【BL】1000年前の恋の続きを

茶甫

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5 御前試合 後

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 明後日に迫った御前試合前の夜。ジェイクは下級騎士の仲間たちと町に出ていた。
「いよいよだな。とはいえ、あんまり根詰めるとよくねえからな。気晴らししようぜ、ジェイク」
 そう言って仲間のうち最も年かさの騎士に言われて町に出てきていた。祭りも近いため、出店があちこちに出ている。これが当日には更に増えるのだ。
「おーおー、いいよなあこの空気。毎年この時期になるとあちこちから商人やら料理人やらが張り切ってうまいもん集めてくるからな」
「ジェイク、お前の好きな串焼きあるぞ、あっち」
「ん、ああ」
「なんだよ、元気ねえじゃん」
 歳の近い騎士に言われ、ジェイクは曖昧に笑う。
「なんだよ、彼女にでもフラれたか?」
「……そもそもいないよ」
 少しだけどきりとしながらジェイクは出店を眺めて、ふと、気づいた。
「え……」
「ん? どうした?」
 仲間の声が遠い。ジェイクの少し前を見覚えのある人物が通り過ぎていったのだ。美しい青い髪を短く切った、中性的な顔立ちの美しい青年が。
「……アイン?」
 気づけば仲間の声も振り切って追い掛けていた。人混みをかきわけて青年の背を追い掛けて、声をかけようとしたその時。
「アイン、こっちだ」
 低めの落ち着いた声が聞こえ、アインはそちらへ向かっていく。ジェイクは心臓を握りしめられたような心地がして、けれど立ち去ることもできずに距離を取ってアインの背中を追い掛ける。アインが向かった先には写真でアインと共に写っていた長身の男。丸眼鏡をかけバンドカラーのシャツにコーチジャケットの袖をまくって羽織り、細身のズボンを履いた男がアインを手招く。対するアインは大きめのサマーニットに細身のパンツ姿だった。彼の手には何処かの出店で買ったらしいものが入れられた袋が握られていた。
「あっちの広場でショーがあるらしい。奥のほうが空いてる」
「ふふ、珍しいな。そんなの見たがるなんて」
「たまにはな」
 男に腰を抱かれエスコートされながらアインが歩く。仲睦まじい様子にジェイクは、心臓の痛みが増す感覚に苛まれる。辞めれば良い、追い掛けるのを。きっと、自分が見たくないものをこれから見る羽目になるだろうから。理性はそう、忠告するのに何処かで違って欲しいと願う思考があって、二人の後を追い掛けてしまっていた。二人が落ち着いたのは広場の全体が見渡せる後方に設置された二人がけのアウトドアチェアだ。これからショーがあるため臨時で設置したらしい。二人のつかず離れずの距離にあった椅子にジェイクも腰掛ける。食事も取れるよう近くにテーブルも置いてあるため、二人はアインが買ってきたらしいものを並べて食べ始めたらしい。
 楽しそうに小声で話しながら食べている二人の後ろでジェイクは息を殺している。アインが好きなものばかり買ってきたらしいが、男にも勧めたり食べさせてやるなど、本当に恋人のようなやりとりが周りの雑踏に紛れて聞こえてくる。
「ミール、ついてる」
 そう言ってアインが男の口元をハンカチでぬぐってやると照れくさかったのか男がアインの鼻筋にキスをした。それをジェイクは見てしまった。そしてその時のアインのくすぐったそうな笑顔も。
(あの男、アインの師匠じゃなかったのかよ)
 腹の奥でどす黒いものがうごめく。ぐるぐると、うなり声をあげて腹の奥底でのたうち回る。ジェイクが己の黒い感情を抱え込んでいるとアインが男が買ってきたらしい果実酒に興味を持ったらしい。
「甘い?」
「甘いな。飲みたいなら飲んでもいいが、少しずつにしろよ」
「ん」
 果実酒の注がれたコップを受取ってアインが、ゆっくりとコップを傾ける。男が先に口をつけていたはずだが、特に気にした様子は無い。
「あまい。おいしい」
「ゆっくり飲めと言っただろ? 全く」
 そう言いながら男はアインを引き寄せて、柔らかなその髪を撫でた。それに甘えるようにアインが男にもたれる。
「ふわふわする」
「慣れていないのに一気に飲むからだ。ほら」
 別に買っていたらしい水の入ったボトルを空いたコップに注いで男が渡すがアインは首をふる。
「やだ」
「やだじゃない。全く」
 どうするのかと思っていると男が水を口に含んでアインに顔を近づけた。アインは避けない。口移しで水を飲ませると、アインは甘えるように男にすり寄る。
「酔うと甘えたがりになるんだな、お前は?」
「いや?」
「まさか。俺にだけならいくらでも」
 男が優しく言えばアインも嬉しそうに男の肩に頭を預ける。甘い、砂糖菓子より甘い空気にジェイクは叫びそうになる。これ以上は、いけないと理性が制したためジェイクは席を立った。足音荒く離れるがアインがジェイクに気づくことはない。男に甘い顔をして、甘い声と言葉を返してを繰り返しているだけ。ジェイクは惨めな気分になりながら足早にその場を後にした。

*********

 翌朝、ふかふかのベッドで目覚めたアインは隣で眠っているシェルミールに気づいて、ふと昨夜のことを思い出す。
(んー……りんご味の酒を飲んで……なんか滅茶苦茶に恥ずかしいことをしてしまった気がする)
 おぼろげながら記憶が蘇ってきて、アインは唸る。唸っているとシェルミールが気づいて目覚めた。
「アイン?」
「……滅茶苦茶恥ずかしいことをした気がする」
「……可愛かったぞ?」
「うぐぐ……忘れろ!」
 アインは叫びながらシェルミールに飛びつくが普通に抱き留められた。
「く、くそ……魔術師のくせに体格よすぎなんだよ」
「遺伝と日々の鍛錬のお陰だな。もう、朝か」
 アインを抱えたまま起き上がったシェルミールは、ふと中途半端に開いた扉の向こうから何かの匂いがすることに気づいた。
「メイドは基本派遣しないと言っていたが」
「いいにおい」
 アインも気づいて二人は部屋を出た。匂いの元をたどると食堂らしき広い部屋に出た。そこにはメイド服らしき衣装をまとった精霊達がせっせと食事をセットしていた。
「へ」
「これは……」
『!?』
 二人に気づいた精霊たちは慌てて引っ込む。どうやら、姿は見せてはいけないらしい。用意されていた食事は温かいスープにふかふかのロールパン、彩り鮮やかなサラダにゆで卵とフルーツ。
「「……」」
 戸惑う二人を、遠目から精霊達が気にして覗いている。アインが、精霊たちに声をかけた。
「もしかして、俺達の、食事準備してくれたのか?」
『っ!』
 アインの言葉に精霊達が頷く。そして再び隠れる。
「……折角だし頂くか」
「う、うん」
 二人して真向かいに座って用意された食事を食べる。
「おいしい」
「器用な精霊もいるんだな」
 二人して関心していると遠目から見ていたらしい精霊達が嬉しそうにしている気配を感じた。
「あいつらは、この離宮に元からいた精霊なのか?」
「わからない……ネプリアたちに聞けばわかるかな」
 とはいえ身につけているメイド服らしい衣装はアインたちが知っているものよりデザインが古めかしい。恐らく、アインたちの訪れによって召喚されたか目覚めたかした世話役の精霊なのだろう。
「……仕事が終ってすぐに追い出されなければ調査したいくらいだな。精霊の自動召喚、もしくは待機させるための術式なり魔法陣が何処かにあるはずだ」
「確かに、気になる。全然気配に気づかなかったし」
 こちらを遠目に見守っている精霊の属性も気になるところだ。アイラの記憶を呼び起こそうとしてみるが、全く分からない。
(んん……覚えがないっていうか分からないな。そもそも俺が覚えてるアイラの記憶ってすごく断片的だったり不意に思い起こされる程度だからな)
 前世がアイラだったという自覚が強く残っているだけで記憶自体は割と曖昧だったりする。昨日のように不意に思い起こせることもあるが大半が思い出せない。いつでも思い出せるのはやはり――シエルードのことと自分の最後、くらいだ。
(魂に深く刻まれた記憶ほど、残りやすいとは聞いたけど。魂に刻んでんのか、アイラは。シエルードのことを)
 どれだけ愛したのだろうと思いつつも、そうだろうなと納得はする。自分だって多分、もしも覚えておけるのならシェルミールのことを覚えておきたいなんて馬鹿げたことを思ってしまう。
(俺も大概だな)
 自分に呆れながら食事を終えたアインは先に済ませて待っていたシェルミールと身支度を調えた。今日こそはアインの孤児院に挨拶に行くのだ。手紙をわざわざ出したことだし。
 アインが姿見の前でシャツにジーンズに着替えサマーカーディガンを上に羽織ると、後ろからシェルミールに抱きしめられる。
「ミール?」
「動くなよ?」
「?」
 シェルミールが羽織っていた薄手のジャケットから何かを取り出す。そしてアインの右耳にそっとつけた。クリスタルがついたイヤーカフ。
「……これは?」
「指輪を嫌がっただろう? 恥ずかしいとかいって」
「……代わり?」
「まあな」
 ふと鏡を覗くとシェルミールの左耳に同じものがつけられていた。
「小さいから無くしそう」
「無くしたらまた贈るさ。今度は指輪をな」
 アインの左頬にキスをしてシェルミールがつげる。アインはくすぐったさで笑う。
「……計画的だな」
「それなら受取るだろう?」
「……わかったよ」
 今度はアインが振り向いてシェルミールに口づけた。アインが背伸びをするとすぐにかがんで、深く舌をからめてくる。
「ん……」
 何度か呼吸を整えて、キスを繰り返して。互いに満足してやっと離れる。
「そろそろ行くか」
「うん」
 二人が離宮を出る姿を、終始隠れて見守っていた精霊たちが静かに手を振って見送った。

*********

「……」
 ジェイクは大変に落ち込んでいる。そして、現在、孤児院の食堂で絶賛ふて腐れてテーブルに突っ伏している。
「突然やってきたと思ったら何してるの。あんた、試合明日でしょ?」
「……だから今日は休みなんだよ。前日くらいゆっくり休めって言われて」
 顔を上げたジェイクに声をかけたシスターが呆れた顔をした。
「それなら家でゆっくり休むなり町で遊んで英気を養えばいいのに。何を落ち込んでここにいるのか知らないけどねえ」
 シスターが説教しようとした時だった。年少の子どもが食堂へシスターを呼びに来た。
「シスター! アイン兄ちゃんが遊びにきてくれたよ! あれ? ジェイク兄ちゃん」
 アインの名前にジェイクは動揺する。それを見て取ったシスターはため息をついた。
「……会いたいなら顔洗っておいで。会いたくないならここにいなさいな。こっちには来させないようにしてあげるから」
「……」
 シスターの言葉に頷いたジェイクを確認してシスターは子どもの案内に従って出て行く。ジェイクは天井を見あげた。
「……会いたいけど、会いたくねえな」
 昨日の今日、である。あんな――他の男に甘い、溶けるような顔をするアインをジェイクは知りたくなかった。だが、自分の勝手な気持で勝手に見てしまった。
「どーしよ」
 悩んでいるジェイクのことなど露知らないアインはシェルミールと二人、出迎えてくれた子ども達に囲まれていた。
「アイン兄ちゃん、なんかすっごくきれい」
「こっちの兄ちゃん、めちゃくちゃおっきい! かっこいい」
 屈託のない子ども達の言葉にアインは何と返そうかと迷う。そうこうしているとシスターの一人に連れられた小柄な少女に気づいた。
「ウォルナット! 大きくなったな」
「あ、アイン兄ちゃん」
 恐る恐るやってきたウォルナットに視線を合わせるように屈んで、アインはウォルナットを抱き上げた。
「わあ!」
「ほんと……大きくなったな」
 昔より大分成長したウォルナットは記憶の時より重い。それだけ年月が過ぎたのだと、アインは一人感慨に浸る。
「……無理して後で腰痛めるなよ」
「うるさい。一々一言多いんだよ」
 シェルミールにからかわれ、むくれてみせるとウォルナットがシェルミールを見あげる。
「……アインお兄ちゃんの、せんせい?」
「ああ。シェルミールだ」
「しぇる、みーる」
 ゆっくりと名前を繰り返してウォルナットはシェルミールに問いかける。
「お兄ちゃん、いいこ? いいこしてる」
「ちょ、ウォルナット?」
「ははは。ああ、良い子にしてるよ。いつも助かってる」
 シェルミールの言葉にウォルナットは目を輝かせ、嬉しそうに頷いた。
「お兄ちゃん、良い子! 撫でてあげるね」
「え、あ、ありがとう」
 戸惑うアインを置いてウォルナットがアインの頭を撫でる。記憶より少しだけ大きな手のひらがアインの髪を撫でて乱す。
「いっつもお兄ちゃんがしてくれたから。今日は、ウォルナットがしたの。してくれた時、すごく嬉しかったから」
「……そっか。ありがとう」
 無邪気に笑うウォルナットの笑顔に癒やされていると奥のほうから一人の老人が出てきた。
「おお、アイン。元気そうで何よりじゃ。そしてシェルミール殿。ようこそ、当孤児院へ。院長のヴィグルドと申します」
「院長先生、ご無沙汰しております」
「丁寧にありがとうございます。シェルミール・ベルドハンドです」
 ウォルナットを降ろしてアインとシェルミールが頭を下げるとヴィグルドが微笑んだ。
「ほっほ。ここでの日々を思い出す暇がないほど忙しく充実しておることは良い事じゃ。これからも励み、よき人生を送りなさい。アイン、元気な姿が見られて良かった。写真も見たよ。とてもいい笑顔ばかりで、君を送り出したあの日を良き日だったと思い返せる、いい写真じゃった」
 ヴィグルドはアインの肩を優しく叩くとシェルミールに向き直った。
「ご挨拶に来て下さり、まことにありがとうございます、シェルミール殿。お噂はかねがね。失礼ながら貴殿の噂はちらほら聞いておりまして、少しだけ心配しておりましたが、杞憂でしたな。ご無礼をお許し下さい」
「……いえ。彼のお陰で私も少しだけ、変われたので。ここに来て分かりました。彼の心根の優しさを美しさは皆さんの優しさと愛のお陰だったんですね」
 シェルミールの言葉にアインは目を丸くして、頬を染める。その様を見て、ヴィグルドは笑った。
「ほっほ。この子の優しさや心根の美しさは生来のものですよ。我々の方が、彼を送り出した日に泣いたほどです。けれど、そう言っていただけるほど当院も子ども達のために光ある場所になれているなら、喜ばしいことです。まあ、もっとも、孤児院など必要ないほうがいいのですがね」
 少しだけ憂いながらヴィグルドは改めてシェルミールに頭を下げた。
「アインを、これからも宜しくお願いいたします」
「はい。お任せください」
 しっかりと頷いたシェルミールにヴィグルドも安心したように頷く。その時、奥からジェイクが出てきた。
「あ、ジェイク兄ちゃん!」
「え? ジェイク?」
 驚いたアインが振返る。美しい青い瞳がジェイクを捉えた瞬間、ジェイクは心臓をわしづかみにされた。昨日遠目で見た時よりも近くで、そして日の光の下で見るアインは、ジェイクの脳裏に刻んでいたはずの姿より美しく見えた。
(え、あ、う、そだろ?)
 思わず赤面するジェイクにアインは首を傾げて近づいてきた。ふわりとジェイクの鼻先にアインの匂いが届く。
(え、えええ! ち、近い近い? てか、なんだ、アイン、滅茶苦茶いい匂いすんだけど!?)
 甘い果実と花の香り。そしてそれに混じる違う匂い――何処か苦味を伴う香辛料に似た香りは、その隣に立っていたシェルミールから香った。
「ジェイク?」
「え、あ、アイン……ひ、ひさしぶり、だな」
 しどろもどろになりながらジェイクが言えば、アインは瞬きを何度かしてふわりと微笑んだ。柔らかな、優しい笑み。それだけでジェイクの心臓は暴れる。
(お、落ち着けって、俺!)
「久しぶり。あんまり変わってないな、ジェイクは」
「お、お前は、なんか……お、大人びたな」
 かろうじてそれだけ言えばアインは少しだけ恥ずかしそうに目を伏せる。その表情一つ一つが綺麗で。
(……別にこいつを女の代わりみたいな目で見たことはないけど)
 心臓が暴れて、苦しい。そして出来れば手に触れたいと思ってしまう。そんな雰囲気がアインにはあった。
「アイン兄ちゃん。ジェイク兄ちゃん、明日の御前試合出るんだって」
「そうなのか。すごいな、ジェイク。選抜試験とかあったんじゃないか?」
「ま、まあな。強制で受けさせられて、なんか気づいたら名前が」
 ジェイクの言葉にアインは本当に嬉しそうに喜んだ。
「そうか。なら、明日はお前の応援するな」
「え、あ、ありがと。てか、見に来るのか」
 ジェイクの言葉にアインは頷く。
「シェルミール先生が招待されたんだ。俺も弟子として一緒に見て良いって言われて」
 そこまで言ってアインはシェルミールを呼んだ。シェルミールがゆっくりとアインの隣に立つと、緑の瞳が値踏みするような色でジェイクを見つめる。
「先生、俺の幼なじみ。ジェイクだ」
「はじめまして」
 ジェイクが、とりあえず挨拶すればシェルミールもそれはそれは完璧なよそ行きの笑顔を浮かべた。
「初めまして。シェルミール・ベルドハンドだ。明日の試合、私もしっかり見せてもらうよ」
「それはどうも。予選もあるからかなり長丁場っすけど先生たち、予選も見るんすか」
「ああ、そのつもりだ」
 シェルミールの答えにジェイクは、じっとシェルミールを見据える。
「それなら、まあ、そこそこ頑張りますよ。アインも応援してくれるみたいだし」
 ジェイクが言えばアインが頷いた。
「ああ、だけど張り切りすぎて怪我しないようにな」
「院長先生みたいなこと言うなよ。だけど一応一日で終る予定だけど最終戦まで夕方までに行きそうになかったら明日に持ち越しになるぞ。大丈夫なのか?」
「それは平気だ。学校も休みに入っているしな」
「あ、そういえば」
 アインはシェルミールを見あげる。シェルミールが視線で促すとアインが困った顔をした。
「マーロン先生にお土産買わなきゃだろ? あいつらもいるかな」
 あいつらとは特級クラスの生徒たちのことだろう。人数自体は二クラスまとめてもそれほど人数はいないが。
「……マーロンにいるか?」
「いやいや。いるだろ。お前が一番世話になってんだからな!」
「……あいつに世話になっている気がしない」
「こら。本当にそういうところだぞ」
 アインはシェルミールに怒った後でジェイクに尋ねた。
「お土産、何処で買うのがいいと思う?」
「え、そ、そうだな……普通に駅前のほうが店も多いから、いいと思うけど」
「それか王城前ね。美味しいお菓子のお店がたくさんあるわよ」
 シスターがそう言って何店か教えてくれる。アインは礼を言った。
「ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。こちらこそ、子ども達にお菓子のお土産ありがとうね」
「おかし!?」
 子ども達の目が輝く。
「ええ、美味しそうな焼き菓子とクッキーの詰め合わせをもらったの。おやつに出してあげるわね」
『やったあ! ありがとう兄ちゃん』
「いや、殆どお金は先生が出してくれたから」
 アインが言えば子ども達がシェルミールを見あげた。
『ありがとうございます! 先生』
「どういたしまして。選んだのはアインだから、多分みんなの好きなものばかりだと思うが」
『兄ちゃんありがとう』
 アインが照れくさそうにしているとシスターの一人がアインに声をかけた。
「あ、お昼まだでしょ? アイン、あなたミルラのところに顔だした?」
「いや、まだ。だけど酒場だから夕方じゃないと開いてないんじゃ」
 ミルラとは孤児院の近くにある酒場の娘のことである。幼い頃はほぼ毎日のように遊んでいた。
「最近、お昼から開けてるのよ。昼食限定のメニューとかご飯ものだけね。お酒は夕方からしか出さないみたいだけど。良ければ行ってみて。きっと喜ぶわ」
「そうだったんだ。ありがとう、教えてくれて」
 シスターに礼を言ってアインはシェルミールと共に孤児院を出た。それを見送った一同は、黙っているジェイクを見る。
「……あんたねえ。シェルミールさま睨みすぎ。相手にされてなかったけど」
「それが、余計腹立つ」
 シスターの言葉にジェイクが舌打ちする。アインの視線が外れる度にジェイクはシェルミールを睨んでいたが、一度ジェイクをちらりと見た後は、シェルミールは一切ジェイクを見なかった。まるで相手にならないとばかりに。
「くそ……絶対、明日の御前試合で優勝してやる」
「おお、大きく出たのう」
 ヴィグルドが笑うとジェイクが殺気だった様子でヴィグルドを睨む。
「なんだよ、無理だとでも?」
「いやいや。今回の出場メンバーを聞いたが、充分勝機はあるじゃろ。お前が油断しなければな」
「はん。騎士団長とか神官騎士とか一切出てないからな。今回は本当に若手とか下位騎士に絞った選抜みたいだし。優勝する芽は十分だ」
「その息じゃよ。とはいえ、あまり気負いすぎて大怪我をせんようにな」
 何度も言い含めている言葉を再度つげてヴィグルドは、独りごちる。
「わしの気のせいならいいんじゃが……なんだか騒がしくなるような気がしてならんからな」

*********

 イリーラの酒場はアインのいた孤児院から歩いて数分の距離にある。夜は美味しいお酒と美味しい食事をとりに仕事終りの騎士たちや労働者で賑わう。そんな酒場が最近、昼間も食事メインで提供という形で開店していると聞いてアインはシェルミールとやってきた。
「あ、本当だ開店中って出てる」
 アインが扉に下げられたプレートを見て喜ぶとシェルミールが扉を開いた。中からは数人の談笑する声と
「いらっしゃいませえ。イリーラの酒場へようこそ……ってアイン!?」
 健康的に日に焼けた焦げ茶色の髪を一つに結んだ女性ミルラがいた。
「ミルラ、久しぶり」
 アインが懐かしさで笑顔を見せるとミルラはしばらく呆けていたが、豪快に笑った。
「あっはっは! なんか、あんた痩せた? それとも、そっちの兄さんといい仲になって綺麗になっちまったほう?」
「へ!? な、なに、なにをいって!?」
 顔を真っ赤にさせるアインにミルラが更に笑う。
「あっはっはっは! ほんっと、相変わらずわっかりやすい奴。好きなとこに座りなよ。メニュー表はテーブルに置いてるから」
「あ、ありがとう」
 アインがシェルミールと二人壁際のテーブル席に座ると、かっぷくのいい女性がお冷やを持ってきた。
「いらっしゃいましよってアインじゃないかい」
「こんにちは、イリーラさん。久しぶり」
「ああもう、帰ってきてたのかい! もう、やだよお。あんた変わらないねえ、いや、変わったか。大分垢抜けたねえ」
 ミルラの母、イリーラは懐かしそうにアインを見て、アインの前に座るシェルミールに気づくと目を丸くした。
「ん? あんたいつの間にこんなイケメン捕まえたんだい?」
「え、ちょ……ち、ちが……わないけど、違う」
「どっちなんだい」
 アインの慌てぶりにシェルミールが思わず笑うとアインがむくれた。
「笑うな、馬鹿!」
「はは……すまん。初めまして、アインの魔術の師をしておりますシェルミール・ベルドハンドと申します」
「へえ! あんた魔術師さんかい! お城の魔術師もたまにうちに来るけど、見た目が弱っちくて頼り無くてしょうがなくてねえ。あんたくらいあれば、いいんだけどねえ」
 言いながらイリーラがお冷やを二人の前に並べる。
「え、えっと、昼間も開けるようになったんですね」
「ミルラがねえ、食堂みたいなことやりたいって言い出してね。試しに開いてみたのさ。酒場ほどじゃないけど、結構人が来るんだよ。特に仕事の休憩時間で抜けてくる女の子たちがねえ」
 この辺りに昼間も開いている良心的な値段の食事処は少ない。それに酒場は基本男性客が多く、女性客は恐がって中々来られない。
「うるさい野郎どもが少なくていいこった。もう少しあたしが歳いったら完全に食堂にしてもいいかもねえ」
 そう言いながらイリーラはテーブルに置いてあるメニュー表を指差した。
「日替わりはこれだよ。他のは裏に載ってるから。好きなだけ注文しておくれ。ミルラがちゃちゃっと作るからねえ」
「あんまり大量に頼まないでよお。あんた、意外と食べるからさあ」
「……そうか?」
 シェルミールが首を傾げるとアインが苦笑した。
「昔は、その……食べたら食べただけ背が伸びると思ってて。無理して食べてたんだよ」
「……伸びたのか?」
「今の俺の身長見ればわかるだろ! お前がでかすぎるんだよ」
「仕方ない。遺伝と体質だ」
「ぐっ」
 シェルミールの言葉にアインがうめくとミルラがフライパンを振りながらこちらに話しかけてきた。
「それで? いつから付き合ってんの、あんたら」
「な!?」
「割と最近だな」
「あっさり言うなよ!」
「隠すことか?」
「……ミルラはいいけど。別に言いふらさないだろうし」
 アインの言葉にミルラは笑った。
「言いふらしはしないけどね。だけどあんた達の様子見てたら、すぐばれるだろうね。アイン、あんたのこと知ってる連中なら特にね」
「え」
 ミルラの言葉にアインが顔を引きつらせる。
「目がキラキラしてるよ。それにさあ」
 ニヤニヤしながらミルラがアインの右耳を指差した。
「そろいのそんなのつけてたら、そりゃばれるさ」
「っ!」
 アインが顔を真っ赤にさせて今朝つけられたイヤーカフの存在を思いだして指先で触れた。
「……は、はずかし」
「お前は本当に恥ずかしがり屋だな」
 呆れ半分、かわいさ半分といった風にゆるく笑うシェルミールにアインは、まったく迫力のない顔で睨み付けた。
「慣れてないんだよ」
「そろそろ少しは慣れてくれるといいんだがな。まあ、可愛いからいいが」
「か、可愛いとか言うな!」
「はいはい、お熱いねえ。ジェイクがふて腐れそうだね」
「なんでジェイクが? さっき会ったけど普通だったぞ」
 驚くアインにミルラも、イリーラも、そしてシェルミールも生温かい目でアインを見る。
「……不憫な奴だね、ほんと」
「まあ、仕方ないさね。アインがそういう子って分かってて放っとくあの子が悪いよ」
「……敵に塩は贈らない主義だからな」
「?」
 きょとんとしているアインにシェルミールは苦笑して、先ほどウォルナットに乱されたままだった髪を撫でて整えてやる。
「お前はそのままでいいさ。俺はお前に言葉を尽くすのは嫌いじゃないからな」
「どういうことだよ」
 分からず不満そうなアインに笑ってシェルミールはコップの水を一口飲み込んだ。

*********

 本当は来たくなかったのだ。しかし、昨夜のジェイクの様子を心配した仲間達に口々に誘われたから仕方なくイリーラの酒場にやってきた。
「あら、いらっしゃいジェイク」
 現在は酒場として賑わっている店内でジェイクはこっそりとアインたちの姿を探す。その様子を見たミルラは呆れた様子で笑った。
「アインたちならいないよ。お昼食べてしばらくはいたけどね」
「べ、別に探してたわけじゃ」
 ジェイクが焦って言うと仲間達がアインの名前に反応した。
「アインって誰だ?」
「ジェイクの初恋の相手だろ。魔術師になるために魔法学校に行ったんだろ?」
 ジェイクと最も仲のいい騎士が言えば、他の仲間が反応した。
「へえ。そんでこっち戻ってきてんのか」
「休暇か?」
「お師匠さまの付き添いらしいよ。魔術師っていうよりあんた達をしごいてる上級騎士たちみたいな感じのイケメン」
 ミルラが鍋を覗きながらいえばジェイクはため息をついた。
「お偉い賢者さまらしいぜ」
「ん? まてよ、もしかして王宮魔術師たちが騒いでた例の賢者か? 人嫌いって有名な……名前はなんだったか」
「シェルミール・ベルドハンド」
 吐き捨てるように言うジェイクにミルラは笑った。
「あっはっはっ! そういやアインが言ってたよ、あんたに会ったって。全然変わらないってのほほんとしてたけど」
「……ミルラ」
「なんだい?」
 ジェイクは恐る恐るミルラに尋ねた。
「あいつ、やっぱりあの男とできてん、のか?」
 ジェイクの言葉にミルラは困ったように笑った。
「話じゃ最近恋人になったって聞いたよ。しかも、あのお師匠さんのほうがぞっこんで何度も告白してやっとアインが頷いたって聞いたよ。アインはすっごく照れてたけど」
「……まじか」
「アインみたいな奴にはねえ、それくらいいかないと駄目ってことさ」
 ぐるりと鍋の中身をかきまぜながらミルラはつげた。
「あんた、いなくて良かったんじゃない? こっちが恥ずかしくなるくらい仲良しだったよ」
「そうそう、だからジェイクがふて腐れそうだねって話してたんだよ」
 何処から聞いていたのかイリーラが酒瓶を運んできてジェイクたちの前に並べながら言った。
「そしたらアインがさあ、ジェイクにさっき会ったけど普通だったって言ったんだよ。あんた、本当に勿体ないことしたねえ」
 イリーラの言葉にジェイクは思わずテーブルに突っ伏した。他の騎士達は同情したような目で見ている。
「ていうかそのアインって子、かわいい系? 綺麗系?」
「綺麗系かな。どっちかって言うとね。あと勘違いしてるかもしれないから言うけど男だよ、アイン」
 ミルラの言葉にアインのことを聞いて来た騎士が目を丸くする。
「へえ! ジェイクが落ち込むくらいだから、どんな可愛い子かと。男なのか」
「別に今のご時世、男とか女とか関係ないけどね。結婚もできるし。だけどあんたは、女好きだから勝手に勘違いして馬鹿なことしないように言っとくよ」
「馬鹿なことって?」
「城の離宮に泊まってるって言ってたからさ。アインを見に行って勝手に落胆して馬鹿なこと言わないようにって配慮だよ」
 ミルラの言葉に騎士が苦笑いした。
「あー、離宮の周辺はその賢者さまが滞在中は近づくなって陛下の厳命が下ってんだよ。人嫌いで有名なんだろ? 陛下はどうも賢者さまのファンらしくてな。破ったってばれたら減給ってまで言われてて。俺達は絶対に近寄れねえ」
「へえ。てか人嫌いねえ……あたしらが話しかけても普通に笑ってたし、なんなら冗談まで言ってたけどね」
 ミルラの言葉にジェイクも思い浮かべる。人嫌いで有名で他人のことを蔑んでいる賢者、という噂をいくつもジェイクは聞いていた。けれど昼間、アインと共に現れた彼は――子ども達に囲まれて話しかけられても穏やかで、院長やシスターたちとも普通に歓談していた。
「あれじゃないかい。アインに恋して変わったんじゃないのかい」
「母さんったらロマンチストだねえ」
 ジェイクは、テーブルを見る。酒場の照明に照らされた時間を刻んだ痛んだテーブル。幼い頃は、傷は少なくこのテーブルも高そうに見えたのに。
(俺は一人でずっと立ち止まってたのかもしれないな)
 手に握ったビール瓶は汗をかいていた。口元に持っていけば生ぬるい液体が喉を濡らす。こんなものを飲めるようになったくらいなのだ。自分は、自分達は――離れすぎていたのだと今さらに感じてしまった。

*********

 御前試合、当日。
 ジェイクが軽くウォーミングアップをしていると、騎士仲間たちがやってきた。
「よう、ジェイク。調子はどうよ」
「まあまあ、かな」
 軽く体をほぐしてジェイクは立ち上がる。
「予選頑張れよ。そういや聞いたか? エング伯爵家の引きこもりが出るんだとよ」
「え? 田舎で療養してるんじゃなかったのか?」
 エング伯爵家は代々魔術師の家系で三人の息子がいるのだが上二人は魔術師として長男は神官騎士、次男はアカデミーで研究三昧の日々を送っているという。末弟は、上二人とは違い魔術師の才能がなかったらしく、けれど諦められなかった伯爵はあの手この手で三男を魔術師にしようと躍起になっていたらしい。過酷な訓練で心身の調子を崩した彼は田舎のほうで長期療養に入ったと風の噂でジェイクも聞いたことがあったのだが。
「なんか最近戻ってきてたらしい。そんで御前試合に登録してたみたいだな。勝ち進んだらやり合うはずだから。どうねじ込んだのかシード枠みたいだからな」
「……わかった」
 普通シード枠は前年度の優勝者または上位者、もしくは選抜試験でトップの成績に入った者が入るのだが、今回はそのどれでもなくエング伯爵の三男が入っているらしい。一体どれだけ金を積んだのだろうか。
「しかも魔術師として、らしいぞ」
「え? 魔術師?」
 魔術師の素養がなく父親の厳しい特訓に根を上げて心身を壊したはずなのに。一体どんな手を使って魔術師になったのだろうか。
 そうこうしていると鐘の音が鳴った。
「お、もうすぐ予選開始だな。がんばれ」
「ああ」
 仲間達に手を振ってジェイクは御前試合が行なわれる闘技場に向かった。
 だだっ広い巨大な円形闘技場にはジェイクを含め二十名の出場者が揃っていた。
「皆、この日のためにそれぞれ出来るだけのことをしてきたと思う。それを示すかのような青空! 力を存分に出し尽くしてくれ」
 闘技場を取り囲む観戦席の上の方、玉座を模した椅子の前に立った国王ルレイオが真っ白な髭を撫でながら拡声器越しに話す。
「この日のために近隣国より応援のため駆けつけてくださった方々がいる。紹介させていただこう」
 同盟国であるクロノス王国からはヘクリア公爵が、長年親交がある獣人たちの集落からエッパド総長という人狼のいかめしい男が出てきた。二人とも静かに礼をして下がる。
「そして――賢者シェルミール・ベルドハンド殿と弟子のアイン殿だ」
 ジェイクが見あげるとシェルミールが傍らに控えていたアインの手を取って共に前に出た。シェルミールは式典用なのか豪奢な刺繍の施された燕尾服ににた衣装をまとっている。背が高くスタイルがいいらしい彼によく似合っているのが腹立たしい。対するアインは――
(うわあ……)
 一瞬、何処かの貴族の令嬢かと思った。美しい大輪の薔薇の花飾りをつけフリルのついたシャツにアシンメトリーのスカート。タイツには金糸で刺繍をされており、編み込みのロングブーツを履いている。シェルミールの弟子というよりは
『あの子が弟子? 弟子っていうより……恋人っぽくね?』
『やっぱり何かあると思ったぜ。あの人嫌いで有名なシェルミールさまが弟子なんてなあ』
『それにしても人形みたいに綺麗な子だなあ』
 口々に小声で好き勝手に言う他の参加者にジェイクは内心認めたくはなかったが頷きたかった。今だって、恐らくアインは緊張やら衣装の悪目立ちで貧血でも起こしそうなくらい顔が青白い。それを腰を抱えて支えている。大体あの衣装を用意したのは恐らくシェルミールなのだろう。となれば
(恋人のお披露目会じゃねえんだよ、ここは)
 叫ばなかっただけ偉いと思って欲しい。アインも師匠が言うならと着たのだろうが、大人しくあんなものを着るのもどうかと思うのだ、ジェイクとしては。
(アイン……お前、魔術師になりに行ったんじゃねえのかよ。恋人作りに行ったとか笑えないぞ)
 内心で毒づいて――ジェイクは神経を尖らせる。こうなったら優勝してアインを殴りに行ってやる。目を覚まさせなければいけない。優勝すれば国王と賓客から褒美の授与がある。その際は二人に接触する機会がある。
(待ってろよ、アイン。お前の脳みそふわふわなところ、たたき直してやる)
 ジェイクは闘志を密かに燃やした。

*********

 予選が開始され、順番に試合を開始していく。三本勝負で二本先取で勝利。勝負が付かなければ延長戦。気が済むまで、もしくは互いの武器が壊れるまで戦うというシンプルにして大変に長丁場になる。
 ジェイクは順調に二本先取で勝ち上がる。もうすぐ予選を抜けられそうだ。
「とはいえ……次は例の伯爵の息子か」
 ジェイクはボードに掲示されている対戦相手の名前を見る。キルド・エング。
「見たことねえんだよな。どんな奴なんだ」
 ぼやいているジェイクの後ろから知らない声がした。
「見た目は黒髪の、癖のある髪に寝不足でくまが出来ている目をしている。そしてクラスは魔術師。とはいえ、モグリだよ。正規じゃない」
「あんた、誰だ?」
 ジェイクが振返ればやけに整った顔立ちの男が立っていた。薄い色素の髪と瞳。身につけているのは魔術師たちがよく羽織っているガウン。紋章を見るが魔術師でないジェイクにはどんな人物かは分からない。
「何、通りすがりの魔術師だよ。次にキルド・エングと当たるって聞こえたからついね」
「……なんか因縁でも?」
「まあね。彼自身にはそこまで警戒することはないと思うよ。ただ……」
「ただ?」
 魔術師は目を細めた。
「もしかしたら、切り札を出すかも知れない。そう、たとえば――暴走寸前の魔獣とか」
「は!? 魔獣!?」
 思わず大きな声を出したジェイクに魔術師は口元に指を当てた。
「内緒だよ? それに本当に出すかは分からない。ただ、そういう情報があってね、それに彼が出すとは限らない。エング伯爵が朝から姿が見えないらしいし」
「伯爵が」
 ジェイクの顔に不安が広がる。それを見て魔術師は微笑む。
「心配しなくていい。そのために、これを」
「なんだ、これ……宝石?」
 小さな手のひらで包める程の青色の宝石を手渡される。
「胸ポケットにでも入れておくといい。万が一が起った時に君を安全な場所まで転送してくれる」
「万が一?」
「そう。起らないほうがいいんだけれどね。それじゃあ、試合がんばって」
 立ち去ろうとした魔術師にジェイクは慌てて尋ねる。
「ちょ、本当にあんた、誰なんだよ」
「その辺にいる、ちょっとだけ名前が知られたり知られてなかったりする程度の魔術師さ。気にしなくて良い」
 ひらひらと手を振って魔術師は立ち去った。ジェイクは呆然と宝石を見つめる。アインの瞳にそっくりなその色の宝石を、ジェイクは言われたとおりに胸ポケットに入れた。

*********

 御前試合が開始されて、それはそれは長い時間が過ぎた。というのも、それはそれはゆとりのある時間設定のため、一試合にかかる時間が長い。特に、この御前試合でスカウトを狙っている者達は一応にアピールしようと必死だ。
 現在、アインはひたすら眠気と戦っている。目の前で繰り広げられている槍使いの男と拳法家という平民からの出場者は、間合いがまず違うためか様子見の時間が長い。そしてやっと打ち合いが始ったと思うと、拳法家のほうが逃げる逃げる。
(……ね、ねむい)
 必死に眠気と戦っているアインの横でシェルミールも退屈らしく頬杖をついて眺めている。彼等の席の二つほど空けて国王と後から合流した王妃が座っているのだが、彼等は慣れているのか適度にしゃべりながら穏やかに眺めている。その向こうのクロノス王国の公爵と獣人たちの集落からきた総長に関しては
「ぐおおおお……があ」
「んー……むにゃむにゃ」
 完全に寝ていた。普通なら国王の横でなにをしているという所だが国王は咎めない。まあ、アインもかなり眠すぎて耐えているのがやっと、程度なので国王の御前でなければ寝ている。確実に。
「……本当に最後までさせるんだな」
「……みたい、です、ね」
 一応公の場なのでくだけた口調はいけないだろうとアインは体裁を取り繕う。
「眠いなら寝ててもいいんじゃないか?」
「いや、それは……しつれい、では」
「あっちは完全に寝ているから平気だろう」
 シェルミールが左手でアインの髪を撫でる。優しい手つきにアインは――あっさりと陥落した。シェルミールに頭を預けてすうすうと寝息を立ててしまう。
「……」
 シェルミールはアインの寝顔を眺めながらやり過ごすことにした。それにしても退屈すぎる。確かにローレライ導師が来るのを嫌がるだけはある。
(まあ、平民にとっては貴重な登用のアピールの場だ。慎重になるのも仕方ないのかもしれんが)
 一応の理解は示すが、それにしても長い。
(槍の使い手の方は疲れが出てきているな。まあ、これだけ長丁場なら仕方ない。それを狙っているのか?)
 シェルミールは拳法家の動きを見る。あまり鈍っている様子は無い。慎重に間合いを見極めている。そして時折、空を仰いでいる。
(……時間稼ぎをしている?)
 それならば、何の? そこまで考えてシェルミールは、ふと気づく。
(次は確かあのジェイクというアインの友人と、例の伯爵の息子か)
 シード枠に何故か入っていたエング伯爵の息子。これまでの大会ルールではあり得ないシード枠獲得。しかし、誰も何も言わなかった。試合前に陛下が係員に理由を聞いたが彼も明確な答えを持っておらず――けれど時間も押しているということで試合は強行されたのだ。
(……面倒なことになっている可能性が高いな)
 シェルミールは横で眠っているアインの寝顔を見る。シェルミールの考えている面倒なことになっていた場合でも、アインだけは守り切る。そのためには――
(とりあえずいつでも離脱できるようにはしておかないとな)
 そのためにも今は、あの拳法家の動きに注視しなければいけない。考えすぎであることを、頭の片隅で祈りながらシェルミールは険しい顔で試合を眺めていた。

*********

 拳法家に動きがあったのは、太陽が真上に来た頃合いだった。疲れで槍をやっとかっと振るっていた男の攻撃を軽やかにいなして拳法家は高く飛び上がった。そうして渾身の蹴りを一撃。体力がギリギリだった槍の使い手はあっさりと倒れた。
「試合終了ーっ! 勝者リ・ボン」
 拳法家は一礼すると退場の門へ向かっていった。眺めていた観客の拍手は少ない。皆が飽きてきており大半が寝ていたり離席していたからだ。アインは決着がつく数分前にやっと目が覚めて起き上がる。
「……お、おわった?」
「今な」
「……」
 アインは会場を見渡す。会場の観客も、なんなら国王夫妻すらも流石に疲れが出ていた。長い時間の座っているだけの時間。
「アイン……離れるなよ、次だ」
「っ!」
 シェルミールが小さく呟くとアインの右手を握った。アインも握り返す。次こそが、彼等の本命――キルド・エングの出番である。アインは意識を闘技場へ向ける。シェルミールは、自分達の周囲を警戒する。そうして――鐘が鳴る。
 響き渡る鐘の音が、闘技場を包みジェイクとキルド・エングらしき気弱そうな青年が出てきた。不安そうに周囲を見回すキルドに対しジェイクは堂々としている。
「……ジェイク」
「心配か?」
「そりゃ……普通の相手ならここまで心配しないけど」
 問題は彼が魔獣を出してくるかどうか、だ。それもまともな方法なのか、そうでない方法で、なのか。
 戦いの始まりをつげる鐘が鳴る。ジェイクは体勢を低くして素早くキルドへ近づいた。魔術師であれば近接戦は不利だ。また呪文や術式を展開されるまえに決着をつけるのはジェイクのように魔法が使えない者にとっては当然のことであろう。キルドはジェイクの接近に悲鳴を上げる。
「ひ、ひいっ!」
 慌てて踵を返して逃げようとして、足が絡まってこけてしまう。ジェイクはキルドの様子に数歩手前で立ち止まる。
「やだ、やだよお……ひ、ひい」
「……なんでここにいんだよ、そんなに嫌なら」
 思わず声をかけたジェイクにキルドは情けない顔でつげた。
「だ、だって、と、とうさまが」
「……じっとしてろ。気絶させてやる。そしたら退場だ」
 ジェイクの言葉にキルドは身を固くして目をつぶる。ジェイクがキルドへ一撃を加えようと踏み込んだ、その時だった。
「馬鹿者が。我が家の面汚しめ」
 侮蔑を含んだ声。忌々しいと言葉だけでこれだけ表現できるのかと思うほど、重い声。その声が聞こえた瞬間、キルドが泣き叫んだ。
「や、やだやだやだ……うああああああああああああっ!」
「お、おい!?」
 キルドが発狂した瞬間、彼の体から黒い煙のような者が出てくる。キルドは地面に転がり、のたうち回る。
「いやだいやだいやだいやだああああ! たすけて、たすけてえええ!」
 キルドの様子に闘技場全体が恐怖に包まれる。そして虚空に浮かび上がるのは不気味な魔法陣。
「我が声に応えよ、魔神よ! いにしえの力、ここに! 我が息子を贄とささげん!」
「やだやだあああああああああああ!」
 声は何処から響いているのか。ジェイクが辺りを見回すが分からない。観客はパニックを起こして我先にと出口を目指すが――
『グオオオオオオオオオオッ!』
「きゃああああ!」
「な、なんでここに、魔獣があ!?」
『ギュオオオオオオオオオオッ!』
 地獄絵図だと、ジェイクは目を見張る。観客が、そして目の前でキルドが、死にそうになっている。
「く、くそおっ!」
 ジェイクは駆けた。目の前で何かの術で殺されそうになっているキルドを見捨てられなかった。そうしてジェイクがキルドの体に触れた瞬間
「君は優しい子なんだね、ジェイク。まあ、だからそれを託したのだけれど」
「っ!?」
 驚くジェイクの耳に届いたのは先ほどの魔術師の声。
「ありがとう。場を作られてしまえばいくら私とはいえ、入り込めないからね。きっかけが必要だったんだ。助かるよ。さあ、ここから先は任せておくれ」
 刹那光がジェイクを包む。何かに放り出されるような感覚と共に、気づけば闘技場の外に出ていた。大量の観客と一緒に。
「へ!?」
 混乱するジェイクと観客。その中には国王夫妻とどこぞの公爵と、獣人たちの総長も混じっていた。
「い、一体、これは!?」
「た、大変!」
 王妃が悲鳴を上げる。
「シェルミールさまとお弟子さんがいないわ!」
「!?」
 ジェイクは慌てて闘技場に戻ろうとした。しかし、闘技場は黒い煙のようなもので包まれており、侵入者を拒む。
「……アイン」
 ジェイクはその名を呟くしか出来なかった。

*********

「……私の儀式を邪魔したのは、貴様か」
 上空に浮かぶ魔法陣の向こう側から、一人の男が現れゆっくりと降りてくる。先ほどジェイドがいた場所に代わりに立っていたのは――
「そうだね。それで? これはどういうことなのかな?」
 魔術師の男――レノール・ファントムは穏やかに笑みながらも瞳は冴え冴えとしていた。地面に降り立った男、エング伯爵は真っ赤に染まった瞳に怒気をたたえてレノールを睨む。
「どういうことだと? はっ! 我が大望を果たさんとしたまでよ」
「大望……ね。魔神を呼ぼうとしていたようだけど」
 そう、先ほど自分の息子を贄にすると彼は言っていた。その贄でもって魔神を呼ぶと。
「決まっている! 魔神の中の王、魔王! それを私は呼ぼうと」
「……それ本気で言ってるのかい?」
 呆れた様子でレノールが言えばエング伯爵は全身で怒りを表すように肩を怒らせる。
「当たり前だ! 魔王を呼び、この地を制服する」
「なんのために?」
「なんのため、だと?」
 レノールの問いに男は――答えられない。
「……はあ。外れか。君はせいぜい、黒幕に弄ばれた駒の一つに過ぎないってことか」
「ば、馬鹿なことをいうな」
「それなら目的は何だい?」
「そ、れは」
 エング伯爵は再度、言葉に詰まる。脂汗を流し、息を荒げる。
「……質問を変えよう。誰に、君は呼ばれたんだい?」
「っ!」
 エング伯爵は答えに窮する。苦しげにうめくばかりな様子にレノールは息を吐く。
「……無駄骨かな」
「ゆる、さん」
 エング伯爵は空中に浮かぶ魔法陣を指差した。
「ゆるさん、ゆるさん……我が大望を阻んだ貴様を! 許してなるものかっ!」
 魔法陣から妖しげな黒煙が放たれる。それはエング伯爵にまとわりつき――体を持ち上げる。
「こうなれば、我が身を贄として呼び出してみせよう! 魔神の王、魔王を!」
「……さて、どうしようか? ねえ、シェルミール?」
 レノールが呼びかけた直後、観客席にたかっていた魔獣の群れから何かが飛び出してきた。飛び出してきたものは空中を舞い、ぐるりと落下の勢いを殺すためか回りながら落下してきた。レノールの数歩後方に着地したのはシェルミールとシェルミールに抱えられたアインである。
「相変わらず規格外だねえ」
「貴方と他の導師お二人にだけは言われたくないですね」
「……」
 アインはシェルミールに目をつぶっておけと言われて目をつぶってはいたが、平衡感覚があやふやになり顔が青白い。そしてアインからすればシェルミールだって本当に規格外だし、自分達以外の観客を外にたたき出したレノールなど人外レベルだ。一体何をどうしたらそんな真似ができるのか。
「……アカデミーの、上のほうって、こんなんばっか、なのか?」
 何とか軽口をたたける程度には回復したアインが、シェルミールの腕から抜け出た。目を開いて前を見据えれば魔法陣に取り込まれようとしているエング伯爵がいる。
「……あれは一体なにを」
「自分を贄に魔王を呼ぶらしいよ?」
「……魔王?」
 アインは首を傾げる。
「魔王って……魔神たちの王って言われてる?」
「そうそう、その魔王」
「あれ、でもその魔王って」
 アインは記憶をたどる。
「……ファントム導師の契約魔神に入ってませんでした?」
「うん」
 笑顔で頷くレノールと、それが聞こえたらしいエング伯爵は、あきらかに動揺する。基本、高位魔神や上位精霊はそうやすやすと何人もの術者と契約はしない。一時的に召喚に応じることはままあるが。
「いや、だからどうやって呼ぶのかなあって単純な、興味? あとその呼び出した場に一応契約交わした術者がいたら、どうするのかなあって」
「……まあ、滅多にそんなことないですからね」
「ね? だから早く来ないかなあって待ってるんだけど」
 割と人でなしである。
(あれ? マーロンさまがファントム導師は聖人君子みたいな、すっごく優しい人って言ってたんだけどな)
「アイン。ファントム導師はな、優しいんじゃない。基本、周りに興味が無いだけだ。この人がかろうじて情を持っているのは自分の身内とローレライ導師とアガリア導師に対してだけだ」
「あっはっは! 君にだけは言われたくないなあ。君だってアイン君以外割とどうでもいでしょ?」
「当たり前では?」
「あっはっは! まあ、魔術師なんてそんなものだよね」
「え、ええ……」
 二人のやりとりに呆れていいのか嘆けばいいのかアインが分からないでいるとエング伯爵がうめきだした。
「う、うおおおおおおおおおおっ!」
「あ、あれは」
「……始ったみたいだね。さて、何が来るかな?」
 レノールが右手をくるりと回して長い魔術師のロッドを取り出す。美しい青色の巨大な宝玉をくわえ込んだロッドの先端を地面に突き刺すと前方の魔法陣を睨んだ。
「シェルミール、多分、魔獣達もくるよ」
「わかってます。アイン、俺の後ろにいろ」
「う、うん」
 シェルミールに言われアインは彼の後ろに入る。そうして――それは、来た。
「お、おおおおおおおおおおおお、ごおおおおおおおおお、ああああああああああああっ!」
 エング伯爵がうめき声を上げながら――とても人のものとは思えないほどの声を出しながら魔法陣に消えていく。そして――魔法陣が広がる。闘技場の上空全体を覆うほどの大きさになり、それは現れた。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHHH』
 言語化するには難しい「声」を上げながら魔法陣から現れたのはまがまがしい気配をまとった、一つ目の巨人。
「……墜ちた巨人。神代において古代サンライズ帝国の初代女王が精霊王と共に打ち破った七大悪に数えられる存在。中々大物を呼んだじゃないかい」
「感心している場合ですか。神話では女王はかの巨人を大海に封じたはずです。それが、どうして召喚されようとしてるんです」
 ゆっくりとその巨体を魔法陣から出そうとしている。頭と、肩――そこで動きが止まる。
「完全召喚は無理みたいだね。シェルミール、大海の封じはまだ健在みたいだよ、よかったね」
「何が良かったですか! どうするんですか、あんなもの」
「やるしかないだろう。どうにかして」
 レノールは地面に突き刺したロッドを持ち上げ空へ掲げた。
「やるだけやるよ。じゃないと、国が滅ぶ」
「この国だけで済めば御の字レベルの災厄ですが!? 神代の資料だってないし、私だってあんなもの知らない!」
「それは私だって同じだよ。あれが本当にいるなんて思ってなかったもの。しかもあんな小物に完全ではないとはいえ呼び出されるとは思わないじゃない」
 言いながらレノールはロッドに魔力をこめる。
「あれは私が試しに色々やってみるよ、君は、魔獣の群れを宜しくね」
「はあ……やるしかないのでやりますがね! アイン、本当に離れるなよ!」
「分かってるよ」
 シェルミールも右手に自分のロッドを呼び出し掲げた。美しい緑色の宝石が無数の巨大な輪の中にはめ込まれたそれがシェルミールの魔力を帯びて美しく光り始める。
「来たれ、栄光ある王。その翼は空を飛べずとも、王位は健在なり。キングドラゴン!」
「命を産みし大地の奥に眠るものよ、我が身に刻みし約定を果たせ。来たれ、地の魔神アースクエイカー!」
 それぞれ別に呼び出された高位の存在。シェルミールに呼び出されたのは原初のドラゴンと呼ばれるキングドラゴン。全てのドラゴンの頂点に君臨する。その力は全てのドラゴンを従わせることができる権威である。そしてレノールが呼び出したのは地の魔神。大地を産み大地を支え、精霊や他の生き物たちが生まれるまで見守り守ってきた存在と言われている。
「来たれ双頭の竜よ! 汝らの力にて場を支配せん! ツインドラゴン!」
「遙かなる果てに眠るもの。その力は全てを吹き飛ばし、彼方へと追いやる祓いの力。希う、我が身に刻まれた約定を糧に顕現せよ。風の魔神タイクーン!」
 シェルミールが炎と水の力の両方を持つ双頭のドラゴンを呼び、次いでレノールは風の魔神を呼び出した。
「……なんだこの召喚合戦」
 呼び出された者達は指示どおり、魔神たちは一つ目の巨人を、ドラゴンたちは魔獣たちを鎮圧しようと動く。
「ちっ、数が多いな」
 シェルミールのドラゴンたちが魔獣達に攻撃していくが、一斉にばらけたり、それぞれに身を固くして攻撃が通りづらい。レノールのほうも苦戦しているようだ。
「魔神で勝てそうになかったらどうしようもないんだけど」
 ため息をつきながら魔神に指示を飛ばすレノールを見てアインは考える。
(場所が広すぎるんだよな。だだっ広すぎて魔獣達もこっちに迫ってくるけど逃げ場がある。そしてあの一つ目の巨人。今のところ目立ったことはしてないけど、あの瘴気で魔獣達が活性化してしまってる。キングドラゴンがいるからツインドラゴンの攻撃は上がってるはず。せめて魔獣を先にどうにかできねえかな)
 巨人の瘴気の影響を受けて確かにタフにはなっているが、巨人を相手取るよりは遙かにマシ、なはずだ。そうして考えてアインはひらめいた。
「ミール、一旦お前のドラゴン下がらせろ。どっちも」
「な、なに!?」
「いいから。後ろに下げるだけで良いから」
 アインに言われてシェルミールがドラゴンたちに指示をだす。ドラゴン二体、後方にシェルミールたちの側にまで下がるとアインはシェルミールの左手を取った。
「借りるぞ」
「なに?」
 アインは右手でシェルミールの左手を握ると意識を集中させる。
「……プミア、ユ、ミ、カムア、アーセレス……プミア、ユ、ミ、カムア、アーセレス。汝が番、ネプリアの契約者として力を行使する。顕現せよ!」
 アインの呪文に大地が応えた。アインたちの足下にアーセレスの印が浮かぶ。
『おうよっ! 早速呼んでくれたな!』
「アーセレス、頼みがある。あの魔獣たちをどうにかしたい。確か、あんたは大地にあるものなら何でも動かせたり変形させられたな? 石でも」
 アインの問いにアーセレスが印の向こうから返事する。
『おうともさ。この大地に属するものならなんでもな』
「なら壁を作ってくれ。あの魔獣達を囲む壁。できるだけ巨大な――あの一つ目がのぞき込めないくらい高い壁を」
「!?」
「へえ……そんなことできるのかい?」
 レノールの問いかけにアーセレスは笑う。
『はっはっは! あいつらを囲い込めばいいのか。それくらい、朝飯前だぜ!』
 印が強く光る。次の瞬間、観客席からこちらを狙ってきていた魔獣達を観客席の壁が襲った。
『ギャオオオオオオン!?』
『ほうらよっとお!』
 壁が魔獣達をひとまとめに追い込む。そしてあっという間に一カ所に固めるとその周りを高い壁が囲い込む。
「ミール、今だ」
「ツインドラゴン! 壁の中の敵を滅しろ!」
 シェルミールの命令を受けたドラゴンのブレスが壁の中の魔獣を焼き切る。キングドラゴンが咆哮を上げるとブレスの勢いが上がり、ほどなくして魔獣達は消滅した。
「よし、あとはあの一つ目だけだ」
「うん、さっきのはいいアイデアだったよ、アインくん。だけど、ごめん、こっちどうにもなりそうにない」
 レノールが申し訳なさそうに謝る。魔神達がそれぞれ強力な攻撃をくわえているが、全て一つ目から発せられる魔力弾によって打ち消されている。
「……導師、水の魔神は呼べたりしますか?」
「え? 呼ぼうと思えば呼べるけど、どうして?」
 アインは一つ目の巨人を睨みながらつげた。
「初代女王が、あの巨人を大海に封じたのは理由があるはずです。一つは、あんなでかいやつをしっかり封じ込められる場所が早々無かったのもあるとは思います。だけど、万一封印が解けてしまった時のことを女王が考えないとは思えないんです」
 神話では一つ目の巨人退治は彼女が大陸制圧をほぼ完了した後の話だ。万一巨人の封印が緩んだり解けた時に折角作り上げた帝国を壊されてはたまらないと女王なら考えるはずだ。
「ていうことは、もしかしてあの巨人、水が苦手なのでは?」
「……へえ、面白い推測だね。だけど、これ以上粘っても私が魔力切れ起こしてどうにもならなくなるだけだしね。やるだけやってみようか」
「はい。お願いします。そしてアーセレス、まだいるか」
『おうよ。なんだ?』
 アインはアーセレスに命じた。
「俺達の足場を保ったまま、周りの土を下げてくれ。水を流し込めるように」
『いいけど、なんでだよ』
「決まってるだろ」
 アインはニヤリと笑った。
「お前の大好きな女神さまの権能、あの一つ目にぶっ放すんだよ。水場があるネプリアは無敵だぞ? しかも今回は権能を高めるキングドラゴンに水の魔神っていうゲストがいるんだ。勝機はある」
 アインの言葉にアーセレスは自らの特性を用いて水を流し込めるようくぼみを作る。ドーナツ型の窪地が完成するとレノールは召喚していた二体の魔神を戻す。そして改めて呼び出すのは
「全ての命の根源、命が生まれる場にて眠るものよ。我が身に刻まれし約定にて顕現せよ、水の魔神メイルストロム!」
 レノールの呼びかけに水の魔神が応える。虚空から現れた水の魔神にファントム導師は命じた。
「メイルストロム、このくぼみに水を流してくれるかい?」
 ファントム導師の言葉に従い水が満たされる。一つ目は様子をうかがっているのかこちらをじっと見るだけだ。
「……本当にいけるのか?」
「やるしかない。勘が当たってますように!」
 アインは右手を空へ掲げた。
「来たれ! 我を加護せし水の精霊よ。その力でもって敵を穿て。汝の契約者、アイン・ミストーレが命じる! 顕現せよ、ネプリア!」
 アインの右手の印が発光する。そして水場が動く。せり上がり、無数の水滴が宙に浮かび、一つの大きな塊となり――水の上位精霊にして女神、ネプリアが現れた。
「ネプリア、あの一つ目の目玉をえぐるぞ」
『え、えぐる!? あ、アタシに槍だとか、そんなもの生み出す力ないけど!?』
「水の槍でも矢でもいいから作って撃ってくれ、いいから」
『え、えええ? そういうのはアタシの領分じゃないのに……アインがしてよ、弓と矢はあげるから!』
「あるのかよ」
 ネプリアは頷くとその身を美しい弓矢に変えた。魔を穿つ必中の弓矢。
「……導師」
「ん? 何?」
「この足場狭いから導師の魔神に乗って良いですか?」
「え? い、いいけど、乗れる?」
 アインはレノールの返事を聞くや否や水の魔神を手招きする。魔神がゆっくりとアインに近づく。
「あいつの目玉に当たる位置に持ち上げてくれ」
 アインが言えば魔神は両手を差し出した。その手にアインが乗ると魔神がアインを持ち上げる。一つ目は何もせずじっとアインを見つめていた。
「……寝てたのに叩き起こされて、おまけに訳がわからないまま戦わされたってところか。だからお前、何もしてこないんだろ?」
『……』
「安心しろ、責任もって寝かせてやるよ」
 アインはネプリアの弓を引いた。水の矢が出現し一つ目を狙う。
「……おやすみ、お前の眠りが二度と覚めませんように」
 祈りと共に矢が穿たれた。魔を穿つ必中の矢は真っ直ぐに一つ目の巨人の急所、大きな目玉を穿った。
『GAAAAAAAAAAHHHHHHHHHH!』
 アインが放った矢によって巨人は魔法陣と共に消えていった。同時に闘技場を囲んでいた黒い煙も消滅した。

*********

 御前試合は結局中止となった。エング伯爵の死――一体誰が伯爵をそそのかし、古代の巨人を召喚しようなどと思わせたのかに関しては分からなかった。王宮の憲兵が伯爵の屋敷に向かった時には伯爵の屋敷は焼き払われていた。
「伯爵の長男は行方知れず。次男はアカデミーの研究室にこもってたから無関係を主張。三男は術の贄にされかけた影響で重体。話が聞ける状態じゃない」
「長男が妖しいですね」
 王国の危機を救ったということで今宵は王城にて舞踏会が開かれることになった。レノール、シェルミールはそれぞれ国王に与えられた礼服を着て現在人気の無いテラスに出て話をしている。アインは着替えが終っていないため不在である。
「まあ、何ともいえないけどね。口封じに連れて行かれたって可能性も大いにあるから」
 レノールの言葉にシェルミールは頷いた。
「確かに。それで魔獣達の出所は?」
「屋敷が燃やされてしまったからね。残念ながら何も残らず。伯爵と接触していた人間、何人かマークしてたんだけど」
「けど?」
 シェルミールの言葉にレノールは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「全員行方不明、もしくは、死体が見つかった。やになるね」
「調査は振り出し、ですか」
「そうだね。魔獣を売り買いしているマーケットだけでも見付けたかったねえ」
 ため息をつくレノールにシェルミールは、なんと声をかけたものかと悩む。そうしているとテラスへ人影が現れた。
「遅かったねアイン君……おや」
「ほう」
「……笑えよ」
 現れたアインは紺色のノースリーブのスリットの入ったフレアドレスの下にショートパンツと黒のタイツ、フラットシューズを履いている。首元にはレースのチョーカーをつけており、頭には薔薇の花の髪飾りにミニベールがついている。
「いやだって言ったからな、一応」
「……化粧もされたのか?」
 廊下の照明がアインを照らすと、アインの肌が真珠をちりばめたように輝く。そして唇も常より血色がいい。
「……いやだっていった」
「そうか。俺はお前が綺麗に飾られるのは嫌ではないから構わんが」
「……」
 何ともいえない顔をするアインにシェルミールは手を差し出した。
「どうせ陛下に挨拶にはいかないといけない。行くぞ」
「挨拶終ったら帰っていいか? 脱ぎたい」
「一曲くらいは踊ったら?」
「踊れないし、いいです」
 レノールの言葉にアインが首を振るがシェルミールは、そのまま手を引く。
「付き合え、お前は俺に合わせればいい」
「へ? なにいって」
 そのまま共に陛下の元へ挨拶に行く。
「おお、これはこれは。シェルミール殿にアイン殿。よく似合っている」
「素晴らしいものをありがとうございます」
「……ありがとうございます」
 アインはとりあえずシェルミールにならって挨拶をする。ロレリア国王は楽しそうに笑っている。
「お二人とファントム導師のお陰で本当に助かりました。なんと礼を言えば良いのか」
「勿体ないお言葉です」
 二人のやりとりを作り笑顔で聞いていると、ロレリア国王がアインを見た。
「それにしても、アイン殿は珍しい精霊使いだそうですね。多くの精霊を使役していらっしゃるので?」
「え? いや、そんなことはないですよ?」
「そうなのですか。あまり聞き慣れないクラスだったもので」
「そう、ですね」
 アインは何と話して良いか分からず困惑する。精霊使いと名乗っていいとは確かにローレライ導師から手紙で言われているが。
(なんだろう、やけに食いついてくるな。というか……この気配は)
 アインは横目でシェルミールを見る。シェルミールも視線を返す。彼も何かを疑っている。そうしていると、レノールがやってきた。
「やあ、わざわざこんな大きなパーティ開いてくれてありがとうね」
「いやあ、これはファントム導師。こちらこそ、本当にこの度は」
 ロレリア国王の返答の様子にシェルミールの顔色が変わる。アインの腕を引っ張って自分の背後に回した。他の貴族や騎士たちも固まる。
「……ふふ、ねえ、聞いてもいいかな?」
「なんでしょうか?」
 ロレリア国王が頷けば、レノールは腕を振った。
「ルレイオを何処へやった」
 ピタリとレノールのロッドの先端がロレリア国王の喉元に当てられる。周りの騎士達も国王を――ロレリア国王の偽物を取り囲む。
「……おかしいなあ? なんでばれたのかなあ?」
 にいっといやらしい笑みを浮かべ、聞いたこともない若い声で偽物が応える。
「……ルレイオと私は友人なんだよ。魔法学校時代からの。ルレイオは私を導師なんて呼ばないんだ」
 レノールとロレリア国王の関係は、二人を知る人間なら知っていて当たり前の話だ。だから騎士たちも貴族達も動揺したのだ。
「そうなんだ。それは知らなかったよ……やっぱり、こういうのはケチってはいけないんだね。専門家に頼まなきゃいけないんだねえ」
 偽物が自分の顔を掴んだ。そうして、べりりと顔の皮をはぐようにして、変装用らしいマスクを脱ぎ去った。
 整った顔立ちの男だった。冴え冴えとした冷たい瞳の色は緑。髪の色は燃えるような、赤。
「……見ない顔だね」
「ふふ、そうだろうね。だって僕は、何処にも登録してないから」
 にいっと笑った男は、ぐるりと周りを見回して――シェルミールとその背後に庇われているアインを見る。
「……ふふ」
「ルレイオは、何処だ」
 再度尋ねるレノールに男は首を傾げる。
「んー? どうしたっけ? あの真っ白な髭のおじさん……ああ、そうそう! 水の宮の鍵をちょうだいって言ってもくれなかったから腹が立ってさあ」
 にいっと男は笑った。
「窓から外に投げ捨ててやったよ」
 それを聞いた王妃が悲鳴を上げた。国王夫妻の寝室は三階。その下は、断崖絶壁の海だ。
「さ、さがせ! 陛下を!」
 バタバタと走り去る騎士達と動かない男。そしてレノール。シェルミールとアインもまた動けないままだった。
(こいつ、さっき水の宮って言った? 水の離宮じゃなくて)
 それにこの警備の中を、誰にも咎められずどうやって王の部屋に行ったのだろう。魔術の結界だって張ってあるのに。
(移動だったり壁を壊すことは不可能なはずだ。それなのにどうして)
「ふふ、どうして僕がここにいるか不思議って顔してるね、アイン」
「……」
 アインを見つめて、それはそれは嬉しそうに男が笑う。
「君と同じ。君だって、多分その気になれば出来るよ。だって、君は精霊に愛された愛し子、だろう?」
「……なんでそれを知っている」
 シェルミールが益々警戒を露わにする。アインが精霊の愛し子であることは師匠であるシェルミールくらいしか知らない。魔法学校の書類にすら、そんなことは記載していない。
「なんで、か。だって……僕たち、一緒だもの」
「一緒……?」
 アインが警戒しながら尋ねれば男は笑った。
「だって僕は――君だから。アイン」
「……は?」
 アインが思わず声を出した。すると男は応えた。
「僕はね、ある人の願いの塊。ずうっとずうっと願われてやっと最近目を覚ますことを許されたんだ」
「願いの、塊?」
「ふふ。分かってるくせに」
 男がアインの元へ近づく。アインは男をしっかりと見た。
「……え」
「気づいた?」
「……う、嘘だ」
 アインは青ざめる。その反応を見てシェルミールがいぶかしむ。
「アイン?」
「どういう、ことだ」
「ふふ……」
 男が笑う。そう、よく見れば、その姿は
「アイラ……?」
 アインが名を呼べば男――アイラは笑う。
「あは、あっははははは! そう、そうだよ! アイン、僕はアイラ。君と同じ。君と同じアイラ・サンライズと同じ魂を持つ者」
 アイラは笑う。美しい顔で。
「かのシエルード・ヴィエラが、恋い焦がれた最後の王子! 帝国に殺された不遇の!」
「……それなら、どうして」
 アインは尋ねる。
「何故、水の宮の鍵を求めるんだ。本当にお前がアイラだって言うなら、開くはずだ」
「……だって、水の加護は君が持っているじゃない。残念ながら僕は持っていないから」
「いいや、関係ない。それでも扉は開くはずだ。なぜなら――あの宮はサンライズ王家のための屋敷。王族のものであれば開くはずだ! 確かに俺はネプリアの加護で扉を開けた。だが」
 アインはつげる。
「お前がアイラだったら知っているはずだ、王家のための、王族の証明である言の葉を!」
「……!」
 アインの言葉にアイラは目を見開き、そして苦しげにうめく。
「……そう、そうだ。僕には記憶がない。アイラってことは分かってる。だけどそれ以上は……」
「お前はどうやって生まれたんだ。その口ぶりだとシエルード・ヴィエラの関係者の力でか」
 アインの追求にアイラは声を荒げる。
「僕は、アイラ本人だ! アイラの死後の体を利用してシエルード・ヴィエラが」
「ありえない」
 アインは首を振った。
「アイラは死の呪いで死んだ。あの呪いは――精霊の加護すら貫く呪い。かかったものは肉体は崩壊し、塵芥となる。不可能だ」
 王族の死体を悪用されないために生み出された恐ろしい呪いなのだ。現代では幸か不幸か伝わっていないが。その言葉にアイラは青ざめる。
「だからお前はアイラの死体を元に、なんて無理だ」
「だ、だけど、僕はシエルードに」
「それこそ可笑しい。シエルード・ヴィエラがお前を生み出すのに関わっていたなら知っていたはずだ。王族のための言葉を。そしてお前をアイラの代わりとして生み出したなら必ず教えているはず」
「え」
 アイラが呆けたような顔をする。アインは静かにアイラを見つめる。
「お前は何処まで聞いてるんだ。アイラとシエルード・ヴィエラのことを」
「……」
「シエルード・ヴィエラがアイラに恋い焦がれていた、それだけか」
「……何、なんなの?」」
「それはこっちの台詞だ。お前こそ何だ……俺と同じと言い張るってことはお前も愛し子かそれに近い特質もちなのは分かるが……お前には精霊の加護は感じない。誰からも加護を得ていないのか?」
 アインが益々いぶかしむと、アイラは泣き出しそうな顔をする。
「どうし、どうして……僕こそが、アイラだって、アイラだって」
「……誰に言われたんだよ」
 アインの問いかけにアイラは首を振る。
「いやだ、いやだ! 僕は――アイラだ! シエルードが、もうすぐ目を覚ますのに」
「……は?」
 アインだけでなく様子を伺っていたレノールもシェルミールも驚く。今、なんといった。
「シエルードが目を覚ますには、精霊王を呼ばないといけないんだ。僕が、僕が呼ぶんだ」
「精霊王だって?」
 アインが驚愕に目を見開く。精霊王の召喚など、一体どうやって。
「……そうだ、ねえ、アイン。君の記憶、ちょうだい」
「なに?」
「君はちゃんとアイラの記憶、持ってるんでしょ? だったらそれをもらえば、僕は完璧なアイラになれる」
 言うとアイラの影から何かがうごめく。それを見てアインは悟る。アイラは――目の前のアイラに似た彼は精霊の愛し子ではない。
「お前は――」
「アイン! 逃げろ!」
 シェルミールがアインを突き飛ばす。アイラの影からいくつもの影の手が伸びる。レノールが魔法でいくつか吹き飛ばすが全ては吹き飛ばし切れない。
「くっ! アイン、逃げるんだ!」
 転がるように廊下に出たアインは走る。レノールとシェルミールが魔法でアイラの放つ影の手を潰すが次から次へと出てくる。
「ねえ、待ってよ。ずるいよお……君だけ持ってるのは」
「くそっ! 影の子どもかよ、お前!」
 影の子ども――影、闇に住まう異形たちに愛されし子ども。精霊の愛し子とは違い、また魔獣や幻獣とも違う闇の存在に愛された存在。そのため、夜は彼等の力が強くなる。
「ああもう! せめて光のあるところに……」
 しかし照明や明りを見付けてもすぐ何かで壊されてしまう。闇がアインを捕まえようと迫る。
「くそっ! 風の精霊よ!」
 アインが呼べば風の精霊がアインを囲む。アインの走る速さを上げて影の手の攻撃を防いでくれる。しかし――数が多い。
「はあ、はあ……」
 息がきれる。風の精霊が手助けしてくれているが、追いつかれそうだ。闇は、迫る。
「つかまえた」
「っ!」
 すぐ背後から声が聞こえた。瞬間アインの体が影に捕まる。風の精霊は影に消されたらしい。
「あは、あはははは! アイン」
「ぐうっ……!」
 影が集まり槍のようになる。アイラが巨大な影に守られるように立っていて右手を持ち上げた。
「君を――君の中の僕を、ちょうだい」
「……馬鹿が。俺だって、アイラの記憶を全部、もってるわけじゃ、ない!」
「だけど、君は知ってる。アイラが知っていなきゃいけないことを知ってる。それなら、それを、もらわなきゃ……僕がアイラ、なんだから」
 研ぎ澄まされた槍はアインの心臓を狙う。アインは、ひたすらにアイラを睨んだ。
「お前が、アイラだったら……本当に、あいつが、シエルードが、目覚めるっていうなら」
 アインは笑った。
「記憶なんてなくたって、愛してくれる、はずだ」
「……それでも、欲しい」
 アイラは右手を振り下ろした。槍のようになった影がアインを捉えた。
「ちょうだい」
 心臓を影が貫く、そう思った瞬間
「やれないな。こいつは――俺のものだ」
「っ!」
 アインの前に、大きな背中が瞬時に現れて立ちふさがった。
「シェルミール!」
 影はアインではなく、シェルミールを貫いた。飛び散った血がアインにかかる。
「あ、あ、ああ……」
「ふ……ぐっ」
 致命傷は避けたようだったが、影は深々とシェルミールの脇腹を貫いている。
「邪魔しないでよ」
 アイラが怒りにまかせて第二弾を放とうと手を上げた、その時
「光よ来たれ、闇を祓い、魔を穿てっ! ライコーン、撃てっ!」
「っ!?」
 光輝く白馬が空から現れ、巨大な角を振り回しアイラを狙う。シェルミールに集中していた彼はまともに攻撃を食らった。
「う、うああああああああああっ!」
 吹き飛ばされた瞬間、影の刃も消えてシェルミールが崩れ落ちる。アインが慌てて駆け寄る。
「シェルミール! ミール! 馬鹿、なんで!」
「……ぐ、アーセレスの、力でな。お前の所にすぐ、飛べた」
 大地の精霊アーセレスの力。番であるネプリアの加護を持つアインの元にその力で無理やり飛んできたらしい。
「だからって、こんな……癒しの水よ、かの者の傷を癒やしたまえ」
 アインが泣きながらシェルミールの傷へ癒しの力をかける。何度も、何度も。
「馬鹿、馬鹿……お前が死んだら、いみ、ない、だろうが」
「……おれにとって、は俺の命より、お前の命の方が、だいじだ」
「馬鹿……馬鹿だろ」
 そうこうしているうちにレノールが駆けてきた。
「生きてるかい?」
「か、ろうじて」
「無茶をする……精霊の加護をもらっていて良かったね。じゃなかったら即死だったと思うよ」
 レノールも癒しの術をかけてくれる。段々傷がふさがってきた。
「……っ」
「ミール!」
「……大丈夫、息はある。呪いの類いはかかっていないみたいだから、きちんと治療すればよくなる」
 レノールの言葉にアインは安堵の息を吐く。
「……よかった」
「……シェルミールはこれでいいとして、問題は」
 アインは、レノールを見た。彼は何かに耐えるように瞳を閉じる。
「……朝になったらまた探すらしいけど、絶望的だね。ルレイオは」
 声自体は淡々としていて、感情の揺らぎも感じなかったけれど、閉じられた瞳にどんな意味があったのか、アインには思うことも難しかった。



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