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第十一話 問題児

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 突然オッサンが王都に行こうと言い出して、長く歩かされた先で和風の宿に泊まり、いま朝を迎えた。薄暗いとても静かな空間の中、俺は寝ぼけ気味のまま目を開けようとしたが、突然胸に衝撃が走った。そして昨夜のあれを思い出した。
(あそうだ…オッサン寝相最悪なんだ)
 程なくしてオッサンも起き、しばらくゆっくりしていたらおばあさんが朝食を用意してくれた。予想はしていたが、手にしたおぼんの上には茶碗があり、ほかほかと湯気が立っていた。テーブルにコトンと置かれたそれには、予想通りに白米が入っていた。その他には焼き魚、豆腐と油揚げの入った味噌汁、和え物とかが出てきた。オッサンは満面の笑みで、これまた5分と経たずに平らげた。俺はそんな食べ方はせずにゆっくり食べた。そして食べ終えてから出発までは短いものだった。簡単に部屋の片付けをし、歯磨きをして、トイレも済ませて準備万端。
「勇選会が終わったらまた寄るぜ」
 宿を出る時、オッサンがおばあさんに手を振って別れを言った、俺は彼女に会釈をしてオッサンについて行く。
「そうかい、今回はいくらかかるかねー」
 おばあさんは勇選会についての心配した。昨日、もう少し勇選会について話していたが、そこでオッサンは計七日以上は要したと言っていた。
「人数も人数だし前回の倍以上はかかるかもな」
「おいおい…そんな時間かかるの?」
 それでは単純計算で半月掛かると言っていると同じだ。
「ああ、回ごとに参加人数はどんどん増えてるし、それぞれが予選やってたらとんでもねぇ。俺は予選第六回戦で敗退して、そのあとも3日あったしな」
「いや、いすぎだろそれ」
 そして俺らはおばあさんに見送られて宿を出て行った。その時おばあさんはこう言っていた。
「いつかハナモに連れてってやっからなー!」
 これもイデの言葉、もとい日本語だった。俺はまた分からないフリを貫いた。
「まーたイデの言葉か、何言ってっか分からんな」
 オッサンが呟いた時には、もうかなり離れたところにいたからオッサンがこれ以上何か言う事はなかった。ハナモってイデの国の正式名称なのかな、全然違うじゃん。なんて思いながら出発した。
 王都トエントまでの道中は山あり谷あり、とは言え高低差あんまり無い。結構生い茂った低木地帯に入ったら、時々モンスターに出会でくわすが、大体弱めのモンスターばかりで俺が殆ど全て片付けてた。
「俺は武器持ってきてねぇんだ、お前みたいに魔法もねぇしよ。だから、お前に任せたぜ」
 オッサンが気怠そうに言うから俺がやる羽目になっていた。でもオッサンもぴょんと飛び出たスライムを素手で咄嗟に殴り殺してたから、あんたも頑張れば出来んじゃねって心で文句を言っていた。その他特に何かあるわけじゃなく、中間の町にたどり着いた。今まであまり他の英雄を見かけなかったが、この町にはいくらか英雄職の面々が見えた。どの人もまだ若い、大体20~30歳くらいの人が多いような気がする。この街も、この前のマニラウみたいにきゃーきゃー黄色い声がする。でもマニラウみたいな人数はいないから、道も全然通れるほどには空いている。そう言えばオッサンも結構すごい方の英雄なのに誰も気付かない。
「だって鎧も着てねぇし、お前といるとただの子供連れのおっさんだからな」
 だとさ、確かに側から見ればそうかも知れない。因みになぜ英雄は常に鎧を着ているのかだが、鎧はモンスターからの攻撃を防いではくれるが、服みたいに畳められるわけもないし、ましてや武器も含め片付ける場所も野外や宿には無いため、自宅以外ではほぼ着ていなければならない物である。っと、隣の赤髪の男がいつか言ってた。
「でさ、今日はどこに泊まるの?」
 足を少々痛めながらオッサンに聞いた。
「適当でいいだろ」
「おい」
 そんな感じに、適当に空いてるってだけで連れてこられたのが、この綺麗でも汚くもなく中途半端な感じで、俺らがよく見てきたヨーロッパ風の二階建ての宿だった。中に入ると受付の人が声をかけてきた。
「ユーネリカへようこそ~、勇選会へ行くんですか?楽しみですねー。ここにお名前を記入してください」
「うっす」
 オッサンは差し出された書類に名前をスラスラ書いていく、ここまで受付の人は普通の接客の感じだったがオッサンの名前を見た途端にたじろいだ。
「えっ、ヴィザー…エルコラド!?赤竜の剣士!?」
 受付の人は叫び、それに次いでロビーも裏方も騒がしくなった。
「オッサン、あんたやっぱ有名なの?」
「マニラウじゃただの英雄の切れ端だが、少し外れりゃこうなるさ。これでもマニラウトップクラスなんだぜ?」
 オッサンの言うことが正しいなら、ここまで騒がれるのも納得する。こう言う地方みたいな所だとトップクラスの人の名前しか知らない事が多い、トップが来ればこうなるのも必然とも言える。だが、この昂り様はそれだけじゃないようだ。
「やった!トップ英雄が二人も来るなんて!」
 誰かが言った、まだもう一人トップ英雄の先客がいたようだ。この声がオッサンにも聞こえていたかもしれないが、一応言っておく。
「なぁオッサン、もう一人いるらしいぜ」
「そうらしいな…あいつじゃなきゃいいが」
 オッサンは特定の誰かを警戒しているようだ、眉をしかめていかにも面倒くさそうに見える。俺に小さな声で少し教えてくれた。
「俺以外にマニラウの有名人って言えば指折りしかいない、その中でも一人、奴がいるんだよなぁ…」
「へぇ?五十路前のジジイがここで何してんの?」
 いきなり無礼極まりない声が飛んできた、この広いロビーの隅のテーブルからだ。オッサンはため息を深く吐いてゆっくり振り向いた。
「その格好、もしかして俺を応援しに来てくれたとか?いやー!強すぎるってのも困るなぁ!」
 オッサンが少し天を仰いだ、そして肩の力が抜けると俺に小声で言った。
「お前はここで待ってな…たく、とんだ貧乏くじだぜ」
 言い終わるとオッサンは声に向かって歩き出した。察する必要も無く、ここにいるのは懸念していたその一人だったようだ。いつしか人が多く集まって問題の張本人の姿が見えづらいが、向こうもこちらへ歩いて来ているようですぐにその姿を見る事ができた。
 それは腰に剣を下げた、髪も目も防具も全てが金色な細身の男だった、だがその目つきだけは金色には似合わなかった。その人はオッサンの前へ出て囁いた。
「決闘だ、良いウォームアップになるだろうさ。ああ、あんたにとっちゃ分からんけどな」
 人一倍利く耳が拾った話だった。オッサンから離れる直前、その鋭い目のまま含み笑いをしていた。どこかに行こうとする時も釘を刺すように言い放つ。
「外でやろう、逃げんのは無しだ。俺が勇者になる為に必要なんだ」
 周りはざわつき始めた、トップと名高い二人の英雄が何かしら起こそうとしていると察したから。もちろんこの時で、俺のあの男への印象は最悪だ。どうせ自分の引き立て役にさせる気だろうから。
 宿から最寄りの公園で決闘は行われる事になった。周りには多くの人が集まり見守っている、そこには俺も入っている。向かい合った二人の間に審判となる女性が一人立っていた。あの男のパーティの魔術師だった。彼女は全体的に丸い装備を着ていてその色は青、先端に三日月の付いた杖を持っている。片手を上げて声を張り告げる。
「では、決闘を始めます。ルールは『鎧』です、私の作った氷の鎧が先に全壊した方の負けです」
 女性が杖を一振りすると、二人に氷の鎧が付与された。二人の着る鎧は鱗のように大きな雪の結晶が重なっている物だった。細かい説明にて、それはダメージに応じて氷の結晶が剥がれる仕様だと言っていた。
「お前に渡したのはデイロの大剣だ、いつも使ってるのよりかは軽いだろ?」
 男がオッサンに言った。指を刺した先は、飾っていない大剣だった。
「ああ、二回りほどな」
 オッサンは軽く素振りをして重さや扱いを試していた。
「『光騎士ひかりきし』の名の下に、光の如く秒とかからず終わらせる」
 そう言って相手は腰を低くし構えを取った。オッサンもどっしりと構えを取る。それを見て中央の女性は再び片手を上げた。今度は開始の合図をしに。
「準備はいいですか?それでは、始め!」
 女性の手が振り下ろされた瞬間、辺りに破裂音が響き同時に土煙が立ち込める。いきなりの出来事に見物人らは一瞬何も言葉を発せなかった。その後徐々に騒がしくなった、各々が好き勝手に叫び喚き騒然とした。煙が引き見えて来たのは、開始前の光景と同じ画だった。唯一違っていたのは、オッサンが剣を両手に持っていた事だった。
「死んじゃいねぇかってちょーっと心配になったけど、全然大丈夫そうだ」
 男が少し顔を下げて言った。口元がここからは腕に隠れて見えなかったが、目尻が潰れていたし恐らく笑っている。そんな彼にオッサンが言った。
「お前は初動でこれしかやらん。相の変わらず単調すぎるんだよ」
「そう言って沈んでく奴は散々見て来たけどな」
 男は言い終わりと同時に剣を横に薙ぐと、数個の金色に輝く斬撃を放った。それらは別々の軌道でオッサン目掛けて弧を描いて飛んで行く、だがオッサンはそれを難なく大剣で叩き落とした。オッサンには少し軽いと言ってもこれは大剣、高速で迫る斬撃を数瞬の内に全て落とすだけでもオッサンの強さは十分に分かる。
 それを見て再びにやけた男は剣を振り回し出した。振る度振る度に斬撃が放たれ、振る速度と発生する斬撃の数が合わさり、見える金色の斬撃はまるで彗星群でも見ているかのようだった。
「どうだい!?これは抜け出せるか!?」
 男は叫び、オッサンは斬撃を弾き落とし続けている。オッサンの顔ははっきりとは見えないが、そこに余裕は無いように見える。
「どうせお前もこの程度!誰もこの『黄金のヴェール』を剥がせない!!」
 俺からしちゃ、うっすら男の本性が見え隠れし出したが、それで攻撃が緩まる訳じゃ無い。着々とオッサンは追い詰められて行った。俺は現状でも、実力でも蚊帳の外で、観客として見る事しか出来ずにいた。そんな俺でも今までに無い程の集中力を持ってそれを見ていた、そのおかげかだんだん相手の事が見えて来た。剣を振る順番は決まっている、それに応じて飛ぶ斬撃の数も軌道もほぼ同じ。オッサンの防御もだんだん同じ動きになって来た。
(これ…勝てるんじゃね?)
 そう思った瞬間オッサンの重心が前に傾いた、同時にドンッという音も響き渡る。オッサンが斬撃を弾き、地面へと落ちた斬撃はそれを穿ち掘り抜いた。それからは矢継ぎ早に鳴る爆発音と共にオッサンが少しずつ前進して行った。一歩一歩着実に、弾くと同時に歩み寄って行った。
「どういう事だ…このまま押し切れると思ったのに…!」
 男の振るう剣が焦りに比例し早くなる。だがそれも、所詮今までの技の加速でしか無かった。オッサンは苦の表情を見せずに淡々と距離を詰めていく。
「やっぱり単調だぜあんた」
 オッサンが喋りだした、目の前の男を揶揄からかい、同時に諭すように。
「格下の相手じゃこれで完封できるだろうな、この数とスピードなんだ二流以下の奴らは墜ちるだろう。今まで同格の奴らと戦う事が無かったからだと思うが、詰めが甘いんだ」
 火花を散らし男の剣が弾かれた、もうオッサンの間合いに入っていたのだ。
「終いだ坊や」
(まずい!)
 俺は男がニヤけたのを見た。弾かれたはずの剣は既に再び振られていた。袈裟懸けにオッサンが振り下ろす間、男は一歩全身しながら無数にオッサンを斬りつけた。それで氷の鎧が無事な筈は無く破裂し、オッサンの持った大剣が地に落ちた時決着の合図があった。
「ジジイの中でもよくやる方だねぇ…のはあんたが初めてだよ」
 男はここぞとばかりにカッコつけ始め、口調も厨二じみている。雪の結晶の最後の一枚が落ちる頃、オッサンは男に背を向け膝をつき、男はそれを見下した。
「見えなかったねぇ、俺の斬撃。百の刃は光を超えるのさ!!ハッハッハッハッッハッハー!!」
 高笑いを見せる男を背に、オッサンは立ち上がりその場から去って行った。それを見るのは男と俺だけで、周りの人々は男に釘付けになっている。更に男は叫ぶ。
「そうだ、負け犬は引っ込んでろ!ここは最初から俺のステージなんだからなぁ!」
 それに言い返すわけもなく去っていくオッサンの背中は、俺には不思議と悔しそうに見えなかった。
「おいヒカル、そこでも聞こえてるだろ?宿に戻るぞ」
 オッサンが離れたところから話しかけて来た。俺は湧き立つ人混みをかき分けてオッサンに追いついた。すると早速話しかけて来た。
「はあ、負けた負けた、だから若い奴と戦いたく無いんだよ」
 首を回しながらため息混じりに言った。
「途中までは良かったけどな…つーかあいつ最後百も斬って無かったぜ?58太刀目で弾かれてやんの」
 俺は見た、あの時男は百の刃と言った。しかし実際百も切らずにオッサンが大剣で弾いた。それでオッサンの持っていた剣は吹っ飛ばされたが同時に斬撃は止まった。
「あ?そうなのか?チキショウ50以下のつもりだったんだがなぁ」
 ここでやっとオッサンが悔しがっていた。実際、オッサンが反応してたのは39太刀目だった。
「アイツ、自分の百いってない事に気付いてんのか?にしてもさ、俺ああいうの嫌いだわ」
「あいつは実力ピカイチ、しかし同時に問題児として名が知れてる、だから仲良くする奴はそうはいない。パーティも三人で組んでるしな」
 パーティと言うのは最低三人で組む事になっているものらしい。あの人はその性格のせいでそれ程人望が無いために、幼なじみ三人で組んでいると後で聞いた。
「それにしても、お前あの剣捌きが見えてたのか?俺はもう驚かないがな」
「え?ああ、多分目が慣れたんだろ。オッサンの事とは言え結構集中して見てたし」
 と、表面ではこう言った。しかしそうだ、何で見えてたんだ。あの人の剣も斬撃も、振るえばトップの人々にしか見えない筈だ。俺も確かに最初は見えなかった、でもオッサンが詰めていくところでは、もう見えるようになっていた。なぜこうなったか自分の事なのにまるで分からない。
「まあいいや、今日はもう疲れた、飯食ってさっさと寝ようか」
 オッサンの言葉にハッとし、やっと足元を見ていた目を前に向けた。
「…だな」
 分からない事を考えても仕方ない、多分オッサンは知っているのだろう。俺は三等英雄の試験の時ステータスを読み取った、それをオッサンは見ている筈だ。俺はそんなのに興味はないから見る前に出発している、だから知らない。俺のスタンスは数字を見てできるできないを決めるのではなく、やってみてできるかできないかである。そもそもステータスを見て高い低いが分からないからもある。
「おや?帰るのが早かったですね、もう決着がついたんですか?」
 ロビーへ戻ると別の受付の人が声をかけてきた。確かに早かった、ここに来てから今までで30分も無いくらいだった、それで今まで全てが終わっている。
「そうさ、流石に若い奴には勝てなかったよ」
 素気ない素振りをしてオッサンが受付の台に寄りかかった。受付の人が慰めるように、また分析する様に言った。
「ヴィザーのおっさんが負けるのも無理ないですよ、あの人は天才なんですから。今やレベル48、ステータスも知力以外は100を超えてますから、すげぇ人ですよ。それにヴィザーさんは言わばパワータイプでしょう?相性も悪いんですよねー」
 受付の男は腕を組んで、自分のことでも無いのに不服そうな顔をした。
「結局、あなたも十分すげぇって事ですよ」
 その一言を言うと、サッと屈んで部屋の鍵を取って渡して来た。渡す時にオッサンにゆっくり休むようにと言った。部屋はというと、比較的広いワンルームでよく見るホテルと同じ家具が置いてあった。白を基調とし、目立った汚れも無い。失礼かも知れないが、宿の外観とロビーから見てこの内装は想像できなかった。
 夕飯はバイキング、風呂も大浴場しかない為に、あの男らと鉢合わせる事になった。会う度会う度何かしら悪意のある言葉を吐いてくる。風呂で会った時男の後ろにいたパーティメンバーであろう長身の男は、申し訳なさそうに会釈をしていた。その意思を受けとり、男のちょっかいを全て無視して床についた。
「おーおー!負け犬は尻尾巻いて逃げるのも早いなぁ!」
 翌朝宿を出て行こうとする時でさえ噛みつかれた。そう言う彼もただ煽りたいが為にわざと支度を済ませ時間合わせてるようにしか思えない。実際もうその時には、他二人の傍に少ないが荷物が置いてあった。俺ら二人は目を向けることもせず極力関わらないようにしていた。
「どうしたよ!言い返すのが怖いか?見た目デカイだけで子犬みてぇな腰抜けだな!ギャハハハハハ…」
 男は景気良く笑っていたが、バチンと乾いた音が鳴ると同時に笑い声は途切れた。いきなり途切れた笑い音につられて皆が振り向いた、オッサンも例外ではない。さっきまで男がいた所に目線が集まるが、そこには誰も居なかった。パリッと視界の端に何かこぼれたのに気付くと、今度はそこに男がいた。見るも無残に、壁に上半身を埋めて。何?どうした?とざわめき始める周囲を他所に、オッサンは察していた。
「やったな…お前」
 小さな声で俺に問いかける。それに対し、視線を外して舌を出してやった。
「はぁ、ここの壁が分厚くて良かったな。お前もなかなかの問題児じゃねーか?」
「見てて気分悪かったから、でも手加減はしたよ」
 オッサンは鼻で笑った。この騒ぎに乗って今のうちにと出て行った。

 その光景を私だけが見ていた、ヴィザーさんが子供と一緒に外に出て行った所を。伸びをしていたヴィザーさんと同じ雰囲気で、頭の後ろに手を組んで先に出て行った金髪の子を見た。
「あ、エルコラドさん達が出てちゃった…アーサー?大丈夫なの?」
 目線を彼に向けてデイロに聞いた。
「ホント、こいつにはもうちょっと場を考えてもらいたいもんだな」
 デイロが埋まりかけたアーサーの足を引っ張り始めた。抜ける気配は無く、これでは出発まで時間がかかりそうだ。小さな騒ぎになっているから、奥から宿の役員さんが一人来た。この光景を見て困惑したみたいだけど、すぐにため息に変わり聞いて来た。
「大丈夫なんですか?それ…」
「大丈夫です、頭から地面に落ちてもタンコブで済む人ですから」
 あるクエストで、フォルガドル火山のヌシに、彼は頭から落とされた。あの人の装備は鎧だけど、顔を隠したく無いと言って兜は付けず、髪飾りだけで済ましている。だから落とされた時は無事なのか心配だったけど、直後にはたんこぶが出来たと怒っているアーサーが居た。
「…それって人なんですか?」
 驚愕の感情を見せた役員さんは、もはや人を見る目をしていなかった。
「にしても、何でこんなに壁分厚いんですか?ほぼ見ない造りですけど」
 デイロは休みついでに役員さんに尋ねた。すると、少し自信を持って役員さんが言った。
「はい…いつかこう言う事が起こると思っての設計です。床も壁も高密度の鉄骨で組んだ強化コンクリート製ですから」
「用意周到ですねっ、フンッ!」
 鼻息を荒くしてデイロが引っ張るもびくともしない。アーサーはちょくちょく足がピクッと動くがそれ以外に何か目立って動くような事もなかった。こんなに綺麗に埋まっていれば自分で動く事も出来ないだろうし、何よりあのアーサーが今気絶してるみたいだった。
「どんな力で吹っ飛ばしたらこんなんなるの?魔法かなんかか?」
 少し息を整えデイロが独り言のように呟いた。実際これは魔法だった。
「ほんの一瞬だったけど魔力を感じたわ。でも、目には見え無かった」
 あの感覚は風の魔法だと思う、でもどちらかと言えば空魔法だ。
「つー事は…力がやばくてコントロールも上手い奴?でもここにそんな魔法使い君含めていなかったでしょ?」
 引き抜き作業を続けながらデイロが言った、気づけばもう二人加わって引っ張っていた。
「そうね…じゃあさ、エルコラドさんと一緒にいた子はどう?」
 私は可能性を話し始めた。
「え?あーあの子か、風呂でも会ったな…あいつがやったって?」
 デイロが壁に足をかけて踏ん張りながら言った。
「他に考えられないの。ここにいるのは殆ど普通の人で、英雄は居ない。少なくとも私が知っている顔はね。だからできる見込みのある実力者は、あのヴィザーさんか、アーサー自身位。でも一人確実に未知数な人がいた、あのヴィザーさんと一緒にいた金髪の子よ」
 デイロは少し考える風な仕草の後に言った。
「…あー確かにな、そういえばヴィザーの弟子が増えたってどっかで聞いたな」
 ここで私はアーサーのいつもの考え方を口にしてみた。
「仕返しする?」
 でもデイロの答えはこうだった。
「しなくていいだろ?不意打ちとは言えこいつにとって久しぶりの負けだ、あと仕返しはガラじゃない」
 聞かなくてもこう言う答えだって知ってた。私も仕返しはしたくないし、そう言う問題は起こしたくない人だった。
「だよね…コレ、もっと沢山の人で引っ張る?」
 その後壁に埋まったアーサーは、力自慢三人を加えてやっと救出された。安堵する空気に反し、いっそずっと埋めたままでも良かったか?と思うデイロだった。
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