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物語は続くよ どこまでも
閑話・宰相府の穏やかならざる午後・前編
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私が宰相府で働き始めて十二年が経つ。
騎士養成学校を三位で卒業したが、騎士団には入らず文官の道を選んだ。
成績は良くても自分は人と真剣で戦うことが出来なかった。
訓練と実戦は違う。
教官は残念がっていたが、合わないものは仕方ない。
書類仕事は自分に合っていた。
粛々と処理して未決箱の中が空になるのは楽しい。
上司の覚えも良かったが、何故か一年ごとに職場が変わる。
何か失態でもしたのかもと不安だったが、辞令には逆らえない。
あちこちの職場をたらい回しにされながらも結婚し、二人の子供に恵まれた十年目。
私は宰相府に配属された。
「素晴らしいですわ。宰相府は経験を沢山積まないと配属されないと聞いています。それをまだ三十にもならない旦那様が。最年少での宰相府入り、おめでとうございます」
妻は殊の外喜んでくれた。
幼い子供たちも意味は解っていないのだろうが、お父様すごい、お父様おめでとうございますと一緒に祝ってくれた。
そしていくつもの省庁を回っていたのは、広い目と知識を身に着けるためだったと知った。
実際、入府してみると今まで経験が仕事に生かされてきたのだから。
指導してくれる先輩も優秀な人たちで、その仕事を横で見ているだけで勉強になる。
何よりも宰相、スケルシュ伯爵の手腕が見事だ。
難しい案件もスルスルと解決してしまうし、我々部下にも無駄な仕事をさせない。
風通しも良く仕事のしがいがある。
宰相府内の雰囲気はとても良かった。
それがある日突然終わってしまった。
「私は一か月後に神の身元に行く。次の宰相職にはとりあえず皇配殿下に就いていただく」
宰相スケルシュ閣下がそう言って殿下に引継ぎを始めた。
仕事の采配をしながらの宰相教育。
かなりの詰め込み方式で、殿下の顔は引きつっていた。
閣下は次代の宰相を育てていると聞いたが、その前にご自分の寿命が来てしまったらしい。
だから皇配殿下は『とりあえず』中継ぎの宰相で、いずれスケルシュ閣下の育てた人物が宰相位に就くのだろう。
そして宰相閣下は本当に一ヵ月後に鬼籍に入られた。
◎
宰相府は変わってしまった。
訳の分からない書類仕事が増えた。
仕事は朝から晩まで途切れることがなく、宿直室に泊まる日も増えた。
寝る場所がなく、宰相府の床に毛布を敷いて寝ることもある。
これは新たに宰相になられた皇配殿下の采配の悪さが原因だ。
持ち込まれる仕事は精査することなく職員に割り振られ、誰にどんな仕事がどれだけの量を任されているのか把握していない。
それだけでなく、殿下は隙あらば女帝陛下に会いに行こうとされる。
仕方ない。
それまで皇配として陛下より目立たないよう、陛下のお傍にいつも依りそうよう求められていたのだから。
きっと長く陰に隠れすぎていたのがいけなかったのだろうか。
宰相府は陛下の執務室から一番遠い場所に移動になった。
その結果書類のやりとりに時間がかかり、仕事はさらに山積みになった。
それから二年。
とんでもない事件が起こった。
低位貴族の令嬢を育てる女学院での醜聞だ。
そして長期に渡る不正を暴いたのは、まさかのダルヴィマール侯爵令嬢だった。
まだ幼い身で身分を隠して潜入し、膨大な証拠を集め逐一『暗闇参謀』と呼ばれる宰相府相談掛スケルシュ夫人に報告し、最後は自ら負傷してまで摘発のきっかけを作った。
聞けばスケルシュ卿が次代の宰相にと育てていたのはこのご令嬢だと言う。
瓦版が連日この事件について触れ回っている。
『魔王の片腕』
『宗秩省総裁の懐刀』
『暗闇参謀の愛弟子』
『女神の愛し子』
恐ろしい二つ名がありながら、自分を嘲笑い虐げていたかつての同級生の行く末に心を痛める『慈愛の姫』。
そんな少女が私の娘と同い年とは。
彼女は『成人の儀』を終え次第この宰相府に出仕するだろう。
それは数年後のこと。
その日が来るのが楽しみだ。
『女学院の闇事件』絡みで王城内は混乱した。
成績操作で仕事の出来ない卒業生が何年にも渡り侍女として送り込まれていた。
彼女たちは一斉解雇になった。
また大規模な開拓計画で何人もの文官が姿を消した。
中には騎士も含まれていた。
人手の足りなくなった王城に手を貸したのは、これもまたダルヴィマール侯爵家だった。
王都別邸や領都本宅から優秀な侍女や侍従を集めて送り込んできた。
おかげで日常生活は問題なく送ることができるようになった。
時を同じくして、宰相府にも見習いが一人配属された。
朝礼で紹介されたとき、職員全員があんぐりと口を開けてしまった。
年若い女性だった。
膝が隠れるくらいの短いメイド服からは、すらりとした素足が惜しげもなくさらされている。
艶消しのような茶色い髪は耳の後ろで二つに結ばれている。
少し色のついた眼鏡で容貌はよくわからない。
王城で働くことが出来るのは成人してからだから、多分十六は超えているのだろうが、小さく華奢な身体は実年齢よりも幼く見える。
「彼女はダルヴィマール侯爵家からの出向です。間違っても掃除やお茶など頼まないように。この服装はダルヴィマール家の見習い侍女の制服です。邪な目で見るようなことがあれば、侯爵家が黙っていませんよ」
面倒ごとは嫌いです。
宰相殿下はそう言って執務室に引きこもった。
「どうぞよろしくお願いいたします。あの、私は何をしたら良いでしょうか」
小首をかしげて訊ねる新人に、取り敢えずいつもの見習い仕事でもやらせておけばいいかとそれぞれ自分たちの机を攫うことにした。
それが後でとんでもないことになるとも知らずに。
騎士養成学校を三位で卒業したが、騎士団には入らず文官の道を選んだ。
成績は良くても自分は人と真剣で戦うことが出来なかった。
訓練と実戦は違う。
教官は残念がっていたが、合わないものは仕方ない。
書類仕事は自分に合っていた。
粛々と処理して未決箱の中が空になるのは楽しい。
上司の覚えも良かったが、何故か一年ごとに職場が変わる。
何か失態でもしたのかもと不安だったが、辞令には逆らえない。
あちこちの職場をたらい回しにされながらも結婚し、二人の子供に恵まれた十年目。
私は宰相府に配属された。
「素晴らしいですわ。宰相府は経験を沢山積まないと配属されないと聞いています。それをまだ三十にもならない旦那様が。最年少での宰相府入り、おめでとうございます」
妻は殊の外喜んでくれた。
幼い子供たちも意味は解っていないのだろうが、お父様すごい、お父様おめでとうございますと一緒に祝ってくれた。
そしていくつもの省庁を回っていたのは、広い目と知識を身に着けるためだったと知った。
実際、入府してみると今まで経験が仕事に生かされてきたのだから。
指導してくれる先輩も優秀な人たちで、その仕事を横で見ているだけで勉強になる。
何よりも宰相、スケルシュ伯爵の手腕が見事だ。
難しい案件もスルスルと解決してしまうし、我々部下にも無駄な仕事をさせない。
風通しも良く仕事のしがいがある。
宰相府内の雰囲気はとても良かった。
それがある日突然終わってしまった。
「私は一か月後に神の身元に行く。次の宰相職にはとりあえず皇配殿下に就いていただく」
宰相スケルシュ閣下がそう言って殿下に引継ぎを始めた。
仕事の采配をしながらの宰相教育。
かなりの詰め込み方式で、殿下の顔は引きつっていた。
閣下は次代の宰相を育てていると聞いたが、その前にご自分の寿命が来てしまったらしい。
だから皇配殿下は『とりあえず』中継ぎの宰相で、いずれスケルシュ閣下の育てた人物が宰相位に就くのだろう。
そして宰相閣下は本当に一ヵ月後に鬼籍に入られた。
◎
宰相府は変わってしまった。
訳の分からない書類仕事が増えた。
仕事は朝から晩まで途切れることがなく、宿直室に泊まる日も増えた。
寝る場所がなく、宰相府の床に毛布を敷いて寝ることもある。
これは新たに宰相になられた皇配殿下の采配の悪さが原因だ。
持ち込まれる仕事は精査することなく職員に割り振られ、誰にどんな仕事がどれだけの量を任されているのか把握していない。
それだけでなく、殿下は隙あらば女帝陛下に会いに行こうとされる。
仕方ない。
それまで皇配として陛下より目立たないよう、陛下のお傍にいつも依りそうよう求められていたのだから。
きっと長く陰に隠れすぎていたのがいけなかったのだろうか。
宰相府は陛下の執務室から一番遠い場所に移動になった。
その結果書類のやりとりに時間がかかり、仕事はさらに山積みになった。
それから二年。
とんでもない事件が起こった。
低位貴族の令嬢を育てる女学院での醜聞だ。
そして長期に渡る不正を暴いたのは、まさかのダルヴィマール侯爵令嬢だった。
まだ幼い身で身分を隠して潜入し、膨大な証拠を集め逐一『暗闇参謀』と呼ばれる宰相府相談掛スケルシュ夫人に報告し、最後は自ら負傷してまで摘発のきっかけを作った。
聞けばスケルシュ卿が次代の宰相にと育てていたのはこのご令嬢だと言う。
瓦版が連日この事件について触れ回っている。
『魔王の片腕』
『宗秩省総裁の懐刀』
『暗闇参謀の愛弟子』
『女神の愛し子』
恐ろしい二つ名がありながら、自分を嘲笑い虐げていたかつての同級生の行く末に心を痛める『慈愛の姫』。
そんな少女が私の娘と同い年とは。
彼女は『成人の儀』を終え次第この宰相府に出仕するだろう。
それは数年後のこと。
その日が来るのが楽しみだ。
『女学院の闇事件』絡みで王城内は混乱した。
成績操作で仕事の出来ない卒業生が何年にも渡り侍女として送り込まれていた。
彼女たちは一斉解雇になった。
また大規模な開拓計画で何人もの文官が姿を消した。
中には騎士も含まれていた。
人手の足りなくなった王城に手を貸したのは、これもまたダルヴィマール侯爵家だった。
王都別邸や領都本宅から優秀な侍女や侍従を集めて送り込んできた。
おかげで日常生活は問題なく送ることができるようになった。
時を同じくして、宰相府にも見習いが一人配属された。
朝礼で紹介されたとき、職員全員があんぐりと口を開けてしまった。
年若い女性だった。
膝が隠れるくらいの短いメイド服からは、すらりとした素足が惜しげもなくさらされている。
艶消しのような茶色い髪は耳の後ろで二つに結ばれている。
少し色のついた眼鏡で容貌はよくわからない。
王城で働くことが出来るのは成人してからだから、多分十六は超えているのだろうが、小さく華奢な身体は実年齢よりも幼く見える。
「彼女はダルヴィマール侯爵家からの出向です。間違っても掃除やお茶など頼まないように。この服装はダルヴィマール家の見習い侍女の制服です。邪な目で見るようなことがあれば、侯爵家が黙っていませんよ」
面倒ごとは嫌いです。
宰相殿下はそう言って執務室に引きこもった。
「どうぞよろしくお願いいたします。あの、私は何をしたら良いでしょうか」
小首をかしげて訊ねる新人に、取り敢えずいつもの見習い仕事でもやらせておけばいいかとそれぞれ自分たちの机を攫うことにした。
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