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第五話 好奇心も毒となる

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 四等英雄になって受けれるクエストが増えた。ここマニラウで言えば、森の奥へ赴き鉱石資源を回収しに行ったり、より強いモンスターの狩猟や、明確に生かして持ち帰る事もし始める。その最たる例は『シィエル』と言うモンスター。臆病であり逃げ足の早いモンスターで、鹿とよく似ている。だが角は年中生えているようだし、その角は完全に樹木と同じ性質を持つ。その角は自身の肉体に根を伸ばし、頭、首、背、腰、尻尾を幹、枝、葉で完全に隠す。茂みの中やしゃがみ込んで擬態に使うとあるが、人間の目にはしっかり識別できる範疇の擬態だ。
 あの戦いでレベルがまた上がったみたいで、俺の出せるスピードが上がり追いかけるのは苦ではないし、なんなら余裕で追いつける。一回ずつ、シィエルの狩猟と確保をしてみたが、どちらも苦労はしなかった。しかもクエストの達成条件はもれなく一頭でいいからコーネノの狩猟確保よりも効率がいい。
「はい、方銀貨三枚と大銅貨三枚ね」
 メイラさんは糸を通した貨幣を受付台の上に並べた。クエストの達成条件は一頭だが、コーネノのクエストと同じく倍以上獲って来ても構わない。今回は三頭獲って来たので報酬は三倍、しかも少しだけその肉が貰える。集会所も貴重な精肉店の契約場所だそうで、買い取る部位は一頭にこれだけと決まっている。つまり売りに出されない余った部位は貰えるのだ。ちなみに今回の報酬金額をこの世界の単位ユーロで考えると3300ユーロ、日本円換算で33000円だ。方銀貨は大銅貨の一つ上の貨幣で、一枚1000ユーロの価値がある。
「また三頭捕まえて来るなんて、もう手慣れたものね」
 メイラさんはもう大きな反応を見せなくなっていた。大体二週間経ったから、とっくに慣れてしまったのだろう。彼女はカーゴからシィエルを取り出すと裏方へ足早に行ってしまった。その所作には無駄が無く、手慣れた作業の一環だった。ドスンと何かにシィエルが置かれた音がすると、今度は微かに肉を裂くナイフの音が聞こえてくる。それは途切れず、蛇口が開けられているのかと思う程血の流れる音が続いた。その技は拝見出来ないが、たった数分で処理が終わり保存庫に移されるから、相当凄まじい物には違いない。
「何かやり方を確立してるのかしらー?」
 それは直前の会話の続きだった。部屋の奥からメイラさんが聞いて来た、どうやってシィエルを捉えているのかと。
「魔法で罠作ってるんですよ。足元に、バッてね」
 シィエルはコーネノより大柄でスピードも速いが、コーネノと違って地上を逃げるしかない。奴のストライドより少しでも広い網を張れば、穴のどれかには引っ掛かり転んでくれる。そこを吊り上げてやれば簡単に捕まえられる。
「うーんやっぱりあなたなんでもあり?」
 分かってたと言いたげな気の抜けた声が聞こえて来た。コーネノに比べ、確かに難易度は上がった、しかし危険度で言うと同等くらいなのだ。ただ図体でかいくらいしか違いが無い、いや、飛べないからコーネノより劣るだろうか。だから俺はそこに疑問を抱いていた。同じく五等のクエストでも良いんじゃないかと。普通英雄はパーティを組んでクエストを受けるらしい。それなら複数人で担ぐなり出来るはずだ。カーゴもあるし。
「それじゃまた明日~」
 メイラさんは小さく手を振り俺を見送った、俺も同じ様に手を振り集会所から出る。すると目の前に、オッサンヴィザー含む何人かの集団が俺を待っていた。何人かは先日の祝賀会で会った人たちだった。
「お!帰ったか!待ってたぜ!」
 気づくなりオッサンは話しかけて来た。ずっとここで待っていたのだろう。オッサンは集団から一旦離れ、俺の近くに寄って来た。
「オッサン、これからクエストか?」
 なんとなくソワソワしているオッサンに俺は言った。
「ああそうさ、お前が四級に上がって一安心、自力でモンスターも易々倒せる、もう俺の助けはほぼいらないだろ?だから俺も活動を早めに復帰する事にしたんだ」
 オッサンは嬉々として、また誇らしそうに言った。そう言えばオッサンの背には大剣が担がれている。最初に会った時にしか見てなかったからすっかり忘れていたが、やはり活動していなかった様だ。
「あと、これを渡しに来たんだ」
 そう言うと、オッサンは懐から宝石を出した。恐らくこれがソワソワしていた理由だろう。
「これはな、俺のが送ってきた宝石だ。あいつもどっからか聞きつけて、お前を祝ってくれたんだよ」
 その宝石は水色で透明度が高く、雫の形をしていた。透き通る宝石の中には気泡も見えたが、それも輝きの一部として成立していた。黄金色こがねいろの金属細工が雫の底と頂点にあり、底のは意匠、頂点のには輪っかがあり紐が通してある。なんの気遣いか、それはネックレスになっていた。
「そりゃ嬉しいな、その兄弟子にはありがとうって伝えてくれよ」
 俺は感謝こそすれ、そこで首にかけることはせずに上着の内ポケットに宝石をしまった。
「おうよ、手紙にでもして言っておくさ。あとな、俺らが受けるクエストは、ここからかなり離れた場所でやるもんで一週間以上空ける事になった。その間家は任せたぞ」
「ああ、分かった」
 すごく軽々しく家を任されたが、兄弟子の時もそうだったのか気にする素振りは無い。オッサンも仲間達も、そのまま真剣な面持ちで歩き始めた。ただし、集会所の中へではなく、街の中心方向へ。
「あれ、来るのここじゃねーの?」
「ん?ああ、ここじゃ取り扱ってる種類が少ないし、三等以上のクエストも規定上扱ってないからな。行くのはギルドだよ」
 オッサンはそう微笑み去っていった。「そっか」と、正直すかを食った気分で俺は呟いた。
 今日から寂しくなるオッサンの家に帰ったら、いつも少しづつ『モンスター総覧書』を読み進めている。ほぼ全てのモンスターの情報が記載されていて、あらゆる角度から解説されている。平均的な体の大きさ、体重、使う技や魔法。食料として適しているのかや、果てには解剖図まで載っていた。強いとされるモンスターほど情報が少ないが、兎角そこで分かった事は、モンスターには五つの属性がある事と、ランクと呼ばれる強さの区分があり、それぞれレベルの上限が存在している事だ。
 弱い種のモンスターはレベル30まで、最上位はレベル99まである。トーピードとシィエルは最大レベル30の弱モンスターだった。今は気になった事を確かめに、総数71ページのシィエルの場所を読み進めていっていた。すると丁度20ページ目に、求めていた物の答えがあった。そこにはシィエルが二種載っていた。
 木の幹のようなごわついた茶色の体毛の種と、艶のある毛並みの整った種。後者は前者に比べ、蹄の長さ、角の伸び具合と葉の付き方が違う。手入れでもした様に綺麗に揃い、映え、寿命も倍以上長いそうだ。俺がいつも獲っているのは前者の方。どうも艶のある種は何故か危険個体とされ、狩猟依頼は四人以上の四等英雄パーティか、三等以上の英雄に任せられるらしい。何故そう区分されているのか、その日のうちに探し出す事は出来なかったが、情報を見ても通常個体となんら変わりは無いようだ。オッサンからもメイラさんからも「気を付けろ」「狩ろうとするな」と口を揃えて注意を受けていた。だが、人間ダメと言われるとやりたくなるのが性である。俺は次のシィエルの確保に向かったら、この個体を探して捕まえて来ようと思っていた。驚く様がとても見ものだ。

 翌日、朝に集会所を訪れ、いつものクエストを受ける。早々と森へ『転身』し、早速危険個体とされるシィエルを探す。もう森の地形には慣れて来たし、操作も勝手がよくなって来たので『翔』を使って。その途中で、今まで出会った事の無い蟻みたいなモンスターや、下半身は蛇だが上半身はドラゴンみたいな奴もいた。もう森の深くと言うか、少なくとも街からかなり離れた所まで来ていたからよく目に入る様になった。ただ今の目標と言うわけでは無いので、無視を決め込んでシィエルを探した。
(あれか?居たぞ)
 結局発見した中で五頭目のシィエルが、標的のものとなった。小さな湖で水を飲んでいるシィエル、間違いなく危険とされているものだ。遠目でも確かに毛並みが綺麗に見え、必要以上に蹄が伸びていないし、繁茂した角も適度な隙間が設けられ自然に見える。これなら隠れた時人の眼でも見分けが付きにくいだろう。
 遠いがはっきりと目視出来る木の上に隠れ、俺は幾らか『絡み』の種を撒いた。規定位置まで追い込んで捕まえると言う常套手段。今回は少しアレンジを加えて。種を撒き終えると、俺は水を飲むシィエルの横に『風刃』を飛ばす。危険度が高いとされるのは、五等英雄の多くが間違えて捕獲しよとして返り討ちになるからだと言う。つまり戦闘能力があるからと見ている。だから脅し動かすのに絡みでは不十分だと思い、風刃で動かしに掛かった。
 思った通りシィエルは驚き、横にすっ飛んでそのまま体を捻り走っていった。奴は風刃の飛んできた方向を背に逃げ始めた。俺も見失わない程度に付かず離れず、同時に次へ次へと風刃で追い込んでいった。シィエルは必ず風刃とは逆方向逃げる為、あのがある所へ簡単に誘導できる。奴を右往左往させながら、もう直ぐ罠の場所に到達する。
(今だ、絡み取れ!)
 俺が強く念じると、地が割れツルが瞬時に伸びる。今までコーネノも普通のシィエルも反応出来なかった罠だし、レベルの向上でもっと複雑に組める様になったので、一辺五メートルの投網なってシィエルに覆い被さらんとした。それが発動した地点はシィエルとの距離二メートルの場所。コーネノよろしく自動車以上のスピードを出していれば、モンスターであっても反応できる筈が無い。そう思っていたが。シィエルが網を目の前にした時、一瞬少しだけ頭が下へ傾いた。すると途端に絡みは力を失い、シィエルはそれを蹴散らし走り抜けていった。
 それは余りにも不可思議な光景だった。いくら戦闘が出来ると言えど、首をチョイと動かしただけで絡みが振り解かれた事が信じられなかった。まだ幾つか絡みは残っている。何が起こったのか、万が一逃した時の備えだった第二、第三の罠で検証する事にした。すると、追加で派遣した第四の罠にてやっと理解出来た。
(そうか、ツルが切られて無効化されてる)
『絡み』のツルは自然のツルとは違う。だがそれは「成長が著しく早い」「思うように操れる」以上の二点が違うだけであり、耐久性は普通のツルと変わらない。人が乗ったとしても千切れないのは数が多く束になっていたから、捕まえて脱出出来ないのは力の入らない体勢で捕えたから。つまり、を使えば簡単に攻略される。
(一体どこにそんなの隠してんだ?ただ走ってるだけだろ?) 
 全ての罠は悉く無効化された、もう絡みは相手にされて無いのと同じだった。こうなれば、普通に戦うしか無い。トーピードの時の反省を生かし反撃をもらわないように。
「『追灯ついとう』」
 両腕で空を薙ぎ、二つの火花が走った。それは落ち行く線香花火の様で、着地すると導火線の様に地面を伝って行く。名の通り追う灯火ともしび。地を這い対象を追尾し、当たれば足を浮かせる程度の小さな爆発を起こす。浮いた状態であれば抵抗はできない。そんな刹那の瞬間を狙いとどめを刺す。
 追灯が当たるその前に俺は先回りした。あいつもかなりの速度だが、今は全力で翔んだ俺の方が速い。確実な一撃を入れる為には真正面に立ち、向かって来る点として狙いを定める必要がある。翔んでいても精度が悪い為、地に足が着いた状態でなければならない。
 シィエルは『追灯』から逃げるのに必死で、後方、足元ばかりを気にしている。そこに俺が、突然通せんぼする。今まで姿を隠し続けていて姿は初めて現したし、そうでなくてもいきなり出て来ると誰もが驚く。案の定、突如として空から降って来た俺にシィエルは仰天し、急ブレーキを掛け方向を変えようとした。減速したところで『追灯」に当たるだけだ。
 左足を前に、腰を低く、右手を引き、左斜め前に標的を捉える。最も近いのは中国拳法の馬歩マーブー。ただし左腕はだらんと垂らして思考に裂かず、引いた右手は開いて、徐々に爪には風が集まる。その眼前でシィエルは、なす術なく二本のに足を浮かされ、構えられた凶爪に向かって飛び込んで行った。
「『爪風刃そうふうじん』」
 それはトーピードの使った風魔法。自身の爪に魔力を込めて、薙げば三本の刃が飛ぶ。実力不足で三本が限界だが、刃が一本だけの『風刃』よりも広く攻撃できる故に滅多に外さない。一直線に迫るシィエルの首は、中央たる中指の風刃によって両断される運命だ。だが風刃の衝突んお瞬間に、シィエルは俺の上を行っていたと理解した。
 延髄を狙って切り落とす算段だったのに、コイツは首を内へ畳み致命傷を避けた。それ以前に追灯の爆発が俺の設定、それにより想定した通りの軌道ではなかった。爆発直前にシィエルが微妙に体軸を外し、角度が理想から遠のいてしまった。結局切れたのは、樹角の端と背中二箇所だけだった。
(何故避けれた、予知でも無い限り反応は…)
 ドサッとシィエルが俺の横を転がり視界の外へ、俺はその疑問を思いながらシィエルに向き直った。その時だ、痛みを感じた。爪風刃を乗せた右腕の肘をなぞる外側、そこには細く浅いが、長く裂かれた傷があった。
(切られた!?)
 シィエルは確実にすっ転んだだけだった。何か怪しい行動を起こすところも見ていなかった。しかし確かに何かで切られた傷が腕に出来ていた。これはどう言う事か、考えた末に出た結論は、少しずつ俺に姿を現してくれた。
「なるほど、どうりで絡みが解かれる訳だ。んだな」
 それは全ての膝を着いたシィエルの角の影から歩み出て来た。キリキリと威嚇音を発しながら、余りにも森にそぐわない真っ白な肉体を太陽に晒した。それは小さなモンスター、名称不明、体長15センチ以下、あの白い体表に紫の紋様、前後の脚に鋭い爪が確認できる。特に前脚の爪は何かを引っ掻くのには最適な鉤爪だった。
 やっと分かった、あいつが『絡み』を無効化した張本人だ。シィエルから出てきた事と体躯からして、事前に絡みを切る事はせず、極限まで接近してから刻んでいる。しかもその瞬間は俺の目に少しでも映ったか?いや、映って無い。目立つだろう白と紫のボディはチラリとも見覚えが無いから。
(なるほど共生関係か。シィエルの角の樹で安全に過ごす見返りに、シィエルの健康を管理し長生き出来るようにする。だから普通のシィエルに比べて毛艶や蹄、角の状態が良い。故に狩られづらいって訳だ)
 シィエルは若干ふらつきながらも立ち上がり、グムグムと小さな鳴き声をあげた。すると白トカゲがキリキリと音を発しながらシィエルの角から離れ、最寄りの木に飛び移った。するとシィエルはトカゲを置いて走り去った。後ろを振り返らず、完全に背を任せた様だった。
(会話は成立している、まぁ仲間なら当たり前か。それよりあの爪だ、模様と同じ紫、見るからに毒々しい)
 傷は紙で切った位に浅い、すぐに血は止まるだろうが、毒となれば今ここに解毒薬が無いのが心配だ。トカゲはキリキリと強く音を立て俺を睨む。俺の目的はシィエルだが、コイツを退けない限り捕獲出来ないだろう。第一目標は諦めて目の前のトカゲに集中するしか無さそうだった。
 奴はちょろちょろと木の幹を足場に少しだけ動き、そして俺と視線を交えて数秒沈黙した。だが直後、一瞬前まで陣取っていた所に白い影は無く、ただ木の破片がぱらっと散った。やはり視認出来ない、俺の周りの木々を飛び回っているようだが、木々の皮が少しずつ剥がれて行くようにしか見えなかった。
(速すぎて見えない!あんな小さい体で何てヤツ…!)
 ふとした時、頬に鎌鼬かまいたちが通る。じんわりと感じる痛みと共に血が流れ出す。口元からこめかみ辺りまで、10センチ程の傷をつけられた。だがまた浅い、狩人にとって気にするに値しないかすり傷だ。
(だったら対抗策だ)
 かの『モンスター総覧書』曰く、「火属性モンスターは木属性を吸収する」。つまり、火であれば木属性など雑作もなく取り込み燃料にしてしまうと言う事だ。俺が初めて出会った緑のスライム、アイツは木属性で水属性を吸収すると言う。そしてその他にもこれに対しこれが有効っていうのもあるし、一定条件下でのも存在する。とにかく今の相手は恐らく木属性モンスターで、火が弱点だ。
「『炎纏えんてん』」
 名の通り体に炎を纏う魔法。加えて何かが接近すれば、それに向かって炎が伸び燃え移り、数十秒で丸焼きにする。この世界の相性上、木属性モンスターであれば攻撃はできないはず。事実、パラパラと降り落ちる樹皮の破片は止み、奴は今俺を上から見下ろしているだけだ。
(これからどうするつもりなんだ?近づけばお前は焼け死ぬ。こっちは、何とか隙を見つけて攻撃を当てたいが…)
 俺より速度で勝っていると言う事は、反応も当然俺より速い。先に俺が仕掛けても警戒状態の奴は避けてくる。油断か、明確な溜めの瞬間を見極めねばこちらも倒せない。しかしこの戦いの中、それと言える隙を見つけられていない。結果互いに動かず攻めあぐね、膠着した。
『キキッ…』
 しかし膠着はその音を皮切りに幻想だと知る事になった。体をくねらせ一際奴が身を低くした。直後、奴が消え鎌鼬が俺の側をかすめた時、纏った炎は消滅し、同時に今までより深い傷が刻まれた。
「いっ!!」
 背後の木からガスッと厚い音が聞こえたが、俺は今までにない痛みにのたうつしか出来なかった。
『キリリリリリ…』
 トカゲの放つその音は、まるで嘲笑うかのように聞こえた。何が起きたのか訳も分からず、苦痛を堪えて木を背にして張り付いた。トカゲはまだキリキリと笑いながら、再び木々を飛び回り始めた。奴は俺を取るに足らない相手と見たのか、攻めてくる気配が見られなくなった。攻めの隙は無いが、確認する隙は出来た。傷は四ヶ所。左大腿、胸部、背、首筋。いずれも長さ5センチ深さ5ミリ程だ。切れ込みの長さが半分になったが、深さは二、三倍になっていた。
(…マジか、一瞬で炎をかき消したのか。でもトーピードの時よりましか?いや、毒の得体が知れない分やばいか。まさか、『水属性モンスター』なのか?こいつ…)
 この時の考察通り、あのトカゲは水属性モンスターであった。モンスター総覧書が言うに火と水の属性相性は、「水は火を一方的に破壊できる」であった。俺の弱い炎では、持ち堪える事さえ無い。
(あのスピードを風魔法のブースト無しで…。アイツに風じゃ無理だ、トーピードみたいに風の流れが完璧に読めるらしい。水も活力になるだけだ。…を狙うしか…)
 俺はこの作戦に賭ける事にした。裂かれた太ももの状態を確認し、及第点だと考えた。そして俺は、アイツと同じように木々を飛び移り始めた。トカゲはそんな人間の姿に足を止め、分かりやすく首を傾げ困惑した。もちろんアイツより飛び移るのは遅いし、再びトカゲが動き始めたらすれ違い様に切り裂かれる事もあった。だがそれも必要な犠牲だ。
 俺が十数、奴が何十と樹木を飛び移り続けた末、トカゲはとうとうに感づいた。次に白い脚が木に接した瞬間、それを軸に全身を時計の針の様に回転させる。一瞬の停止時間の後、身体を移動させなければ胴が接地していた所から炎の柱が噴き出した。
(仕込みは完了だ。あれだけじゃ意味が無いのは分かってる…けど、避けるのはまさかだ。予想外…)
 もう木々を飛び回るのはやめ、俺は飛び回っていた空間の中心地点に膝をつき、うなじをはじめとする最低限の急所を手で守り丸くなった。俺が仕掛けたのは地雷に似たもの、奴が踏めばあの様に炎の柱が発生する。持続時間は二十秒、威力もあれでは低くなるが、これで良い。あいつの隙を待つんだ。
『キッ…』
 一度鳴き、再び奴が飛び回ると、炎の柱は無造作に発生し続けた。その数が三、四と増えると共に、俺の体にも三、四と傷が浮かんだ。まるで罰かの様だ。発生した全ての炎が枯れた時、炎の柱が発生する事なくなった。これで確信が持てた。奴はトーピードの様に風が読めるのではなく、魔力の流れを感知できるのだと。
 コーネノ、シィエルは魔力の気配ではなく風の気配を読み、トーピードも自分の得意だから感知できるとあの本で知った。しかしどちらも、魔力が風の様に動くから感知できるらしい。地面の下を行く絡みも、事前に設置した罠にも反応できないのはこの為だ。しかしこのトカゲは魔力そのものを感じ取れる。だから絡みの網は発生する前に感知され、悉くが無効化されてきたのだろう。今もの魔力を感知して位置を把握できている。踏まれる事が無いから発動しないのだ。
 そんな中俺は何もせず、何も出来ず、ただ血だけを垂れ流す。たった一度、一瞬の隙を待って。
『キシッ』
 初めて聞く音と共に、奴の動きが止まった。奴は身体中に力を込めて、小さな体に搭載された紫の鉤爪を木にめり込ませた。そして一つ、樹木の削られる鈍い音が聞こえた。
(に来たか…『知覚強化』)
 ヴィザーオッサン含め、この世界では誰にも教えていない風の魔法だ。神経系が研ぎ澄まされ、俯いていても奴が飛び回る軌道がはっきりとわかる。本当は正面戦闘にも使いたいが、未熟故に痛覚も強化してしまい、自爆の形になってしまう。今も耐え難い苦痛に襲われているし、動き回った直後で血が噴き出す感覚もよく分かる。だが今回の場合、外に魔力の漏れにくい自己強化系の魔法が一番適している。
 空気の動きでトカゲの位置は手に取るように、しかし理想的な位置ではない。鋭敏になった肌が微かな風を捉え、トカゲが鎌鼬を連れてきた事を知る。鉤爪は揃えられ、肉を抉る事に特化させていた。俺が動かないのを良い事に、深い傷を残す為、最弱点の守りを破る為に。
 トカゲは木々の根元近くを行き来し、俺の防御用の腕の肉を抉り始めた。そこは腕を挙げるための筋肉、深さ1センチの切れ込みが秒間四カ所の間隔で増えていく。感覚強化で不必要に強くなる痛みに静かに悶え、歯が擦り減りそうな程食い縛った。
(まだだ…!必ずチャンスが来る!腕ならッ!棄てても構わない!)
 トカゲが行き来し終え、服も腕もボロボロになった。血染めのジャケットが体からずり落ち、うなじを守っていた腕もダランと垂れ下がった。そして全く守りの無くなった人間の頭上四メートルに、トカゲは一旦停止した。揃えていた鉤爪から自前の毒を滴らせて。このまま真下に落下すれば、丁度頸椎を打ち抜く事が出来るだろう。
『キシャァ!』
 奴は明確に吠えた。「トドメだ!」と言う様にだ。トカゲは留まっていた枝を折る程強く蹴り降下する。だが、これでお前の死は確定した。落下し始めて数瞬、奴は途端に焦り始めた。自身を貫かんとする魔力の流れを察知したから。
「『灼柱しゃくちゅう』、一斉点火」
 落下と言う直線的な攻めの一瞬、同時に逃れることの出来ない一瞬、これを叩き込む為に腕さえ棄てたのだ。
 魔力を感じ刹那に周囲を見るトカゲ、目線の先で発動していなかった地雷の十数が赤く熱を発していた。そして放たれる十数本もの灼熱の柱、奴が落ちて来る直線の一点だけを狙って交差する。奴は炎に一瞬で包まれ、噴火の勢いで空中、その座標に固定されていた。さっきやった様に炎を掻き消すには至らず、全てをまともに喰らった。たった三秒の放射だったが、終われば奴は黒く燃え尽き重力任せに落ちてきた。
「勝った…。奢ってくれて助かったよ」
 知覚強化を解き、焦げきったトカゲを見ながら思う。こいつもまだ弱いモンスターなのだと。俺の狙った属性相性の。それは「一方的に破壊できる対象でも、許容範囲を超えれば逆の結果として現れる」と言うもの。俺は全火魔力と、二十秒の所を三秒にまで短縮させた灼柱の一気放出を以って水属性を突破した。許容の範疇を超え突破する。それが今回俺がやった事だった。
 しかし相手は小さかった。レベル上限50の中ランクだろうが、他にも同程度のモンスターは居るし、高ランク、最高峰とまだ上にはいる。しかも、今回戦ったトカゲのレベルが低かった可能性もある。それでもここまで苦戦するのは、まだまだ俺は弱いと言う証拠。奴が俺を嘲り、油断し、真上から飛び込んで来ると言う単純な軌道を選択してくれたお陰で勝てたに過ぎない。俺はそう思ったのだ。
(後は…毒だな…。一体どういう代物なんだ)
 最初に毒のあるだろう爪の攻撃を受けておよそ十分、戦闘終了から一分。神経に異常は無いし、臓器が不調ということも無い。もう体に十分回っている筈なのに、効いていないのはおかしい。戦いにおいて速攻で効かないと、自分にとって有利になり得ないからだ。
(まさか、?)
 そう言えば、腕の痛みが強く忘れかけていたが、頬には長くも浅い傷がある。それは紙で切ったと思うほどに浅い傷だった。だがどうだ、既に乾燥で止まってもいい頃だと言うのに、未だ血が流れ続けている。
「そうか…こういう奴か…」
 その毒には覚えがあった。『ヘモトキシン』蛇毒とも呼ばれる毒の一つとよく似ている。即効性であり、血の凝固を阻害し獲物を出血性ショックによって死に至らしめる。つまり血が止まらなくなって失血死する。最初から毒は効いていた、アイツも俺が死ぬのを待ってたのかと今更思い返す。確かに奴は最初堅実だった。俺が弱そうだと舐め始めた時から、爪で仕留めた方が速いと踏んで戦法を切り替えていたのだ。
 腕から滴る血は池を作る位に大量で、頭は痛み、目もぼやけて暗くなる。こうなれば早く止血しなければいけない。
「…焼くか」
 傷の少ないもう片方の手の指先に火魔法を発動させ、バーナーの様に傷口に宛てがい、溶接する要領で止血をした。以前の様に水魔法によって復元はできない、次使える様になるまでのクールタイムがあるからだ。深い傷から始め、全ての傷口を塞いだ。傷を焼くのは知覚強化の痛みより数段劣る。痛いと思う事なく頬の傷まで全て塞ぎ終えていた。
 帰路に着こうとした時、後ろから足音が聞こえた。俺はよろよろと振り返ると、トンッと足を揃えてさっきのシィエルが佇んでいた。そうだ、元はこいつを捕まえる為の戦いだった。
「残念だったね、は死んだぜ」
 そのシィエルは抵抗せず、風刃に首を差し出し鹿肉になった。もう生きる理由が無くなったと、どこか人間らしく。
 焼けこげたトカゲを手に、首を失ったシィエルを風魔法で運び、今度こそマニラウに帰る事にした。心配もある。それは毒の事では無く、至極個人的な事だった。
「メイラさん怒るだろうなぁ…あとオッサンも。オッサンはどっか行ったから、少し先だけどな」
 俺は自身の体の心配より、怒られる心配の方が大きかった。これは自分が勝手に踏み込んだ危険だ、責任は全て自分にある。それを背負う覚悟はして来た。それに、灸なら据えられたばかりだ。もう余計な好奇心で行動しない様に心がけなくては、そう思って転身した。
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