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一章
7 俺が笑っていられたのは、お前が居てくれたから
しおりを挟む「うそ……? ヘッドロックで落ちても涙ひとつ流さない翔太が泣いてる! ま、ママ! 救急車呼んで!! 翔太が壊れちゃった!!!!」
慌てる常夏を横に、俺はハンバーグに食らいついていた。
出来たて熱々のハンバーグ。デミグラスソースがたっぷりと乗っていて、フォークで突くと肉汁が溢れ出す──。
うめぇ。うめぇよ。なんだよ、これ……。
ハンバーグを口へと運ぶ手が止まらない。それと同時に、あふれ出す涙も止まらなかった。
美味しい──。
そう思えば思うほどに、頭の中から母ちゃんが作ってくれたハンバーグが消えていくような気がしたんだ。
「ママ! 救急車! はやく!」
「こーら、花火! 食事中に騒がないの! 忙しない子なんだから。翔太くん、おかわりはいっぱいあるからね? 急がず遠慮せず、好きなだけ食べていってちょうだい!」
おかわり……。その言葉を聞いて、頭の中から母ちゃんが作ってくれたハンバーグは完全に消滅する。
世界一美味しいハンバーグの思い出は、書き換えられた──。
「……ありがとうございます。すごい、美味しいです……。世界一、美味しいです……!」
「あっ! なるほど~。あまりの美味しさに感動して泣いてるってわけね! ママ! やっぱり救急車は呼ばなくて大丈夫! ほら、食いしん坊な翔太にわたしの分をあげましょー!」
言いながら常夏は、俺のお皿に食べかけのハンバーグを乗せてくれた。
「……ありがとう。ありがとうな!」
「いーのいーの! おかわりはたくさんあるんだから!」
そう言うと常夏はすぐに、お皿を常夏ママに向けた。
「ってことでママ、おかわりーッ!」
あれ……。それはちょっと違うんじゃないか?
食べかけを俺に寄こして、自分はすぐさまおかわりをするのか。
本当にいい性格をしているよな! お前ってやつは!
「どうせおかわりするなら、自分の分は自分で食えよ! なんかいろいろ台無しなんだよ!!」
「な、なによ! せっかくあげたのに! バカ翔太!!」
不思議と涙は、止まっていた──。
☆ ☆
母ちゃんが鬼に取り憑かれる前の記憶はぼんやりとしていて、あまりよくは覚えていない。
でも、ハンバーグを食べさせてくれたときのことだけは、なんとなく覚えていた。
だから今は、鬼に取り憑かれているだけ。
いつかまた、ハンバーグを作ってくれたときの優しい母ちゃんに戻る。それだけを信じて、鬼からの攻撃に耐えてきた。
そんな微かな望みも、希望も──。
この日、すべてが消えてなくなった。ハンバーグの思い出とともに、記憶の中の優しい母ちゃんは消えてしまったんだ。
そうなればもう、家に居る酒臭い女は母ちゃんではなく、ただの鬼でしかなかった。母ちゃんはとっくの昔に死んだ。こいつは母ちゃんの皮を被った、鬼──。
怒り狂って攻撃をされても、怖くもなんともなくなった。
もとより俺は鬼に怯えていたわけじゃない。
優しかったはずの母ちゃんが狂ったように怒るから、泣きもしたし怯えもした。……ただ、悲しかっただけなんだ。
でも、母ちゃんじゃなくて鬼だとわかれば、それもおしまい。
俺は瞬足の翔太だ。光輝く一等星、カシオペア──。
鬼にビビるほど、ヤワな男じゃないんだぜ!
俺が本気をだしたらお前なんかワンパンだ! 常夏のヘッドロックのほうが100倍脅威だっつーの!!
それでもやっぱり──。
母ちゃんの皮を被っているからなのか、やり返すことはできなかった。
鬼ってやつは、弱いくせに卑怯な奴だ。
──居なくなっちまえばいいのに。
母ちゃんでないのであれば、こう思ってしまうのもまた、当たり前のことだった。
☆ ☆
そこから先はあっという間だった。
鬼に怯えることがなくなれば、残るのは楽しい毎日だけ。時間は不思議なくらいに早く過ぎていった。
☆ ☆
ハンバーグをご馳走してくれた一件以来、常夏は俺を食いしん坊と言っておちょくるようになった。
「ねえねえ食いしん坊! うちのママがね、翔太も来るならクリスマスケーキ大きめの作るって言ってるんだけど!」
「え、お前ん家の母ちゃんってケーキも作れるのか?」
「当たり前でしょ! クリスマスケーキのひとつやふたつ召喚するのなんて簡単なんだから! ちなみに、うちのママが作るクリスマスケーキは世界一だよ~!」
「フッ。だったら、その世界一ってやつを確かめに行ってやろうじゃねえか! 半端なもん出しやがったら末代まで鼻で笑ってやるからな!」
「望むところ! バカ翔太をまた泣かしてやるんだから!」
クリスマスケーキを食べた記憶なんて、ただの一度もなかった。食べられるだけで、俺にとっては唯一無二の世界一だ。
それなのにこうして強がってしまうのは、常夏の前では格好良い男でありたかったのかもしれない。
それからもこんなやりとりは続いた。
大晦日──。
年越しそばに屋台のたこやきに、常夏花火。
正月──。
お雑煮におせち料理に、常夏花火。
節分。バイレンタインデー。ホワイトデー。
隣ではいつも常夏が笑っていた。
学校では相も変わらずに決闘に明け暮れたけど、放課後の俺たちの関係は少しずつ、本当に少しずつだけど変わっていった。
毎日がとにかく楽しかった。
学校に行けば友達に会えるし、常夏だって居る。
遠足気分で学校に行き、帰って来れば明日が来るのを楽しみに眠った。
だからずっと、こんな日が続けばいいなと思っていたんだ。
でも、そんな最高の毎日は──。ある日突然、終わりを迎える。
何の前触れもなく忽然と、鬼が姿を消してしまったんだ。
居なくなればいいと思っていたのに──。それは間違いだったと、すぐに思い知ることになる。
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