顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。

おひるね

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一章

7 俺が笑っていられたのは、お前が居てくれたから

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「うそ……? ヘッドロックで落ちても涙ひとつ流さない翔太が泣いてる! ま、ママ! 救急車呼んで!! 翔太が壊れちゃった!!!!」

 慌てる常夏を横に、俺はハンバーグに食らいついていた。

 出来たて熱々のハンバーグ。デミグラスソースがたっぷりと乗っていて、フォークで突くと肉汁が溢れ出す──。
 
 うめぇ。うめぇよ。なんだよ、これ……。

 ハンバーグを口へと運ぶ手が止まらない。それと同時に、あふれ出す涙も止まらなかった。

 美味しい──。
 そう思えば思うほどに、頭の中から母ちゃんが作ってくれたハンバーグが消えていくような気がしたんだ。

「ママ! 救急車! はやく!」
「こーら、花火! 食事中に騒がないの! 忙しない子なんだから。翔太くん、おかわりはいっぱいあるからね? 急がず遠慮せず、好きなだけ食べていってちょうだい!」

 おかわり……。その言葉を聞いて、頭の中から母ちゃんが作ってくれたハンバーグは完全に消滅する。
 世界一美味しいハンバーグの思い出は、書き換えられた──。

「……ありがとうございます。すごい、美味しいです……。世界一、美味しいです……!」

「あっ! なるほど~。あまりの美味しさに感動して泣いてるってわけね! ママ! やっぱり救急車は呼ばなくて大丈夫! ほら、食いしん坊な翔太にわたしの分をあげましょー!」

 言いながら常夏は、俺のお皿に食べかけのハンバーグを乗せてくれた。

「……ありがとう。ありがとうな!」
「いーのいーの! おかわりはたくさんあるんだから!」

 そう言うと常夏はすぐに、お皿を常夏ママに向けた。

「ってことでママ、おかわりーッ!」

 あれ……。それはちょっと違うんじゃないか?
 食べかけを俺に寄こして、自分はすぐさまおかわりをするのか。

 本当にいい性格をしているよな! お前ってやつは!

「どうせおかわりするなら、自分の分は自分で食えよ! なんかいろいろ台無しなんだよ!!」
「な、なによ! せっかくあげたのに! バカ翔太!!」


 不思議と涙は、止まっていた──。
 





 ☆ ☆

 母ちゃんが鬼に取り憑かれる前の記憶はぼんやりとしていて、あまりよくは覚えていない。

 でも、ハンバーグを食べさせてくれたときのことだけは、なんとなく覚えていた。

 だから今は、鬼に取り憑かれているだけ。
 いつかまた、ハンバーグを作ってくれたときの優しい母ちゃんに戻る。それだけを信じて、鬼からの攻撃に耐えてきた。

 そんな微かな望みも、希望も──。
 この日、すべてが消えてなくなった。ハンバーグの思い出とともに、記憶の中の優しい母ちゃんは消えてしまったんだ。

 そうなればもう、家に居る酒臭い女は母ちゃんではなく、ただの鬼でしかなかった。母ちゃんはとっくの昔に死んだ。こいつは母ちゃんの皮を被った、鬼──。

 怒り狂って攻撃をされても、怖くもなんともなくなった。

 もとより俺は鬼に怯えていたわけじゃない。
 優しかったはずの母ちゃんが狂ったように怒るから、泣きもしたし怯えもした。……ただ、悲しかっただけなんだ。

 でも、母ちゃんじゃなくて鬼だとわかれば、それもおしまい。


 俺は瞬足の翔太だ。光輝く一等星、カシオペア──。

 鬼にビビるほど、ヤワな男じゃないんだぜ!
 俺が本気をだしたらお前なんかワンパンだ! 常夏のヘッドロックのほうが100倍脅威だっつーの!!
 
 それでもやっぱり──。
 母ちゃんの皮を被っているからなのか、やり返すことはできなかった。

 鬼ってやつは、弱いくせに卑怯な奴だ。

 ──居なくなっちまえばいいのに。

 母ちゃんでないのであれば、こう思ってしまうのもまた、当たり前のことだった。


  ☆ ☆


 そこから先はあっという間だった。
 鬼に怯えることがなくなれば、残るのは楽しい毎日だけ。時間は不思議なくらいに早く過ぎていった。


  ☆ ☆

 ハンバーグをご馳走してくれた一件以来、常夏は俺を食いしん坊と言っておちょくるようになった。

「ねえねえ食いしん坊! うちのママがね、翔太も来るならクリスマスケーキ大きめの作るって言ってるんだけど!」

「え、お前ん家の母ちゃんってケーキも作れるのか?」
「当たり前でしょ! クリスマスケーキのひとつやふたつ召喚するのなんて簡単なんだから! ちなみに、うちのママが作るクリスマスケーキは世界一だよ~!」

「フッ。だったら、その世界一ってやつを確かめに行ってやろうじゃねえか! 半端なもん出しやがったら末代まで鼻で笑ってやるからな!」
「望むところ! バカ翔太をまた泣かしてやるんだから!」

 クリスマスケーキを食べた記憶なんて、ただの一度もなかった。食べられるだけで、俺にとっては唯一無二の世界一だ。
 それなのにこうして強がってしまうのは、常夏の前では格好良い男でありたかったのかもしれない。

 それからもこんなやりとりは続いた。

 大晦日──。
 年越しそばに屋台のたこやきに、常夏花火。

 正月──。
 お雑煮におせち料理に、常夏花火。

 節分。バイレンタインデー。ホワイトデー。

 隣ではいつも常夏が笑っていた。

 学校では相も変わらずに決闘に明け暮れたけど、放課後の俺たちの関係は少しずつ、本当に少しずつだけど変わっていった。

 毎日がとにかく楽しかった。
 学校に行けば友達に会えるし、常夏だって居る。
 遠足気分で学校に行き、帰って来れば明日が来るのを楽しみに眠った。
 
 だからずっと、こんな日が続けばいいなと思っていたんだ。

 でも、そんな最高の毎日は──。ある日突然、終わりを迎える。

 何の前触れもなく忽然と、鬼が姿を消してしまったんだ。


 居なくなればいいと思っていたのに──。それは間違いだったと、すぐに思い知ることになる。
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