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118.溢れる感情
しおりを挟む衝撃の事実にバーカルを凝視する。そんな俺にバーカルは哀愁漂わせるようふっと口元を緩めるが……
「……」
……全然覚えてないっす。
走り回って逃げていたことや捕まって袋に入れられ、荷馬車で運ばれたりと覚えていることは多々あれど、肝心の誰に捕まったかまでは全く思い出せない。思い出したくなくて思い出せないのではなくて、単純に覚えていないのだ。だが、しつこく追いかけ回された記憶はある。
困っていれば、バーカルは昔を懐かしむような目をし、語り出した。
「あれは……父の仕事の一環(奴隷収穫)として部下達について行った時のことでした。今のツキさんも可愛らしいですけれど、小さな頃のツキさんもとても素敵で……。あの幸薄で悲しそうな泣き姿に僕は一目惚れしたんですよね。ちょこんと木の根に座って、見つかった僕達から一生懸命逃げては転んで滑って木に突っ込んで頭突きをしては、懸命に立ち上がってまた泣きながら僕達から逃げるんですよ」
だんだんバーカルの様子が恍惚としたものになる。
「だから撒かれたふりをして、僕はあなたを見つけた場所で隠れて待つんです。するとあなたはまた何度も何度も同じ場所に帰って来て、何度も何度も親が迎えに来てくれるのをずっと待っているんですよ! その姿が哀れで健気で愛おしくてつい何度も追いかけっこをしたのはいい思い出です!」
「……」
……だからあんなにも逃げられて見つかってたんっすね俺。
「そうやってせっかくもっと遊びたいのを断腸の思いで切り上げて捕まえてどう遊ぼうかワクワクしていたのにまさか僕がまた、奴隷の収穫に行って目を離している隙に購入されてしまうとは夢にも思いませんでしたよ。飼われた先が実質僕達が支配しているも同然の領主家だったからよかったですが、それから僕はずっと陰ながらあなたを見守っていたんです。あなたが地中の檻に放り込まれ閉じ込められた時も、弱りきって壊れそうなところギリギリに助け出して僕に依存させようとそのチャンスを見計らっていたというのに……意外にツキさんって頑丈でしたよね……?」
バーカルが今度はどこか遠い目をした。
「……普通一ヶ月もほぼ飲まず食わずで人間は生きられませよ。いえ、一ヶ月の話ではないですね。数ヶ月単位の話でした。なのに平気そうに一人喋って遊んでいるあなたの姿はある意味恐怖を感じましたよ……。……まぁ、そうして油断していたら横から今度はラックにあなたを掻っ攫われてしまったんですけどね」
「っ!」
ついにバーカルが俺の目の前まで来てしまう。竦む身体をなんとか正し、恐怖を抑えつけてバーカルを睨むも、上手くできているようには思えなかった。
「……それから、どれだけ探してもあなたは見つからず、その六年後にまたあなたと出会えた時には運命だと思いました。一度失ったあなたがまた僕の前に現れた。そして、ラックがまたここに戻ってきた。そこから僕達の首切りへのカウントダウンは始まっていたのかもしれません……。あなたは人を不幸にする天才ですから。逃げればよかったのに? そう思うでしょう? さっさと奴隷商売から手を引き別の場所へ完全に逃げればよかったのにと。証拠もなく疑いだけでは僕達を捕まえることなんてできませんから。僕だってそう何度も考えましたよ? 実際逃げるチャンスはいくらでもありましたから。だけど僕の惨めさ知ってます? 様々な権限を奪われた後は、少しずつ、少しずつ真綿を締めるようにその残ったものさえも奪いつくされ落ちぶれていくしかない僕の惨めな姿を知っていますか? ……どうしても許せないんですよ。だんだんと奪われ、首を絞められていく僕の前に、僕達によってすべて奪われた本人がのこのこ僕の初恋相手を連れ、仲間に囲まれ、なんの苦労もなく全てを返すと請われるあいつが帰ってきて……っ。それがどうしても目障りで……っ!」
「……っ」
ギリギリと怒りを堪えるように自分の手を握りしめていたバーカルは、ふと体の力を抜くと俺の頬に触れた。
「……ツキさん僕はね、そっちに興味はなかったので捕まりませんでしたが、ツキさんも知っての通り僕の父は強欲でした。奴隷商売以外にも詐欺や殺人教唆から始まり、脅迫、暴力、利益、契約の改竄からなにまでお金や力を得るために他挙げればキリが無いほど悪さをしていました。そんな中でもアクル商会を存続させてきた僕の手腕、褒めてくれてもいいのですが……まぁ、一先ずそれは置いておくとし、……僕の父はそれらの罪により、レーラ達に追われることになりました。ですが、肉親の情として僕はこっそり父を逃してあげたんですよ」
「!?」
「なのに、さっきも言った通り父は強欲で、どういう思考の元か森に一人いたあなたを攫って逃げた。――そうして僕はわかったんです」
「わ、わかった? ……っ!?」
何かが手に触れる。その感触に自分の手元を見下ろせば、いつの間にか自分の手に短剣が握らされていた。
「ひっ!」
咄嗟に短剣を離し、手を引こうとするも、それよりも早く、強くバーカルにその手を両手で握られる。いやいやと首を振って、なかんとか手を引き剥がそうとするのにバーカルの手は剥がれず短剣から手を離せない。
「……ツキさん、あなたはレーラが放った囮でしょう? ということはこの周辺にはきっとレーラの部下達が沢山いると思うんですよ。ラック達も……向こうからの連絡も途絶えちゃいましたし、こちらに向かってきている状況は大いにあり得ます。あいつちょっと人外なりかけの男ですし……僕の予測的には今ちょうどいい時間帯辺りだと思うんですよね。だから――」
ニヤッとバーカルが嗤う。そして――
「――っ!?」
勢いよく、俺の手を自分の方へと突き出した。
ドスッ
ポタポタ……
「……ぁ……」
聞こえた鈍い音と感触に自分の目が大きく開くのがわかった。
「っく……ッ……っこうすれば……レーラの部下も、ラックも一網っ……打尽に、できると思いませんか?」
ポタポタと落ちる赤い何かに、短剣から手に伝う生暖かい赤。何も言えない、できない俺にバーカルは倒れ込むよう俺に近づき、耳元で苦しそうに、嬉しそうに囁く。
「ハァッ……捕まるっ……ことを、っ逃げることを選ぶくらいなら僕は……っこっちを選びます。……あなたを不幸を呼ぶ厄病神だと言いましたが、使い方次第では……っ、とても、役に立つものだと僕は思って……っいるんですよ。ツキさんの力はこうした方が発揮されやすい。そうでしょう? 父の時も……そうでしたもんね。……私は月明かりの下、父の飛ぶ血と 魔人喰悪鬼が……あなたの泣き声に共鳴するかのように集まり咆哮する姿を見ました。その……時のっ、ツキさんの涙に濡れた表情と、月明かりに照らされた姿がっ私は忘れられないんでっ……すよ。あなたを囲む厄災の数々に、舞う血に絶望し、恐怖していたあなたの姿はっ……とても幻想的で神秘的でした。だから……――今回もお願いしますツキさん。みんなあなたが殺してください」
「殺……俺……?」
俺の顔を見てふと笑ったバーカルは、ヨロヨロと俺から離れる。
「ぐっっ、ふ、ふふ……あぁいいですねその顔。ええ、そうですツキさんがです」
バーカルが嗤う。でも真っ赤だった。俺の手もバーカルも地面も何もかも真っ赤でボスの時と同じ赤だ。
……殺す……? 俺がっすか? い、いやっす、嫌っすっっ。
「っっ」
頭を振る。バーカルの言葉を否定するように頭を振るが目に映る赤からは逃げられない。ドクドクと心臓の音が大きく速く頭に響いて苦しい。全部真っ赤だ。その正体は血で、バーカルが嗤っていて息ができなくて苦しくて頭の中がごちゃごちゃしている。
っ……ボスっ、ボスボスボスっっ。ボスは? ボスはどこに行ったんっすか? みんないないっすっ、みんな俺のせいでっ……でも俺っ……ちゃんと守ってたっす……っ。守りたくて一緒にいたくてだからなのに俺っっ――
「ツキさんが全員殺すんです」
「っ……」
バーカルの声が鮮明に聞こえる。聞きたくなくて耳を塞ぐのに聞こえてしまう。見てしまう。
「だって……――ルール……破っちゃいましたもんね」
愉しそうに、すごく愉しそうに嗤って、……そしてバーカルは倒れてしまった。
「……ぁ……あ……」
……破った?
地面に広がる真っ赤な血の上に倒れたバーカルから目が離せない。そして、倒れたバーカルと、真っ赤に染まる自分の手にバーカルが言った言葉の意味を理解したその瞬間……
「ひッ――ぁぁぁ゛ああ゛あ゛あ゛!!!!」
――押さえ込んでいた感情が一気に外へと溢れ出した。
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