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第1話

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「ひょっとして変態さん? 残念。バレバレです」

「まっ、ちが──」

 その瞬間、俺の高校生活終了のチャイムが脳裏に鳴り響いた。否定の余地のない状況に言葉を失った──。

 高二の春。桜散る四月──。
 卒業まであと二年近くもあるというのに、とんでもない事態に陥ってしまった──。

 朝のHR前、担任がいつ来るともわからないガヤガヤした教室の隅、窓際最奥の席とその隣の席で静かに事案・・は発生した──。

 これは恋愛マスターを自称するうちの妹が発案した作戦だった。

 俺は隣の席のクールビューティーこと学園のマドンナ。葉月さんと話すきっかけが欲しかった。

 クールで近付き難い雰囲気のためか、彼女のまわりはいつだって静かだった。まるで避暑地を流れる川のように──。


 そうして妹から発案されたのが『消しゴムころころ転がしちゃおう大作戦』だった。

 消しゴムを落とす、拾う。なんてことないクラスではありふれた光景。しかし、消しゴムは作戦名通りにコロコロと転がり葉月さんの足下に着地。

 夜な夜な作戦の成功を祈って、妹と消しゴムを丸くする作業に没頭した。それが仇となった──。

 まさかこんなにもころころ転がるなんて。
 教室の床を舐めていた……。

 そこから先はもう、いま目の当たりにしている惨劇というわけなのだが……。

 俺は葉月さんの机の真下に潜り込んでしまったんだ。

 殆ど無意識だった。
 消しゴムを拾う。ただ、その一心で──。


「ふぅん。違うの? 否定するんだ? いいよ。なら、そういうことにしといてあげる。これはひとつ貸しね」

 しかし不思議なことに、高校生活終了のチャイムは鳴らなかった──。

「貸し?」

 的を得ない彼女の言葉に思わず聞き返してしまう。

「そ。学校生活。なにが起きるかわからない。教科書忘れる、体操着忘れる、お昼忘れる、お金忘れる。そんな時、キミを私は脅す……じゃなくてお願いをする。十回ね。いい?」

 夢にまで見た憧れの葉月さんから、とんでもない言葉が飛び出してきた。

「ちょっとまってて。いまポイントカード作るから」

 そういうと手帳から厚紙を取り出し、女子力高そうなカラフルペンなどでちょっとした工作を始めた。

 なにがいったい、どうなっているんだ?

 とりあえず返事をしてみた。

「あ、うん」

「意外と素直なんだね。わざと消しゴム落とすくせに」

 彼女は手を動かしながらこんなことを口にした。

 思い返してみれば、消しゴムを落とす際のことをなにも考えていなかった。

 いったいどんな落とし方をしたのか、考えると穴の中に埋まりたくなった。

 ゴールと言う名の葉月さんの足下を狙って、転がした。俺は馬鹿か! ああ馬鹿だな!

 妹と夜な夜な考えた作戦の抜かりを認識するも、時既に遅し──。

「いや、そ、それは……」
「それわ? なに?」

 こちら側をみることなくポイントカードとやらを作りながらも、その聞き方からは何処かイジらしさを感じた。

「なんでもない……」
「ははっ。なにそれうける。認めちゃうんだ」

 でも不思議と会話をしていた。
 隣の席になって数週間。朝の挨拶すら交したことはなかったのに──。

「ハイできた。これね。キミは今日からわたしを十回助ける。おっけい?」

「いえす」 

 英語で聞かれたからなのか、俺の返答も英語になっていた。彼女のペースに完全に乗せられている。と、言うよりも掌握されているような気がした。

「やっぱり素直だな~。なんか使いづらいかも。でもまあ、いいか」

 使いづらい。……あ、使いづらい!

 扱いづらい! 

 いや違う。使いづらいって言ったよな……。

 こうして話してみると、俺が思い描いていたクールビューティのイメージとは全く違った。

 無口でおしとやか。
 耳を澄ますと草原のせせらぎが聞こえてくる──。そんなイメージを勝手に描いていた。

 でもそれは、幻想だったのかもしれない。




 ◇ ◇

 さっそくその日のうちに三度、助けるハメになった。

 でも意外と良心的で休み時間にそのことを教えてくれる。
 しかし、結構ギリギリで。予鈴のあとに。

「あっ、数学の教科書忘れてた」

「貸すよ」
「え、いいの?」

 なんだ。しらじらしい。俺に拒否権はないはずなのに。

「だってそういうあれ・・だろ?」
「べつにこれくらい。授業中寝たフリしてればいいし」

「だめだ。ちゃんと勉強しろ」
「はーい」

 まったくもう。

 さらに──。

「あらら。やってしまった。体操着ないや」

 このときばかりは視線を感じた。

「ほらよ」
「え、いいの?」

 そういえばさっきもこのセリフ聞いたな。
 しらじらしい。

「だってお前、仮病でサボる気だろ?」
「まあ、そうだけど」

「なら着ろ。俺は他のクラスの奴から借りてくるから」

「ふぅん。これはちょっとポイント高いかも」
「じゃあポイントカードにスタンプいっぱい押してくれ」

「それとは別」
「けちんぼめ!」

 なんだかんだ普通に話せていた。
 今朝までおはようの一言すら言えなかったというのに──。

 ただ、思い返してみると、度々体育を休んでいるイメージがあった。まさか、体操着を忘れていたから? そんな疑問は抱くよりも前に、今日この日の出来事を持ってして答えを見つけていた。

 クールに見えて割と普通。
 そして、忘れん坊──。少し、だらしない──。

 隣の席に居たのに、いままで気付かなかった──。

 なんだかそのことに後ろめたさを感じるとともに、いままで憧れと羨みそして好きという感情を懐きながらも、見ようとしていなかった自分にひどく腹が立った。

 そうしてその気持ちが、俺を突き動かした──。


 その日の放課後。帰りがけを呼び止めた昇降口でのこと──。

「明日の持ち物とか全部書いといたから、朝家を出る前に確認すること。それからこれ、俺のIDな。通話越しでさらにもう一度確認するから電話してこい」

 女子にメッセージアプリのIDを書いた紙を渡すのなんて初めてのことで、小っ恥ずかしさで少しぶきっちょな言い回しになってしまった。

「なんでそんなこと?」

「お前! 忘れ物が半端ないんだよ!」

 それはふいに、無自覚な彼女に対して思わず出てしまった言葉だった。

 俺の中の葉月さんはこんなにもだらしない女なわけがない。クールでおしとやかでビューティーで──。

 考えれば考えるほどに、自分に腹が立った。


「なんなの? パンツ見ようとしたくせに、偉そう」

「わ、悪い」

「じゃあいいよ」

「え、なに?」

「見事、スタンプを十個集めた暁にはパンツを見せてあげましょう。なんならあげるし。二千円で」

 俺は言葉を失った。
 もうすべてがぶっとんでいた。
 既の所で首の皮一枚、保っていたであろうクールビューティーなイメージが崩壊してしまったのだ。

 でも、ひとつだけどうしても気になることがあった。それを聞かずにはいられない。

「どうして二千円なんだ?」

 言葉にしたあとで、本当にどうしようもないことを聞いてしまったなと後悔をした。でも、気になる──。

「普段履いてるのがそれくらいの値段のやつだから。なんならブラもあげるよ? 新しいの買えば済むし」

 意外とリーズナブルなんだな。
 って、そうじゃないだろ。いや、欲しくないと言ったら……いやいや。だめだろ! 俺!!

 絶対にだめだろ!!

「買うわけないだろ!」
「あ、そう。パンツ見ようとした割には意外と紳士だね。もとより売る気なかったからいいけど。試すような真似してごめんね。これはちょっとポイント高いよ」

 は、ハニートラップ……!!

「あ、当たり前だろ!」

「でも、見事スタンプ十個集められたら、お礼としてね? 考えといてあげるよ」

 ……………………………。

 あれ。なんだろうこれ。
 二千円で俺がパンツを買いたいって流れになってないか?

「えーと。誤解しないでね。あくまでお礼も兼ねて一石二鳥ってことだから。そこんとこだけは履き違えないで。わたし、そういうこと気軽にする女じゃないから」

「お、おう」

 やっぱりそんなことになってる!!

 二千円なら……ある。あるぞ。財布の中にある!

 あるあるある! ある!!

 って俺!! だめだろ! だから!!

「あはは。うけるねキミ。欲しいなら素直に欲しいって言えばいいのに。顔に出てるぞ~」

 そう言うとおでこをツンッとしてきた。

 今まで思い描いていたクールビューティーとのギャップから、俺の恋心は枯れてしまうのかと思った。

 実際、枯れたのかもしれない。

 でも、いま目の前で笑う彼女の姿を見て、俺の心はトキメキを感じた。

 笑うと、こんな顔するんだな──。
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