地味に見せてる眼鏡魔道具令嬢は王子の溺愛に気付かない

asamurasaki

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十二話 私の愛する人を害そうとする者は絶対許さない ①

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 気がかりな話が終わったからか、皇帝はそそくさと茶の入った杯を空けた。
 もともと定例の訪問の時でさえこの父親の滞在時間は短いらしい。今回は胸のつかえが取れたせいか、それとも銀月に耳の痛い話をされたからか、早くも皇帝は椅子から腰を浮かせかけていた。

「迎えを呼びますよ」

 銀月は戸口に控えたままの白狼を振り返った。しかし皇帝はそれを手で制する。そしてにんまりと笑みを浮かべると顎のひげを撫でた。

「今日はよい。この後、永和宮えいわきゅうに行くと先触さきぶれを出しているのでな。このまま歩いて行こうと思っている」
「永和宮までおひとりで行かれるのですか? では、お見送りにしゅうを付けましょう」
「おおそうか、助かる」
「門までお送りいたします。白狼」

 後宮に来たついでに他の妃嬪ひひんに会っていくらしい。その話題になった途端に顔が若々しく輝いているから現金な者である。
 永和宮は誰の住む宮だったか。少なくとも皇后と貴妃の宮ではない。つい先ほど皇后が、貴妃がと怯えていたはずなのに舌の根も乾かぬうちに、と白狼は心底呆れかえりながら人払いで締め切っていた扉を開ける。
 立ち上がった皇帝は、「では健勝けんしょうで」とだけ告げると白狼のいるほうへと歩き出した。もちろん白狼は拱手こうしゅしながら頭を下げてそれをやり過ごす――はずだった。
 
「そこの宦官は新しい顔だが、先日の銀月についていたな……ん?」

 ただ目の前を通りすぎるだけのはずの皇帝が、ふと足を止めたのだ。おやと言われて伏せていた目をちらりと上げれば、眼前に皇帝の顔が迫っている。まるで見分するかのように皇帝の目がまじまじと白狼の顔を見つめていた。

「ほう……ほう」
「父上? この者がなにかご無礼でも?」
「いやいや、そうではなく……」

 そういうと皇帝は更に白狼に顔を近づけた。小さな白狼の顔に皇帝の顔が近づいているということは、皇帝の方が腰をかがめているのだろう。息がかかるほどに近づかれ、気圧けおされたように白狼が後ずさる。
いや、気圧されたのではない。皇帝の衣にめられた甘ったるい香のにおいと、年配の男によくある吐息の臭気に圧されたのだ。本能的に体が反り返るのを止められず、白狼はまた一歩後ずさった。
 一体なんのつもりだ。耐えかねた白狼が思わず怒鳴りつけてしまいそうになった時、なるほど、と皇帝が体を起こした。

「なんじゃ。そなた、おなごか」
「げ」

 自制できず白狼の口から異音が漏れる。しかしほぼ同時に銀月の口からも同じような音が漏れていた。翠明に聞かれていたら拳骨を落とされ半刻ほど小言を言われるような出来事である。
 しかし皇帝はそんな二人の様子など意にも介さず、ほうほうなるほどとためつすがめつしながら長く垂らした顎鬚あごひげでつけた。
 その目つきがやけに粘っこく絡みつき、白狼の背に怖気おぞけが走った。着物越しに眺められているはずなのに、なぜか丸裸にされている気さえする。
 端的に、気色悪いと思った。それなのにいつものように口汚く退けることができないのはなぜか。本音でいえば一目散に自室へ逃げ帰りたい。
 
「随分と年若く見えるが、乙女の年ごろにも見えるのう。何故に男のふりをして宦官などになっているのだ」
「ち、父上! お待ちくださいこれには少々訳がございまして」
「訳? まあ訳もなくこんなことはしないだろうが、それにしてもなぜ宦官なのだ。女官として雇いあげればよかろうに」

 ようやく見分に納得がいったのか、皇帝は白狼に向かって尋ねた。直答じきとうをしてよいものかどうか、躊躇ためらう白狼に代わり銀月が口を開く。普段より一割増ほど早口なのは、冷静沈着な姫君の振る舞いを心がけている彼としては珍しい。
 銀月は白狼を背に隠すように二人の間に分け入った。細い体ではあったが、直接皇帝の目に晒されなくなり白狼の口からほっと安堵のため息が漏れた。
 しかし皇帝の興味は白狼かられることはなかった。銀月の肩越しに顔をのぞき込まれ、白狼の我慢もそろそろ限界近くなってくる。

「おお、よく見たら中々に見目みめも悪くないではないか。ますますなぜ宦官などに扮しておるのか」
「いつかゆっくりご説明いたしますから」
「なんじゃ、銀月の側女そばめか? 確かにお前ももう十五じゃ。側女の一人や二人……」
「違います!」
「違うわじじい!」

 室内に白狼と銀月の本気の怒鳴り声が響いた。白狼の声ばかりでなく銀月の側もいつもの作り声ではない。声変わりした直後の少年の、ほんの少し掠れた低音に一喝され皇帝がわずかに怯んだ。
 が、怯んだのはほんの一瞬だ。この男の好色ぶりは生来のものなのだろう。息子に叱られたくらいではその欲を抑えることができないらしい。にんまりと目を細めると、皇帝は銀月の肩越しに白狼の頬に手を伸ばした。冷たい爪先が皮膚に触れ、ぞくりと白狼の背筋が凍りつく。

「側女ではないのか、もったいないのう……」

 白狼が固まっていると、皇帝は懐から一本のかんざしを取り出した。金色に輝くそれは、大きな碧色の珠がはめ込まれておりその周りをいくつもの蝶が舞うという繊細な彫刻がなされている。相当に腕のある職人に作らせたものだろう。それを目のまえでちらつかせながら、皇帝は白狼にまた顔を近づけた。

「このかんざしが似合う着物を着せてやろう。儂の側で働かぬか。望めば妃にしてやることもできるぞ」
「父上!」

 銀月が父親の手を払いのけた。公的な場であれば決して許されない行為だが、ここは銀月の宮であり人払いもしている極めて私的な空間である。それを分かっているのか皇帝はそれを咎めず、いやはやと眉を下げた。

「ご無体むたいな真似はもうおやめください! おい、陛下がお帰りだ!」

 周、と銀月が表に向かって声を荒げた。主の機嫌が伝わったのだろう。中庭の向こうからバタバタと周が駆けてくる。そして皇帝と銀月の前まで来ると、作法通りに素早く膝を折った。
 周が姿を現し、人払いの時間が終わった事を理解したかのように皇帝の表情と姿勢が威厳のある風に変化した。それまでの粘っこい好色気な表情はなりを潜め、ひざまずく護衛宦官に鷹揚おうように頷いている。
 「豹変」といえる変わりように白狼は驚きながらもほっと胸をなでおろしていた。
 しかしあからさまに安堵していると思われるのも癪であり、銀月にかばわれている様を周に見られるのも腹立たしい。すぐさま自分も膝を折ってその場に平伏してみせたが、それでも銀月の隣から離れることができなかった。

「これより陛下がお帰りになる。この後は永和宮へご訪問になる予定とのこと故、お送りして差し上げよ」
「はっ」

 普段より厳しい声で告げる銀月の命令に、忠実な護衛宦官はただ一声で応じた。そしてそのまま、皇帝は何事もなかったかのように一度も振り返らず宮を後にしたのだった。
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