上 下
140 / 461
王都・オーケン・アロンの陰謀 ? 編

お嬢様はお怒りのようです

しおりを挟む
「お前、エイヴァンだな」
「はい、いかにも私の名前はエイヴァン・スケルシュで間違いございませんよ」

 黒髪の侍従はニヤッと笑うと、軽ろやかに馬車後部に立つ。

「出発を」

 鐘の合図とともに可愛らしい馬車が静々と進んでいく。
 それを見送ってグレイス副団長は急ぎ近衛の隊舎に戻った。



 グレイス公爵は湿布やら包帯やらで、なかなか痛々しい姿でソファに横たわっていた。
 
「やりすぎだろう、バルドリック。かなり痛むんだが」
「自業自得だ、親父殿。おかげで嫁候補に逃げられたぞ」
「はあ ?」

 公爵は顔を冷やしていた布を離して起き上がった

「どっちだ」
「あんたがお触りしたほうだ。エロ爺の娘になるのは嫌だと皇后陛下の前で泣いて断られた。どうしてくれる」
「・・・すまん」

 ソファに座りなおした公爵は息子にペコリと頭を下げた。

「令嬢のほうもいいんだが、あのメイドは未完成な分、鍛えがいがありそうだ。気の強さがたまらない。いい選択だな」
「だから断られたと言ってるだろうが。ところでご令嬢の近侍だが・・・」

 水差しを口にあててゴクゴクと飲み干した公爵はグイっと腕で口元を拭く。

「エイヴァンがいたな」
「気がついていたのか、親父殿」
「ああ、あの剣筋は間違いなく『疾風はやて』由来のものだからな。すぐわかった」

 生活魔法で再び水差しを満たすと、今度はちゃんとコップを使って飲む。

「なんだ、その『疾風はやて』ってのは」
「私が子供の頃に活躍していた冒険者のあだ名だ。本名は・・・忘れた。40年以上前だからな。引退してすぐ、地元に帰る前に近衛の訓練場で剣技を見せてもらった。私は十にもならない子供だったが、その鮮やかな剣に見とれてしまったよ。なんとかあの域に近づきたいと思ったが、無理だったなあ」
 
 目を閉じればあの日の興奮を思い出す。
 引退するくらいだから。最盛期はどのくらい凄かったのか。
 細身の体から繰り出される無駄のない動きと鋭い剣筋。
 あんな剣を振いたい。
 そう思って鍛錬を続けてきたが、気づけばあの人が引退した年を追い越してしまった。

「多分エイヴァンはあの人の玄孫やしゃご弟子くらいなんじゃないかと思うぞ。そしてルチア姫も含めて稽古をつけたのがエイヴァンだろう。全員同じ剣筋だ」
「なかなかに凄い腕だったな、親父殿」
「ルチア姫の剣は迷いがない。あの優雅な動きは一番あの人に近い。赤毛の少年の方は守りの剣だな」
「ああ、最低限の攻撃で確実に武器をはじいていた。それにアンシア殿以外はかなり手を抜いていた。それで負けてるんだから、もう少し鍛えなおさなくてはな」

 さて、帰るかとソファから立とうとする公爵。
 それを押しとどめる息子。

「母上から伝言だ。宗秩省そうちつしょうの沙汰が出るまで帰ってくるなとさ。しばらく顔を見たくないそうだ」
「なんだと ? ミアちゃんがそんなことを ?!」

 公爵の顔色がサッと変わる。

「おい、いい加減に自分の妻をちゃん付けで呼ぶのはやめろ、気持ちが悪い」
「何を言う。呼び続けて五十余年。今さら変えられるか」

 またはじまった。
 団長付きの副官と事務官があきれ顔で机の書類を片付ける。
 今日はもう仕事にならないな。
 何日かに一度繰り広げられる親子漫才を無視して、部下たちはサッサと帰り支度を始めた。



 翌日、バルドリック・デ・デオ・グレイス公爵子息はダルヴィマール侯爵家のドアを叩いていた。

「ようこそお越しくださいました、副団長様」

 案内された居間にルチア姫がにこやかに入ってきた。
 副団長は立ち上がり礼で迎える。

「本日は昨日さくじつの父の蛮行の謝罪に参りました。アンシア殿はどちらに ?」
「・・・実は昨日さくじつから発熱して休んでおります」

 原因はあれしかない。
 グレイス副団長は深々と頭を下げる。

「この度は御一行への強襲、姫の近侍への無体な振舞い、申し開きの余地もございません。ただいまは宗秩省そうちつしょうの沙汰を待っているところではありますが、当家で出来ることであればいかほどのものでも受け入れます。もちろん、昨日さくじつの婚姻申し込みを撤回するつもりもございません」
「婚姻申し込み ? そのようなこと、いつなさったのですか ?」

 ルチア姫は不思議そうな顔をしている。

「もしや姫はこの国の婚礼事情をご存知ではない ?」
「主は外国とつくにの出でございますゆえ」

 こげ茶の髪の侍女が良い香りの茶を差し出しながら言う。
 バルドリックはまずそこから説明しなくてはいけないかと座りなおした。



「そうですか。あれが婚姻申し込みだったのですか。だからアンシアは戸惑っていたのですね」
「残念ながら断られてしまいましたが」

 納得がいったという顔でルチア姫が聞いてきた。

「副団長様は・・・」
「バルドリックとお呼びください」
「・・・バルドリック様は何故アンシアにプロ・・・申し込みをなさったのですか。彼女は平民でシジル地区の出身です。皇室の血筋である公爵家とは月と亀ほどの差があります。責任を取るとおっしゃっても、貴族社会であの子がどんな扱いを受けるか。それにこの後あなたに真に愛するお方が出来たらどうなさいますか」

 ルチア姫の瞳が私の侍女を娶るだけ娶って、お飾りの形だけの妻にするのかと聞いている。

「姫、父の恥ずべき行いの責任は取らねばなりません。だからと言って、生涯を共にしたいと思わないご婦人に申し込みをすることはございません。私はアンシア殿の主を思う気持ちに胸を打たれました」
「怒っただけですけれど」

 ルチア姫が扇子で口元を隠し肩をすくめる。

「我がグレイス家は代々近衛を束ねる役目を担っております。その妻が自ら剣を手に取ることもできず、誰かに守られて隠れているような女人にょにんであってはならないのです。夫の帰りをまつ間、屋敷を守り、王宮を守り、王都の人々を守ることが出来るような、大きな器を持つ女性こそが我が家の女主人あるじに相応しい。アンシア殿こそがそうであると判断しました」
「・・・バルドリック様はおいくつですか」
「28になりますが」

 ルチア姫は深いため息をつくと困ったような顔をした。

「アンシアは私と同じ16才。彼女の人生は始まったばかりです。これからたくさんの事を経験して、学んで楽しんで、自らの手で未来を切り開いていこうとしているのに、主であるわたくしがその全てを捨てて一回りも年上の方に嫁げと命じることはできません」

 考えられないと言いたげに姫が首を横に振る。

「彼女の人生は彼女のものです。謝罪のための求婚はおやめください。そして我が家への謝罪であれば両親に。若い騎士様方のことでしたら、多少は楽しめましたから特に何も望みません」
「ルチア姫・・・」
「お話はこれでお済みでしょうか ?」
「姫っ ! エイヴァン、助けてくれっ !」

 歩きかけたルチア姫の足が止まった。

「スケルシュさん、お知り合い ?」
「はい、駆け出しの頃のですが」
「では積もるお話もあるでしょうから、ゆっくりなさってくださいな。そうそう、次はもう少しお強い方をお願いいたしますわ。中途半端に体を動かすのは好みません」

 それではわたくしはこれで、と言ってルチア姫は侍女を連れて部屋を出ていく。
 その後ろ姿ははっきりと『とっとと帰りやがれ』と言っていた。

================================
お読みいただきありがとうございます。
ストックがきれましたので、次回からは奇数日の朝の更新になります。
よろしくお願い申し上げます。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

姫騎士様と二人旅、何も起きないはずもなく……

踊りまんぼう
ファンタジー
主人公であるセイは異世界転生者であるが、地味な生活を送っていた。 そんな中、昔パーティを組んだことのある仲間に誘われてとある依頼に参加したのだが……。 *表題の二人旅は第09話からです (カクヨム、小説家になろうでも公開中です)

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

転生をしたら異世界だったので、のんびりスローライフで過ごしたい。

みみっく
ファンタジー
どうやら事故で死んでしまって、転生をしたらしい……仕事を頑張り、人間関係も上手くやっていたのにあっけなく死んでしまうなら……だったら、のんびりスローライフで過ごしたい! だけど現状は、幼馴染に巻き込まれて冒険者になる流れになってしまっている……

土属性を極めて辺境を開拓します~愛する嫁と超速スローライフ~

にゃーにゃ
ファンタジー
「土属性だから追放だ!」理不尽な理由で追放されるも「はいはい。おっけー」主人公は特にパーティーに恨みも、未練もなく、世界が危機的な状況、というわけでもなかったので、ササッと王都を去り、辺境の地にたどり着く。 「助けなきゃ!」そんな感じで、世界樹の少女を襲っていた四天王の一人を瞬殺。 少女にほれられて、即座に結婚する。「ここを開拓してスローライフでもしてみようか」 主人公は土属性パワーで一瞬で辺境を開拓。ついでに魔王を超える存在を土属性で作ったゴーレムの物量で圧殺。 主人公は、世界樹の少女が生成したタネを、育てたり、のんびりしながら辺境で平和にすごす。そんな主人公のもとに、ドワーフ、魚人、雪女、魔王四天王、魔王、といった亜人のなかでも一際キワモノの種族が次から次へと集まり、彼らがもたらす特産品によってドンドン村は発展し豊かに、にぎやかになっていく。

異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?

お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。 飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい? 自重して目立たないようにする? 無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ! お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は? 主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。 (実践出来るかどうかは別だけど)

処理中です...