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第十四話 シンハンニルの夜明け
しおりを挟むこの魔法コンロはシンハンニルの里にも寄贈する事にした。何と言っても、あたし達を護衛したり、『工房の里』へ案内してくれたり、今は父様やカーサ母様と連絡を取ろうとしてくれる。
ハミは最初、固辞していたけど、里の皆のためと強く奨めると最後は折れた。
で、搬送方法がちょっと問題になった。
結構な大きさなので、走竜で運ぶと一度に一台しか運べない。
空間魔法で、とハミに言うと、
「結界は魔人しか通れません。ですから来て頂くならシャニナリーア様だけになります」
そうか、リーアはホムンクルス。
でも、幼女のあたし一人で行くとなると、イワーニャ母様は絶対許してくれないな。
で、まずは結界の近くまであたしが行く。そこへあたしが転移してハミ達と結界を抜ける。あたしは疑似空間で待つ。用が済んだら工房の側へ戻る。
そんな手順にした。
そんな訳で、あたしは初めてシンハンニルの里へ足を踏み入れる事になった。
里への道程はすごく険しい山や谷の連続だった。岩だらけの荒れ地、急な斜面。そこを走竜を操って駆け抜けていく。魔人だから出来るんだ。普通の人間では絶対無理。
魔獣に初めて出会った。それほど大きくは無いイタチに似た獣。ただ、もの凄く速い。牙を剥いて飛び上がり、三メートル位の高さから襲って来る。
ハミは剣を一閃させて切り伏せた。
「こんな小さな魔獣でも、普通の人なら太刀打ちできません」
そう言って魔獣を血抜きし、紐で縛って走竜にぶら下げる。
「それ、食べられるの?」リーアのあたしが聞く。
「ええ、結構うまいんですよ」とハミが笑う。
朝、『工房の里』を出て昼を過ぎた頃、結界の近くに来たらしい。ハミが合図をしたのであたしは工房脇から転移した。入れ替わりに、あたしは疑似空間へ転移する。
結界を抜ける時、あたしの空間把握がしばらく途絶えた。
「すごく強力な結界ね。誰の魔法?」
「ずっと昔の祖先が残した結界柱があるんです。魔法自体は失伝してますが、結界柱自体は地下の魔素を吸収して作動し続けています」
「この結界を止めることは出来ないのね?」
「はい。止め方も分かりませんが、再度、結界を張り直す方法も分かりません」
結界を抜けると里の集落が見えた。集落の周りは畑が囲んでいる。その畑のあぜ道を進む。
結界を抜けるまで集落は全然見えなかった。
結界の外では空間把握でも認識できなかった。
凄い。
疑似空間は認識できるんだろうか?うん、これは大丈夫。
だとしたらあたしを転送できるかも。おお、できた。
にっこり笑うあたしを見て、ハミがびっくりした顔をしている。
さすがの結界も三次元空間が限界で、次元の異なる疑似空間までは対象にできないらしい。
畑を通り過ぎると、草葺きの三角屋根が並んでいる間を通り抜ける。もしかして、竪穴住宅?
建物は中央の広場を囲むように、同心円状に並んでいる。
「ここは森が少ないので、大きな柱のある建物は作れないんです」
あたしの考えを読み取ったようにハミが説明する。
広場にさしかかると数人の子供達がばらばらと駆け寄ってくる。
その目は確かに魔人の目。衣服はマンレオタの領民達とほとんど変わらない。
「里長、お帰り!」口々に叫ぶ。
「ああ、ただいま。お土産があるよ」
ハミはそう言って、仕留めた魔獣と大きな袋を子供達に渡す。子供達はわっと歓声を上げた。
子供達の声につられたのか、大人達も三々五々集まってきた。
女性や年配者が多く、青年、壮年といった年齢の人たちは少ない。男達はお役目で各地に散っているのだろうか。
「皆、聞いてくれ。リーア様とシャニナリーア様においで頂いた」
二人のあたしは軽く頭を下げて挨拶する。
「こんにちわ。初めまして」
「おおー」一斉に驚きの声が上がる。
「結界を越えられたのか……」
あたしを見ながら疑問を投げかける者もいる。
「前にも話した通り、この方は大魔法をお使いになる。これくらいで驚いていると腰をぬかすぞ」ハミがにやりと笑う。
さて、あたしは騒ぎになる前に戻るとしよう。転移する。
「な、何だ?魔法?」
「いや、詠唱しなかったぞ!」
突然、目の前からあたしがかき消えたので、大騒ぎになった。
「さて、今日はリーア様から贈り物がある。付いてきな」
皆を静めると、一軒の建物にあたしと皆を引き連れて入った。
「リーア様、ここにひとつお願いします」
ハミが指さした先、囲炉裏の横に魔法コンロを転送する。
また騒ぎになった。
そんな具合に一軒一軒廻って魔法コンロを設置し、使い方を説明していく。
全部設置し終わった頃には夕方近くになっていたので、あたしはシンハンニルの里を後にした。
薪集めの必要はなくなったので、イワーニャ母様は野菜と小麦の畑を作るように指示を出した。
「野草は食べられる物が少ないし、穀物はマンレオタに戻った時に必要になるわ。だからできるだけ工夫しましょう」
リーアのあたしが川岸を空間魔法で平らに整地した。後は奥さん達が畝を盛って種を撒く。小麦は冬小麦。谷間なので日照に少し不安があるが、土は肥えている。大丈夫だろう。
何はともあれ、これで冬越しの見通しが立った。
全てが一段落すると、急に胸の中が空っぽな感じがして落ち込んだ。
あたしは少し離れた繁みの中に膝を抱えて座り込む。
父様とカーサ母様とは依然、連絡が取れない。
カーサ母様に会いたい。
離れているのがこんなに寂しいって知らなかった。片時も離れた事無かったものね。
技師の奥さんが子供を抱いて微笑んでいるのを見ると、胸がきゅってなる。
寂しい。会いたい。触れたい。ぎゅってして欲しい。カーサ母様……
あ、あれ、涙が出てきちゃった……。
人生を何度もやってて、お婆ちゃんをはるかに越えてるのに、体が幼児だと気持ちもそうなるのかな。それともカーサ母様が特別なのかな。
うん、きっと特別なんだ。
幾つもの人生の中で、これほど親愛の情を寄せ、慈しんでくれた人は居ただろうか。
あたしが幼女としては異常な能力を持っているのを知った後も、それまでと変わらず接してくれた。とても強くて優しくて、暖かくて、心が幸せに満たされる。
そんな母様がここに居ない。それがこんなに寂しいなんて。
たった五年ほど過ごしただけなのに、誰よりも愛おしい……。
………………ん?
顔を上げると、タオ兄ちゃんが繁みの外からあたしの顔を覗き込んでる。
うえっ!泣いてるとこ見られた?何で動揺してる、あたし?
「な、なに?」
タオ兄ちゃん、いきなりあたしを抱き上げるとゾラの方へ歩き出す。
何か逆らえない。
ゾラに乗ると、あたしを膝に乗せてベルトを掛ける。
急なので、あたし、わたわたしちゃった。
でも膝の上で、あたしの胸は落ち着く。カーサ母様とはちょっと違うけど、心地良くて暖かい。偵察の時、何度もゾラの背に乗って飛んだ膝。久しぶりだな、安心する。
タオ兄ちゃんは相変わらず自分からは何も言わない。慰めてくれてるのかな。
ゾラは狩りに熱中してる。この辺一帯は荒れ地が多く、大きな動物は少ない。だからかなり遠くまで飛んでいく。
獲物を見つける。襲いかかる。凄い急降下!獲物が気づく暇も無く咥え上げる。
そして急上昇!もう、たまんないわ。
――よっし!凄いぞ、ゾラ。
ガッツポーズを取るあたし。
『たおガアキレテイルゾ』
えー、ゾラだってあきれてるじゃん。
そんなに変かな、あたし。
それから何匹か獲物を捕らえ、ゾラは満腹したみたい。お土産にあと三匹ほど捕まえる。
あたしも気分すっきりした。落ち込んでる時はこれが良いな。
ゾラは旋回して帰路に向かう。
途中、森に挟まれた小川を見つけ、ゾラはそちらに向かって降りていった。
喉が渇いたのかな。川の水を飲み始める。
待ってる間、あたしはゾラから降りて、少し森の中を歩いてみる。
半分紅葉した葉っぱがきれい。まだ緑が残っていて、少しずつ紅くなっていく葉が入り交じり、グラデーションの波が風にさざめく。こんな場所、あったんだ。すっかり見とれてしまった。
『アマリ遠クヘ行クナ』
「うん、分かって――」
言いかけて、あたしは息を呑んだ。
枝にぶら下がる、薄茶色の卵形の物体が目にとまる。
前世の下女チュワンの見慣れた物。野蚕の繭だ。
近寄ってみると、既に羽化していて、繭の端に穴が開いている。途中で切れているから、糸を引き出すのは無理だ。でも、真綿にして紡げば糸に出来る。
辺りを見回すと、あちこちの枝に繭がぶら下がっている。
あたしは夢中で片っ端から疑似空間に放り込んだ。
「何をしている?」
タオ兄ちゃんが訝しげに近づいてくる。
「蚕の繭を見つけたの。絹が作れる」
「何だ、それは?」
あれ?この世界では絹は知られていないのかな?
タオ兄ちゃんはあたしを乱暴に抱きかかえてゾラの所に戻った。問答無用だな。
帰りのタオ兄ちゃんの膝の上で上で考えた。
絹の独占製造。あたしの前世で、中国は長い間絹の製法を秘密にし、それが元でシルクロードなんてのが出来た。近世までヨーロッパでは絹は超高級品だった。そういうのが頭に浮かんだ。
厳しい環境のシンハンニルの里。独占なら高く売れて、それ程大量に作らなくても里を潤すだろう。そうすれば危険なお役目も減らせるかも知れない。
マンレオタにはタークがあるし、今度作った魔法コンロもきっと売れる。悪いけど、マンレオタには内緒だ。
決めた。絹はシンハンニルの里で作ろう。何百年も里を隠し続けてきた皆だ。絹の秘密も守り通せるだろう。
明くる日の朝、あたしはシンハンニルの里へ転移した。
「リーア様?今日は?」ハミが首を傾げる。
「試したい事があるの。お鍋にお湯を沸かしてくれる?」
早速、魔法コンロの出番。ハミは頭にはてなマークを浮かばせながら、手近の部下に指示を出す。
お湯が沸くと、囲炉裏に残っている灰を目の細かい布に入れ、上からお湯を少し注ぐ。別の土鍋で受けると、漉されて黄色い澄んだ液体が滴る。
灰の上澄みはかなり強いアルカリ性。それを湧かしたお湯に混ぜる。指で感触を見る。前世の下女チュワンの感覚を思い出す。そう、これくらい。
それから疑似空間から繭を熱湯の中に転移させる。
しばらくぐつぐつ煮る。別の鍋にぬるま湯を作っておく。
煮た繭が柔らかくなった頃を見計らってぬるま湯の方に移す。
羽化の時にできた穴から指を入れ、繭をどんどん広げて行く。中に残っている脱皮の跡を取り除き、更に広げて行くと、やがて繭は段々薄く透き通っていき、向こうが透けて見えるようになる。それを二つに折りたたんで水を絞り、側に置く。
それを全部なくなるまで繰り返す。
良い感じだ。チュワンのスキルはまだあたしの体に残っている。
終わったら干して乾燥させる。
「これは何ですか?」ハミが興味深そうに聞く。
「これから糸を紡ぐのよ。絹という布が出来る」
「キヌ……ですか」
「ふふ、出来たら分かるわ。明日には乾いてるでしょうから、また来る」
その日は帰って、翌日の朝、また里を訪れる。
引き延ばした繭が乾いた物は、重ねるとふわふわした綿のようになる。
館の物資の中にあった糸巻き機を取り出し、綿の端から糸を引き出すと、糸巻き機にセットする。糸巻き機を廻すと少しよじりながら糸が巻き取られていく。
繭から引き出した時より、少し太さが不揃いだが二巻きほど巻き取れた。
「へー、何か艶がありますね」
「これで織った布は肌触りも良いの。試しに布を織ってくれる?」
「はい。機織り得意な者にやらせましょう」
「伸縮性があるからちょっと織りにくいと思うけど、お願いね」
さて、戻って種まきの手伝いをしよう。
「シャニ、落ち込んでたみたいだけどもう良いの?」ニニが心配そうに言う。
「うん、ゾラと飛んだらすっきりした」
「カーサイレ奥様とはまだ連絡取れないの?」
「そうなのよねー、トワンティ領に着いたらすぐ帝都に行っちゃって、王国遠征部隊に加わったらしいの。行き先は軍機なので一切公表されないし。大陸広いし。さすがのハミ達も手こずってる。あー、携帯電話でもあればなあ」
「ええ?けいたいでんわ?それ何?」
しまった、またやってしまった。ここは何とか誤魔化す。
「うん。ちょっと空想してみたんだけどさ。離れた所でもお話しできる魔道具なんかあれば素敵じゃない?そしたらあたしとカーサ母様はいつでもお話しできる」
「離れた所でも話が出来る魔道具?」
なんか、ニニにスイッチ入っちゃったらしい。目の色が変わった。
「あ……無理よね。あたしの妄想だと思って」
「いや。ゾラは思念伝達できるって言ってたよな。それから『呼び珠』。距離を置いて繋げる何らかの方法はあるって事だよな?」
ちょっ……ニニ、怖いよ。
「遠見の魔法もあるんだし、うーん……」
こうなったら手をつけられない。集中力が凄い。
「二点を結びつける術式はこうかな。音声を乗せる術式と……一気には無理か。一旦音声を取り込む術式で溜めてそれを送り出す。ああっ……どうやって声にするんだ?」
頭をかきむしっている。髪留め、飛んじゃうよ?
「あのさー、ニニ。音って何だろね?」
多分、その辺の知識体系がこの世界に無いんだと思う。あたしはヒントぐらい与えてやっても良いよね?
あたしは即席の紙コップを作り、二つを長い糸で繋ぐ。糸電話だよ。
片方をニニに渡して耳に当てさせる。糸をピンと張ってもう片方で話しかける。
「ニニ、聞こえる?音って空気の振動だから、コップの底が振動すると、それが糸を伝わってもう片方の底が振動する。それが空気に伝わって聞こえるんだよ。魔法だとどうする?」
「振動?そうか――――」
ニニが猛然と術式を組み始めた。
そうか、この世界で不足しているのは科学知識だ。
音が振動という、ごく初歩的な知識だけでも、魔法と組み合わせると携帯端末が実現できそうなんだ。
引力に気づいた先代バクミンがタークを完成させた。
同じような事がもっと出来るんじゃないだろうか。
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