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間話:騒乱の兆し
しおりを挟む――ツツ連合王国・サンデニ王国――
ツツ連合王国がライカリア帝国と接する海側に連合王国のひとつ、サンデニ王国がある。
その海岸の砂浜を三人の人物が歩いていた。
一人は純白の衣装に豪華な刺繍を彩った上着を羽織る、アイン・サンデニ第四王子。編んで背中に垂らした長い黒髪。同じ黒い瞳に十二才とは思えない静かな光を宿している。しかし、見た目は面倒くさそうな表情をした金持ちのどら息子。
一人は第四王子の側近、パン・スギヤ。衣服の下には鍛え抜かれた筋肉ががっちりと詰まっている。しかし、ゆるく纏った衣服はそれと見せない。風に揺れる長い上着もその下に履いた長剣を隠している。壮年の髭面も鋭い眼光に気が付かなければ、ただのむさいおっさんにしか見えない。
一人は第四王子の侍女、ムイ・トートズイ。地味な侍女の衣装に編み上げた髪。二人の後ろからとことこ付いていく小柄な少女は、我が儘などら息子に引きずり回される哀れな犠牲者に見える。誰が見ても。それが彼女の特異能力。ただのひ弱い娘っこと侮ったが最後、主を襲った暴漢は彼女の暗器でその首筋を刈り取られる。誰の仕業かも分からずに。
「もう、ここはダメだな」吐き捨てるように少年が言う。
「は」パン・スギヤはいつものアイン王子の問いかけが始まったと受け答える。
「船は半分壊れているのに直そうともしない。網は穴だらけ。畑は草ボウボウ。おそらく次の徴税の前に逃散だな」
「どうなさるおつもりで?」
「何もせんよ。我一人あがいたところで何も変わらん。館には無能者が多すぎる」
「お父上が聞かれたらどうお思いかな?」
「酒と女以外のことには無関心さ」
そう言い捨ててアイン王子は海に突き出た丘の方に目をやった。
丘の向こうに一筋煙が立ちのぼっている。
おや?と眉をひそめる。
「館の方ですな」
「ギヨンが動いたようだな」
「あの公事筆頭の?謀反ですか」初めてムイ・トートズイが口を開く。
「殿下は読んでおられた?」
「見え見えだったじゃないか。気が付かないのはあの腐れ親父共くらいさ」
「館に行かれますか?」
「おいおい、むざむざ首を差し出すつもりはないぞ」
アイン王子はニヤリと白い歯を見せる。
三人は辿った道を引き返し、浜辺の村を通り抜けると森の中へと入っていった。そこには既に見捨てられた炭焼き小屋がある。半分壊れかけた板戸を押し開け、中に入る。隙間だらけの天井や板壁のせいで中は意外と明るい。
部屋の片隅にあった筵をめくると、古ぼけたつづらが顔を見せる。
「何をなさるのかと思ったら、こういう時のためだったのですな」パン・スギヤが呟く。
「あら、この中には女物しか入ってませんよ」ムイ・トートズイが首を傾げる。
「ああ、炭売りの親子に見せかける。娘二人連れのな」
アイン王子はそう言って編んだ髪をほどき、両肩に流す。つづらから取り出した着物に着替えるとムイ・トートズイが手を叩いて喜ぶ。
「まあ、ほんとに女の子に見えますわ。ずっとそのままでいらしたら?」
「与太言ってないでムイも着替えろ。そのままじゃ村娘には見えん」
「あら、とても可愛いのに、残念」
男の目を気にもせず、ムイ・トートズイは着替え始める。
「剣はどうしますかな」パン・スギヤがたずねる。
既に短い上着に膝丈のズボンをはいて、すっかり村の親父風になっている。
「背負子の裏に隠せるだろ」
「殿下は?」
「俺が剣を持っても役立たずさ。重いだけだよ」
「あ、我が俺になった。でも、そこはわ・た・しでしょ?」
「お前、楽しんでないか?気楽な奴だ」
「お前じゃなくて姉ちゃん。殿下のことはアイちゃんって呼ぶわ、ふふ」
「ムイってこんな性格だっけ?」パンとアインは顔を見合わせる。
「演技ですよ、演技。パンも敬語禁止」ムイが偉そうに人差し指を立てる。
サンデニの館からやや離れた平地にラリナの街が広がっている。
町中を通る広い道路の脇に、ひときわ大きなたたずまいを見せる宿屋があった。
その一室に三人の男女が顔を合わせている。既に夜。ランプの光だけでは部屋の隅まで届かない。濃い影の中に三人の顔が浮かぶ。
落ち着いた服装の壮年の男はマッシュ・アジャ。国から国を渡って商隊を率いる頭目だ。
革鎧の厳つい男はラカン・サンダク。商隊の警護隊長を務める。
長い髪を鮮やかに染め抜いた布で覆う女性はルウ・シンスワミ。商隊専属の魔道士だ。
「ギヨン公事筆頭が国王を討ったのは間違いないですな。町中は兵が動き回っていますが、紋章はギヨン家のもので間違いないです」ラカンが報告する。
「うち漏らした王族の捜索、といった所か。ちと厄介だな」マッシュは顎をこする。
「しばらくは動けませんねえ」ルウが相づちを打つ。
「取引が全部済んでるのは不幸中の幸いかな。商談の途中だったら最初からやり直しだったからなあ」マッシュは深いため息をついた。
「宿改めまではやらないようですが、子供二人を連れた男を見なかったか聞かれました。子供は一人が男、一人が女らしいです」と、ラカン。
「しかし、こんな町中には来ないだろう。山とか森に逃げたと見るべきかな」
ゆらり、とランプが揺れる。
「誰かっ!」人の気配を察したラカンは剣に手を添えて一喝した。
いつの間にか部屋の隅の影の中に、両手をついて平伏している姿がある。
「マッシュ・アジャ様とお見受けします。内々にお引き合わせしたいお方があり、失礼を顧みずまかり越しました」涼やかな少女の声。
「黙れ!怪しい奴!」
前へ乗り出すラカンをマッシュが止めた。
「まあ、待て。どうやって部屋に忍び込んだものやら。ラカンが気づかなかったとはな」
「面目ないです」ラカンは渋い顔をする。
「なかなかの手練れと見た。そういう手練れを飼ってる者と言えば王族、そうだな?」
「直接お会いになってお確かめいただければ、と。裏に待たせておりますれば」
「ラカン、行って連れてこい」マッシュが手を振って指図する。
「いや、それってまずいでしょ?」ラカンとルウがハモった。
「はは、当分は動けんし、やることもない。良い退屈しのぎだよ」マッシュが笑う。
こう言い出したらマッシュは聞かない。ラカンとルウは諦めた。
しばらくして現れた三人を見て、マッシュは目を細める。
「これはこれは、サンデニ王国の姫君であらせられるかな?」
「こんな姿にやつしているが、我はサンデニ王国第四王子アインだ。いや、もう元かな。だから口調を改めた方が良いですね。無理を聞いて頂いてありがとうございます、マッシュ・アジャ殿」深々と頭を下げる。
ほほう、とマッシュは胸の中でアインを品定めする。第四王子は商談で館を訪れたとき、何度か見ている。特に印象はなかったが、娘の姿をしているといっても、確かに見覚えはある。今、十二才のはず。それにしては態度は臆せず、と言って王族を鼻に掛けた居丈高でもない。飄々として自然体。こいつめ、年の割になかなかのくわせ者だ、マッシュはそう結論した。
「殿下、いや、アイン・サンデニ殿、ご用の向きを伺いましょうか?」
おそらく、王国を出るまで密かに同行させて欲しい、といったところか。そう想像していた一同は斜め上を行く言葉に絶句した。
「私たち三人を雇ってくれませんか?」極上の笑顔でそう言ったのだ。
「いや、まあ、急なことですし、お互いを知るためにしばらくはお試しということでどうでしょう?私はこれでも読み書きや計算は得意です。それに王国や帝国に色々知り合いもおりますから、商売のお役に立てると思いますよ」
「国を取り戻すとか、ギヨンを討ち取るとかは考えてない、と?」
「つまらんです。しばらく王子をやったから言えるんですけど、私向きじゃない」
「商人になると言われるか?」
「アジャ殿は色んな国を旅するんですよね。ご一緒に色々見聞を広めてから何になるかを決めようと思います。いやー、王子って意外に不便でね、見聞きする範囲が狭いんですよ」
「ふうん?あなた方をギヨンに引き渡す、と言えば?」
「それは無理です」アインはパンとムイに目配せする。
瞬間、マッシュは首筋に何かを感じる。ムイが後ろから首筋に手刀を当てているのだ。
ラカンは剣を抜こうとして、背後からパンが手を伸ばし、剣の柄頭を押さえているのに気づいて驚愕する。いつ動いたのか全然分からなかった。
「あ、魔法は無駄です。詠唱が終わる前に」アインは手のひらを首の前で横に動かす。
「はい、二人とも、もう良いよ」
アインが手を振ると、パンとムイは音もなく壁際の影へ引き下がる。
「ね?二人とも凄腕でしょ?絶対お買い得です。おまけにムイはすっごく料理がうまいんです」アインは更に極上の笑顔でマッシュに迫った。
「お買い得か。王子の身分でそんなセリフ、どこで覚えたんですかね」マッシュは完全に毒気を抜かれて、ため息交じりに言うのがやっと。
「しょっちゅう館を抜け出して街をうろついてましたから。あ、身分隠して働いた事もあるんですよ。結構好きなんです、そういうの」
「タガがはずれてますな」
「いやー、それ程でも」
――褒めてねーよ!
突っ込みたい言葉を飲み込んで、マッシュはしばらく考える。
「ふっ……ふふふふ。いや、なかなか面白い。アイン・サンデニ殿、良い商人になれますよ。承知しました。試しに雇ってみましょう」
「会頭!良いんですか?」ラカンとルウがまたハモる。
確かに謀反直後、追われている王族を共にするのは非常に危険だ。しかし、見事な化けっぷりの三人は見た目、どうにも王族には見えない。
それを考え出し、落ち着き払ってやってのける少女――いや、少年にマッシュは惹かれた。従う二人の従者もただ者ではない。危険を冒す価値はあると考えたのだ。
「アイン・サンデニ殿はしばらくその姿で居てもらいましょう。そちらの武人には警護隊の衣装と甲冑を提供します」
それでアインはパンとムイを紹介し忘れていたのに気づいた。
――うわー、やっぱり緊張してたんだな。
「あ、こちらがムイ・トートズイ。それからパン・スギヤ」
二人は頭を下げる。
十日後、アジャ商会の一隊はやっと街を出発した。
二十台あまりの荷車を引くのは巨体の鎧竜。足は速くないが、太い四つ足は重い荷物を軽々と引いていく。両脇を革鎧の警護兵と荷物を担いだ人々が並んで歩く。
その中に炭を満載した背負子を担ぐ二人の少女の姿もあった。
「うー、重いなあ。これで一日中歩くのか。パンは楽で良いな」アインはこぼしまくる。
「自ら撒いた種です。それぐらいの荷物何ですか。男の子でしょ」ムイは容赦ない。
「今は女の子ですうー」
少し泣きの入っているアインだった。
―――ライカリア帝国・第四皇妃館―――
ラミ・ライカリア第四皇妃は本来、後宮に住まっている筈だった。
だが、第三皇妃と第四皇子毒殺事件が起き、ラミ皇妃が疑惑の的になっている。直接の証拠はないが議会の突き上げもあって、捜査が確定するまで王宮の近くにある館に事実上、押し込められた形になっている。
ラミ皇妃は完全にうまくやったつもりだった。毒を盛った侍女は何年も前から第三皇妃の元に送り込んでおいた。何人もの手を経てラミ皇妃との繋がりは絶対にたどれないはず。しかもその侍女は密かに消している。だが小さなミスがあった。使われた毒は、ラミの実家の領でしか入手できない物だったのだ。それが疑惑を呼んだ。
もちろん、ラミがそれを認めることはない。何者かが自分を陥れようと計ったのだと突っぱねている。
ケッテニー宰相は頭を抱える。ラミが皇妃である以上、明確な証拠がない今は取り調べすら困難だ。一通り通常の報告を済ませた後、宰相は皇帝にこの件を相談してみる。
「陛下からも色々聞いていただけませんかねぇ」
「嫌だよ、そんな面倒なこと。第一、アレが素直に言うことを聞くわけない」
「……そうですなー」ケッテニーはため息をつく。
「そもそもお前達がラミを押しつけたんだよ。他にも色々と」
「それにしてはしっかりお子をお作りになって」
「そりゃ、美味しそうな物がすり寄ってくれば、どうしたって手が出るではないか」
――皮肉も通じんか。ま、リ・シムレイテ皇帝とはこういうお人だったな。
何事も面倒がって全てを丸投げ。ある意味、非常に都合が良いんだが。
ケッテニーは気を取り直す。
――近々、決着はつけねばなるまい。
ラミはお茶を啜りながら暗い窓の外を眺める。月は無く、びっしりと広がる星々を背景に宮殿が影のように浮かぶ。
――あそこに戻れるのはそう遠くはないだろう。戻りさえすれば……
そう考えながら、ベッドでぐっすり寝ている少年を見て微笑む。
彼女の長子であり、第六皇子であるタオは八才。ラミに言わせれば他のどの皇子より利発で才能がある。ライカリア皇帝に必須の能力は運命への干渉。タオは明らかにその才能を備えている。その証は、二度に及ぶ毒殺、幾度もの襲撃を躱していること。そうラミは確信していた。
彼女の野望、タオを皇帝にすること。第六皇子では皇位継承はほど遠い。いつしかどす黒い陰謀を巡らすようになった。
――宮殿に戻ったら、まず何から手を付けようか。
考えている目の端に、ふと窓の外に動く影を見たような気がする。
それは彼女の直感だった。
素早く部屋の灯りを消す。
タオを起こし、部屋を出る。侍女が二人、剣を持って後に続く。
廊下の角で入り口を覗うと、黒い人影が数人、滑るように入って来るのが見えた。
――衛兵はどうした?さては、ケッテニーめ、謀ったな!
ラミは事態を悟って憤怒が胸中に渦巻く。
覚悟を決める。
だが、この子だけは。タオだけは無事に逃がさないと。
タオさえ生きていれば希望は残る。
「居ないぞ!逃げた!」
怒鳴り声がした後は、もう足音すら隠さず、追っ手が迫ってくる。
廊下を走る。ひたすら走る。
だが、足音は迫ってくる。
侍女の一人が向き直って剣を構える。
「行って下さい」
「すまぬ」
激しい剣戟の音を後ろに駆ける、駆ける。
と、前から三人の男が剣を持って迫ってきた。
もう一人の侍女は迷わずラミとタオを途中の部屋へ押し込み、男達に向かって突き進む。
押し込まれた部屋は厨房だった。
ラミは外に通じるドアを開け、タオを押し出す。
それからドアを閉め、壁に掛かっている大型の包丁を手に取る。
ドアの前に立って包丁を構えた。
すぐに廊下側の戸口から男達がなだれ込んでくる。
廊下の剣戟の音は既に無い。
「ふん、第三皇妃の者か」ラミが冷たく笑う。
「おう。妃殿下の無念、晴らさせてもらう」
言うなり、一人の男が剣を突き立ててくる。
ラミは避けようともせず剣を腹に受け、包丁を男の頭にたたきつける。
男は血しぶきを上げて倒れた。
ラミは冷ややかな表情で男達を睨めつけ、血まみれの包丁を構える。
剣の刺さったラミの腹部からは、みるみる血がにじみだし、滴り落ちる。
しばらく男達は固まった。
「何をしている、行け」
その声に男達ははっと気を取り直し、三人がかりで剣を振る。
ラミの包丁はその一人にはじかれ、二本の剣を受けてしまう。
――タオ、逃げて。
薄れていく意識の中で、その思いはもう声にならない。
ラミの体は血潮の中にゆっくりくずおれていった。
タオは走った。暗闇の中を恐怖で声も上げられずに。
すぐ目の前に壁が立ち塞がった。
左右から男達のわめき声が聞こえる。
どっちへ逃げようかと壁をまさぐっていると裂け目があった。
ぎりぎり体が通る幅。タオは体をよじいれる。
壁から出ると、すぐ前に大きな小屋が立ち並んでいた。
そのひとつに駆け寄る。木戸を開ける。
『ダレ?』
突然、タオの頭に声が響いた。
――助けて!誰か……
叫ぼうとしても声が出ない。
少しして、目の前に何か大きな物が居るのを感じる。
暗闇の中に青く光る二つの大きな瞳。それがタオをじっと見つめる。
「居たぞ!第六皇子だ」背後に男達の声が迫る。
男達の掲げる松明の光でタオの目前が照らされる。
そこに浮かび上がったのは巨大な飛竜の頭。頭だけでもタオより大きい。口から覗く鋭い牙は大人の腕ほどもある。タオのすぐ目前。鼻息を風のように感じる。
突然、タオの感情から何もかもが吹き飛んだ。恐怖も絶望も希望すら。
うつろな目で立ちつくすタオを、鋭い爪のある飛竜の翼が覆う。そして柔らかく抱くようにタオを包んで引き寄せる。タオは逆らわず体を任せた。
男達は立ち止まり、飛竜の前で逡巡する。目の前の出来事が信じられない。
『タチサレ。死ニタクナクバ』
男達の頭に声が響き、それと同時にくわっと開いた飛竜の口から咆哮が轟いた。
翌日、ケッテニー宰相はラミ皇妃襲撃の報告を受けた。
「襲撃犯はやはり第三皇妃の手の物か」
「は。大人しく縛につきました」
「生き残った者はおるか?」
「タオ第六皇子が逃れたのですが……」
「が?」ケッテニーは相手の戸惑った調子にまゆを上げる。
「竜舎に逃げ込みまして、その、中に居た飛竜が皇子を離そうとしないのであります」
「ん?皇子は逃れたと言ったな?」
「はあ、皇子はご存命で、飛竜に抱かれてお休みになっておられます」
「ああ?飛竜に抱かれて、だと?」ケッテニーが目をむく。
「竜の調教師によると、その飛竜は子供を亡くしたばかりで、我が子のように思っているのでは、とのことで。襲撃者も手が出せなかったそうであります」
ケッテニーは二の句が継げなかった。飛竜が人間の子供を我が子のように?そんな事は前代未聞。あり得ないと言って良かった。
――タオ第六皇子。もしや、運命を動かしたのか?
もしそうだとすると、皇位継承者の最有力候補になる。他の皇子で運命に干渉できた者はまだ居ないと報告を受けている。
――ラミ妃殿下、存外、あなたの願いは叶うのかも知れんな。
―――ギヌアード周辺:草原地帯―――
ギヌアード地方とはバハータ大陸中央部、山塊の南にある台地一帯を指す。草原と森、荒れ地が織りなす広大な地域だ。他の地域と異なるのは、膨大な魔素だまりが随所にあり、魔物が湧き出す所だ。この地方の中央部はまだ人が訪れたことが無い。
帝国からギヌアードに入ってしばらくは草原が続く。
その草原を十人ほど、走竜に乗って駆けて行く。その後をやはり十体ほどの魔物が追いかける。魔物は青黒い皮膚をテカらせた多足動物に見える。
ただし足の数はまちまちだ。大きさは走竜の二倍ほど。頭部にイソギンチャクを思わせる触手がゆらめく。
「くそっ!弓ははじかれるし、切っても殻が固い」
「こう追われると詠唱の暇も無い」
「何人やられた?」
「五人」
「とにかく、走れ!逃げ切るしか無いぞ」
「そうは言っても……」
最後尾の男が振り向いて脂汗を流す。魔物の触手がすぐ後ろに迫っている。
もうダメだ、と覚悟を決めたとき。
魔物の頭が砕け散った。
どおっと転がった胴体が隣の魔物をなぎ倒す。
見ると、五基の大きな矢じりに似た巨大な物体が地面すれすれをかすめて来る。その上に革鎧を装着した騎士が見える。みるみる魔物に近づくと、その先端から青白い光の塊が一斉に打ち出される。今度は何体もの魔物の胴体が真っ二つになった。
走竜に乗った男達が唖然として見守るうち、三度ほどこれが繰り返され、魔物は全て地面に破片を散らすだけとなる。
「無事ですか?」黒髪を編み上げにした華奢な女性が機上から声をかける。
「あまり無事とは言えんが、まあ、助かった!ありがとう」
「そんな装備でギヌアードに入り込むなんて無茶ですよ」
「これも任務でしてね。私はライカリア帝国魔道協会騎士、ニーディワング・ラクタ」
「私はカーサイレ・マンレオタ。マンレオタ騎士隊の隊長です」
「おお!貴女があの!」ニーディワングが目を見開く。
「『あの』って『どの』かしら?良い評判なら嬉しいけど」
――またイワーニャとの同時結婚の話ならごめんだわ。
カーサイレはちょっと顔をしかめる。
「伝説の帝国魔道騎士カーサイレ・サルマ卿を知らなきゃモグリですよ」
「ま、お上手。で、任務って何ですか」にこりともしないでカーサイレが聞く。
「一年前、ギヌアード当たりで膨大な魔力爆発があったらしく、その原因と影響を調べてるわけですよ。」
――まだ調べているのか。
そう思って内心舌打ちしたが、カーサイレは表情をまったく変えない。
「あれですか。随分経ちましたね。何か分かりました?」
「皆目ですよ。ただ、これだけ何もみつからないと、魔王復活は無さそうですが」
「魔王復活?」カーサイレのまゆがぴくっと動く。
――そんな話があったのか。シャニの事は絶対秘密にしなくちゃ。魔王認定されかねない。
「今回は仲間も随分失ったし、そろそろ切り上げ時かなと思ってます。あ、それ凄いですね。何なんですか?どこで手に入ります?」
ニーディワングがカーサイレの乗り物を指さして訪ねる。
「これはタークという魔道機で、マンレオタで作っています。他では手に入らないでしょう。魔素補充もギヌアードに近くないと難しいし」
「ほお……いくらぐらいで譲ってもらえるんですか?」
「一体、金貨五千枚」
「うえっ……」ニーディワングはがっくり肩を落とす。
――魔道協会長は絶対買ってくれないだろうな……
「マンレオタ領まで送ります。魔物を解体するので、少しお待ち頂けますか?」
「もちろんです、助かりますよ」
それからしばらく、ニーディワング達は魔物の解体を見守る。
カーサイレ達はタークのハッチから大きな鉈のような物を取り出し、手際良く魔物を捌いていく。殻を残し、手頃な大きさに切り取った肉をハッチに投げ込む。
「良く切れますねえ、あの鉈。矢もはじくし、剣も通らなかったのに」
「切断の魔法を付与してあるんです」
「何かに使うんですか?」
「殻は防具に使えるんです。軽くて鉄より丈夫。肉は竜達の餌と薬になります」
「薬ですか?」
「魔素切れの時の回復薬になるんです。私は直接食べます。意外に美味しいですよ」
それで、ニーディワングは思い出す。そうだ、カーサイレ・マンレオタ卿は魔人だった。
カーサイレ達はタークに積めるだけ積み込んだ後、残骸に火をつけて燃やし尽くす。
そのはるか上空を飛竜に乗って飛んでいる少女には誰も気づいていない。
長い銀髪をなびかせ、白くはためく衣装に身を包んだその目は黒くくぼみ、その底には妖しく赤い光が揺らめいている。
「魔力爆発か。あのくそ魔女に違いないな。どこに転生したのか、はたまた召喚されたのか。こうも痕跡を残さないと見当の付けようも無いか。しかし」
少女はにやりと邪悪な笑いを浮かべる。
「場所は絞り込めた。後はいぶり出すか」
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