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EX05
箱根・日光・鬼怒川クルーズトレイン06
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“スペーシアはこね”は、りんかい線新木場駅で一旦停止した後、ゆっくりとJR京葉線との連絡線の勾配を登り始めた。
すぐ横には地下鉄有楽町線のホームがあるが、あいにく壁で隔絶させているので東武車が止まっていても並びは撮れない。
…はずなのに、少しでも見えないかと、奈美さんは窓に張り付いて凝視している。
本当に東上線絡みだと全てのことを後回しにする、根っからの東上線フリークなのだ。
やがて京葉線と合流し、高架線路の幅が狭まったところで、下の方に東京メトロの新木場検修区が見え、東武9000系が留置されているのが確認できたらしい。
もっとも車内はアテンダント兼用のツアコンが車内放送で、進行方向右側に東京湾が一望できると告げ、参加者のほとんどはスペーシアの車窓から見る初めての東京湾に歓声をあげていた。
今日のハイライトだから当然だが、このコースは非公開なので参加者のほとんどが驚いていた。
「うん! さすがにこのルートだと満足できるわぁ~」
奈美さんがご満悦。
「すごいですよね」
通路を挟んで反対側にいたライバル誌の編集員が奈美さんに声をかけてきた。
「うんうん。できれば不定期でいいから、また走って欲しいですよね」
「そうですね。スペーシア湾岸とか名前つけてね」
その編集者もなかなかノリがいい。
ただし、当然のごとく奈美さんが感激してるのは、東京湾のことではないが…。
その後、“スペーシアはこね”は武蔵野線を経由して大宮貨物線へ入り、大宮からは通常の“スペーシアきぬがわ”のルートをなぞっていった。
変わって、昨日JR新宿駅を同時刻に発車した小田急60000系MSE“ロマンスカー日光”は、東武日光駅に到着後東大宮のJR車両基地まで回送され、今朝早くに宇都宮で折り返してJR日光線の日光駅まで送り込まれていた。
JR日光駅を発車し、宇都宮駅でスイッチバックして東北線を南下、大宮からは武蔵野線で府中本町を抜けて武蔵野南線に入る。
武蔵小杉駅の先で湘南新宿ラインのルートに合流し、こちらは横浜駅を通ってJR小田原駅に到着する。
参加者はバスで強羅に向かうが、途中美術館を経由するルートだ。
最終日はまた2ルートに分かれて、ケーブルカーとロープウェイ、海賊船に乗ってバスで箱根湯本駅に向かう。
もう一方は箱根登山鉄道で箱根湯本駅に向かった後、バスでかまぼこ工場見学。
そこで昼食をとり、再びバスで箱根湯本駅に戻ることになっている。
“ロマンスカー日光”は箱根湯本駅から通常ルートで小田急新宿駅に戻ることになっている。
「奈美さん最終日はどういうルートなんですか?」
「バスで中禅寺湖や華厳の滝、東照宮をめぐって、日光から乗車よ」
「… …ツアーのルートのことじゃないんですが…」
知ってて、わざと言ってることぐらい分かる。
奈美さんは仏頂面してるけど、最終日も俺の草案とは違うことはわかった。
「俺たちはバスツアーには参加しませんよね? 発車までどうします?」
「…何言ってるのよ。やることは山ほどあるじゃない。土休日なんだからSL大樹が走るのよ? 撮影スポットで2本は撮れるわ。駅の近くなら3本いけるわね」
「へ?」
「新高徳や大桑付近はもう撮り尽くしてるから、小佐越あたりから歩いてみようか?」
「え? この大荷物抱えて?」
「先に下今市に行って、ロッカーに入れればいいじゃない。小佐越まで戻って歩けばバス待つより楽だと思うけど?」
奈美さんはことも無げに言ってのけた。
…という事で、最終日は下今市駅を午前9時33分に発車するSL大樹を撮るために、7時過ぎに鬼怒川温泉駅を発車する特急きぬに乗る事になった。
バスツアーに参加しないから、朝はゆっくり温泉に使ってから出発しようと思ってたのに…。
さすがに東武沿線で奈美さんと一緒だと“ゆっくり”はできないらしい。
肝に銘じておこうと俺は思った。
SL C11が2両体制になったおかげで、1日4往復となった“SL大樹”。
日光線へも“SLふたら”として運行を開始した。ちなみにひらがなだと分かりにくいが、“ふたら”とは東照宮の横にある日光二荒山神社から命名されている。とても日光らしいネーミングだ。
補機として最後尾に連結されているDE10も、最初のDE10 1099号機は国鉄時代の標準塗色だが、増備されたDE10 1109号機は、北海道で活躍したDD51北斗星用牽引車の塗色を模したスペシャルカラーだ。
さらに復元中のC11 1号機が入線すれば、将来的に安定した“SL大樹“の運行が可能となる。
「奈美さん。どのあたりで撮ります?」
「新高徳の方に向かうわ。途中に幾つかのスポットがあるけど、できればいつもとは違ったアングル狙いたいしね」
「いつもとは…」
そんなに来てるならわざわざ忙しく動き回らずに、撮影目的に来た時にゆっくり腰据えて撮ればいいのに… …などとは、口が裂けても言えない。
ところが歩き出してすぐに奈美さんは歩道脇の階段を下り始めた。
「どこに行くんですか?」
「向こう側から撮るわ。この地下道を通れば向こうの側道に渡れるのよ」
「へ?」
そういえば、一段下がったところにある線路のさらに向こう側には、線路に沿って割と広い道路が見えた。
「いつも俯瞰気味だったから、ここならちょうど見上げるようなアングルで迫力出せるのよ」
そういえば、よく見かけるSL大樹の画像は、駅撮りか狭い堀割りのカーブを上から見下ろしているアングルが多い。もしくは鉄橋だが、トラスのない鉄橋は新高徳駅側の鬼怒川鉄橋だけだが、もちろん撮り尽くされた感が否めない。
「今まで、列車の中からはこの辺りがいいかなと思っていたのに、なかなか来るチャンスがなかったのよ」
線路際に歩道があるから安心して撮影できそうだが、逆に近すぎてシャッターチャンスが少なそうだ。
もっともプロのカメラマンだから、ターゲットのポイントは抑えているだろう。
まあ、そんなに歩かずに済んでよかったと思うことにした。
間もなく、山間にジョイント音が響いてきた。
「来たわね。準備いい?」
「はい」
俺は奈美さんの背後で交換するカメラを抱えていた。
まずは70-300mmズームで正面気味に数カット連写。100mあたりで15-35mmズームをセットしたカメラに持ち替えてワイドで連写。最後に再び70-300mmズームで後追いで補機のDE10を連写した。
「あ~満足! じゃあ折り返してくるまでにSL公園に行こうか」
「へ?」
俺の返事も待たずに奈美さんはまた地下通路に歩いて行った。
うげ~また歩くのか?
SL公園とは線路際に作られた広場で、お手製のオブジェが数点置かれているところだ。
開けているので撮影にはもってこいの場所ではある。
「陽の向きがちょうどいいから、そこで撮影したらすぐに下今市駅に戻ってお昼食べましょ」
「って、次の列車まで10分くらいしかないじゃないですかぁ!」
思わず悲鳴が出たが、奈美さんは全く動じなかった。
結局、なんだかんだで昼食にありつけたのは午後2時過ぎ、しかも東武日光駅前でだ。
まあ、ここなら時間までゆっくりできるし、食事中も奈美さんは撮影したデータを確認していたので、俺はゆっくりと食事ができた。
バスツアーは午後3時半にJR日光駅前に到着するので、余裕を持って店を出たものの、駅前に静態保存されている東武日光軌道の109号機を奈美さんは舐めるようにあらゆるアングルで撮りまくっていた。
おかげで駅待合室に入った直後にツアーバスが到着してしまった。
“スペーシアはこね”は2番線から発車となる。
1番線からは日光線観光用の改造車205系600番台“いろは”が今まさに発車したばかりだった。
「あ~、いろは行っちゃいましたよ。奈美さん! せっかくなら撮っておきたかったなぁ」
「そうなの? まあここに来ればいつでも大抵見られるわよ?」
にべもなく終了。
奈美さんにとっては何をおいても“東武”が最優先事項なのだ。
「奈美さんは興味ないんですか? いろは…」
「何言ってんの。運転開始された時にとことん乗ってきたわよ」
「は?」
「だって、日光線よ。昭和初期には国鉄と東武が覇権をかけて競い合った路線よ? 興味ないわけないじゃない」
「し、昭和初期って、奈美さん本当はいくつなんですか?」
<スパラカァ~~~ン!>
「グヘッ!」
久々に奈美さんのハリセン登場! しかもMAXパワー!!
「そういうこと言うからデリカシーがないっていうのよっ! 全く鉄道に興味がない人ならともかく、私は鉄道写真で生活してるんだから、歴史や性能はできる限り調べるのは当然でしょ!」
「は、はいイィ!」
やばい。奈美さん激おこだ。
こりゃ帰りのルートは教えてもらえそうにないなぁ~。
などと考えていたら、既に参加者の乗車が始まっていた。
俺たちもツアコンから乗車券を受け取って、団体出入り口から構内に入った。
跨線橋を渡ると“スペーシアはこね”1号車方となる。
東武日光駅では浅草・JR新宿方の6号車が先頭車となるが、JR日光線に乗り入れるために宇都宮駅でスイッチバックしたので、宇都宮駅方先頭車が1号車となる。
「いつもは東武日光駅で撮ってるけど、ここならバックに入れられるわね」
そう言いながら、奈美さんは最後尾の6号車を絡めて、先に見える東武日光駅を狙っていた。
間もなく浅草行きの “スペーシアけごん38号”が発車し、2本のスペーシアが別々の日光駅での共演となった。
“スペーシアはこね”はその直後、1番線に普通列車の205系600番台の到着を待って、発車した。
今市駅付近まではあまり沿線にカメラは見えなかったが、さすがに今市駅付近では撮り鉄が数人ホームや沿道に群れているのが見えた。
すぐ近くを毎日何本も走っているとはいえ、JRの日光線を走る姿は滅多に見られない上、昨日は“ロマンスカー日光”が走っているから、簡単に予測できたのだろう。
しかも送り込み回送されているから、アングルされ確保できれば確実に撮影できるのだ。
その後、宇都宮駅まではどこもかしこもカメラやスマホを構える人が大勢見えた。
宇都宮駅ではスイッチバックの為の停車なので、ホームには降りられず、3分ほどで発車した。
「さ、栗橋からJR新宿まではいつものルートだから、緩んでいいわよ」
「え? 八王子にはいかないんですか?」
「行かないわよ。時間的に厳しいもの」
「え? じゃあ今日はJR日光から栗橋までが特別ルートなんですか? なんか拍子抜けしたなぁ」
「何言ってんのよ。昨日は大宮までは特別認可されたルートばかりだったじゃない」
奈美さんは呆れ顔で答えた。
「でも、基本的にクルーズトレインだから、目一杯特別ルートを走るものだと思ってましたよ」
「そうは言っても、大井貨物ターミナルからりんかい線のルートだって、準備に結構な費用がかかってるのよ。三日とも走り続けたら準備だけでもかなりの時間がかかるわよ」
「あ、そうか。しかも “スペーシアはこね”だけじゃなくて、“ロマンスカー日光”もあるから…」
「そういうこと。だから企画会議では一日目はあまり極端なルートじゃなく、二日目は目一杯走り回って、三日目はごく通常のルートにしようってことになったのよ」
「なるほど…。ツアー企画ってのは見えない苦労がたくさんあるんですね」
「そりゃそうよ。人命がかかってるもの。危険なことはできないし、平常運転の列車を妨害できないし、車両の停泊場所も厳密に決めておかなくちゃいけないし、車両トラブルがあった場合はすぐに代替編成に切り替えなきゃいけないし…ね」
「はあ、わかりました。とっても勉強になりました。これからはそういうことも考えて、取材するようにします」
「…、そ、そうね。頑張ってね」
…なんか、歯切れの悪い言い方が気になった。
多分、(今まで考えたこともなかったのぉ!)とか、言われそうなので黙っておいた。
そして“スペーシアはこね”は無事、ほとんど遅延もなくJR新宿駅に到着した。
一方、“ロマンスカー日光”の方は、箱根湯本駅から海老名あたりまでは時間通りだったが、緊急信号受信により全線が10分から20分の遅れが出たらしいが、無事に小田急新宿駅に戻ってきた。
他社のフラッグシップトレインが走るというコンセプトは趣味的には面白いが、旅客を乗せて走る以上、準備がとても大変なことを痛感した。
後で奈美さんに聞いたところ、このイベントには技術者や旅行会社の企画、乗務区、運転指令など300人以上が関わっていたことを教えてもらった。
…乗車インプレッション…の原稿…、書けるかな?
胃が痛くなってきた。
<終わり>
すぐ横には地下鉄有楽町線のホームがあるが、あいにく壁で隔絶させているので東武車が止まっていても並びは撮れない。
…はずなのに、少しでも見えないかと、奈美さんは窓に張り付いて凝視している。
本当に東上線絡みだと全てのことを後回しにする、根っからの東上線フリークなのだ。
やがて京葉線と合流し、高架線路の幅が狭まったところで、下の方に東京メトロの新木場検修区が見え、東武9000系が留置されているのが確認できたらしい。
もっとも車内はアテンダント兼用のツアコンが車内放送で、進行方向右側に東京湾が一望できると告げ、参加者のほとんどはスペーシアの車窓から見る初めての東京湾に歓声をあげていた。
今日のハイライトだから当然だが、このコースは非公開なので参加者のほとんどが驚いていた。
「うん! さすがにこのルートだと満足できるわぁ~」
奈美さんがご満悦。
「すごいですよね」
通路を挟んで反対側にいたライバル誌の編集員が奈美さんに声をかけてきた。
「うんうん。できれば不定期でいいから、また走って欲しいですよね」
「そうですね。スペーシア湾岸とか名前つけてね」
その編集者もなかなかノリがいい。
ただし、当然のごとく奈美さんが感激してるのは、東京湾のことではないが…。
その後、“スペーシアはこね”は武蔵野線を経由して大宮貨物線へ入り、大宮からは通常の“スペーシアきぬがわ”のルートをなぞっていった。
変わって、昨日JR新宿駅を同時刻に発車した小田急60000系MSE“ロマンスカー日光”は、東武日光駅に到着後東大宮のJR車両基地まで回送され、今朝早くに宇都宮で折り返してJR日光線の日光駅まで送り込まれていた。
JR日光駅を発車し、宇都宮駅でスイッチバックして東北線を南下、大宮からは武蔵野線で府中本町を抜けて武蔵野南線に入る。
武蔵小杉駅の先で湘南新宿ラインのルートに合流し、こちらは横浜駅を通ってJR小田原駅に到着する。
参加者はバスで強羅に向かうが、途中美術館を経由するルートだ。
最終日はまた2ルートに分かれて、ケーブルカーとロープウェイ、海賊船に乗ってバスで箱根湯本駅に向かう。
もう一方は箱根登山鉄道で箱根湯本駅に向かった後、バスでかまぼこ工場見学。
そこで昼食をとり、再びバスで箱根湯本駅に戻ることになっている。
“ロマンスカー日光”は箱根湯本駅から通常ルートで小田急新宿駅に戻ることになっている。
「奈美さん最終日はどういうルートなんですか?」
「バスで中禅寺湖や華厳の滝、東照宮をめぐって、日光から乗車よ」
「… …ツアーのルートのことじゃないんですが…」
知ってて、わざと言ってることぐらい分かる。
奈美さんは仏頂面してるけど、最終日も俺の草案とは違うことはわかった。
「俺たちはバスツアーには参加しませんよね? 発車までどうします?」
「…何言ってるのよ。やることは山ほどあるじゃない。土休日なんだからSL大樹が走るのよ? 撮影スポットで2本は撮れるわ。駅の近くなら3本いけるわね」
「へ?」
「新高徳や大桑付近はもう撮り尽くしてるから、小佐越あたりから歩いてみようか?」
「え? この大荷物抱えて?」
「先に下今市に行って、ロッカーに入れればいいじゃない。小佐越まで戻って歩けばバス待つより楽だと思うけど?」
奈美さんはことも無げに言ってのけた。
…という事で、最終日は下今市駅を午前9時33分に発車するSL大樹を撮るために、7時過ぎに鬼怒川温泉駅を発車する特急きぬに乗る事になった。
バスツアーに参加しないから、朝はゆっくり温泉に使ってから出発しようと思ってたのに…。
さすがに東武沿線で奈美さんと一緒だと“ゆっくり”はできないらしい。
肝に銘じておこうと俺は思った。
SL C11が2両体制になったおかげで、1日4往復となった“SL大樹”。
日光線へも“SLふたら”として運行を開始した。ちなみにひらがなだと分かりにくいが、“ふたら”とは東照宮の横にある日光二荒山神社から命名されている。とても日光らしいネーミングだ。
補機として最後尾に連結されているDE10も、最初のDE10 1099号機は国鉄時代の標準塗色だが、増備されたDE10 1109号機は、北海道で活躍したDD51北斗星用牽引車の塗色を模したスペシャルカラーだ。
さらに復元中のC11 1号機が入線すれば、将来的に安定した“SL大樹“の運行が可能となる。
「奈美さん。どのあたりで撮ります?」
「新高徳の方に向かうわ。途中に幾つかのスポットがあるけど、できればいつもとは違ったアングル狙いたいしね」
「いつもとは…」
そんなに来てるならわざわざ忙しく動き回らずに、撮影目的に来た時にゆっくり腰据えて撮ればいいのに… …などとは、口が裂けても言えない。
ところが歩き出してすぐに奈美さんは歩道脇の階段を下り始めた。
「どこに行くんですか?」
「向こう側から撮るわ。この地下道を通れば向こうの側道に渡れるのよ」
「へ?」
そういえば、一段下がったところにある線路のさらに向こう側には、線路に沿って割と広い道路が見えた。
「いつも俯瞰気味だったから、ここならちょうど見上げるようなアングルで迫力出せるのよ」
そういえば、よく見かけるSL大樹の画像は、駅撮りか狭い堀割りのカーブを上から見下ろしているアングルが多い。もしくは鉄橋だが、トラスのない鉄橋は新高徳駅側の鬼怒川鉄橋だけだが、もちろん撮り尽くされた感が否めない。
「今まで、列車の中からはこの辺りがいいかなと思っていたのに、なかなか来るチャンスがなかったのよ」
線路際に歩道があるから安心して撮影できそうだが、逆に近すぎてシャッターチャンスが少なそうだ。
もっともプロのカメラマンだから、ターゲットのポイントは抑えているだろう。
まあ、そんなに歩かずに済んでよかったと思うことにした。
間もなく、山間にジョイント音が響いてきた。
「来たわね。準備いい?」
「はい」
俺は奈美さんの背後で交換するカメラを抱えていた。
まずは70-300mmズームで正面気味に数カット連写。100mあたりで15-35mmズームをセットしたカメラに持ち替えてワイドで連写。最後に再び70-300mmズームで後追いで補機のDE10を連写した。
「あ~満足! じゃあ折り返してくるまでにSL公園に行こうか」
「へ?」
俺の返事も待たずに奈美さんはまた地下通路に歩いて行った。
うげ~また歩くのか?
SL公園とは線路際に作られた広場で、お手製のオブジェが数点置かれているところだ。
開けているので撮影にはもってこいの場所ではある。
「陽の向きがちょうどいいから、そこで撮影したらすぐに下今市駅に戻ってお昼食べましょ」
「って、次の列車まで10分くらいしかないじゃないですかぁ!」
思わず悲鳴が出たが、奈美さんは全く動じなかった。
結局、なんだかんだで昼食にありつけたのは午後2時過ぎ、しかも東武日光駅前でだ。
まあ、ここなら時間までゆっくりできるし、食事中も奈美さんは撮影したデータを確認していたので、俺はゆっくりと食事ができた。
バスツアーは午後3時半にJR日光駅前に到着するので、余裕を持って店を出たものの、駅前に静態保存されている東武日光軌道の109号機を奈美さんは舐めるようにあらゆるアングルで撮りまくっていた。
おかげで駅待合室に入った直後にツアーバスが到着してしまった。
“スペーシアはこね”は2番線から発車となる。
1番線からは日光線観光用の改造車205系600番台“いろは”が今まさに発車したばかりだった。
「あ~、いろは行っちゃいましたよ。奈美さん! せっかくなら撮っておきたかったなぁ」
「そうなの? まあここに来ればいつでも大抵見られるわよ?」
にべもなく終了。
奈美さんにとっては何をおいても“東武”が最優先事項なのだ。
「奈美さんは興味ないんですか? いろは…」
「何言ってんの。運転開始された時にとことん乗ってきたわよ」
「は?」
「だって、日光線よ。昭和初期には国鉄と東武が覇権をかけて競い合った路線よ? 興味ないわけないじゃない」
「し、昭和初期って、奈美さん本当はいくつなんですか?」
<スパラカァ~~~ン!>
「グヘッ!」
久々に奈美さんのハリセン登場! しかもMAXパワー!!
「そういうこと言うからデリカシーがないっていうのよっ! 全く鉄道に興味がない人ならともかく、私は鉄道写真で生活してるんだから、歴史や性能はできる限り調べるのは当然でしょ!」
「は、はいイィ!」
やばい。奈美さん激おこだ。
こりゃ帰りのルートは教えてもらえそうにないなぁ~。
などと考えていたら、既に参加者の乗車が始まっていた。
俺たちもツアコンから乗車券を受け取って、団体出入り口から構内に入った。
跨線橋を渡ると“スペーシアはこね”1号車方となる。
東武日光駅では浅草・JR新宿方の6号車が先頭車となるが、JR日光線に乗り入れるために宇都宮駅でスイッチバックしたので、宇都宮駅方先頭車が1号車となる。
「いつもは東武日光駅で撮ってるけど、ここならバックに入れられるわね」
そう言いながら、奈美さんは最後尾の6号車を絡めて、先に見える東武日光駅を狙っていた。
間もなく浅草行きの “スペーシアけごん38号”が発車し、2本のスペーシアが別々の日光駅での共演となった。
“スペーシアはこね”はその直後、1番線に普通列車の205系600番台の到着を待って、発車した。
今市駅付近まではあまり沿線にカメラは見えなかったが、さすがに今市駅付近では撮り鉄が数人ホームや沿道に群れているのが見えた。
すぐ近くを毎日何本も走っているとはいえ、JRの日光線を走る姿は滅多に見られない上、昨日は“ロマンスカー日光”が走っているから、簡単に予測できたのだろう。
しかも送り込み回送されているから、アングルされ確保できれば確実に撮影できるのだ。
その後、宇都宮駅まではどこもかしこもカメラやスマホを構える人が大勢見えた。
宇都宮駅ではスイッチバックの為の停車なので、ホームには降りられず、3分ほどで発車した。
「さ、栗橋からJR新宿まではいつものルートだから、緩んでいいわよ」
「え? 八王子にはいかないんですか?」
「行かないわよ。時間的に厳しいもの」
「え? じゃあ今日はJR日光から栗橋までが特別ルートなんですか? なんか拍子抜けしたなぁ」
「何言ってんのよ。昨日は大宮までは特別認可されたルートばかりだったじゃない」
奈美さんは呆れ顔で答えた。
「でも、基本的にクルーズトレインだから、目一杯特別ルートを走るものだと思ってましたよ」
「そうは言っても、大井貨物ターミナルからりんかい線のルートだって、準備に結構な費用がかかってるのよ。三日とも走り続けたら準備だけでもかなりの時間がかかるわよ」
「あ、そうか。しかも “スペーシアはこね”だけじゃなくて、“ロマンスカー日光”もあるから…」
「そういうこと。だから企画会議では一日目はあまり極端なルートじゃなく、二日目は目一杯走り回って、三日目はごく通常のルートにしようってことになったのよ」
「なるほど…。ツアー企画ってのは見えない苦労がたくさんあるんですね」
「そりゃそうよ。人命がかかってるもの。危険なことはできないし、平常運転の列車を妨害できないし、車両の停泊場所も厳密に決めておかなくちゃいけないし、車両トラブルがあった場合はすぐに代替編成に切り替えなきゃいけないし…ね」
「はあ、わかりました。とっても勉強になりました。これからはそういうことも考えて、取材するようにします」
「…、そ、そうね。頑張ってね」
…なんか、歯切れの悪い言い方が気になった。
多分、(今まで考えたこともなかったのぉ!)とか、言われそうなので黙っておいた。
そして“スペーシアはこね”は無事、ほとんど遅延もなくJR新宿駅に到着した。
一方、“ロマンスカー日光”の方は、箱根湯本駅から海老名あたりまでは時間通りだったが、緊急信号受信により全線が10分から20分の遅れが出たらしいが、無事に小田急新宿駅に戻ってきた。
他社のフラッグシップトレインが走るというコンセプトは趣味的には面白いが、旅客を乗せて走る以上、準備がとても大変なことを痛感した。
後で奈美さんに聞いたところ、このイベントには技術者や旅行会社の企画、乗務区、運転指令など300人以上が関わっていたことを教えてもらった。
…乗車インプレッション…の原稿…、書けるかな?
胃が痛くなってきた。
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