでいる人たちに少しずつ分けると
「んーーっ!!」驚いたようだ。
作り方と注意点を説明して、是非覚えるように奨める。
(ショータ、いつも作ってよ)ミクルがおねだりする。
(いや、毎回なんて面倒だよ。誰かに教えてやらせた方が良い)
それより調味料だな。
葉物も醤油とかドレッシングがあれば食えるものになるだろうけど。
油と卵があればマヨネーズも作れるかな。あ、酢も必要だっけ。
取りあえずどんな素材が利用できて、見つけなければならない素材が何か、洗い出さないといけないな。
神殿には色々な所から参拝客が来て色々な物を奉納していく。
翌日、巫女アムネに頼んで倉庫の中を見せて貰う事にした。
倉庫はいくつか回廊で繋がっていて、食品、器具、布などにそれぞれ部屋が割り当てられていた。
居室と違って倉庫は厚い板戸で開閉するようになっていて、でっかい金属錠がかけられる。
盗人にはお宝の山だから当然だな。
布は麻か木綿。絹は無いようだった。糸も丸い木に巻き付けられて棚に並ぶ。
籠のような入れ物には縫い針が収められていた。金属は少なく、骨を加工した物がほとんどだ。
器具の部屋でも金属は少ない。さすがに剣は鉄製だが鋳物のように見える。
槍や矢の穂先は石製。農具も木製か先に石を磨いた物をくくりつけている。
土器も大量にあったが磁器を作る技術は無さそうだ。
また、何に使うか分からない道具も一杯あったが、アムネさんは詳しくなさそうなので聞かないでおいた。
食品は肉や果物は乾燥品が全て。瓶が並んでいるので中を見ると麦っぽい籾が詰められていた。
他にもよく知らない穀物もある。木の実もあった。
液体の入った瓶もあったので少し指に付けて舐めてみると油のようだ。
数は少ないので貴重品なんだろう。
木栓をした小さな竹の容器があったので聞いてみると酒だという。
「その・・飲んじゃまずいですよね?」一応聞いてみる。
アムネさんはちょっと待つように言って出て行く。倉庫の管理者の許可が要るようだ。しばらくして一人の男を伴って戻ってくる。
「少し日が経ったものでよろしければ」と言って一本を渡してくれる。
木栓を取るとつんとアルコールの香り。濁り酒だな。
口に含むと少し甘いが間違いなくちゃんとした酒の味だ。
ということは、麹を使っている訳だ。もしかして、味噌、醤油が作れるかもしれない。
塩専用の部屋もあった。大きさが何通りかの革袋に収められ、大きさごとにまとめて棚に並んでいる。
「こんなにあるなら調理に使っても良いんじゃ無いですか?」
「とんでもない!塩は貴重で、重要な祭りの時と食品保存にだけ使うんです。そもそも塩は何とでも交換できるのでそんな事で使ってしまう訳には」
なるほど、準通貨という訳か。ここは海が近いから良いけど、遠い所は大変だ。
倉庫の内容が分かった段階で探索を神殿の外へ広げて行く。
毎朝、神殿での朝食。これはミクル用。それが終わったら病院へ意識を戻す。俺の世界での朝飯を食うためだ。実際に食べたがるのはミクルなんだけどね。
それからミクルに戻って探索に出る。アムネさんは必ず付いてくる。
弓矢を携えていくのは途中で獲物を捕まえるためだ。
ミクルは結構弓がうまい。商人との旅で森の知識も豊富だ。
神殿ではなかなか食べられない果物なんかを毎回もいで食べた。果物取りはアムネさんの役割。でも高い枝になってるのは俺=ミクルが跳躍して取ってくる。鬼人の体力半端ない。
いくつか近くの集落を覗いてみた。畑では男達が種を撒いている。平地にただばらまいている感じだ。
竪穴住居の間に女達が何するともなく座り込んでいる。子供達がその近くを駆け回っている。老人が座って何か飲んでいる姿も見えた。
のんびりしているというか、あまり活気は感じられない。これが神ルシュの言う停滞なのかな。
昼には昼飯のため病院へ意識を戻す。
ミクルの世界では朝、夕の二食で昼は無いんだが、ミクルは病院食がえらく気に入って必ず一緒に来る。意識をなくしてしまうので安全上、ちょっとまずいんだけど、そこはアムネさんに任せておく。一応、野獣程度は追い払えるからね。
探索は夕方までに終わらせて神殿に戻る。
夕食は俺が教えた調理法で作った料理の試食になる。
調理場では俺=ミクルの周りに人だかりが出来るのが通例となった。材料を色々試して結果をアドバイスする。味はまだまだだが少しずつ良くなっては来ている。
その後は俺の体の方の夕食。もちろん、ミクルも付いてくる。
あ、そうそう、朝の沐浴とトイレの時は意識を俺の体に持って行く事にした。
鬼っ娘とは言え、年頃の娘だからな。これでも俺は紳士なんだ。
そんな風に一ヶ月ほど過ぎた頃。
―――――
病院の朝食を食べていると診察室へ行くよう看護師に言われた。
体調はかなり良くなっていて、前に感じた不快感はほぼ無くなっている。
長い事寝ていたせいか、ちょっとふらつくが歩ける。
診察室に行くと中年で丸顔の先生がやたらニコニコして話しかけてきた。
「望月さん、具合はいかがですか?」
「ずいぶん良くなった感じがします」
「そうでしょう?実は転移してた癌がきれいに消えてるんです!」
俺にはよく分からない映像や数字、グラフを示しながら説明する。
お、神様が約束守ってくれたんじゃん。グッジョブ!
思わず心の中で親指立てる。
(ショータおかしい)ミクルのクスクス笑いが頭の中に響く。
「望月さんは一日のほとんどを眠って過ごしてるようですね。化学療法もですが、それが良かったのかも知れませんよ」
忘れてた。俺が意識を向こうに持って行ってるとき、こっちの体は無意識状態になるんだ。入院してる時は良いけど、普通に生活するとなると結構ヤバい。どうするか考えなくちゃ。
そうだ、退職して入院が決まったとき家売っちゃってるし、退院したらどうしよう?
あのときは九十%死ぬと思ってたからな。
医者の話は半分も聞いてなかったが、入院生活は後一ヶ月程度になりそうだ。
一応、田舎に帰ってしばらくのんびりするか。再就職する気は全然無い。
一番上の兄貴が農家を続けているので、連絡取ってみよう。
神様が言ってたのを思い出した。
両方の世界に意識を向けると両方の感覚が得られるんだったな。
まずは視覚だけを試してみる。うーーん、意外に難しい。
調査は休みにして両方の感覚を得られるように練習する事にした。
最後の方でミクルがちょっとしたコツをみつけた。
一旦本来の自分の体に戻り、その上で相手の特定の感覚だけを意識するとうまくいくようだ。
視覚でやってみると相手の見た物がHUD(ヘッドアップディスプレイ)に映ったように透けて見える。
聴覚は音が重なって聞こえる。どっちの音かの判別はつかない。
触覚は共有しない事にした。両方で共有すると密着感が凄くてやっぱり恥ずかしいらしい。
嗅覚はあまり意味が無いのでこれも普段は共有しない。
思考と感情、記憶も意識をそれぞれ自分の体に向けているときは共有しない。プライバシーを確保したいときはそれぞれ自分の体に意識を向ける。でも、二人でどちらかに意識を向けると記憶が戻って来るのであまり意味はなさそうだが、記憶を辿らないようには出来る。その辺は紳士淑女のたしなみだね。
(うーん、しゃべる方はちょっと難しいな。体をこっちにすると口もこっちしか動かせない。ミクルが話すしか無いぞ)
(え・・どうしよう?)
(そろそろ自分の考えで話す事を覚えた方が良いな。どうしても困ったときは言い方を教えるから考えを読み取って)
(・・やってみる)
かなり不安げだが両方の世界で生きて行くにはやるしかない。
しかし、それぞれの体に自分の意識を移しても魂が繋がっているためか、お互いの存在感が切れる事は無い。
二、三日で俺もミクルも慣れてきて日常生活には支障が無い程度にはなってきた。
まあ、かなりぎこちないが。
この間、アムネさんはずっと側に居る。よく退屈しないもんだ。
ミクルが固く目をつむったので、そのままにさせておく。そりゃそうだよな。
それでも藁で擦られたり、少女の手が肌に触れたりすると感触が妙に艶めかしい。
(ショータ、やだ)引かれてしまった。
(おいおい、これから一生こうなんだぞ。慣れろよ)俺のせいじゃないっつーの。
着替えが済むまでミクル、つまり俺はずっと目を閉じていた。
その後、広場に面した神事用の部屋へ通される。その頃には日が上がってすっかり明るくなっていた。
神官と巫女達は既に席についている。部屋の前の御簾は全て上げられ、回廊を通して広場が見通せた。
俺=ミクルは回廊の中央の小さな背もたれの無い椅子に座らされた。
広場には呼び集められた人々が三々五々やってくる。
やがて、人々を制して巫女アムネが立ち上がり前へ出た。
「神ルシュより、ミクルを神使とするよう神託を受けました」
一斉にどよめきが広がる。
俺=ミクルは巫女の合図で立ち上がり、アムネさんの横に並ぶ。
「このミクルは最早奴隷では無く、神ルシュの使命を果たす神使です。何人も神使ミクルに指図できず、神使ミクルの指示があれば従いなさい」
どよめきは一層大きくなる。その中から剣を腰に下げた男が進み出た。
「ちょっと待った、俺は傭兵隊長アガムキノだが、我々も従えと言うのか」
「何人も例外はありません」
「悪いが、信じられんな。昨日まで奴隷だった小娘が神使だと?」
「無礼があれば神使自らがあなたを罰します」
「俺たちの神は生と死を司るニーヴァだ。本当に神ルシュの神使が事実としても従うわけにはいかねえ。ここを守るのは契約だが、それ以外はまっぴらだ」
お・・なんか不穏な事になってきたな・・
「ここルシュ神殿では神ルシュの神託は絶対です。従いなさい」
アムネさん、神様並みに高ビーだな。ここは穏やかに説得する場面じゃね?
案の定、アガムキノが怒りをあらわにして回廊に登り、ずかずかとアムネの前に進んだ。
アムネさんは負けずに険しい顔をしてアガムキノに向き合う。
――まずい
俺=ミクルは男から剣呑な気配を感じる。
アガムキノがアムネさんの胸ぐらを掴もうとして手を伸ばした。
反射的に俺の手がアガムキノの手首を掴み、そのまま腕をひねって肩を押さえ、回廊に伏したおす。
ほとんど一瞬、合気道の技だ。あれ?今の俺じゃなくてミクルだよな。
「ぐわっ?」驚くアガムキノ。
周りに驚愕が走る。
「あ・・悪い悪い、アムネさんに何かあると困るんでね」俺の考えたセリフをミクルが口にする。
アガムキノは頭に血が上って腰の剣を引き抜いた。
「小娘がっ!」
あ・・まずい・・何か。
神事室の奥に剣が収められているのが目に入ったので、飛び寄って手に取った。
ミクルはアガムキノに正対して鞘のまま正眼に構える。
ほんと、俺は何もしてないぞ。ミクルに体を任せたままだ。
アガムキノは猛然と剣を振り回すが、ミクルは滑るように間合いを取って剣先の僅かの間に体を避ける。アガムキノの闘気は凄いし戦い慣れてるが、技量がもう一つだな。先の手、見え見え。アガムキノが剣を振り下ろして空を切った所で、ぴしりと小手を打つ。たまらず剣を取り落とすアガムキノ。
巫女アムネは厳かに言い放つ。
「理解したか?神ルシュを侮辱するとこうなるのです」
よく言うよ。今まで固まってたくせに。
アガムキノはがっくり膝を落とした。
「あのね、何も無理難題言う気は無いから。ちょっとお願いすることあるかもだから、そんとき相談乗ってくれると嬉しいな?」ここは柔らかく出た方が良いという俺の判断。
ミクルの可愛い声で言えば効果はより大きいと踏んだ。
アガムキノは面食らった顔で
「しょ・・承知」と言って頭を下げる。
群衆から安堵のため息が漏れる。
(ミクル、今のは合気道と剣道だよな?いつの間に?)
(あら、ショータの兄さんと姉さんにたっぷりしごかれたじゃない)
そうか。ミクルも俺の生涯を追体験してたんだ。
スキルも共有するんだな。でも、今のは俺より格段に強かったぞ。
息一つ乱れていない。鬼人の身体能力が合わさってという事で納得しておく。
それからは俺=ミクルは神殿内の有名人になった。
対面する人たちは皆、腕を胸の前で交差させ、頭を下げる。上位の者に対する儀礼らしい。
それにしてもアムネさんがどこへ行くにも付いてくるようになった。
「アムネさん、参拝客の対応は良いの?」
「見習いを一人昇進させました。問題ありません」
ま、良いか。別に邪魔にはならないし、何かと聞くには便利だ。
まず櫓の一番上に案内して貰う。
一面の森に囲まれている景色は圧巻だ。遠くに山並みが見える。
所々筋のような切れ目の見える所は川だという。結構たくさんある。
反対側の森の先に見える一筋の光る物は南の海らしい。
森の所々に開墾された土地があり、濠に囲まれた集落が小さく見える。
その間隔からこの土地の人口はそんなに多くは無さそうだ。
道らしい道は見えない。ミクルの記憶からも商人達は森の中の獣道を辿って移動しているようだ。
概観を把握した所で調理場を見せてもらう。一番気になる所だ。
社は木造なので火気厳禁。外の石焼き場で焼いた石を持ち込む。石焼き場は他の住居と同じ竪穴式で、葦のような草の茎で屋根を覆っている。
濠の近くに調理用の小屋があるが、これは縦穴を掘っていない。水を使うからだろう。表面を平らにした岩が調理台で、石を積み上げ隙間を粘土で塞いだ竈がある。窪みのある岩が洗い場だろう。そこから濠へ排水する仕組みになっている。
金属器はごく僅かで、主に石を磨いだ物を包丁に使う。木をくり抜いた大小の柄杓や匙と土鍋や壺が棚に並んでいる。片面には水瓶が一杯に並べられて調理に備えている。一部は海水らしい。
調理をしている所だったので、見ていた。
水と海水を合わせて塩加減を整え、下が細くなった土器に注いでかまどにかける。野菜や芋のような物を適当に石包丁で切ると土器に放り込む。
そんだけ?やっぱり出汁取ってないじゃん。
調理台で何かの獣の肉を切り分けていたのを見つけ、肉が少し残った骨を譲ってもらった。
これを石器で叩いてざっくり割る。骨の髄の旨味を出すためだ。海水と水で塩加減を調整し、土器に骨と一緒に入れる。その間に他の土器で野菜を茹でる。柔らかくするのとあく抜きのためだ。骨を煮ている土器にはアクが浮いてくるので時々すくい取る。スープの味見をしてみるといけそうなので骨を取り出し、あく抜きした野菜と芋らしき物を入れて煮込む。柔らかくなった所で少し冷ますと野菜と芋にスープがしみこむ。
気が付いたら、興味津々で覗き込む人たちに囲まれていた。
ま、そりゃそうか。巫女装束の鬼っ娘が何だか妙な料理してるんだから。
試食してみると野菜はもう一つかな。筋っぽい。芋の方は味が染みて結構いける。
囲んでいる人たちに少しずつ分けると
「んーーっ!!」驚いたようだ。
作り方と注意点を説明して、是非覚えるように奨める。
(ショータ、いつも作ってよ)ミクルがおねだりする。
(いや、毎回なんて面倒だよ。誰かに教えてやらせた方が良い)
それより調味料だな。
葉物も醤油とかドレッシングがあれば食えるものになるだろうけど。
油と卵があればマヨネーズも作れるかな。あ、酢も必要だっけ。
取りあえずどんな素材が利用できて、見つけなければならない素材が何か、洗い出さないといけないな。
神殿には色々な所から参拝客が来て色々な物を奉納していく。
翌日、巫女アムネに頼んで倉庫の中を見せて貰う事にした。
倉庫はいくつか回廊で繋がっていて、食品、器具、布などにそれぞれ部屋が割り当てられていた。
居室と違って倉庫は厚い板戸で開閉するようになっていて、でっかい金属錠がかけられる。
盗人にはお宝の山だから当然だな。
布は麻か木綿。絹は無いようだった。糸も丸い木に巻き付けられて棚に並ぶ。
籠のような入れ物には縫い針が収められていた。金属は少なく、骨を加工した物がほとんどだ。
器具の部屋でも金属は少ない。さすがに剣は鉄製だが鋳物のように見える。
槍や矢の穂先は石製。農具も木製か先に石を磨いた物をくくりつけている。
土器も大量にあったが磁器を作る技術は無さそうだ。
また、何に使うか分からない道具も一杯あったが、アムネさんは詳しくなさそうなので聞かないでおいた。
食品は肉や果物は乾燥品が全て。瓶が並んでいるので中を見ると麦っぽい籾が詰められていた。
他にもよく知らない穀物もある。木の実もあった。
液体の入った瓶もあったので少し指に付けて舐めてみると油のようだ。
数は少ないので貴重品なんだろう。
木栓をした小さな竹の容器があったので聞いてみると酒だという。
「その・・飲んじゃまずいですよね?」一応聞いてみる。
アムネさんはちょっと待つように言って出て行く。倉庫の管理者の許可が要るようだ。しばらくして一人の男を伴って戻ってくる。
「少し日が経ったものでよろしければ」と言って一本を渡してくれる。
木栓を取るとつんとアルコールの香り。濁り酒だな。
口に含むと少し甘いが間違いなくちゃんとした酒の味だ。
ということは、麹を使っている訳だ。もしかして、味噌、醤油が作れるかもしれない。
塩専用の部屋もあった。大きさが何通りかの革袋に収められ、大きさごとにまとめて棚に並んでいる。
「こんなにあるなら調理に使っても良いんじゃ無いですか?」
「とんでもない!塩は貴重で、重要な祭りの時と食品保存にだけ使うんです。そもそも塩は何とでも交換できるのでそんな事で使ってしまう訳には」
なるほど、準通貨という訳か。ここは海が近いから良いけど、遠い所は大変だ。
倉庫の内容が分かった段階で探索を神殿の外へ広げて行く。
毎朝、神殿での朝食。これはミクル用。それが終わったら病院へ意識を戻す。俺の世界での朝飯を食うためだ。実際に食べたがるのはミクルなんだけどね。
それからミクルに戻って探索に出る。アムネさんは必ず付いてくる。
弓矢を携えていくのは途中で獲物を捕まえるためだ。
ミクルは結構弓がうまい。商人との旅で森の知識も豊富だ。
神殿ではなかなか食べられない果物なんかを毎回もいで食べた。果物取りはアムネさんの役割。でも高い枝になってるのは俺=ミクルが跳躍して取ってくる。鬼人の体力半端ない。
いくつか近くの集落を覗いてみた。畑では男達が種を撒いている。平地にただばらまいている感じだ。
竪穴住居の間に女達が何するともなく座り込んでいる。子供達がその近くを駆け回っている。老人が座って何か飲んでいる姿も見えた。
のんびりしているというか、あまり活気は感じられない。これが神ルシュの言う停滞なのかな。
昼には昼飯のため病院へ意識を戻す。
ミクルの世界では朝、夕の二食で昼は無いんだが、ミクルは病院食がえらく気に入って必ず一緒に来る。意識をなくしてしまうので安全上、ちょっとまずいんだけど、そこはアムネさんに任せておく。一応、野獣程度は追い払えるからね。
探索は夕方までに終わらせて神殿に戻る。
夕食は俺が教えた調理法で作った料理の試食になる。
調理場では俺=ミクルの周りに人だかりが出来るのが通例となった。材料を色々試して結果をアドバイスする。味はまだまだだが少しずつ良くなっては来ている。
その後は俺の体の方の夕食。もちろん、ミクルも付いてくる。
あ、そうそう、朝の沐浴とトイレの時は意識を俺の体に持って行く事にした。
鬼っ娘とは言え、年頃の娘だからな。これでも俺は紳士なんだ。
そんな風に一ヶ月ほど過ぎた頃。
―――――
病院の朝食を食べていると診察室へ行くよう看護師に言われた。
体調はかなり良くなっていて、前に感じた不快感はほぼ無くなっている。
長い事寝ていたせいか、ちょっとふらつくが歩ける。
診察室に行くと中年で丸顔の先生がやたらニコニコして話しかけてきた。
「望月さん、具合はいかがですか?」
「ずいぶん良くなった感じがします」
「そうでしょう?実は転移してた癌がきれいに消えてるんです!」
俺にはよく分からない映像や数字、グラフを示しながら説明する。
お、神様が約束守ってくれたんじゃん。グッジョブ!
思わず心の中で親指立てる。
(ショータおかしい)ミクルのクスクス笑いが頭の中に響く。
「望月さんは一日のほとんどを眠って過ごしてるようですね。化学療法もですが、それが良かったのかも知れませんよ」
忘れてた。俺が意識を向こうに持って行ってるとき、こっちの体は無意識状態になるんだ。入院してる時は良いけど、普通に生活するとなると結構ヤバい。どうするか考えなくちゃ。
そうだ、退職して入院が決まったとき家売っちゃってるし、退院したらどうしよう?
あのときは九十%死ぬと思ってたからな。
医者の話は半分も聞いてなかったが、入院生活は後一ヶ月程度になりそうだ。
一応、田舎に帰ってしばらくのんびりするか。再就職する気は全然無い。
一番上の兄貴が農家を続けているので、連絡取ってみよう。
神様が言ってたのを思い出した。
両方の世界に意識を向けると両方の感覚が得られるんだったな。
まずは視覚だけを試してみる。うーーん、意外に難しい。
調査は休みにして両方の感覚を得られるように練習する事にした。
最後の方でミクルがちょっとしたコツをみつけた。
一旦本来の自分の体に戻り、その上で相手の特定の感覚だけを意識するとうまくいくようだ。
視覚でやってみると相手の見た物がHUD(ヘッドアップディスプレイ)に映ったように透けて見える。
聴覚は音が重なって聞こえる。どっちの音かの判別はつかない。
触覚は共有しない事にした。両方で共有すると密着感が凄くてやっぱり恥ずかしいらしい。
嗅覚はあまり意味が無いのでこれも普段は共有しない。
思考と感情、記憶も意識をそれぞれ自分の体に向けているときは共有しない。プライバシーを確保したいときはそれぞれ自分の体に意識を向ける。でも、二人でどちらかに意識を向けると記憶が戻って来るのであまり意味はなさそうだが、記憶を辿らないようには出来る。その辺は紳士淑女のたしなみだね。
(うーん、しゃべる方はちょっと難しいな。体をこっちにすると口もこっちしか動かせない。ミクルが話すしか無いぞ)
(え・・どうしよう?)
(そろそろ自分の考えで話す事を覚えた方が良いな。どうしても困ったときは言い方を教えるから考えを読み取って)
(・・やってみる)
かなり不安げだが両方の世界で生きて行くにはやるしかない。
しかし、それぞれの体に自分の意識を移しても魂が繋がっているためか、お互いの存在感が切れる事は無い。
二、三日で俺もミクルも慣れてきて日常生活には支障が無い程度にはなってきた。
まあ、かなりぎこちないが。
この間、アムネさんはずっと側に居る。よく退屈しないもんだ。
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優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
不遇職とバカにされましたが、実際はそれほど悪くありません?
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現実世界で普通の高校生として過ごしていた「白崎レナ」は謎の空間の亀裂に飲み込まれ、狭間の世界と呼ばれる空間に移動していた。彼はそこで世界の「管理者」と名乗る女性と出会い、彼女と何時でも交信できる能力を授かり、異世界に転生される。
次に彼が意識を取り戻した時には見知らぬ女性と男性が激しく口論しており、会話の内容から自分達から誕生した赤子は呪われた子供であり、王位を継ぐ権利はないと男性が怒鳴り散らしている事を知る。そして子供というのが自分自身である事にレナは気付き、彼は母親と供に追い出された。
時は流れ、成長したレナは自分がこの世界では不遇職として扱われている「支援魔術師」と「錬金術師」の職業を習得している事が判明し、更に彼は一般的には扱われていないスキルばかり習得してしまう。多くの人間から見下され、実の姉弟からも馬鹿にされてしまうが、彼は決して挫けずに自分の能力を信じて生き抜く――
――後にレナは自分の得た職業とスキルの真の力を「世界の管理者」を名乗る女性のアイリスに伝えられ、自分を見下していた人間から逆に見上げられる立場になる事を彼は知らない。
※タイトルを変更しました。(旧題:不遇職に役立たずスキルと馬鹿にされましたが、実際はそれほど悪くはありません)。書籍化に伴い、一部の話を取り下げました。また、近い内に大幅な取り下げが行われます。
※11月22日に第一巻が発売されます!!また、書籍版では主人公の名前が「レナ」→「レイト」に変更しています。
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大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
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田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
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そんなお話です。
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※2016年11月。第1巻
2017年 4月。第2巻
2017年 9月。第3巻
2017年12月。第4巻
2018年 3月。第5巻
2018年 8月。第6巻
2018年12月。第7巻
2019年 5月。第8巻
2019年10月。第9巻
2020年 6月。第10巻
2020年12月。第11巻 出版しました。
PNもエリン改め、朝比奈 和(あさひな なごむ)となります。
投稿継続中です。よろしくお願いします!
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