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一章
9 父ちゃん、頼むよ……俺、なんでもするから……(前編)
しおりを挟む鬼が食べ残したお新香とサラダの残りでサクッと朝食を済ませ、部屋の掃除を続ける。
だというのに、父ちゃんは泣き止んだかと思えば、訳のわからないことを言い出した。
「もうそんなことはしなくていいんだ。今まで気づいてやれなくて、すまない……」
そろそろ疑ってしまう。もしかして父ちゃんは、情緒不安定ってやつなのではないだろうか……。
「あのな父ちゃん、このままにしておくと臭ってくるだろ? 俺がやらなきゃ誰がやるんだ? まあ今日は父ちゃんがやってくれるってんなら任せてもいいけど、明日はどうするんだ? 明後日は? あまり適当なこと言ってくれるなよ!」
「いいんだ。翔太。これからはもう、掃除も洗濯もしなくていいんだ。それに毎日好きなものだって食べられるぞ! だからもう、大丈夫だ」
あちゃー。これは本格的にまずいかもな。
大層な夢を語ってやがるぜ。からあげ食って昇天しちまったってか。……まぁ、気持ちはわかるけどな?
「父ちゃんは仕事で忙しいだろ? 帰ってくるのは年に一回くらいじゃん。できないことは軽々しく言うもんじゃないぜ?」
まっ。世界にたった一人の優しい父ちゃんだ。情緒が不安定なら、それに合わせて接してやるだけの話。
すると父ちゃんは優しく微笑んだ。
「なあ、翔太。鹿児島のお爺ちゃん家は覚えているか? 翔太がまだ3歳くらいの頃に一度だけ行ったことがあるんだが」
鹿児島……。社会の授業で習ったぞ。九州の端っこだったかな! へぇ! 俺、そんな遠くに行ったことあるのか! みんなに自慢してやろ!
「ぜんっぜん覚えてねえ! けどすげーな! そんなところに俺の爺ちゃんが居るのか!」
「あぁ、すごいぞ! そのお爺ちゃんがな、翔太に会いたがっているんだ。行けばきっといっぱい甘やかされるぞ! どうだ? 行きたいか?」
おっ。なんだなんだ! ひょっとして旅行ってやつか! 常夏とのラストバトルを控えているとはいえ、明日から春休みだもんな!
そっかそっか。鹿児島かぁ~。たぶん海とかありそうだよな!
綺麗な貝殻でも拾って、常夏にお土産としてあげようかな! ……うん! いいな、それ!
今日は俺が勝っちまうだろうからな! きっとあいつは不機嫌になっちまう。よしっ。決めた!
「まじかよ父ちゃん! 連れてってくれるのか? すっげー行きてー! ……あ、でも、仕事は大丈夫なのか?」
「あぁ。お休みをもらっているから心配はいらない。飛行機のチケットも既に取ってあるぞ~!」
「す、すっげぇ! 旅行ってだけでも初めてなのに、飛行機にまで乗れちまうのかよ! や、やべーな!」
「ははは。旅行か! それよりももっとすごいぞ? これから翔太はお爺ちゃん家の子になるんだ。だからもう、なにも心配することはないんだ。今よりずっと幸せになれる」
……は?
やっぱり情緒不安定だな。訳のわからないことを言いだしやがった。そろそろアレだな。アレだよ。アレ。
思えば、話が微妙に噛み合っていなかったような気がするし。
そもそもだ。これから常夏とのラストバトルを控えているってのに、かまけている時間はないだろ!
悪いな、父ちゃん。また来年、構ってやるからな!
「俺、もう学校行くから! 戸締まりだけは忘れんなよ!」
するとまたもや、父ちゃんはおかしなことを言い出した。
「今日は学校に行かなくても大丈夫だ。昨晩、担任の吉木先生だったか? 連絡はしておいたから、ズル休みってわけではないから安心しなさい」
……は?
「さっきから何言ってんだよ。意味分かんねーよ!」
父ちゃんは不思議そうな顔をするも、すぐに納得するような表情に変わった。
「あぁそうか。すまんすまん。翔太はこれからお爺ちゃんの家で幸せになるんだ。もうなにも心配はいらないよ。今まで気づいてやれなくて、本当にすまない。お爺ちゃんにはな、よく言って聞かせておくから、安心しなさい。わがままだって言いたい放題してもいいんだ! これから色々と取り返していこうな!」
狂っている。直感的にそう思った。
これってのはつまり、爺ちゃん家に俺が住むって話だ。しかも鹿児島。
バッカじゃねーの。
「なんなんだよ。珍しく帰ってきたかと思えば、めちゃくちゃなこと言いやがって! 付き合ってられっかよ。俺、学校行くから。また来年な! じゃーな! 元気でな!」
言いながら玄関に向かおうとすると、父ちゃんが行く手を阻んできた。
「どうした翔太? 今日は学校に行かなくても大丈夫だって、さっき言っただろ? これから飛行機に乗るんだぞ?」
ズレていた。どこまでもズレていた。
「いいかげんにしろよ。なにが大丈夫なんだよ。あんたさっきからおかしいよ。病院行ってこいよ! 救急車呼んでやろうか?」
「しょ、翔太……?」
「触んなよ! 離せよ!」
勢い良く振り払ってやった。
「せっかく唐揚げをくれてやったってのに、恩を仇で返すような真似しやがって。こんなことになるならな、俺が食っちまえば良かったよ! あー、もう邪魔だから退け!」
「翔太……。…………翔太!」
静かに俺の名前を呼ぶと、二度目は声を荒げた。
ついに姿を現しやがったか。なーんか怪しいと思ってたんだよな! やっぱり鬼に取り憑かれていやがったか!
母ちゃんに取り憑いた鬼は俺から安寧を取り上げたりはしなかった。でも父ちゃんに取り憑いた鬼は、違う!
こいつの言いなりになっていたら、鹿児島とかいう場所に連れて行かれちまう。
だから容赦はしない!
「ざけんなーッ!」
俺は父ちゃんの足首を狙って思いっきし蹴っ飛ばしてやった。するとよろめき、倒れたところで透かさずマウントを取る。
「出ていけ! 父ちゃんに取り憑いた鬼が! とっとと出て行けーッ!」
俺は瞬足の翔太だ。皆の光輝く一等星、カシオペア──。
鬼に屈するほど、ヤワな男じゃない。
いつだって本気になればコレもんなんだよ!
しかし父ちゃんはやつれてこそいるが、タッパもあり体格も俺とは比べものにならない。
マウントを取っていたはずが、すぐさま起き上がると、俺は抱きかかえられてしまった。
「離せ! 俺は鹿児島なんか行かねえ! 絶対行かねえかんな!」
「やめなさい!」
大きく声をあげたかと思えば──。
「……いや、すまない。それで翔太の気が済むのなら……」
そう言って俺を下ろすと、座ってしまった。
それはまるで、殴りたければ殴れと言っているように見えた。
……ふざけんな。ふざけんなよ?
「なんで攻撃して来ないんだよ! なんなんだよ! ほら、そこにお前ら鬼が大好きな布団叩きの棒があるぞ! やりたきゃ、やれ! そんで満足したら、しばらく俺には構うな!! ほらやれよ! 早く!!!! いつもみたいにやって終わらせろ!」
父ちゃんは唇を噛み締めると、血が出てきた。
泣きやんだはずなのに、再度、ぽろぽろと涙が頬を伝う──。
「あ、あれ……? もしかして父ちゃんなのか? 鬼を追い払ったのか?」
「すまない。翔太……。すまない…………」
かと思えば──またこれだ。
どうしてなのだろうか。父ちゃんとは話が噛み合わない。
鬼に取り憑かれているわけではなかったというのに、根本的になにかがズレていた。
まるで俺を哀れむような視線が──ただただ、気持ち悪かった。
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