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 音霧さん家のインターホンを鳴らすとカリンは俺のズボンの端をギュッと掴んだ。

 そして玄関が開き音霧さんが出てくるのと同時にススッと俺の後ろに隠れてしまった。

「あっ、スー君。さっきぶり。どしたぁ?」
「ええっと……いや」

 少し、考えてしまった。
 この土壇場で隠れてしまった意味を考えると、やはり無理をさせてしまったのかと。

 言ってもまだ九歳。事前に音霧さんと打ち合わせをするなり、他にやりようはあった。

 俺はまた、学校に行かなくなった日の間違いを繰り返してしまったのだろうか……。

 音霧さんは「うん?」と表情に疑問符を浮かべながらも、俺の後ろから僅かにはみ出るカリンの様子に気付くと「なるほどなるほどぉ~」と、優しい笑みをこぼし玄関へと通してくれた。

 おおよそのことを察してくれたみたいで、ホッとした。そうとわかれば、俺にはできることがある。

「カリンどうした? 出直すか?」

 俺がそう言葉をかけると首を横に振った。
 そして、背中をグイッと引っ張り背伸びをすると右手を口に当てたので、そっと耳を傾けた。

 (ごめんお兄ちゃん。よくよく考えたら、あまり右手は見せないほうが良いかもしれない。相手はサキュバスだから。わたしの存在に気付いたら厄介なことになる)

 (……確かに、そうだな)

 (うん。こんなことなら右手に包帯でも巻いてくれば良かったよ)

 (じゃあ、一度出直すか?)

 (ううん)

 涙が出そうになった。厨二病設定を広げながらも、この場から逃げようとはしない。ちゃんとごめんなさいをしようとしている。

 えらいぞカリン……がんばれ!

 大丈夫。お兄ちゃん見てるからな!

 カリンが頑張って何かを伝えようとしている様子に音霧さんも気付いたのか、なにも言わず優しい表情をしていた。

 そしてついに、カリンが口を開いた。

「……お隣さんだからご近所付き合いはする。で、でも‼︎ わたしとお兄ちゃんの安寧を脅かした時は……容赦しない‼︎ ……さっきは酷いこと言って、ご、ご、ごめんなさい‼︎」

 前セリフも程々に、ちゃんとごめんなさいできた! えらいぞカリン!

 そして持ってきたチョコ菓子を左手・・で前へと出した。

 うん。たいへんよくできました!

 あとはお兄ちゃんに任せろ!

「カリンなりに悪いことしちゃったなって思ったらしく、お詫びのお菓子だって。もらってあげてくれませんか?」

「あぁー、もぉ、尊いなぁ~カリンちゃんわ!」

 そう言うと音霧さんはチョコ菓子を「ありがとね」と受け取り、俺の足元でしゃがむと目線を合わせるようにカリンに話しかけた。

「おいで、カリンちゃん!」

 両手を広げカリンに抱きつこうとした。

「う……。ほ、ほらお兄ちゃん! 謝ったからもう帰ろう! 早く‼︎」

 カリンは勢いよく俺のズボンを引っ張るのと同時に、音霧さん家の玄関を開けた。

 それを横目に俺は音霧さんにごめんのポーズをすると、人差し指と親指で丸を作って“いいよ”と返ってきた。

 冗談ばかりの人だけど、やっぱり年上女子。その表情は大人びた優しいものだった。

 今回ばかりは本当に音霧さんで良かった。 

 あとで何かしら埋め合わせしないとかな。

 ◇◇

 そのままカリンは50mくらい俺の手を引きながら走った。

「はぁはぁ。ここまで来れば大丈夫。……サキュバス……忌々しい。匂いに当てられてわたしですらクラっとしてしまった」

 言いたいことはわかるから不思議だ。音霧さんは少しえっちだからな……。

 ──ピコンッ。

 ポケットのスマホから通知音が鳴った。取り出すとメッセージが一件。

 カリンが覗き込んでくる。

「お兄ちゃんのスマホが鳴るなんて明日は雪かな?」
「そしたら雪だるま作ろうな!」
「うん。でもお兄ちゃんのスマホが鳴るの、嬉しい」

 などと喜んでくれたカリンだったが、メッセージは音霧さんからだと知ると表情は一変。

《あとでカリンちゃんの好きなロールキャベツ持ってくね! お菓子の御礼に♡》

「お、お、おのれ! ハートマークなど付けて、あまつさえ餌付けまでするつもりか! ……籠絡されてしまう……。このままじゃ、わたしもお兄ちゃんもあの女の手籠めにされてしまう……」

 と、言った直後にじゅるりと垂れたよだれをササッと拭いた。
 そう言えばカリンは音霧さん家のロールキャベツが大好きだったな。うんうん。それなら!

「音霧さんは受験勉強で忙しいから、こんなことはたぶん今日だけだと思うぞ。籠絡も手籠めにもする暇はないとおもうけどなぁ~」

「そ、そうなのか。確かに、サキュバスのくせに手料理だなんて、本来の目的から逸脱している気も……」

「そうだぞ。それにカリンのあげたお菓子がロールキャベツになって戻ってくると思えば、な?」

「う……。それでは本末転倒な気もするけど」

 再度、じゅるりと垂れたよだれをササッと拭いた。ロールキャベツという言葉に反応している模様。

「これも立派なご近所付き合いだぞ? 断ったらかえって失礼だとお兄ちゃんは思うけどなぁ~」

「じゃ、じゃあ今日だけは……。でもね、お兄ちゃん。あまりわたしに隠れてあの女と会ったりしちゃダメだからね。サキュバスは本当に恐ろしいんだから。骨抜きにされちゃう……。約束できる?」

 うんうん。カリンの気持ちはよくわかった。
 お兄ちゃんの身を案じてるのと、きっと取られちゃうんじゃないかと不安なんだよな。

 それにしても籠絡、手籠め。そして骨抜き。どこでそんな言葉を覚えてくるのか。お兄ちゃんはそっちのことのほうが心配だよ……。

 でも!
 最近は少し嫌われてるかとも思ってたけど、そんなことないな!

「あぁ! 約束できるぞ! カリンが結婚して旦那さんを見つけるまで、ずっと側に居るからな!」

「……バカ。そこまでのことを言ってるわけじゃないのに」

 プイッとそっぽを向いてしまったけど、昔にも似たようなことがあったなぁ。と、ホッコリした気持ちになった。

 ◇◇
 大人の階段を登り、いつかお兄ちゃんのことを必要としなくなるその時まで、ずっと側に居るからな。

 今も昔も、これからも。
 この想いだけは変わらない。
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