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EX05
箱根・日光・鬼怒川クルーズトレイン01
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いつも通り編集部に出勤すると、編集長が複雑な表情でデスクに座っていた。
こういう時は近寄らない方がいいことは、過去の経験が教えてくれる。
何かヘマをやらかして怒られるのとはわけが違うからだ。
絶対に無理難題を押し付けてくるのだ。それで過去に何度も痛い目にあってきた。
俺は音を立てないようにそっと自分の机に座り、身を低くしてパソコンの電源を入れた。
「おい! ちょっと来てくれ」
いきなり編集長が声を発する。
ここには今、俺以外の編集員はいないので、それは確実に俺を呼んだことになる。
(ハァ~、・・・気付いていたのか…)
「なんでしょうかぁー?」
「そう嫌そうに返事するなよ」
編集長は苦笑いを浮かべて、優しげに言う。
ますますもって、ヤヴァイ状況だ。
しかし、やむなく編集長のデスクに向かう。
虚しいサラリーマンの性なのだ。
「実はな、小田急の広報部から、何か新しいツアーを考えて欲しいと相談されたんだ」
「新しい? ツアー? でもそれは旅行業者の仕事じゃないんですか?」
通常、旅行業者のツアー企画はホテルや旅館などの宿泊施設や、土産物店、観光組合などとタイアップし、概略を決める。
その後スケジュールやルートを決めて、移動手段を検討するというのが常である。
中には観光列車に乗ることを目的としたものもあるが、その場合は企画した鉄道事業者のスケジュールに沿うことになるので、自然に概略が決まるのだ。
「そこなんだが、箱根だけで止めるんじゃなく、もう一歩進んだツアーで集客したいらしい」
編集長はワクワクした顔で宣った。
あ~、この顔されると、とんでもないことになるんだよなぁ~。
「どうだ? 今までにない企画を考えてみないか?」
「そう言われても…、あ、そうそう新年早々の3号通し企画のネタ集めが…」
「まだ時間はある。ツアー企画と平行でもできるだろう?」
「はぁ~。わかりました。考えてみますよ。ところで予算とか日数とかはどのくらいなんですか?」
「…お前…、俺が言ったこと聞いてたのか?」
編集長が三白眼で聞き返してきた。
結局、規模はその企画の注目度によって、可能かどうか判断するということになった。
ならば、実現不可能な大規模な企画をぶち上げてやろう。
俺は口の端を釣り上げて微笑んだ。
<ぽくっ!>
「って!」
「似合わないからそんな卑屈な笑い方しない!」
振り向けば奈美さんが、奈美さんも三白眼で睨んでいた。
「だって、丸投げですよ? 今までにない企画なんて、このクソ忙しい時期に発想できませんよ」
「だから…。なんでやる前からそんな風に決めてかかるのよ?」
「じゃあ奈美さんは何かいいアイディアありますか?」
「私なら…、… ・・・あ。危ない危ない。少しは自分で考えなさいよ!」
「惜しいっ!」
<ぽくっ!>
丸めた週刊誌を手に奈美さんが呆れた顔をしていた。
さっきもそれで叩いたんですね。意外と痛かったです。
結局、何も思いつかないまま二日が過ぎた。
「そろそろ何か面白いアイディアでもでたんじゃないのか?」
「そういう編集長は何か思いつきましたか?」
編集長は俺に投げて、完全に安心しきっていたらしい。
「俺は忙しいからお前に任せたんじゃないか。しっかりしてくれよ」
全く関与するつもりはないらしい。
「ま、まあ。俺が考えつくとしたら、小田急線に他社の電車走らせてみたいな。とか、小田急の電車でJR走ってみたいなとか、そんな程度ですよ?」
「え?」
編集長は目を丸くして呆然とした。
「あ、本気にしないでください。俺の子供の頃からの願望で…」
「それ! それだよっ! 面白いじゃないかっ!」
「は? そんなこと言ったって、実現できるはず…」
「いやいやいや、実現できるかどうかはやり方次第だろっ!」
編集長は俺の言葉を最後まで言わせず、先に先にと話を進める。
「そうだな。箱根と対極する温泉地は、草津…いや、日光・鬼怒川だ!」
「あの…、編集長?」
「だとしたら、小田急に東武のスペーシア走らせたら面白くないか?」
「は? スペーシアって、どこを走らせるんですか?」
「新宿から箱根、日光、鬼怒川に決まってんだろ?」
「そんな無茶苦茶な。大体どこから小田急線に入線させられるんですか?」
「新松田付近の短絡線があるじゃないか」
小田急線は新車納入時のルートはJR御殿場線松田~小田急線新松田付近の短絡線を利用する。
ここは新宿~御殿場間の特急ふじさんが毎日通過している。
「はい? 箱根には行かないんですか?」
「いや、箱根行かなきゃ意味がないだろ?」
「だって、箱根方面からじゃ短絡線に入れませんよ?」
新宿方面からの列車なら、新松田駅手前の分岐から短絡線を通り、JR御殿場線の松田駅に行かれる。
しかし、箱根湯本方面からだと本線上でスイッチバックするしかないのだが、乗客がいる状態での本線上スイッチバックは危険なので不可能だ。
ならば秦野駅まで行き、スイッチバックし、松田駅にてもう一度スイッチバックしなければ、国府津駅には行かれない。
「…何言ってるんだ? 小田原からはJR東海道線を走ればいいじゃないか」
「だから、小田急線からじゃ東海道線に入れな…」
「お前頭硬いな。JR小田原駅を起点にすればいいだろ?」
「(パクパク…)そ、そうじゃなくて…どうやってスペーシアをJR小田原駅に… …、は? JR小田原駅を起点に?」
「そうだよ。箱根湯本まで行ったスペーシアは回送で海老名まで戻り、間合いを取ってJR御殿場線松田駅に行き、国府津車庫に留置して翌朝、JR小田原駅で旅客を待つ。そういう方法もあるだろう」
「はあ? …まさか、編集長も同じようなこと考えてたんじゃないですか?」
「いや。今お前が面白いこと思いついたから、考えただけだ」
事も無げに宣った。
この人の頭脳展開は何かのきっかけで、とんでもないことを思いつく異常な鉄脳だったことを、今更思い出した。
こうして、前代未聞の他社車両を使用したミステリーなツアー企画がスタート… …してしまった。
<続く>
こういう時は近寄らない方がいいことは、過去の経験が教えてくれる。
何かヘマをやらかして怒られるのとはわけが違うからだ。
絶対に無理難題を押し付けてくるのだ。それで過去に何度も痛い目にあってきた。
俺は音を立てないようにそっと自分の机に座り、身を低くしてパソコンの電源を入れた。
「おい! ちょっと来てくれ」
いきなり編集長が声を発する。
ここには今、俺以外の編集員はいないので、それは確実に俺を呼んだことになる。
(ハァ~、・・・気付いていたのか…)
「なんでしょうかぁー?」
「そう嫌そうに返事するなよ」
編集長は苦笑いを浮かべて、優しげに言う。
ますますもって、ヤヴァイ状況だ。
しかし、やむなく編集長のデスクに向かう。
虚しいサラリーマンの性なのだ。
「実はな、小田急の広報部から、何か新しいツアーを考えて欲しいと相談されたんだ」
「新しい? ツアー? でもそれは旅行業者の仕事じゃないんですか?」
通常、旅行業者のツアー企画はホテルや旅館などの宿泊施設や、土産物店、観光組合などとタイアップし、概略を決める。
その後スケジュールやルートを決めて、移動手段を検討するというのが常である。
中には観光列車に乗ることを目的としたものもあるが、その場合は企画した鉄道事業者のスケジュールに沿うことになるので、自然に概略が決まるのだ。
「そこなんだが、箱根だけで止めるんじゃなく、もう一歩進んだツアーで集客したいらしい」
編集長はワクワクした顔で宣った。
あ~、この顔されると、とんでもないことになるんだよなぁ~。
「どうだ? 今までにない企画を考えてみないか?」
「そう言われても…、あ、そうそう新年早々の3号通し企画のネタ集めが…」
「まだ時間はある。ツアー企画と平行でもできるだろう?」
「はぁ~。わかりました。考えてみますよ。ところで予算とか日数とかはどのくらいなんですか?」
「…お前…、俺が言ったこと聞いてたのか?」
編集長が三白眼で聞き返してきた。
結局、規模はその企画の注目度によって、可能かどうか判断するということになった。
ならば、実現不可能な大規模な企画をぶち上げてやろう。
俺は口の端を釣り上げて微笑んだ。
<ぽくっ!>
「って!」
「似合わないからそんな卑屈な笑い方しない!」
振り向けば奈美さんが、奈美さんも三白眼で睨んでいた。
「だって、丸投げですよ? 今までにない企画なんて、このクソ忙しい時期に発想できませんよ」
「だから…。なんでやる前からそんな風に決めてかかるのよ?」
「じゃあ奈美さんは何かいいアイディアありますか?」
「私なら…、… ・・・あ。危ない危ない。少しは自分で考えなさいよ!」
「惜しいっ!」
<ぽくっ!>
丸めた週刊誌を手に奈美さんが呆れた顔をしていた。
さっきもそれで叩いたんですね。意外と痛かったです。
結局、何も思いつかないまま二日が過ぎた。
「そろそろ何か面白いアイディアでもでたんじゃないのか?」
「そういう編集長は何か思いつきましたか?」
編集長は俺に投げて、完全に安心しきっていたらしい。
「俺は忙しいからお前に任せたんじゃないか。しっかりしてくれよ」
全く関与するつもりはないらしい。
「ま、まあ。俺が考えつくとしたら、小田急線に他社の電車走らせてみたいな。とか、小田急の電車でJR走ってみたいなとか、そんな程度ですよ?」
「え?」
編集長は目を丸くして呆然とした。
「あ、本気にしないでください。俺の子供の頃からの願望で…」
「それ! それだよっ! 面白いじゃないかっ!」
「は? そんなこと言ったって、実現できるはず…」
「いやいやいや、実現できるかどうかはやり方次第だろっ!」
編集長は俺の言葉を最後まで言わせず、先に先にと話を進める。
「そうだな。箱根と対極する温泉地は、草津…いや、日光・鬼怒川だ!」
「あの…、編集長?」
「だとしたら、小田急に東武のスペーシア走らせたら面白くないか?」
「は? スペーシアって、どこを走らせるんですか?」
「新宿から箱根、日光、鬼怒川に決まってんだろ?」
「そんな無茶苦茶な。大体どこから小田急線に入線させられるんですか?」
「新松田付近の短絡線があるじゃないか」
小田急線は新車納入時のルートはJR御殿場線松田~小田急線新松田付近の短絡線を利用する。
ここは新宿~御殿場間の特急ふじさんが毎日通過している。
「はい? 箱根には行かないんですか?」
「いや、箱根行かなきゃ意味がないだろ?」
「だって、箱根方面からじゃ短絡線に入れませんよ?」
新宿方面からの列車なら、新松田駅手前の分岐から短絡線を通り、JR御殿場線の松田駅に行かれる。
しかし、箱根湯本方面からだと本線上でスイッチバックするしかないのだが、乗客がいる状態での本線上スイッチバックは危険なので不可能だ。
ならば秦野駅まで行き、スイッチバックし、松田駅にてもう一度スイッチバックしなければ、国府津駅には行かれない。
「…何言ってるんだ? 小田原からはJR東海道線を走ればいいじゃないか」
「だから、小田急線からじゃ東海道線に入れな…」
「お前頭硬いな。JR小田原駅を起点にすればいいだろ?」
「(パクパク…)そ、そうじゃなくて…どうやってスペーシアをJR小田原駅に… …、は? JR小田原駅を起点に?」
「そうだよ。箱根湯本まで行ったスペーシアは回送で海老名まで戻り、間合いを取ってJR御殿場線松田駅に行き、国府津車庫に留置して翌朝、JR小田原駅で旅客を待つ。そういう方法もあるだろう」
「はあ? …まさか、編集長も同じようなこと考えてたんじゃないですか?」
「いや。今お前が面白いこと思いついたから、考えただけだ」
事も無げに宣った。
この人の頭脳展開は何かのきっかけで、とんでもないことを思いつく異常な鉄脳だったことを、今更思い出した。
こうして、前代未聞の他社車両を使用したミステリーなツアー企画がスタート… …してしまった。
<続く>
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